国内でのコロナ感染増加第4波に対処すべく、この4月25日~5月11日の間、活動自粛の第3次緊急事態宣言が発せられた(4/23)。第2次宣言の解除後、1カ月半ほど経過した時点での再再度宣言である。但し今次の対象は4都府県に限られるが。
早期の収束を願いつつも、思いは裏切られっぱなし。本より無生物に近いコロナに、霊長類・人の思惑への忖度を期待する方が無理であろうが。折ごとに“コロナ生活”の状況の一断面を“漢詩”として切り取ってきて、今回は7作目となる。虚しさが増すこの頃ではある。
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<漢詩原文および読み下し文> [下平声五歌六麻韻]
辛丑孟夏第三次告紧
浮雲処処独煎茶, 浮雲 処処たり 独(ヒト)り茶を煎(ニ)る,
燕子翩翩悦奈何。 燕子(エンシ) 翩翩(ヘンペン)たり 悦(ヨロコビ)や奈何(イカンゾ)。
碍寄南枝冠病禍, 南枝(ナンシ)に寄るを碍(サマタゲ)る冠病(コロナ)の禍(カ),
近来人事欲消磨。 近来(キンライ) 人事(ジンジ) 消磨(ショウマ)せんと欲(ホッ)す。
註]
翩翩:鳥の軽やかに飛ぶさま。 碍:妨げる。
南枝:「古詩十九首 其一」、“越鳥巣南枝”に依った。生まれ故郷を懐かしむ意。
結句:「賀知章の回郷偶書 其二」から「近来人事半消磨」の句をほぼ丸ごと
活用させてもらった。“近来”:近頃; “人事”:人間社会のできごと;
“消磨”:すり減ること。
<現代語訳>
令和三年初夏 第三次緊急事態宣言
碧天のあちこちに浮雲がゆっくりと流れゆく中、一人茶を淹れて一服している、
中庭の植え込み上空を燕が軽やかに舞っている。古巣に帰ってきたのだ、
喜びやいかに?
人々は猶もコロナ禍で禁足、定期的に訪れていた故郷に近づくことさえ憚られる、
長引くコロナ下での生活には、この頃、故郷の記憶も薄れそうで、気が滅入ってくるよ。
<簡体字およびピンイン>
辛丑孟夏第3次告紧 Xīn chǒu mèngxià dì 3 cì gào jǐn
浮云处处独煎茶, Fúyún chùchù dú jiān chá,
燕子翩翩悦奈何。 yànzi piānpiān yuè nàihé。
碍寄南枝冠病祸, Ài jì nán zhī guān bìng huò,
近来人事欲消磨。 jìnlái rénshì yù xiāomó.
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雨後の両三日、黄砂によると思われる霞みも晴れて、あちこちと浮雲が漂う紺碧の空の下、山の稜線もくっきりと見えている。作業に取り掛かる前、お茶を一服しながら、一日の段取りに想いを巡らす朝のひと時である。
ビル6階の窓越しに外に目をやると、植え込みの上空を数羽の燕が右に左に、上へ下へと大きく輪を描いて舞っている。時に微かにチッチッと鳴き声を発している。巣立った “旧巣”を忘れずに、長旅の後、無事に “貧しき主(アルジ)の元へ”帰って来たのであり、喜びが溢れて舞に興じているように見える。
季節は巡る。コロナ感染者数の増減も波打つが、特に一定の周期はない。しっかりと対策を取れば減じ、怠れば増える、このことは、これまでの経験から明らかになっている。今般第4波発現への対処として3回目となる緊急事態宣言(ブレーキの強化)が発令された。
ただ一市民の感覚として、コロナに関し、今回の宣言発出を含めて、諸事の“決断”において遅きに失しているのでは?と思えてならない。潜伏期間が長いコロナで、症状発現時を目途に検査を進めている現況故に、特にその感が強い。我国のトップリーダーは、随分と悠長な性質の方か、と推察される。
・ブレーキとアクセルを同時に踏む、・感染者数が増える傾向にあってもなお「未だx波とは言えない」、・都心部で異常に増加している段階で「未だ“うねり”になっているとは思えない(全国的に拡大していないという意味か?)」、・「変異種を甘く見ていた」、・「Y月までにはワクチン接種を終える」等々。
100 m徒競走で“フライング”という言葉をよく耳にする。同競技では失格とされる行動であるが、コロナではむしろ積極的に考慮・実践すべきことと思える。経験や科学データを基に“科学的発想法”を以て“洞察力”を働かせて先を読み、先手を打って早めの対策を講ずる(“フライング”)、このような心構えが欲しいものである。
今回の宣言では強力な対策が採られる。しかし、全国的に斯くも感染数が増えた状況では、結果を想像するに、やはり胸の奥で楽観的な希望が湧くことはない。無いもの強請りながら、「ワクチンの活用なくしては“神頼み・念力頼み”に終わるのでは」と。
With-coronaの生活下、感染蔓延状態の都心部と他府県間では特にそうであるが、故郷への訪問も“不要不急の移動”として、余儀なく自粛せざるを得ないのである。この状態が長引くと、懐かしの故郷の山や川、思い出の景色も色あせて行きそうである。
先の当blog(閑話休題-200)において、読者・吾一さんからコメントを頂いています。「感染させるのも人、感染するのも人…なんですよね」と。「自分を守り、他人を守る」の心掛けをより強くして、国民一人一人が“真摯に”(この言葉が虚しい言葉とならないよう願いも込めて)対応していくよう念ずる次第である。
