愉しむ漢詩

漢詩をあるテーマ、例えば、”お酒”で切って読んでいく。又は作るのに挑戦する。”愉しむ漢詩”を目指します。

閑話休題51 ドラマの中の漢詩 34『宮廷女官―若曦』-22

2017-09-25 16:06:17 | 漢詩を読む
塞外の幕営地での話を続けます。

第八皇子と若曦が逢瀬を得るには、絶好の環境にあって、しばしば逢瀬を楽しんでいます。若曦は、第八皇子から乗馬の手ほどきを受ける機会もありました。逢瀬の機会が増すにつれて、両人の心に通い合う想いも強くなっていきます。

第八皇子は、都に帰ったら陛下に申し出て、君を嫁(側室)に迎えるよう手はずを整えたい と打ち明けるまでになりました。若曦もすっかり心を開いて、頷いています。

若曦は、常常、“自分一人を愛し、また自分も一人だけを愛する、このような関係の結婚であるべき“ と公言していました。第八皇子の言動から、このような状況が実現できるという期待感を持つに至ったようです。

ところが、都に帰ってみると状況は一変します。特に皇子たちの皇位継承に関わる醜い争いが日に日に強まり、第八皇子もその渦中の人です。塞外の桃源郷とは異なり、若曦は、都の汚れた空気にすっかり期待は裏切られたと感ずるようになりました。

若曦は、第八皇子に対し、“皇位への野望を捨ててほしい、皇位と自分とどっちが大事か”と詰め寄ります。第八皇子は、“長年胸に秘めて、努力してきた夢だ。皇太子がその器であるなら別だが、そうでない彼に国政を任せることはできない”と、断じます。

若曦は、“これまでの関係はなかった事にして下さい”と、きっぱりと断絶を宣言します。やや心が落ち着いた頃、かつて第八皇子が手首に嵌めてくれた腕輪をやっとの思いで取り外して、ハンカチで包んで第八皇子に送り届けます。

皇子たちの動静も騒然としてきました。帳簿の管理を任されている第四皇子は、皇太子と、第八皇子の仲間である第九皇子が不正を働いていることを見抜きます。第四皇子は、第八皇子と密かに計らい、改善を促して、一応事なきを得ました、

しかしそんな折、皇太子が、陛下に“若曦を側室として自分に下賜して頂きたい”と申し出ます。陛下は、“若曦は朕によく仕えてくれた。立派な嫁入り道具も揃えて、しかるべく嫁入りを行おう。今しばらく待て”と、乗り気ではない返事である。

この件が話題となり、城内は騒然としてきました。それぞれ関係者は動きを露わにします。若曦は、胸の痛みが強く、頭から冷水を浴びて、自ら体調を崩して寝込みます。陛下からの勅を恐れて、身を遠ざけるためです。

第四皇子は、帳簿を精査して、皇太子が頻繁に謀議の集まりを持っていたことを突き止めます。その帳簿情報を非公式に、且つ内密に第八皇子の手に届けます。第八皇子は、若曦とは断絶した状況にありながら、仲間たちに、“感情に走っている場合ではない”として対策を巡らします。

“皇太子はある狙いを持っているのだ”との共通認識があって、“皇太子に若曦を嫁がせるわけにはいかん”と、第四・八皇子が手を組んだことになります。これを機会に皇太子を失脚させる道を探りはじめます。

第八皇子は、正妻の母上の叔父がしかるべき地位にあることから、その筋を通じて、帳簿情報から読み取れる事柄を陛下に上奏するよう、一計を案じました。

“皇太子が仲間たちと、皇帝を退位させる策をしばしば謀議した”という上奏を受けて、陛下は、皇帝の執務室でその真偽を糺しています。勿論、皇太子は否定しました。陛下は、第三皇子に、再調査するよう命じます。

再調査を行った第三皇子は、“上奏の通りに違いありません”と、結果を報告します。皇太子はじめ、謀議に関わったとする10名前後の臣は、即、処罰の断が下されました。

若曦の周りも平穏を取り戻しました。第四皇子は、若曦に贈り物を届ける、あるいはお茶を所望して若曦の所を訪れるなど、これまでも度々ありました。このごろ両人の関係が徐々に密になっていきます。

