前回は杜甫の詩『客至る』の話題でした。その折、李白も話題に上っていました。そこで今回、ちょっと道草をして、詩『客至る』に関連して、李白の詩について触れます。
李白、杜甫は、李白の方が11歳ほど先輩に当たる(生年:李白701年、杜甫712年)。李白は豪放磊落な性格であるが、杜甫は現実的な社会派と言われる。また後年李白の「詩仙」に対し、杜甫は「詩聖」と称されている。このように両者は、よく対比して語られることが多い。
両者には、また対照的な面白い伝説があります。
李白については、船中で酒盛りの最中、酔って、水面に映る月を捉えようとして、船から落ちて、溺死した という捉月伝説。一方、杜甫は、頂いた牛肉を食べ過ぎて、亡くなった という。
伝説として語られるほどに、お酒に関わる李白に対して、食に関わる杜甫という構図は、両者の一面をよく表していて、残された詩の中にもそれが読み取れるようです。実際に両者の詩を読み比べてみます。
李白の詩を見てみます。まさにお酒を勧める内容の詩で『将進酒(酒を飲みましょうよ)』。この詩については、その読み下し文および現代訳と合わせて、本稿の末尾に挙げてあります。
26句からなる長い詩ですが、ここで紹介する書籍では、その前半部分、10句が取り上げられています。
お酒と食べ物に関する表現が出てくるのは、それぞれ第6および9句です。出てくるその順序に注目して下さい。まず“金樽(キンソン)をして空(ムナ)しく….”とお酒に関する句が現れ、次いで“羊(ヒツジ)を烹(ニ) 牛を宰(サイ)して…..”と食べ物に関する表現が現れます。
第10句では、“飲むからには、一気に三百杯は飲み干せ….”と‘ダメ押し’をしています。まさしく李白ならではの表現でしょう。
参照している書籍には、詩の後半部分は取り上げられていませんが、続く第11句以下においても、やはり“さあ、飲みましょう…”、“豪華なお膳などは尊ぶに足らないよ”と、まずお酒を勧める句が出てきて、次いで食に関わる句が出てきます。
一方、杜甫の詩について見てみます。前回紹介した詩『客至る』にいま一度目を通してもらいましょう。前回の閑話休題18を参照して下さい。
来客をもてなすに当たって、“ごちそうは、市場が遠いため一皿しかなく”、”酒も、家が貧しいために、古いどぶろくがあるだけです“ と、まず食べ物が気になり、次いでお酒に気がまわる、という、李白とは逆の順序の構図になっています。
繰り返しになりますが、李白は、まずお酒があって、次いで食べ物という構図ですが、杜甫にあっては順序が逆であるということです。
詩人自身は、意識して表現の順序を決めたわけではないでしょう。繊細な感性の持ち主である詩人にして、やはり日常気に留めている事柄の中で、関心度の大きさが、記載の順序として反映、表現されているのではないでしょうか。穿ちすぎでしょうか?
話は変わって、『将進酒』がいつ作られたのかも興味がありますが、はっきりと判っていないようです。ただ畳みかけていくようにお酒を勧めていくその勢いから推して、若い頃の作であることを推測させます。
その年代を推測するヒントは、また第3, 4句にもあるように思われます。第3, 4句では、‘高殿で鏡に向かって、白髪頭を悲しんでいるお年寄りを見たまえ、今は黒髪だと思っていても、知らぬ間にお年寄りになるんだぞ“と述べています。
筆者にとって、この両句は、人生の儚さを主張するために差し挟んだようには読めません。むしろ李白は、お酒を勧めるために、“君見たまえ”と、一歩下がって、一般論としてお年寄りを取り上げているだけで、若いからこそ出てきた句であるように思えます。
つまり、『将進酒』は、若い李白が、宮廷詩人となるべく先を模索しながら、お酒を楽しんでいるように読めます。
李白は、42歳で玄宗皇帝の下、宮廷詩人として希望を叶えることができます。しかしヒョンなことから44歳には宮廷を追われる羽目となります。以後、再就職の機会を伺いながら旅を放浪していますが、『将進酒』には、この放浪の旅にあることを思わせるような悲壮な表現はありません。
これらを踏まえると、『将進酒』は、李白が、少なくとも42歳より若いときの作と考えたい。
この詩の主題がお酒を勧める詩であること、さらに李白の若い頃の作であることが、“食”よりもまず“お酒”という順序の表現にしたのであろうか?行きがかり上、続いてこの辺をもう少し読み込んでいきます。
xxxxxxxxxx
将進酒 李白
1 君不見 君(キミ)見ずや
黄河之水天上来 黄河(コウガ)の水 天上より来たるを
