“割れて、砕けて、裂けて、波しぶきとなって散りゆく”、次々と打ち寄せる大波の 巌にぶつかり、畳みかけるように砕けていく変化のさま。スクリーン一杯に広がる、スロウモーション動画の趣きです。源実朝(1192~1219)の歌である。漢詩・五言絶句にピッタリの内容に思えた。
大海(オオウミ)の 磯もとどろに 寄する波
割れて砕けて 裂けて散るかも
(鎌倉第三代将軍 源実朝 『金槐和歌集』雑・641)
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対巌碰砕波 巌に対し碰砕(ポンサイ)する波 [去声十五翰]
大海洶洶乱, 大海 洶洶(キョウキョウ)として乱れ,
波涛滾来岸。 波涛 岸に滾来(コンライ)しあり。
轟轟沖撃巌, 轟轟(ゴウゴウ)たり 波涛 巌に沖撃(チュウゲキ)し,
割砕裂終散。 割れて砕(クダ)けて 裂(サ)けて終(ツイ)には散らんか。
註] ○碰砕:砕け散る; 〇洶洶:波が逆巻くさま; 〇波涛:大波、波涛;
○滚来:寄せ来る; ○轟轟:激しい波の音が激しく響く音; 〇沖撃:(波など
が物に)ぶるかる。
<現代語訳>
巌に砕け散る波
大海は波が逆巻き大いに乱れ、
大波が荒磯の岸に次々と打ち寄せて来る。
逆巻く大波は巌にぶつかり 轟轟たる波音を発し、
割れて 砕けて 裂けて 終には散っていることよ。
<簡体字およびピンイン>
对岩碰碎波 Duì yán pèng suì bō
大海汹汹乱, Dàhǎi xiōng xiōng luàn,
波涛滚来岸。 bō tāo gǔn lái àn.
轰轰冲击岩, Hōng hōng chōngjí yán,
割碎裂终散。 gē suì liè zhōng sàn.
ooooooooo
掲題の歌は、「荒磯に波の寄るを見て詠める」と詞書にある源実朝の歌である。風景を詠っているが、“静”ではなく、迫力を覚える“動”の風景である。その心根は、都の“雅”ではなく、坂東武者の“雄々しさ”であるように思える。
ただ、源氏の棟梁・実朝を巡る当時の状況を“歴史”の一コマとして振り返って見る立場としては、岩にぶつかり、“割れて、砕けて、裂けて、散りゆく”大波のダイナミズムが 実朝の“胸の内に渦巻く何らかの葛藤”の表現であるように読めるのであるが如何だろうか。
実朝のそれぞれの歌には、感動を覚え、魅せられる。ここで、実朝の“歌人”としての成長の軌跡を追っておきます。実朝は“天才”には違いなかろうが、彼を育み、花開くに至らしめた“師”についての疑問、また歌人・実朝を理解する上での疑問点を挙げて、向後の話題展開の参考にしたいと思います。
先ず、手元にある資料を参考にしつつ、実朝と歌の関りを纏めてみます。1205年(実朝14歳) 4月、「和歌12首詠む」と『吾妻鑑』に記載があるという。14歳で既に記録される歌を詠んでいます。同年京都では『新古今和歌集』が成立しているが、実朝は、9月に同集を入手している。また1208年には、『古今和歌集』も入手している。京都との情報交流は密のようである。
1209年(18歳)、歌20首を住吉社に奉納し、さらに30首を京都在住の藤原定家(1162~1241)に送っている。一方、定家から『近代秀歌』ほか和歌の文書が献上されている。ここで初めて定家と和歌の遣り取りが行われており、恐らく推敲を依頼されたと想像され、京都在住の定家と師弟の絆の結ばれた時点であるように思えるが、両者の交流はこの時点で初めてであろうか?
1213年(22歳)、『万葉集』を入手。後年、実朝については万葉風の秀歌が注目されていることを考えると、今ごろ『万葉集』入手?との思いも湧くが、すでに万葉歌については良き指導者を得て学習されていたものと推察される。さらに翌年(1214)に『後鳥羽院秋十首歌合』、翌翌年(1215)には『後鳥羽上皇四十五番歌合』を入手している。
1213年の12月には、自らの家集『金塊和歌集』の成立を見ている。今日、『金塊和歌集』には、「定家所伝本」と「貞享本」が伝わっているということである。ここで注目したいのは、収められている歌数で、前者663首、後者719首と、その数の多さである。
22歳の若さで、斯くも多くの歌を詠み、家集を編んでいることに驚かされる。それにしても、直接に定家に接するのは、18歳である(?)。幼少期から18歳に至る間、歌の指導に当たった人は誰であろうか? 最も気に掛かる疑問点である。
NHKドラマ『鎌倉殿の13人』では、実朝幼少期、母親の北条政子が、実朝のために紙と筆を揃えるよう 周りの者に指図する場面がありました。また実朝少年期に、三善康信が「タタタタタ タタタタタタタ タタタタタ ……、歌はこのようなリズムで……」と、実朝に講釈する場面がありました。実際に三善康信が指導を続けていたのであろうか?
実朝は、1219年(28歳)に没しているが、『金塊和歌集』の成立後、没するまでの間、作歌活動はどうであったか? 等々、興味は尽きないが、以後、実朝の歌を鑑賞しつゝ、解き明かすべく務めたいものと 目論んでおります。