かつては、“氷の人”と若曦が揶揄するほどに、第四皇子は、よそよそしく、慎重な振る舞いで、お互い言葉少なに応対していました。最近、若曦に話しかける際、第四皇子に笑顔が浮かび、軽口が交わされるようになりました。

このようなある日、若曦が「私を娶りたいですか?」と問うと、第四皇子は、「今は遠慮しよう。今、君を娶る勇気は誰にもない。待っていろ」と。しばらく経って、若曦に第四皇子から封書が届き、その中には「行到水窮処 坐看雲起時」と墨書された一枚の便箋が入っていました。

若曦は、その意味を深く考える風ではありませんが、筆を執ってこれらの句を繰り返し清書・練習します。後に第四皇子が訪ねてきた折には、両人一緒に並んで筆を執り、清書します。

第四皇子は、「私と約束してくれ。私だけには必ず本心を打ち明ける と。私も君と同じで、飾った嘘を聞くより、醜い事実が知りたい」と語りかけます。若曦は、「皇子も私に本音を?」の問うと、第四皇子は、「それでこそ対等というものだ」 と息が合うように見えました。

そこで若曦は、「常に“○○”」と、掌に指で“皇位”と書いて、「望みますか?」と問うています。

若曦の記憶の中には、清代の歴史事実がしっかりと保管されていて、皇子たちの行く末は既知なのです。その知識が、第八皇子との破局の原因であり、また第四皇子に対する問いかけとなっています。(ドラマ第12~18話)

この段階でドラマの進行には大きな転換、潮目の変化を感じます。若曦との関係を通して、主役が第八皇子から第四皇子に変わることになり、第四皇子の立つ位置が注目されます。

「行到水窮処 ……」は、王維作の詩の一部です。その詩は末尾に添えました。ドラマ全体の展開の中でもこの詩は非常に重要な意味を持っている と筆者は感じています。その辺りは次回に譲ります。

また皇太子失脚の動きを加速するのに、皇子たちが共通して持っていた認識: “皇太子の狙い”とは?併せて次回に触れます。

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入山寄城中故人  入山して城中の故人に寄す   王維

中歳頗好道,  中歳(チュウサイ) 頗(スコブ)る道(ドウ)を好み,
晩家南山陲。  晩に家(イエ)す南山の陲(ホトリ)。
興來毎独往,  興(キョウ)來たりては独り往く毎に、
勝事空自知。  勝事(ショウジ)空しく自(オノ)ずから知る。
行到水窮処,  行きて到る 水の窮(キワ)まる処,
坐看雲起時。  坐して看る 雲の起る時を。
偶然値林叟,  偶然 林叟(リンソウ)に値(ア)い,
談笑無還期。  談笑して還期(カンキ)無し。

註]
入山:終南山麓にある別荘に入って
中歳:中年の頃
道:仏道、仏教
勝事:素晴らしい風光
林叟:きこりの老人
還期:帰るとき

<現代語訳>
終南山麓の別荘に入って、城中の友人に詩を送る

中年の頃から少々仏道に興味をもっていたが、
晩年になって終南山麓に設けてある別荘に籠ることにした。
興趣が湧いてくるとよく独りで出かけていき、
素晴らしい風光に自然に溶け込んでいく。
水の湧き出る処まで上っていき、
座って雲が起こってくるのに見入るのである。
時には偶然にお年寄りの木こりに逢うことがあり、
つい話し込んで帰る時を忘れてしまうのである。
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閑話休題50 飛蓬―漢詩を詠む -3 ―ガジュマルの木―

2017-09-15 16:56:26 | 漢詩を読む
今回は、鹿児島県喜界島のガジュマルの木を話題にします。

最近、「喜界島 道路に濁流 記録的大雨」(毎日新聞 9/5付)の見出しで、50年に一度という豪雨が報じられました。想像をはるかに超える被害の模様でした。一日も早い復旧を念じております。