2 奔流到海不復回 奔流(ホンリュウ)海に到(イタ)って復(マタ)た回(カエ)らず
3 君不見 君(キミ)見ずや
高堂明镜悲白髪 高堂(コウドウ)の明镜(メイキョウ) 白髪を悲しむを
4 朝如青糸暮成雪 朝(アシタ)には青糸(セイシ)の如きも 暮れには雪と成(ナ)る
5 人生得意须尽歓 人生の得意(トクイ) 须(スベカ)らく歓(カン)を尽くすべし
6 莫使金樽空对月 金樽(キンソン)をして空(ムナ)しく月に对せしむる莫(ナカ)れ
7 天生我材必有用 天 我が材(ザイ)を生ずる 必ず用(ヨウ)有り
8 千金散尽還復来 千金 散じ尽くせば還(マ)た復(マ)た来たらん
9 烹羊宰牛且為楽 羊(ヒツジ)を烹(ニ)牛を宰(サイ)して且(シバラ)く楽しみを為(ナ)さん
10 会须一飲三百杯 会(カナラ)ず须(スベカ)らく一飲(イチイン)三百杯なるべし
…..(後略)
[現代訳]
1 見たまえ、
黄河の水が天の彼方からすさまじい勢いで流れ下ってくるのを。
2 それはそのまま海に流れ込み、決して戻っては来ないのだ。
3 見たまえ、
立派な座敷で鏡を見つめる人が、白髪を悲しむ姿を。
4 朝は黒髪だったのが、夜にはもう雪のように白くなったのだ。
5 人生、思いのままに喜びを尽くすべきだ。
6 黄金の酒樽をむなしく月の光にさらすようなことはやめたまえ。
7 天が私のこの才能を生んだからには、いつか必ずそれが役立つ時が来るはず。
8 巨万の富は使い果たしても、きっとまた手元に戻ってくる。
9 羊や牛を料理して、ともかく楽しいときを過ごそう。
10 飲むからには、ぜひとも一気に三百杯は飲み干さなくては。
……(後略)
石川忠久 監修 『NHK 新漢詩紀行 ガイド 6』 日本放送出版協会 2010 より引用。
(注:各句頭の付番は筆者が書き加えた。)
李白、杜甫は、李白の方が11歳ほど先輩に当たる(生年:李白701年、杜甫712年)。李白は豪放磊落な性格であるが、杜甫は現実的な社会派と言われる。また後年李白の「詩仙」に対し、杜甫は「詩聖」と称されている。このように両者は、よく対比して語られることが多い。
両者には、また対照的な面白い伝説があります。
李白については、船中で酒盛りの最中、酔って、水面に映る月を捉えようとして、船から落ちて、溺死した という捉月伝説。一方、杜甫は、頂いた牛肉を食べ過ぎて、亡くなった という。
伝説として語られるほどに、お酒に関わる李白に対して、食に関わる杜甫という構図は、両者の一面をよく表していて、残された詩の中にもそれが読み取れるようです。実際に両者の詩を読み比べてみます。
李白の詩を見てみます。まさにお酒を勧める内容の詩で『将進酒(酒を飲みましょうよ)』。この詩については、その読み下し文および現代訳と合わせて、本稿の末尾に挙げてあります。
26句からなる長い詩ですが、ここで紹介する書籍では、その前半部分、10句が取り上げられています。
お酒と食べ物に関する表現が出てくるのは、それぞれ第6および9句です。出てくるその順序に注目して下さい。まず“金樽(キンソン)をして空(ムナ)しく….”とお酒に関する句が現れ、次いで“羊(ヒツジ)を烹(ニ) 牛を宰(サイ)して…..”と食べ物に関する表現が現れます。
第10句では、“飲むからには、一気に三百杯は飲み干せ….”と‘ダメ押し’をしています。まさしく李白ならではの表現でしょう。
参照している書籍には、詩の後半部分は取り上げられていませんが、続く第11句以下においても、やはり“さあ、飲みましょう…”、“豪華なお膳などは尊ぶに足らないよ”と、まずお酒を勧める句が出てきて、次いで食に関わる句が出てきます。
一方、杜甫の詩について見てみます。前回紹介した詩『客至る』にいま一度目を通してもらいましょう。前回の閑話休題18を参照して下さい。
来客をもてなすに当たって、“ごちそうは、市場が遠いため一皿しかなく”、”酒も、家が貧しいために、古いどぶろくがあるだけです“ と、まず食べ物が気になり、次いでお酒に気がまわる、という、李白とは逆の順序の構図になっています。
繰り返しになりますが、李白は、まずお酒があって、次いで食べ物という構図ですが、杜甫にあっては順序が逆であるということです。
詩人自身は、意識して表現の順序を決めたわけではないでしょう。繊細な感性の持ち主である詩人にして、やはり日常気に留めている事柄の中で、関心度の大きさが、記載の順序として反映、表現されているのではないでしょうか。穿ちすぎでしょうか?
