“トンポーロウ”という中国料理をご存知の方は多いと思います。しかしその料理法や名称の由来について知る方は意外と少ないのではないでしょうか。もっちりとした食感で非常に美味な料理です。直截に言えば、“豚肉の角煮”のことですが。
“トンポーロウ”とは、漢語の“東坡肉:Dōngpōròu”で、蘇東坡(詩人蘇軾の別名)に由来します。前回、北宋代(960~1126)の秦観の詩を詠み、また彼は蘇軾の弟子であることに触れました。ここで彼らが活躍した時代を見ながら、“東坡肉”に関わる蘇軾の詩を詠みます。
中国では唐代が滅んだ(907)後、半世紀ほど五代十国時代と区分される分裂時代が続きます。趙匡胤・匡義兄弟により宋として統一がなり(960)、ほぼ一世紀過ぎたころが、蘇軾たちの活躍した時代です。
蘇軾は、22歳時(1052)に弟蘇轍とともに進士に合格、まず地方官としての勤めを果たした後中央に入ります。
その頃、宋では、大地主や大商人などの不正が横行していて、国政改革の必要に迫られていた。6代神宗(在位:1067~1085)は、王安石(1021~1086)を登用し改革に当たらせ、“王安石の新法”と呼ばれる諸施策が講じられた(1069)。
“王安石の新法”の眼目は、農民などを保護し、大地主や大商人を抑制することであった。したがって、富裕階層(士大夫)とその出身である官僚(旧法派)の激しい妨害にあいます。以後、“新法派”対“旧法派”の政争が繰り広げられることになります。
旧法派に属する蘇軾は、新法に反対し、国政誹謗の罪を着せられで逮捕され、厳しい取り調べを受けた。死刑を覚悟するほどであったが、神宗の取り計らいで黄州(湖北省)へ配流となった(1979、蘇軾44歳)。この左遷先の土地を“東坡”と名付けて、自らは東坡居士と名乗った由。
この黄州で、配流・蟄居の身でありながら、富者は見向きもしなかった安価な豚肉を美味しく頂けるよう工夫して、“東坡肉”なる料理を考案したわけです。その逆境にあることを思わせない心意気は、末尾に挙げた「猪肉を食す」の詩で充分に感得して頂きたい。
神宗が没し、7代哲宗(在位:1085~1100)が即位すると、旧法派が復権し、蘇軾も名誉を回復します。しかし蘇軾は、新法の良い点は残すべきであると主張して、旧法派内で争いを起こしていたようです。
1086年蘇軾は、杭州知事となります。その頃、西湖の改善を積極的に行っており、記憶に残る事跡として“蘇提”の築造が挙げられます。西湖を浚渫(シュンセツ)したその泥で築かれた全長2.8kmの提である。今日、市民の憩いの場であるとともに、観光名所の一つとして世に知られています。
1094年、新法派が再び力を持ち、蘇軾(57歳)は恵州(現広東省)に配流され、さらに62歳の時、海南島に追放されます。哲宗が没し、徽宗(在位:1100~1126)が即位すると、新・旧両派の融和が図られます。蘇軾は許されて、海南島から都に帰る途中、病を得て、常州(現江蘇省)で亡くなります(64歳、1101)。
時代の推移を見ながら、蘇軾の生涯を追いました。厳しい逆境にありながらも、楽天的で、かつユウーモアを忘れない。前回挙げた弟子の一人、秦観とはかなり趣が違うことがわかります。
その他の事ども:
蘇軾は、ある種 哲学的な匂いのある詩風の人でもあります。その点については、このシリーズのトップで取り上げた「西林の壁に題す」をご参照願いたい(閑話休題 -1、-2および-3:蘇東坡;2015.4投稿)。
蘇軾は、北宋代最高の詩人と評されており、また書家でもあります。父の蘇洵・弟の蘇轍ともに勝れており、三人を併称するのに“3蘇”と言い、蘇洵は“老蘇”、蘇軾を“大蘇”、また蘇轍を“小蘇”と呼んで区別しているようです。
“3蘇”に、韓愈(唐)、柳宗元(唐)、欧陽脩(宋)、曽鞏(宋)および王安石(宋)を加えた8人は、「古文」の“唐宋八大家”と呼ばれています。やはり唐代と宋代は詩を含む文学の面で画期的な時代であったと言えるのでしょう。
蘇軾と王安石は、政治的には立場を異にしていますが、ともに北宋代を代表する詩人です。王安石の詩「元日」については、今年元旦に本シリーズで紹介しました(閑話休題 26、賀正をご参照下さい)。
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<原文> <読み下し文>
食猪肉 .....猪肉を食す 蘇東坡
黄州好猪肉 ..........黄州(コウシュウ) 猪肉(チョニク)好(ヨ)し
価銭等糞土 ..........価銭(アタイ)は糞土(フンド)に等(ヒト)し
富者不肯喫 ..........富者(フウジャ)は肯(アエ)て喫(ク)らわず
貧者不解煮 ..........貧者(ヒンジャ)は煮(ニ)るを解(カイ)せず
慢著火..................慢(ユルヤ)かに火を著(ツ)け
少著水 .................少(スコ)しく水に著け
火候足時他自美 ....火候(カコウ)足(タ)る時 他(ソレ)自(オノ)ずから美(ウマ)し
每日起来打一碗 ....每日起き来たりて一碗を打(ツク)る
飽得自家君莫管 ....自家(ジカ)を飽(ア)かし得れば 君 管(カン)すること莫(ナカ)れ
<現代語訳>
黄州の豚肉は上質で、
値段は土のように安い、
金持ちは敢えて食べようとしない、
貧しい者は料理の仕方を知らない。
ゆっくりとグツグツ煮込み、
水は少な目にする。
充分に煮れば、自然においしくなる。
自分が腹いっぱいになればよいのであり、君の知ったことではない。