この喜界島に特異な樹形をした見事なガジュマルの古巨木があります。樹幹は、無数の柱が束になったようで、その周は10数 mを越すでしょうか。但し、それらの柱状のものは、気根と呼ばれる根っこが成長したもので、真の樹幹とは言えないでしょうが(写真1)。


写真1:巨木ガジュマルの幹

この木を、特異な樹形にしているのは、上行する幹または枝がなく、枝が四周にわたって、真横にどこまでも伸びていることです。その模様は、写真2および3に見ることができます。この木は手久津久地区の山上にあります。


写真2:四周の真横に伸びる枝、上方に伸びる幹や枝は見当たらない

写真3:どこまでも横に伸びる枝

通常、ガジュマルの木は、碗を逆さにしたような樹形に育ちますが、横への枝ぶりがやや強いように思われます(写真4)。写真1~3に示した本題の木は、山上に育ったため、台風襲来の多い場所柄、風雨に晒されて、上行する枝の成長が阻害された結果でしょうか?


写真4:中国広西壮族自治区 桂林 伏波山 ガジュマルの木

大昔(?)の話ですが、ガジュマルの木の横に伸びる枝は、子供たちの絶好の遊び道具となっていました。枝の先端部が、ちょっと飛び跳ねて掴まるほどの高さであれば、ぶら下がって、トランポリンよろしく上下に揺らして遊ぶ。

また横に伸びた枝に藁縄でブランコを掛けて遊ぶ。数年前、偶然にその様子をカメラに収める機会がありました(写真5)。これは旧早町小学校校庭のガジュマルの木です。その遊具が現代に生きていることに強い懐かしみを覚えました。


写真5:ガジュマルの枝に掛けたブランコで遊ぶ子供

このガジュマルの木の幹や太い枝は、あたかも蛇が巻き付いたように見えます。それらは気根が成長したものでしょう。

この一枚の写真を見ると、やはり“ふるさと”に思いを馳せ、小さい頃を思い出さずにはおられません。その想いを詠んだのが、末尾に挙げた漢詩です。ご鑑賞頂けるとありがたい。

ガジュマルの気根について、昔語りをもう一つ。写真6は、植木鉢に植えられたガジュマルの木です。枝から大小さまざまな気根が無数に出ているのがわかります。ガジュマルの幹や枝または気根に傷つけると、白い樹液が出てきます。


写真6:鉢植えのガジュマル 無数の気根が伸びている

直径が約 1 mm以下の細い気根を取り集めて、小石でよく潰します。充分に潰れたものを口中に頬張り、よく噛みます。勿論、呑みこむことがないようにして、繊維質の部分を吐き出します。充分に噛み、繊維質部分の吐き出しを繰り返しますと、立派な自家製チュウインガムの出来上がりです。

ガジュマルは、ゴムの木の仲間で、クワ科の植物です。樹液にはゴム質が含まれています。気根からそれを精製してガムとして活用するこの方法は、原始的ながら、実用的な方法と言えるでしょう。誰が、また何時ごろ工夫した技(?)か、今日知る由はありませんが。

ところで、以前に、トンポーローと呼ばれる中華料理を発明した蘇東坡の漢詩、「西林の壁に題す」を読みました(トンポーローについては、閑話休題 45,‘170725;「西林の壁に題す」については、閑話休題 1、‘150412を参照)。

「西林の壁に題す」は、中国の江南、長江の下流域に“廬山”という名山がありますが、“その山の真の姿、素晴らしさは、山の中に身を置いていてはよくわからないのだ”という趣旨の詩です。

