愉しむ漢詩

漢詩をあるテーマ、例えば、”お酒”で切って読んでいく。又は作るのに挑戦する。”愉しむ漢詩”を目指します。

閑話休題 56 ドラマの中の漢詩 37 『宮廷女官―若曦』-25

2017-11-20 10:08:06 | 漢詩を読む
ドラマに戻ります。皇太子の座は空位である。第四皇子は自重して政務から身を引いている。陛下は、第十四皇子に声を掛け、政務の見解を問う場面が多くなってきた。第十四皇子は、第四皇子と母を同じくする実の兄弟である。

西域に遠征して狩猟を行う行事があり、その帰路に宴会が催された。第八皇子は、母の命日と重なって一足早く帰京していて、宴会への出席が叶わなくなった。そこでお祝いの贈り物を届けることにした。

贈り物は蒙古の“海東青(ハヤブサ)”にした。宴会場では、満座が注目する中、籠の覆いが捲られます。陛下の笑顔が、見る見る憤怒の表情に変わり、遂には鳥かごを蹴飛ばす状況に。籠の中のハヤブサは瀕死の状態にあった。皇帝への呪いを意味しています。

第八皇子は、釈明の機会もなく、蟄居の身となります。何者かの策謀によるものに違いないが、その詳細は不明である。仲間内の第十四皇子か?と囁く声がある。“八賢王”と呼ばれた第八皇子の野望は完全に潰えたことになります。

新年の祝賀会のあと、康熙帝は若曦を執務室に招き、「“命知らずの十三妹”も、分をわきまえるようになった。…縁談をと思いながら、名残り惜しくて手放せなかった。歳も近く、気心が知れている第十四皇子なら良い縁談になる」と。

呆然とする若曦は、大監に促されて、「感謝致します。私は…私はこの縁談を….お受けできません。ご辞退申し上げます」と。「罰が怖くないのか!不届き者が!」と怒る陛下は、「棒打ち20回、衣を洗う浣衣局に送れ」と断を降しました。

帝の勅令に背けば、“九族斬首”の掟ながら、棒打ちと浣衣局送りとは、寛大な処置であろう と、若曦はやはり陛下の寛大さを思う。周りの人々が、体罰の理由を問うが、それは誰にも明かせない。ただ、第四皇子には正直に答えた。

浣衣局での仕事は、字義通り衣類の洗濯である。洗剤を使うこともなく、盥に水を満たし、洗濯板にぶっつけつつ衣類を洗う。手指の節々が、赤く節くれだって来る。“洗濯機が有ったら….”と呟きつつ仕事を進める毎日である。

若曦が浣衣局に携帯した大事な品々は、モクレンの簪、鼻煙壺と弓矢の3種で、前2品は第四皇子からの贈り物である。赤い布袋に収められた、先鋭な穂先の弓矢は、若曦に第四皇子の深い“愛”を実感させた一品と言える。

それはある良く晴れた日の昼下がり、広大な山苑で、第四皇子の子息が飛ぶ鳥を弓で射る遊びに興じていた時の事である。偶然にも、同苑では若曦と明玉、第四と十皇子の2組も散策を楽しんでいた。

子息の放った矢は、的を外れて落下するかに見えた….その瞬間、第四と十皇子が飛んできて、それぞれ、若曦及び明玉に飛び掛かり押し倒した。矢は、第四皇子の左肩を掠めて、地に落ちた。矢の穂先は血に染まっていた。

肩の傷口を押さえたまま、無言の第四皇子に 若曦が「なぜ助けたの?」と問うと、第四皇子は「君を守るため」と一声発して、立ち去った。若曦が、心底、第四皇子の“愛”を感じ取った時であったと言える。

帝は今や老いて、暢春園で養生している。侍医は薬以外でも食事で体力を付けるよう進言するが、「食欲がなく、箸が進まない」と言う。さらに「久しく茶菓子を食べていない、もう何年もな!」と漏らした。

