コロナが治まらない。我国では第3波の高まりが予断を許さない状況にあり、全地球で猛威を振るう感染状況には脅威を覚える。偏に予防策・コロナワクチンの開発が待たれるところであり、神頼みならぬ、人智に期待するところ大である。
With CoronaVの生活を余儀なくされ、右往左往のこの秋の社会の様子の一面を七言絶句の漢詩に書いてみました。
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<漢詩原文および読み下し文> [下平声一先韻]
跟冠状病毒生活 冠状病毒(コロナウイルス)とともの生活
遠山紅葉何粲粲, 遠山の紅葉 何ぞ粲粲(サンサン)たる,
黃昏促織鳴壁前。 黃昏(タソガレ) 促織(ソクショク) 壁前に鳴く。
冠狀還栄乱城氣, 冠狀(コロナ) 還(サラ)に栄えて城(マチ)の氣を乱(ミダ)し,
全家怎麼可団円。 全家(ゼンカ) 怎麼(イカデカ) 団円(ダンエン)す可(ベ)けんや。
註]
粲粲: 彩などの鮮やかで美しいさま。
促織:コオロギ、古詩十九首 其七 「促織鳴東壁」に倣う。
全家:家族一同。 団円:(離散した家族が)団らんする。
<現代語訳>
ウイズ コロナ (With CoronaV)
遥かな山を望めば 青空の下 何と紅葉の彩の美しいことか、
黄昏て 壁の向こうではコオロギの鳴くのが聞こえてくる。
コロナ感染が一層広がって 街の気配を乱し、
一家だんらんの場も簡単には持てそうにない。
<簡体字およピンイン>
跟冠状病毒生活 Gēn guānzhuàng bìngdú shēnghuó
远山红叶何粲粲, Yuǎn shān hóngyè hé càn càn,
黄昏促织鸣壁前。 huánghūn cùzhī míng bì qián.
冠状还荣乱城气, Guānzhuàng hái róng luàn chéng qì,
全家怎么可团圆。 quán jiā zěnme kě tuán yuán.
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今更詮無いことを愚痴る日々である。時の巡りは例年と変わらずに爽やかな秋は訪れている。だが人の営みは、その様相を全く一変された状況に追いやられており、一家団欒の機会さえ失われつゝある。一にコロナの蔓延によるものである。
このコロナ感染に如何に対応するか、個人、あるいは大小各種団体、家庭から政府、さらに国々に至る各レベルの組織体それぞれの立場で、世の中は文字通り喧々諤々の状態にある。
ことは正に人の生命に関わる事なのだが、直接コロナをトッチメる手立てのない今日、医療環境を睨みつゝ、靴の下から足の痒みを掻く間接的方策を採らざるを得ない現状ではある。
幸いと言うべきか、この年初から蓄積されてきた多方面の経験・研究を基に、その感染症の治療法を含めて、コロナの性質が随分と明らかになっており、その対策もいくつか提案されている。
大事なことは、コロナ感染を抑えるには、3密、社会的距離、換気等を念頭に「人は動くな、ジッとしておれ」(ブレーキ)ということのようである。その反面、人が動かないと、生命を支える「経済活動」が立ち行かなくなる故に「大いに動け」(アクセル) と。
これらブレーキ/アクセルという間接的方策(力)の均衡を保ちつゝ、コロナ感染を抑え込みたい というのが、今日の世界人類全員の願いと言えようか。
但し、両方向の力が均衡の取れた状態では、“抑え込み”どころか、現状維持さへ不可能であろうことは自明の理である。コロナ感染はある比率で進む傾向にある事を考慮するなら、現状を維持するだけでも、その分相応にブレーキ力を逐次増し続けていく必要があろう。
難題に直面している今日、人智を結集した一層のコロナ研究、更にはブレーキまたはアクセルのいずれかの方向へ均衡を破る政治的英断が必要な段階に至るか、あるいはワクチンの一日も早い現実的応用を期待しつゝ、現状への我慢を決め込む か。