一方、室生犀星は、

“ふるさとは遠きにありて思ふもの  そして悲しくうたふもの
………
ひとり都のゆふぐれに  ふるさとおもひ涙ぐむ
………“

と詠っています。遠くふるさと離れて見るガジュマル/ブランコの図には、夏にはオンザロック、冬にはお湯割り がよく似合うように思われます。

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<原文>      <読み下し文>

対榕樹鞦韆図有懐  榕樹鞦韆の図に対して懐い有り

離開郷里幾秋過, 郷里(キョウリ)離れて幾秋(イクシュウ)か 過ぐ,
榕樹鞦韆催自酌。 榕樹(ヨウジュ)鞦韆(シュウセン) 自(オノ)ずから酌(シャク)を催おす。
飛網如今世界狭, 飛網(ヒモウ) の如今(ジョコン) 世界は狭し,
故郷何只在墳所。 故郷 何ぞ只(タダ) 墳所(フンショ)にのみ在らんや。 
註]
榕樹:ガジュマルの木;横に伸びた枝はブランコを掛けるのにちょうどよく、
 曾て子供たちは藁縄のブランコを掛けて遊んだものである。
鞦韆:ブランコ
飛網:飛行機(漢語:飛機fēijī)とインターネット(漢語:網絡wǎngluò):
如今:今日
故郷何只:白居易(楽天)「香炉峰下新たに山居を卜(ボク)し、草堂初めて成り偶たま東壁に題 す」に拠る。左遷されて一時廬山の麓に居た折、都長安を想いつつ、“故郷 何ぞ独り長安にの み在らんや”と詠んで、嘯いています。
墳所:墳墓の地

<現代語訳

ガジュマルの木に掛かるブランコの図に対して想い有り

故郷を離れて幾年月か過ぎた、
ガジュマルの木に掛かるブランコの図を見ると、自ずとお酒が欲しくなる。
飛行機とインターネットのある今日、地球は狭くなった、
何で墳墓の地だけが故郷であるものか。
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閑話休題49 ドラマの中の漢詩 33『宮廷女官―若曦』-21

2017-09-06 10:52:52 | 漢詩を読む
ドラマの主な舞台は塞外、蒙古の地へ移ります。今回の塞外行きの皇帝の狙いの一つは、蠢く皇子たちの動静を探ることにあるようである。陛下の思惑とは裏腹に、皇子たちの影での戦いは益々激しくなっています。

塞外へ出掛けるに当たって、まず次のような陛下の意向が告げられた:皇太子および第八皇子は同道する、第四皇子はじめ、第十三・十四皇子たちは都に残り、第四皇子は、国政に遺漏なきよう計る と。

都では、第四皇子を中心に、第八皇子の息の掛かった大臣たちの配転あるいは左遷の動きがある。察知した第十四皇子は、対策を相談するため蒙古の地に第八皇子を訪ねます。勿論、勅命違反であり、知られたら打ち首である。

夜分、蒙古衣装に身を包み、大将髭に顎髭を蓄え、蒙古人に変装した第十四皇子は、若曦のテントを訪ねます。訳を問う若曦に第十四皇子は、「関りを持つな、“八兄”に逢いたい」と告げます。

若曦が、暗黙裏に二人の会合の時と所を整えます。夜分、第八皇子は、周りに注意しながら、密かにテントを後にします。しかし、第八皇子は気づかなかったが、物陰の暗がりで、幾人か人影の動くのが見えた。

皇太子のテントで、部下の一人が「第八皇子が蒙古人、いや恐らく第十四皇子と密かに接触している」との注進があった。聞いた皇太子は、「渡りに船だ!勅命に背いた十四弟が、八弟と密かに逢っているとは。願ってもない、復讐の時だ!」

「曲者が幕営に侵入したとなれば、陛下に無断で始末しても問題はなかろう。総動員を掛けろ!」と弓矢をとり、夜陰の林に駆けつけます。それらしき人影に向かって矢を放つと手ごたえを感じた。しかし現場に駆けつけてみると、地に突き刺さった矢があるのみである。

第十四皇子は、若曦のテントに駆け込むことができた。窮した若曦は、心苦しさを感じながらも、蒙古王の娘、敏敏(ミンミン)に、“恋人が訪ねてきた”と紹介して、敏敏のテント内に匿ってもらう。