大監が、意を察して、そっと下の者に指図して、急ぎ浣衣局から若曦を呼び寄せ、茶菓子を用意させた。帝はその茶菓子をゆっくりと味わいつつ、「玉檀が作ったものではないな!すぐ此処へ!」と言われた。若曦が招き入れられて、ともに感無量の再会となった。

浣衣局から乾清宮へ向かう車中で、若曦は、“今年は康熙61年、康熙帝の崩御は、康熙61年11月、….”と、ふと漏らして、目を伏せた。

皇位継承争いは、第四・十四の皇子兄弟に絞られたことになる。第四皇子は、最近、政務への復帰が叶っている。第十四皇子は、夷族叛乱の鎮定のため、“大将軍王”として西域へ遠征中である。“大将軍王”は、皇太子への一歩手前の位と言われており、“次期皇太子は第十四皇子”との下馬評は高くなっていく。

国都の南郊には“天壇”と呼ばれる祭壇があり、冬至の日に天子が天帝を祭る祭祀を執り行なう場所である。帝は、第四皇子に、自分の代理として天壇に赴き、祭祀を執り行うよう頼む。通常、代役は皇太子に任される役目である。

天壇に向かう日に至っても、第四皇子は発つ気配がない。夫人が気を揉み、出立を促すが、「今は此処を離れられない」、「今は待つのみ!」として、立ち尽くしている。手には大筆を持ち、机上には“静”と大書した一枚の紙がある。

病状が悪化した帝は、寝台の傍に第四皇子を呼び、「….話しておきたいことがある….」、「すでに詔書の準備はさせてある」、「一つ頼まれてほしいことがある。」と咳き込みながら、途切れ途切れに話した。

幾日か経って、死期を悟った帝は、隆科多(ロンコド)を枕元に呼び、「第十四皇子を帰還させる。また出征させることはしないので、代理の指揮官を吟味したい」と指示し、「すでに後継者は決めた」と述べた。隆科多は第四皇子の腹心の一人である。

侍医の表情から、“その時”の来たことが悟られた。隆科多の命で、乾清宮を兵に包囲させ、9門をすべて閉鎖させる。皇子と言えども入れてはならないと。また大監は“仕えていた者は、ここを離れてはならぬ」と厳命する。

自室に待機していた第四皇子は、先に寝宮で帝が言われたお言葉を思い出していた。「既に詔書は準備させてある。皇位は第十四皇子が継承、そちはしっかりと補佐してやってくれ」と。「離騒」の引用から推測したように、帝の意中の本命は、やはり第十四皇子のようであった。

臨終の報せを受けた第四皇子は、「ついに行動を起こす時がきた!長年の足固めもこの瞬間のため、皇宮へ…」と向かう。机上には、“動”と大書された一枚の紙があった。

寝宮では、重臣たちも集まっている。侍医が崩御を宣告。隆科多が皇帝の最後の言葉として告げる:「先ほど皇帝は第四皇子に皇位を譲ると言われ、その後、突然、意識を….」と(涙)。その時、第四皇子が入ってきて、寝台の前に跪く。

すかさず隆科多が、皇帝の遺詔を告げた:「人格に優れ孝行者の第四皇子に大業を引き継がせる。直ちに皇帝として即位すること」と。次いで第四皇子に拝礼して、「皇帝陛下にご挨拶を」と促した。皆が口々に「皇帝陛下!」と唱えて、拝跪する。

ドラマで見る第四皇子の生きざまは、これまで、まさに「行きて“水の窮まる処”に到り、座して“雲の起こる時”を待つ長い寡黙の行路であった。“雲の起こる”を見るや、電光石火、天頂を極めたのである。寡黙にして、腹心の隆科多を陛下の傍に潜り込ませた智謀・策謀は見事と言えよう。

以後、城の包囲、厳しい規制も解かれ、不都合な分子は粛清されて、新秩序も生まれ、紫禁城内もやや安定を取り戻していく。新皇帝は、昼夜を分かたず政務に追われて、休息の時も得難いが、若曦とともに過ごすわずかな時間に最も安寧を感じている風である。