話は変わって、『将進酒』がいつ作られたのかも興味がありますが、はっきりと判っていないようです。ただ畳みかけていくようにお酒を勧めていくその勢いから推して、若い頃の作であることを推測させます。
その年代を推測するヒントは、また第3, 4句にもあるように思われます。第3, 4句では、‘高殿で鏡に向かって、白髪頭を悲しんでいるお年寄りを見たまえ、今は黒髪だと思っていても、知らぬ間にお年寄りになるんだぞ“と述べています。
筆者にとって、この両句は、人生の儚さを主張するために差し挟んだようには読めません。むしろ李白は、お酒を勧めるために、“君見たまえ”と、一歩下がって、一般論としてお年寄りを取り上げているだけで、若いからこそ出てきた句であるように思えます。
つまり、『将進酒』は、若い李白が、宮廷詩人となるべく先を模索しながら、お酒を楽しんでいるように読めます。
李白は、42歳で玄宗皇帝の下、宮廷詩人として希望を叶えることができます。しかしヒョンなことから44歳には宮廷を追われる羽目となります。以後、再就職の機会を伺いながら旅を放浪していますが、『将進酒』には、この放浪の旅にあることを思わせるような悲壮な表現はありません。
これらを踏まえると、『将進酒』は、李白が、少なくとも42歳より若いときの作と考えたい。
この詩の主題がお酒を勧める詩であること、さらに李白の若い頃の作であることが、“食”よりもまず“お酒”という順序の表現にしたのであろうか?行きがかり上、続いてこの辺をもう少し読み込んでいきます。
xxxxxxxxxx
将進酒 李白
1 君不見 君(キミ)見ずや
黄河之水天上来 黄河(コウガ)の水 天上より来たるを
2 奔流到海不復回 奔流(ホンリュウ)海に到(イタ)って復(マタ)た回(カエ)らず
3 君不見 君(キミ)見ずや
高堂明镜悲白髪 高堂(コウドウ)の明镜(メイキョウ) 白髪を悲しむを
4 朝如青糸暮成雪 朝(アシタ)には青糸(セイシ)の如きも 暮れには雪と成(ナ)る
5 人生得意须尽歓 人生の得意(トクイ) 须(スベカ)らく歓(カン)を尽くすべし
6 莫使金樽空对月 金樽(キンソン)をして空(ムナ)しく月に对せしむる莫(ナカ)れ
7 天生我材必有用 天 我が材(ザイ)を生ずる 必ず用(ヨウ)有り
8 千金散尽還復来 千金 散じ尽くせば還(マ)た復(マ)た来たらん
9 烹羊宰牛且為楽 羊(ヒツジ)を烹(ニ)牛を宰(サイ)して且(シバラ)く楽しみを為(ナ)さん
10 会须一飲三百杯 会(カナラ)ず须(スベカ)らく一飲(イチイン)三百杯なるべし
…..(後略)
[現代訳]
1 見たまえ、
黄河の水が天の彼方からすさまじい勢いで流れ下ってくるのを。
2 それはそのまま海に流れ込み、決して戻っては来ないのだ。
3 見たまえ、
立派な座敷で鏡を見つめる人が、白髪を悲しむ姿を。
4 朝は黒髪だったのが、夜にはもう雪のように白くなったのだ。
5 人生、思いのままに喜びを尽くすべきだ。
6 黄金の酒樽をむなしく月の光にさらすようなことはやめたまえ。
7 天が私のこの才能を生んだからには、いつか必ずそれが役立つ時が来るはず。
8 巨万の富は使い果たしても、きっとまた手元に戻ってくる。
9 羊や牛を料理して、ともかく楽しいときを過ごそう。
10 飲むからには、ぜひとも一気に三百杯は飲み干さなくては。
……(後略)
石川忠久 監修 『NHK 新漢詩紀行 ガイド 6』 日本放送出版協会 2010 より引用。
(注:各句頭の付番は筆者が書き加えた。)