林で第八・十四皇子を見失った皇太子らは、幕営に戻り、蒙古の大将や兵隊をも動員して、隈なく “曲者”を捜索します。皇太子は、「敏敏のテントがまだ調べてない」とそこに向かうが、蒙古の大将は、「そこへの立入りは禁止されている」として、捜索を断ります。

皇太子は、蒙古の大将の制止を振り切って、敏敏のテントに押し入るが、這う這うの体でテントから逃げ出してきます。“可愛いながら、さすが蒙古の娘、武術の心得がある”と、皇太子は、舌を巻いていた。

陛下と蒙古王の幕舎内で、皇太子は、陛下から幕営内を大騒動に巻き込んだ責を問われます。しかし蒙古王や周りのとりなしで、陛下の怒りは一応収まります。

一方、第八皇子は、幸いに無事に自分の幕舎内に戻っていました。皇太子の放った矢は、急所は外れていたが、第八皇子の左胸に命中していて、第十四皇子が機敏に抜き取ったのであった。受けた矢傷は隠しようがありません。そんな折、皇太子の来訪が告げられます。

第八皇子はとっさに一計を案じ、付け人に熱湯を用意させます。来訪した皇太子の面前で、お茶を注文し、付け人が“誤って”第八皇子の左上腕に熱湯をこぼし、火傷を負わせます。“医者だ!薬だ!”と大騒ぎする中で、矢傷の件を隠しおおすことに成功します。

第十四皇子は、ほとぼりの冷めるのを待って幕営地を後にすることにして、敏敏のテントに留まっています。若曦を“姉”と慕う敏敏は、“姉の恋人”、第十四皇子に対して、「出会いは?」、「都での生活はどんな?」等々、興味津々として二人の関係を根掘り葉掘り尋ねます。

遂には、敏敏の前で、歌を歌わざるを得ない羽目になって、オペラよろしく、朗々と一曲披露します:♪♪あの山水が恋しい、七弦の琴を弾いた日々、鴻の帰りを眺めるのみ♪♪ と。中々聴きごたえのある美声である。

この“歌”は、(北)宋時代の文人、賀鋳(ガ チュウ;1052~1126)の代表作の詞「六州歌頭」の一部です。この詞は39句からなる長編ですが、その後半部を末尾に挙げました。第十四皇子の歌は、この詞の最後の3句に相当しています。

賀鋳は、(北)宋末の人であり、いわゆる、“靖康の変”(1127)の1年前に没しています。先に触れた蘇軾(東坡;1037~1101)(参照:閑話休題45;17-07-25投稿)よりややおくれて誕生しており、両者の活躍の時代はいくらか重なっています。

“靖康の変”とは、北方異民族の女真族(金)が、(北)宋の首都・卞京(ベンケイ、現開封市)を占領し、上皇(前皇帝)徽宗および皇帝欽宗などを捕らえ、拉致した出来事です。その期をもって(北)宋は滅亡し、以後、中国の南半分は南宋として栄えていきます。

すなわち、賀鋳が活躍した時代は、度重なる金の侵攻に逢い、国の前途に不安と緊張が高まっている時代でした。詞では、この不安と緊張の状況を、安禄山が反乱を起こし、唐の首都・長安に攻めてきた状況に置き換えて詠っているようです。

前回に挙げた丘処機の「無俗念」とは、違った意味で、難解な詞です。その解釈は、主に碇豊長の解説を参考にしています(後記参考)。

さて、ドラマに返って、この詞、中でも最後の3句を引用したドラマ作者の意図、あるいはドラマの進行と詞の内容にいかなる関連があるのか。少々難解ですが、考えてみます。

先ず、安禄山の侵攻に逢った唐の首都・長安および金の侵攻に晒された(北)宋の首都・卞京の状況は、皇太子一派および第四皇子一派の攻めの対象にされている第八皇子一派の状況に重なるように思われます。

遂には、長安、卞京ともに占領されて、その主(皇帝)は、余儀なく都落ちしました。(但し、長安は、代を代えて復帰していますが。)第八皇子は陥落…?… とその前途を暗示しているのでしょうか。