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“トンポーロウ”とは、漢語の“東坡肉:Dōngpōròu”で、蘇東坡(詩人蘇軾の別名)に由来します。前回、北宋代(960~1126)の秦観の詩を詠み、また彼は蘇軾の弟子であることに触れました。ここで彼らが活躍した時代を見ながら、“東坡肉”に関わる蘇軾の詩を詠みます。
中国では唐代が滅んだ(907)後、半世紀ほど五代十国時代と区分される分裂時代が続きます。趙匡胤・匡義兄弟により宋として統一がなり(960)、ほぼ一世紀過ぎたころが、蘇軾たちの活躍した時代です。
蘇軾は、22歳時(1052)に弟蘇轍とともに進士に合格、まず地方官としての勤めを果たした後中央に入ります。
その頃、宋では、大地主や大商人などの不正が横行していて、国政改革の必要に迫られていた。6代神宗(在位:1067~1085)は、王安石(1021~1086)を登用し改革に当たらせ、“王安石の新法”と呼ばれる諸施策が講じられた(1069)。
“王安石の新法”の眼目は、農民などを保護し、大地主や大商人を抑制することであった。したがって、富裕階層(士大夫)とその出身である官僚(旧法派)の激しい妨害にあいます。以後、“新法派”対“旧法派”の政争が繰り広げられることになります。
旧法派に属する蘇軾は、新法に反対し、国政誹謗の罪を着せられで逮捕され、厳しい取り調べを受けた。死刑を覚悟するほどであったが、神宗の取り計らいで黄州(湖北省)へ配流となった(1979、蘇軾44歳)。この左遷先の土地を“東坡”と名付けて、自らは東坡居士と名乗った由。
この黄州で、配流・蟄居の身でありながら、富者は見向きもしなかった安価な豚肉を美味しく頂けるよう工夫して、“東坡肉”なる料理を考案したわけです。その逆境にあることを思わせない心意気は、末尾に挙げた「猪肉を食す」の詩で充分に感得して頂きたい。
神宗が没し、7代哲宗(在位:1085~1100)が即位すると、旧法派が復権し、蘇軾も名誉を回復します。しかし蘇軾は、新法の良い点は残すべきであると主張して、旧法派内で争いを起こしていたようです。
1086年蘇軾は、杭州知事となります。その頃、西湖の改善を積極的に行っており、記憶に残る事跡として“蘇提”の築造が挙げられます。西湖を浚渫(シュンセツ)したその泥で築かれた全長2.8kmの提である。今日、市民の憩いの場であるとともに、観光名所の一つとして世に知られています。
1094年、新法派が再び力を持ち、蘇軾(57歳)は恵州(現広東省)に配流され、さらに62歳の時、海南島に追放されます。哲宗が没し、徽宗(在位:1100~1126)が即位すると、新・旧両派の融和が図られます。蘇軾は許されて、海南島から都に帰る途中、病を得て、常州(現江蘇省)で亡くなります(64歳、1101)。
時代の推移を見ながら、蘇軾の生涯を追いました。厳しい逆境にありながらも、楽天的で、かつユウーモアを忘れない。前回挙げた弟子の一人、秦観とはかなり趣が違うことがわかります。
その他の事ども:
蘇軾は、ある種 哲学的な匂いのある詩風の人でもあります。その点については、このシリーズのトップで取り上げた「西林の壁に題す」をご参照願いたい(閑話休題 -1、-2および-3:蘇東坡;2015.4投稿)。
蘇軾は、北宋代最高の詩人と評されており、また書家でもあります。父の蘇洵・弟の蘇轍ともに勝れており、三人を併称するのに“3蘇”と言い、蘇洵は“老蘇”、蘇軾を“大蘇”、また蘇轍を“小蘇”と呼んで区別しているようです。
“3蘇”に、韓愈(唐)、柳宗元(唐)、欧陽脩(宋)、曽鞏(宋)および王安石(宋)を加えた8人は、「古文」の“唐宋八大家”と呼ばれています。やはり唐代と宋代は詩を含む文学の面で画期的な時代であったと言えるのでしょう。
蘇軾と王安石は、政治的には立場を異にしていますが、ともに北宋代を代表する詩人です。王安石の詩「元日」については、今年元旦に本シリーズで紹介しました(閑話休題 26、賀正をご参照下さい)。
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<原文> <読み下し文>
食猪肉 .....猪肉を食す 蘇東坡
黄州好猪肉 ..........黄州(コウシュウ) 猪肉(チョニク)好(ヨ)し
価銭等糞土 ..........価銭(アタイ)は糞土(フンド)に等(ヒト)し
富者不肯喫 ..........富者(フウジャ)は肯(アエ)て喫(ク)らわず
貧者不解煮 ..........貧者(ヒンジャ)は煮(ニ)るを解(カイ)せず
慢著火..................慢(ユルヤ)かに火を著(ツ)け
少著水 .................少(スコ)しく水に著け
火候足時他自美 ....火候(カコウ)足(タ)る時 他(ソレ)自(オノ)ずから美(ウマ)し
每日起来打一碗 ....每日起き来たりて一碗を打(ツク)る
飽得自家君莫管 ....自家(ジカ)を飽(ア)かし得れば 君 管(カン)すること莫(ナカ)れ
<現代語訳>
黄州の豚肉は上質で、
値段は土のように安い、
金持ちは敢えて食べようとしない、
貧しい者は料理の仕方を知らない。
ゆっくりとグツグツ煮込み、
水は少な目にする。
充分に煮れば、自然においしくなる。
自分が腹いっぱいになればよいのであり、君の知ったことではない。
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