愉しむ漢詩

漢詩をあるテーマ、例えば、”お酒”で切って読んでいく。又は作るのに挑戦する。”愉しむ漢詩”を目指します。

閑話休題 115 飛蓬-31: 小倉百人一首(4) 田子の浦

2019-08-26 16:01:01 | 漢詩を読む

(4) 田子の浦に うち出でてみれば 白妙の
富士の高嶺に 雪は降りつつ
        山辺赤人
訳] 田子の浦に出て雄大な風景を眺めてみると、真っ白な富士の高嶺に今まさに雪が降り続いていることよ。(板野博行)

上の歌は、『新古今和歌集』(1205年成立)から選ばれたものである。その元歌は『万葉集』(759?完)に収載されており、その一部が変更(改作)されて収録されるという、少々ややこしい経緯を持っている。その経緯については後述します。

漢詩化するに当たっては、“万葉歌”を念頭に進め、七言絶句の形にしました(下記)。この辺りの筆者の“念い”については、後に述べますが、ご批判頂けると有難いです。

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<漢字原文および読み下し文>
  田子浦賞富士山 田子の浦にて富士山を賞す (上半声七虞韻)
東臨滄海駿河浦, 東のかた滄海(ソウカイ)を臨(ノゾ)む駿河の浦,
秀嶺西遥天一隅。 西のかた遥(ハルカ) 天の一隅(イチグウ)に秀嶺(シュウレイ)あり。
戴雪高峰如紈素, 雪を戴(イタダ)く高峰(コウホウ) 紈素(ガンソ)の如く,
穿雲倒扇霊岳孤。 雲を穿つ倒扇(トウセン) 霊岳(レイガク)孤(コ)なり。
註]
駿河浦:田子の浦を指す。『万葉集』で本歌に添えられた長歌に拠る。
紈素:白い生絹(キギヌ)。“如紈素”は、石川丈山の絶句「富士山」に拠った。
倒扇:扇をさかさまにした姿。石川丈山の絶句「富士山」に拠った。

<簡体字とピンイン>
田子浦赏富士山 Tiánzǐpǔ shǎng Fùshìshān
东临沧海骏河浦, Dōng lín cānghǎi jùnhé pǔ,
秀岭西遥天一隅。 xiù lǐng xī yáo tiān yì yú。
戴雪高峰如纨素, Dài xuě gāofēng rú wánsù,
穿云倒扇灵岳孤。 chuān yún dào shàn língyuè gū。
 
<現代語訳>
  田子の浦にて富士山を賞する
東は太平洋の滄海に連なる田子の浦、
西の方を振り返りみれば、遥か天の原の一隅に秀麗な姿の嶺が見える。
嶺の頂きには真っ白な雪を戴いており、生絹を羽織っているようであり、
さかしまにした扇の如き霊峰は雲を穿って聳え、並ぶものはない。

[参考] 『万葉集』の短歌に添えられた長歌
天地(アメツチ)の分(ワカ)れしときゆ 神(カム)さびて 高く貴き駿河なる布士(フジ)の高嶺を 天(アマ)の原 振(フ)り放(サ)け見れば 渡る日の影(カゲ)も隠(カク)らい 照る月の光も見えず 白雲もい行きはばかり 時じくぞ雪は降りける 語り継ぎ 言い継ぎ行かむ 不尽(フジ)の高嶺は。
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読者の皆さんは、“富士山” の話題を耳にした時、富士山の情景を如何様に想像いたしますか? 筆者の“念い”は:

先ず、澄み渡る碧天を背景にくっきりと聳える、扇を逆さまにした姿。7,8合目辺りから上部にはまさに雪白(セッパク)の雪を頂き、雪面には幾筋か薄墨の山襞が線を描き、奥行きを感じさせる。万葉の頃には頂上から煙がくゆっていたのではないでしょうか。

山裾は、なだらかな曲線を描いてどこまでも広がっていく。時には、薄雲が7,8合目に軽く棚引くこともある。……。

『万葉集』に収載された歌は、次のようである:
  田子の浦ゆ うち出でてみれば、真白にそ
富士の高嶺に 雪は降りける

上記の百人一首の歌では、三ケ所が変更されていて、随分と趣が異なった歌となっています。“万葉調”と“新古今調”との歌調の違いを端的に示している例と言えるようです。『新古今和歌集』に収載される際に、時代の歌風を反映する形に変更されたということでしょうか。

すなわち前回(閑話休題114)触れたように、『万葉集』版では、富士山を目にした時の感動が直接、素朴に表現されている。一方、『新古今和歌集』版では、都会的で繊細に、幻想的な絵を見るような風に表現されている と。

