zzzzzzzzzzzzz -1
初恋の歌、心乱れて独りで思い悩んでいる様子である。Platonic loveということでしょうか。このような胸の内を表現するのに、万葉の頃から、“摺衣(スリゴロモ)”が譬えの用語として用いられています。ここでは山藍により摺り染めされた衣です。
oooooooooo
わが恋は 初山藍の すり衣
人こそ知らね みだれてぞおもう
(金槐集 374; 続後撰集 巻十一・恋一・647)
(大意) わが恋はたとえば山藍の摺り衣の初衣のようなものだ、初恋だから人
には分からぬが、心はみだれて物思うことである。
註] 〇初山藍のすり衣:山藍で摺って染めた衣。初めて着る衣だから「初」
という。「わが恋は初」と掛かる語で、初恋のことを言いかけている。また
摺り染めの衣は、模様が乱れているのが常だから、「みだれて」と縁語で
続けている; 〇みだれてぞおもう:こころ乱れて物を思う意。
xxxxxxxxxxx
<漢詩>
初恋心 初恋の心 [下平声十二侵韻]
吾恋何所似, 吾が恋 何に似たる所ぞ,
此心人不斟。 此の心 人斟(ク)まず。
摺衣応識初, 摺衣(スリゴロモ) 応(マサ)に識(シ)る初めて着る時,
共乱麗紋心。 共に乱れてあり麗(ウル)わしき紋(モンヨウ)とわが心。
註] 〇斟:考慮する、ひしゃくで液体をくみとる; 〇麗紋:摺り染めの美
しい花模様。
<現代語訳>
初恋の心
私の初恋のこころ 何に譬えられようか、
この心を誰も分からないでしょう。
ちょうど藍染の摺衣の作り立てを着た時のようなものだ、
摺衣の美しい乱れ模様と同じく私の心も乱れているのです。
<簡体字およびピンイン>
初恋心 Chū liàn xīn
吾恋何所似, Wú liàn hé suǒ shì,
此心人不斟。 cǐ xīn rén bù zhēn.
摺衣应识初, Zhé yī yīng shí chū,
共乱丽纹心。 gòng luàn lì wén xīn.
oooooooooo
摺り衣とは、山藍やつゆ草などの茎や葉などを白い衣に摺りつけて、乱れ模様に染めた衣類のことである。万葉集でつぎのような歌がある。意味深で、心多き男性の歌であるように読めます。
摺り衣 着(ケ)りと夢(イメ)に見つ 現(ウツツ)には
いづれの人の 言(コト)か繁けむ (万葉集 巻十一・2621)
(大意) 摺ごろもを着た夢を見たが、現実には誰との恋が噂に登るのであろう
か。
今一つ、摺衣の一種で、忍草(シノブグサ)の茎や葉を石の上で摺りつけて乱れ模様に染める「忍ぶ摺」があり、“忍ぶ恋”、“片思い”を表現する用語として歌に登場する。次の歌はその例である。
陸奥(ミチノク)の しのぶもぢずり 誰故に
みだれそめにし 我ならなくに
(河原左大臣 古今集 恋四。724; 百人一首14番)
(大意) 私の心は、他ならぬ貴方のせいで信夫(シノブ)の摺衣の模様のように
千々に乱れています。
河原左大臣こと源融(822~895)は、第52代嵯峨帝の第八皇子、元服後臣籍降下して源姓を賜った。陸奥出羽按察使(アザチ)として5年間、東北経営に携わっていた。なお本歌は、百人一首(14番に撰されている(その漢詩化:(『こころの詩(ウタ) 漢詩で読む百人一首)』参照)。
zzzzzzzzzzzzz -2
幾たびとなく、嘆きの涙で袖をぬらす惨めな思いを重ねてきた身であるが、他人には悟られまい と固く心に刻み込んで、耐えている作者の姿が想像されます。時代、環境を考慮するなら、女性に成りすまして作られたものと読めます。
ooooooooooooo
海辺の恋
うき身のみ 雄島の海士の 濡れ衣
ぬるとないひそ 朽ちはつるとも
(金塊集 恋・389; 続勅撰集 巻十二 恋二・749)
(大意) たとえ、このまま恋焦がれて死に果てるとも、恋の涙でこの衣が濡れ
たと人にいうなかれ。思えば、運命つたなきわが身がただ 口惜しい。
※ ○雄島(ヲシマ)の海士の「をし」に憂き身の「惜し」を掛詞; ○二・三句:
「ぬる」というための序詞; 〇朽ちはつる:「濡れ衣」の縁語。
xxxxxxxxxxxxxxx
<漢詩>
海辺恋 海辺の恋 [上平声十一真韻]
歴尽艱辛此慘身, 歴尽(レキジン)せし艱辛(カンシン)此の慘(サン)たる身,
雄島海士湿衣巾。 雄島(オジマ)の海士(アマ) 衣巾 湿(シツ)しあり。
莫言我袖辛酸淚, 言う莫(ナカ)れ 我が袖に 辛酸(シンサン)の淚,
即使生命易簣辰。 即使(タトエ)生命 易簣(エキサク)の辰(トキ)なりとも。
註] 〇歴尽:経験しつくす; 〇艱辛:艱難辛苦; 〇易簣:すのこを替え
る、臨終におよんだことをいう。孔子の門人である曽参(ソウシン)が臨終の
とき、季孫が贈った大夫用の簣(=すのこの床)を身分不相応のものとして
取り替えさたという故事に拠る。
<現代語訳>
海辺の恋
艱難辛苦をなめてきた惨めなわが身、
雄島の海士同様に 衣を濡らしてきた。
しかし私の袖が辛酸の涙で濡れていたと人には言わないでくれ、
たとい命が尽き 臨終に及んだ時にさえ。
<簡体字およびピンイン>
海辺恋 Hǎi biān liàn
历尽艰辛此惨身, Lì jìn jiān xīn cǐ cǎn shēn,
雄岛海士湿衣巾。 xióngdǎo hǎishì shī yī jīn.