早期の収束を願いつつも、思いは裏切られっぱなし。本より無生物に近いコロナに、霊長類・人の思惑への忖度を期待する方が無理であろうが。折ごとに“コロナ生活”の状況の一断面を“漢詩”として切り取ってきて、今回は7作目となる。虚しさが増すこの頃ではある。
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<漢詩原文および読み下し文> [下平声五歌六麻韻]
辛丑孟夏第三次告紧
浮雲処処独煎茶, 浮雲 処処たり 独(ヒト)り茶を煎(ニ)る,
燕子翩翩悦奈何。 燕子(エンシ) 翩翩(ヘンペン)たり 悦(ヨロコビ)や奈何(イカンゾ)。
碍寄南枝冠病禍, 南枝(ナンシ)に寄るを碍(サマタゲ)る冠病(コロナ)の禍(カ),
近来人事欲消磨。 近来(キンライ) 人事(ジンジ) 消磨(ショウマ)せんと欲(ホッ)す。
註]
翩翩:鳥の軽やかに飛ぶさま。 碍:妨げる。
南枝:「古詩十九首 其一」、“越鳥巣南枝”に依った。生まれ故郷を懐かしむ意。
結句:「賀知章の回郷偶書 其二」から「近来人事半消磨」の句をほぼ丸ごと
活用させてもらった。“近来”:近頃; “人事”:人間社会のできごと;
“消磨”:すり減ること。
<現代語訳>
令和三年初夏 第三次緊急事態宣言
碧天のあちこちに浮雲がゆっくりと流れゆく中、一人茶を淹れて一服している、
中庭の植え込み上空を燕が軽やかに舞っている。古巣に帰ってきたのだ、
喜びやいかに?
人々は猶もコロナ禍で禁足、定期的に訪れていた故郷に近づくことさえ憚られる、
長引くコロナ下での生活には、この頃、故郷の記憶も薄れそうで、気が滅入ってくるよ。
<簡体字およびピンイン>
辛丑孟夏第3次告紧 Xīn chǒu mèngxià dì 3 cì gào jǐn
浮云处处独煎茶, Fúyún chùchù dú jiān chá,
燕子翩翩悦奈何。 yànzi piānpiān yuè nàihé。
碍寄南枝冠病祸, Ài jì nán zhī guān bìng huò,
近来人事欲消磨。 jìnlái rénshì yù xiāomó.
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雨後の両三日、黄砂によると思われる霞みも晴れて、あちこちと浮雲が漂う紺碧の空の下、山の稜線もくっきりと見えている。作業に取り掛かる前、お茶を一服しながら、一日の段取りに想いを巡らす朝のひと時である。
ビル6階の窓越しに外に目をやると、植え込みの上空を数羽の燕が右に左に、上へ下へと大きく輪を描いて舞っている。時に微かにチッチッと鳴き声を発している。巣立った “旧巣”を忘れずに、長旅の後、無事に “貧しき主(アルジ)の元へ”帰って来たのであり、喜びが溢れて舞に興じているように見える。
季節は巡る。コロナ感染者数の増減も波打つが、特に一定の周期はない。しっかりと対策を取れば減じ、怠れば増える、このことは、これまでの経験から明らかになっている。今般第4波発現への対処として3回目となる緊急事態宣言(ブレーキの強化)が発令された。
ただ一市民の感覚として、コロナに関し、今回の宣言発出を含めて、諸事の“決断”において遅きに失しているのでは?と思えてならない。潜伏期間が長いコロナで、症状発現時を目途に検査を進めている現況故に、特にその感が強い。我国のトップリーダーは、随分と悠長な性質の方か、と推察される。
・ブレーキとアクセルを同時に踏む、・感染者数が増える傾向にあってもなお「未だx波とは言えない」、・都心部で異常に増加している段階で「未だ“うねり”になっているとは思えない(全国的に拡大していないという意味か?)」、・「変異種を甘く見ていた」、・「Y月までにはワクチン接種を終える」等々。
100 m徒競走で“フライング”という言葉をよく耳にする。同競技では失格とされる行動であるが、コロナではむしろ積極的に考慮・実践すべきことと思える。経験や科学データを基に“科学的発想法”を以て“洞察力”を働かせて先を読み、先手を打って早めの対策を講ずる(“フライング”)、このような心構えが欲しいものである。
今回の宣言では強力な対策が採られる。しかし、全国的に斯くも感染数が増えた状況では、結果を想像するに、やはり胸の奥で楽観的な希望が湧くことはない。無いもの強請りながら、「ワクチンの活用なくしては“神頼み・念力頼み”に終わるのでは」と。
With-coronaの生活下、感染蔓延状態の都心部と他府県間では特にそうであるが、故郷への訪問も“不要不急の移動”として、余儀なく自粛せざるを得ないのである。この状態が長引くと、懐かしの故郷の山や川、思い出の景色も色あせて行きそうである。
先の当blog(閑話休題-200)において、読者・吾一さんからコメントを頂いています。「感染させるのも人、感染するのも人…なんですよね」と。「自分を守り、他人を守る」の心掛けをより強くして、国民一人一人が“真摯に”(この言葉が虚しい言葉とならないよう願いも込めて)対応していくよう念ずる次第である。