ふんわりと絹の衣をまとった(白妙の)、また現在、雪が降り続いている(降りつつ)……、確かに“新古今調”か と頷づけます。しかし、“歌(詩)から一枚の絵”を思い描いてみると、この表現は同時に、背景が碧空ではなく、どんよりとした重たい雪空の情景を想像させます。

さらに歌の主題(感動を覚えた対象)が、『万葉集』版では、“富士山”自体であると言える。一方、『新古今和歌集』版では、むしろ“ふんわりと置かれた雪”・“雪が降っている情景”が主題であり、“富士山”は、“雪を語るための場”を提供しているに過ぎないと思えてならない。

というわけで、漢詩を書くに当たっては、先に述べた霊岳“富士山”についての“念い”を頭において進めており、“万葉歌”寄りの内容の詩となったか と思っています。なお上掲の[参考]も大いに参考としました。

作者の山部赤人について触れます。生没年は不詳で、736年ごろ没したとも言われている。奈良時代初期の宮廷歌人で、天皇の行幸などに同行して歌を捧げていたようである。後年、柿本人麻呂と並ぶ「歌聖」として讃えられ、「山柿」と称されているようです。

自然の美しさや清さを詠む叙景歌を得意としていて、『万葉集』には50首(長歌13、短歌37)、勅撰和歌集に49首収録されている と。
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閑話休題 114 飛蓬-30: 小倉百人一首(86) なげけとて

2019-08-13 16:24:20 | 漢詩を読む
(86) 歎けとて 月やはものを 思はする
  かこち顔なる わが涙かな
西行法師(佐藤義清)

小倉百人一首から、西行法師(1118~1190)作、第86番の和歌を取り上げます。先達によるその現代語訳は、次の通りである。

<「歎け」と言って、月は私に物思いをさせるのだろうか。いや、そうではないのに、月のせいにして流れる私の涙よ。>(板野博行に拠る。後注参照)

この歌から、出家した僧侶の葛藤 -俗界への断ち難い“念”-が非常に強いように読めました。その思いを表現したく、七言絶句の漢詩にしてみました。漢字原文の右に、並べて簡体字表記も示してあります。

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<原文と読み下し文> <簡体字>  (下平声 十一尤韻)
 心中葛藤    心中纠纷
………心中の葛藤(カットウ)
愁緒纏綿涕泗零、 愁绪缠绵涕泗零,
…愁緒(シュウショ) 纏綿(テンメン)として涕泗(テイシ) 零(コボ)れる、
化縁羈旅念還留。  化缘羁旅念还留.
…化縁(カエン) 羈旅(キリョ)にあって念(オモイ)還(ナオ)留まる。
複尋汝怎令人嘆、  复寻汝怎令人叹,
…複(マ)た尋ぬ 汝(ナンジ)怎(ナゼ)に 人をして嘆(ナゲ)か令(シム)るか と、
托故月宮新泪流。  托故月宫新泪流.
…月宮(ツキ)に托故(タクコ)して 新(アラタ)に泪(ナミダ)流る。
註]
葛藤:(仏語)正道を妨げる煩悩のたとえ;
愁緒:憂慮; 纏綿:からみつくこと;
涕泗:涙と鼻汁; 零:<書>(涙が)こぼれる;
化縁:(出家して)托鉢する;  羈旅:旅; 
怎:どうして 托故:かこつける;
月宮:月; 泪:涙。

<現代語訳>
 思い通りにならない胸の内
愁いが心にまつわりついて離れず、涙するばかりである、
出家して托鉢の旅にありながら、思いはなお治まらず胸に残る。
重ねて尋ねるが、汝(月よ)何故に人をかくも歎かしむるのか、
月のせいにして、新たにまた涙する。
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作者の西行法師についてちょっと触れます。俗名“佐藤義清(ノリキヨ)”は、平安時代末から鎌倉初期のころの人で、一般に武士・僧侶・歌人と紹介されています。

家系は代々衛府に仕える武人で、保延元年(1135)、18歳で左兵衛尉に任じられ、同3年(1137)に鳥羽院の北面の武士として奉仕した と。“北面の武士”とは、院の御所の北面に詰め、院中の警備に当たった武士のことである。

保延6年(1140)、23歳時に出家して“円位”を名乗り、後に“西行”と称した。出家後は、心の赴くままに、諸国を巡る漂泊の旅に出ている。各地に草庵を結んでおり、今日なお多くが残っているようである。

旅にあって、活発に歌を詠み、今日、約2,300首の和歌が伝えられている 由。中でも勅撰和歌集に入選した和歌が265首にのぼる と。家集として『山家集』、『山家心中集』、『聞書集』がある。

出家の動機は、後世いろいろと論じられているが、上掲の歌を読む限り、“失恋説”を採りたい。但し、“肘鉄砲”というよりは、 相手が高貴な上臈女房の故であったか“及ばぬ恋”と悟り、自ら身を引いた と想像するが、如何でしょうか?