また第八皇子は、皇子という恵まれた環境にあり、且つ“八賢王”と称されるほどに才能に恵まれながら、どこか世の流れと噛み合わないもどかしさを胸に、一羽の鴻(皇帝?)が遠く飛んでいくのをただ眺めるだけである と。
(第11および12話から)

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六州歌頭          賀鋳

<原文および読み下し文>
………(前半 略)
似黄梁夢, 辭丹鳳,明月共,漾孤篷。
…黄梁(コウリョウ)の夢に似る,丹鳳を辭し,
……明月 共にし,孤篷(コホウ) 漾(タダヨ)う。
官冗從,懷倥偬;落塵籠,簿書叢。
…官は 冗(ジョウ)に從ひ,倥偬(コウソウ)を 懷(オモ)う;
……塵籠(ジンロウ)に 落つ,簿書(ボショ)の叢。
鶡弁如雲衆,供粗用,忽奇功。
…鶡(ヤマドリ)の弁 雲衆の如く,粗用(ソヨウ)に供されて,
……奇功 忽(オロソ)かにす。
笳鼓動,漁陽弄,思悲翁,不請長纓,繋取天驕種,劍吼西風。
…笳(アシブエ)は 鼓動(コドウ)し,漁陽 弄ぶ,思悲の翁なれば,
……長纓(チョウエイ)を請はず,天驕(テンキョウ)の種を繋ぎ取らんと,劍は西風に吼ゆ。
恨登山臨水,手寄七絃桐,目送孤鴻。
…登山 臨水を 恨みて,七絃の桐を手に寄せ,孤鴻を目送す。

註]
黄梁の夢:廬生(ロセイ)という青年が、邯鄲で道士呂翁から枕を借りて眠ったところ、富貴を極めた五十余年の夢を見たが、目覚めてみると、炊きかけの黄梁(大粟 オオアワ)もまだ炊き上がっていないわずかな時間であった という故事による。人生の栄枯盛衰のはかないことのたとえ。一炊の夢、邯鄲の夢。
丹鳳:唐の長安にあった丹鳳門のこと。転じて、帝都。
篷:スゲやカヤなどを粗く編んだむしろ、とま。舟や家屋を覆って雨露をしのぐのに用いる。孤篷 漾う:流転漂泊を意味する。
冗:余計な、ここでは、専門の職のない臨時の職、官位の低い職。
倥偬:せわしい、貧困である、苦しむさま。
塵籠:塵でけがれた、俗世間の生活。
簿書:役所の書類。
鶡の弁:ここでは武官。鶡は、死ぬまで闘う勇猛な鳥と伝えられ、武官の被るものの飾りとなっている。弁は、帽子。
粗用:粗っぽく、手軽に用いられること。
漁陽:現天津市薊県のあたり、唐の時代、安禄山が反乱を起こした地。
纓:(顎の下で結ぶ)冠のひも。“長纓を請う”は軍隊に志願すること。
天驕:漢代の人が、北方少数民族の君主(匈奴単于)に対して用いた名称。のち、歴史上の北方の一部少数民族の君主を指す。
七絃の桐:胴の部分が桐の板でできた七弦の琴。
鴻:ヒシクイ;大型のガン、おおとり。ここでは、想像上の鳥“鳳凰”か。

<現代語訳>
……
黄梁の夢の如く栄華の時期は過ぎた、帝都を辞して、明月とともに、独りさすらうことになった。
官職は低く、忙しくしく苦しい;塵に穢れて、書類の山に埋もれている。
武官は雲の如くに多く、粗末に扱われて、珍しく功績を挙げても、なおざりにされる。
笛は兵を鼓舞し、出陣を促すが、自分は歳ゆえに、従軍することなくとも、北方異民族を降さんものと、剣は西風に吼える。
山や川が恋しく、七弦の琴を引き寄せて弾じつゝ、一羽の鴻が飛んでいくのを見送っている。

参考
碇豊長:http://www5a.biglobe.ne.jp/~shici/p14zhx6z.htm

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