コロナ社会での身の回りの状況を、「コロナ禍の春日」(春、閑話休題-157)、「令和2年盂蘭盆会」(夏、同-163)に続き、今回の秋季と、人の営みを漢詩に切り取ってきました。次はコロナ撲滅の明るい話題となることを念じている次第ではある。
With CoronaVの生活を余儀なくされ、右往左往のこの秋の社会の様子の一面を七言絶句の漢詩に書いてみました。
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<漢詩原文および読み下し文> [下平声一先韻]
跟冠状病毒生活 冠状病毒(コロナウイルス)とともの生活
遠山紅葉何粲粲, 遠山の紅葉 何ぞ粲粲(サンサン)たる,
黃昏促織鳴壁前。 黃昏(タソガレ) 促織(ソクショク) 壁前に鳴く。
冠狀還栄乱城氣, 冠狀(コロナ) 還(サラ)に栄えて城(マチ)の氣を乱(ミダ)し,
全家怎麼可団円。 全家(ゼンカ) 怎麼(イカデカ) 団円(ダンエン)す可(ベ)けんや。
註]
粲粲: 彩などの鮮やかで美しいさま。
促織:コオロギ、古詩十九首 其七 「促織鳴東壁」に倣う。
全家:家族一同。 団円:(離散した家族が)団らんする。
<現代語訳>
ウイズ コロナ (With CoronaV)
遥かな山を望めば 青空の下 何と紅葉の彩の美しいことか、
黄昏て 壁の向こうではコオロギの鳴くのが聞こえてくる。
コロナ感染が一層広がって 街の気配を乱し、
一家だんらんの場も簡単には持てそうにない。
<簡体字およピンイン>
跟冠状病毒生活 Gēn guānzhuàng bìngdú shēnghuó
远山红叶何粲粲, Yuǎn shān hóngyè hé càn càn,
黄昏促织鸣壁前。 huánghūn cùzhī míng bì qián.
冠状还荣乱城气, Guānzhuàng hái róng luàn chéng qì,
全家怎么可团圆。 quán jiā zěnme kě tuán yuán.
xxxxxxxxxxxxxxxx
今更詮無いことを愚痴る日々である。時の巡りは例年と変わらずに爽やかな秋は訪れている。だが人の営みは、その様相を全く一変された状況に追いやられており、一家団欒の機会さえ失われつゝある。一にコロナの蔓延によるものである。
このコロナ感染に如何に対応するか、個人、あるいは大小各種団体、家庭から政府、さらに国々に至る各レベルの組織体それぞれの立場で、世の中は文字通り喧々諤々の状態にある。
ことは正に人の生命に関わる事なのだが、直接コロナをトッチメる手立てのない今日、医療環境を睨みつゝ、靴の下から足の痒みを掻く間接的方策を採らざるを得ない現状ではある。
幸いと言うべきか、この年初から蓄積されてきた多方面の経験・研究を基に、その感染症の治療法を含めて、コロナの性質が随分と明らかになっており、その対策もいくつか提案されている。
大事なことは、コロナ感染を抑えるには、3密、社会的距離、換気等を念頭に「人は動くな、ジッとしておれ」(ブレーキ)ということのようである。その反面、人が動かないと、生命を支える「経済活動」が立ち行かなくなる故に「大いに動け」(アクセル) と。
これらブレーキ/アクセルという間接的方策(力)の均衡を保ちつゝ、コロナ感染を抑え込みたい というのが、今日の世界人類全員の願いと言えようか。
但し、両方向の力が均衡の取れた状態では、“抑え込み”どころか、現状維持さへ不可能であろうことは自明の理である。コロナ感染はある比率で進む傾向にある事を考慮するなら、現状を維持するだけでも、その分相応にブレーキ力を逐次増し続けていく必要があろう。
難題に直面している今日、人智を結集した一層のコロナ研究、更にはブレーキまたはアクセルのいずれかの方向へ均衡を破る政治的英断が必要な段階に至るか、あるいはワクチンの一日も早い現実的応用を期待しつゝ、現状への我慢を決め込む か。
コロナ社会での身の回りの状況を、「コロナ禍の春日」(春、閑話休題-157)、「令和2年盂蘭盆会」(夏、同-163)に続き、今回の秋季と、人の営みを漢詩に切り取ってきました。次はコロナ撲滅の明るい話題となることを念じている次第ではある。