莫言我袖辛酸泪, Mò yán wǒ xiù xīnsuān lèi,
即使生命易篑辰。 jíshǐ shēngmìng yì kuì chén.
ooooooooooooo
“雄島”は、歌枕の島として、多くの歌で言及されていて有名である。掲歌の参考にされた歌として、「雄島の海士の 濡れ衣」と関連した、次の歌がある。なおこの歌は百人一首(90番)に撰されている(その漢詩化:(『こころの詩(ウタ) 漢詩で読む百人一首)』参照)。
見せばやな をじまのあまの 袖だにも
濡れにぞ濡れし 色はかはらず
(殷富門院大輔『千載集』 恋四・886; 百人一首 90番)
(大意) 私の衣の袖を見てほしいものだ!雄島の海女の袖はあれだけ濡れて
も色は付いていないのに、私の袖は、濡れているばかりか、血涙で紅色に
染まっているよ。
zzzzzzzzzzzzz -3
和歌では、春の鶯、夏の杜鵑、秋のキリギリス、冬の千鳥等々、多くの鳥や虫などの鳴き声が、時節や作者の心情を表現するのに用いられている。次の歌では、松虫の啼く音が、その役割を果たしています。
ooooooooooooo
[歌題] 頼めたる人に
を篠原(ザサハラ) おく露寒み 秋されば、
松虫の音(ネ)に なかぬ夜ぞなき (金槐集 恋・417)
(大意) 小笹原に露が降りて、寒い秋になると松虫が鳴かない夜はない。私は、
来ぬ人をまちつつ、夜ごと泣いています。
註] ○頼めたる人:来訪すると期待をさせた人;〇寒み:寒くして; 〇秋
されば:秋がくると; 〇松虫:“松”に人を“待つ”を掛けている;
〇音になかぬ:松虫の“音”と、音に泣くの“音”をかけている。“音に泣
く”は、声を出して泣くこと。
xxxxxxxxxxxxxxx
<漢詩>
所思沒来 所思(オモイビト)来たらず [上平声一東韻]
秋来細竹露寒風, 秋来たりて細竹(ササタケ)に露おき 風寒し,
唧唧哀鳴夜羽虫。 唧唧(ジイジイ)と哀(カナシ)く鳴く 夜の羽虫(マツムシ)。
約定所思無到訪, 約定(ヤクソク)せし所思 到訪(オトズレ)無く,
夜夜待着流淚紅。 夜夜 待着(マチツツ)流す淚 紅なり。
註] ○所思:意中の人; 〇細竹:篠(/笹); 〇唧唧:(擬声語)虫の鳴く声;
○羽虫:はね虫、ここでは松虫; 〇淚紅:血で涙が染まる。
<現代語訳>
意中の人の訪れを待つ
秋の訪れとともに笹竹の葉に露がおり 渡る風が寒く、
夜になると松虫がジイジイと悲しく鳴いている。
意中の人は、訪ねますと約束しながら 姿を見せてくれない、
毎夜 涙を流して待ち、涙が血に染まるほどである。
<簡体字およびピンイン>
所思没来 Suǒ sī méi lái
秋来细竹露寒风, Qiū lái xì zhú lù hán fēng,
唧唧哀鸣夜羽虫。 jījī āi míng yè yǔchóng.
约定所思无到访, Yuēdìng suǒ sī wú láifǎng,
夜夜待着流泪红。 yè yè dàizhe liú lèi hóng.
ooooooooooooo
前首と同様、思う人の訪れを待つ女性を詠っているようです。“待つ”の意に掛けて“松虫”は、“待つ女性”を象徴する虫と捉えられているようです。古くはスズムシのことを“マツムシ”、またはその逆と、混同されることが多かったようです。
松虫の絞り出すような“鳴き声”に対し、鈴虫が涼やかな“鳴き声”を聞かせることを思えば、やはり前者が“待つ虫”、ひいては“待つ女”に相応しいように思える。ただ、それら虫が羽を奮わせて“鳴き声”を発しているのは“雄”であり、“雌”の注意をひくためのシグナルであるとされていますが。