歌の特色を示す調べは、時代により変わり、それぞれ時代を反映する歌集名で語られているようである。例えば、奈良時代の『万葉集』(大伴家持;759?完)で代表され、素朴な感動、実感を率直に表現し、雄健・おおらかな“万葉調”。

平安時代中期の『古今和歌集』(紀貫之;913?完)で代表され、理知的、観念的な内容で、優美・繊細な詠みぶりとされる“古今調”。

平安末から鎌倉初期の『新古今和歌集』(源通具他;1205完)で代表され、情調的・絵画的・物語的・象徴的で、余情・妖艶を貴ぶとされる“新古今調”。西行法師は、藤原俊成とともに新古今調の新風形成に大きな影響を与えた歌人であると評されています。

西行は、晩年に「願わくは 花の下にて 春死なん その如月の 望月のころ」 (願わくば、満開の桜の下で、春に死にたい。釈迦が入滅されたという2月の満月の頃に) と詠み、望み通りに涅槃会の翌日、花盛りの旧暦2月16日に73歳で往生された由。

注] 板野博行 著『眠れないほどおもしろい 百人一首』(三笠書房、2013)。以後、特記しない限り、百人一首の“現代語訳”は、本書に拠って記載する心づもりにしております。

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閑話休題113 漢詩を読む 酒に対す-30; 李白 自遣

2019-08-02 09:48:36 | 漢詩を読む
この一対の句!

醉(ヨイ)より起(オ)きて溪月(ケイゲツ)に步めば、
鳥は還(カエ)り 人も亦(マ)た稀(マレ)なり。

暮れたのも知らずに飲んで、一寝入りしたのでしょうか。酔いから醒めて、月明かりの下、谷川のほとりをトボトボと。鳥は塒に帰り、人もまばら、……。しんみり とするような雰囲気です。

李白の五言絶句「自遣」(下記参照)です。これまで随分と李白の詩を読んできました。いずれも豪放磊落、意気や盛ん という“陽”の感じの内容の詩でした。今回の詩のような「李白」もいたのです。

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<原文および読み下し文>
自遣 自(ミズカ)ら遣(ヤ)る  
対酒不覚暝、 酒に対して暝(ク)るるを覚(オボ)えず、
落花盁我衣。 落花 我が衣(コロモ)に盁(ミ)つ。
醉起步溪月、 醉(ヨイ)より起(オ)きて溪月(ケイゲツ)に步めば、
鳥還人亦稀。 鳥は還(カエ)り 人も亦(マ)た稀(マレ)なり。
註]
自遣:みずから慰める。 暝:日が暮れる;
盁:満ちる; 醉起:酔いから醒める;
溪月:月光が射している谷川;

<現代語訳>
 自ら慰める
お酒を頂いていて、日が暮れたことにも気がつかずにいたが、
着ている衣服には散った花びらがいっぱい落ちていた。
酔いから醒めて 月あかりの下 谷川のほとりを散策すると、
鳥はすでに塒に帰って静かで、人影もまたほとんど見当たらなくなっていた。
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上記の詩がいつごろの作かは不明のようです。“暝”、“落花”、“(鳥)還”、“(人)稀”等、“陰”の要素を持つ用語が多用されていることから、晩年の作かと想像されます。

すなわち高力士の讒言に遭い、宮廷詩人の座を追われ(44歳)、その後放浪の旅を続けます。さらに安氏の乱(755)後、廬山に滞在していた李白は、勤王の目的で立ち上がった江陵の永王(李璘)の招きで、永王軍の幕僚となります。

永王の動きは反乱と見做されて、幕僚であった李白は捉えられて夜郎(現貴州省北部)へ流罪となる。しかし旧友らの助命の嘆願が入れられて、配流の途上、釈放されます(閑話休題37他)。

高い志を持して故郷を飛び出して来たであろう李白にとっては、晩年におけるこのような境遇の変化は、気持ちを“陰”とする要因であったのではなかろうか。この詩が晩年の作であろう と想像する所以です。

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