ある夜、新皇帝は、疲れ切った身体で若曦と抱き合い、「別れの後、再会を願い、何度、夢に見たことか。今こうして会えても、それも夢ではないか、と何度も灯りで確認する」と切々に語る。なおこれらの言葉は、末尾に示した晏幾道の詞に拠る。(第22、23、24、25、26話から)

晏幾道(1030?~1106?)は、北宋の詩(詞)人、撫州臨川(現・江西省撫州市)の人。華麗で感傷的な詞を作る。代表的詞集に『小山詞』がある。

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鷓鴣天        晏(アン) 幾道(キドウ)       
從別後,憶相逢,   別れて後(ノチ)從(ヨ)り,相逢(メグリアイ)しを憶(オモイオコ)し,
幾回魂夢與君同。  幾回(イクタビ)か魂夢(ユメ)に君與(ト)同(トモ)にす。
今宵賸把銀釭照,  今宵は 銀釭(ギンコウ)を把(ト)って照らすばかり,
猶恐相逢是夢中。  猶(ナオ)恐(オソ)る 相逢も是(コ)れ夢の中かと。
・註] 鷓鴣天:詩牌の名で詩の内容とは直接関係はない
・・・相逢:思いがけずめぐり合う
・・・魂夢:ゆめ、夢の中に現れる魂
・・・銀釭:銀の燭台(の灯り)
・・・賸:(=剩)…するばかりである

<現代語訳>
鷓鴣天
別れて以来、巡り合えたことを思い起こして、
幾度 君と逢い一緒にできた夢を見たことであろうか。
今宵はやっと逢えて、銀の燭台を取って照らして、見入るばかり、
でもこのめぐり逢いもまた夢ではないかと恐れるのである。
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閑話休題55 飛蓬‐漢詩を詠む 5 -縄文の女神

2017-11-03 14:51:33 | 漢詩を読む
ドラマから離れて道草します。写真1は、土でできた人物像の写真です。まずご覧頂いて、第一印象は如何でしょうか?さらに次の2点を自問して、ご想像を巡らせてみて下さい。
 1:誰の作品であろう?
 2:いつの作品であろう?

(写真1)

前の回(閑話休題54 ドラマの中の漢詩36)で、屈原の長編の辞「離騒」の内容の一部を紹介しました。ここで簡単にその続きに触れます。本稿の内容を理解するのに役立つと思いますので。

屈原は、自分の考えが公正であるかどうか、その答えを求めていろいろと“心の旅”をします。まず、神話時代の舜、禹、夏から殷および周代の名君・暗君たちの事跡を訪ねます。やはり自分の考えが間違っているとは思えないと確信します。

次いで、天上界に行って、天帝に相談しようと出かけます。その際、<月の御者・望舒(ボウジョ)を先駆に立て、風の神・飛廉(ヒレン)を後に従えて>天界に向かいます。しかし門前払いに逢い、天帝に逢うことはできませんでした。

巫女に占いをさせると、“遠くへ行きたまえ。君を解ってくれる人は必ずいる”との卦が出ました。そこで天空をかけ、ファンタジーの世界に遊びます。その途中ふと下界を見下ろすと故郷の楚の国が見え、屈原は望郷の念に駆られます。

しかし、“故郷では私を解ってくれる者もなく、もはや一緒に立派な政治をなす者もいない。今さらどうして故郷を思うことがあろう。私は慕わしい聖人の彭咸(ホウカン)を追って、彼のいるところに行こう” と長編の“辞”を締め括ります。

彭咸とは、殷代の賢人で、諫言が君主に聞き入れられず、入水して没したと言われる人です。屈原もその道を採ろうと心に決めたわけです。但し、屈原が実際に汨羅の淵に身を投じたのは、「離騒」を書いて2, 30年後、放浪中、楚が秦の謀略に逢い滅ぼされたことを知った後でした。

本稿の主題に戻ります。写真1は、現在、京都国立博物館で開催中の国宝展(写真2)で展示された土偶「縄文の女神」です。筆者は、広報用の新聞記事の写真を一見して、しなやかな姿態を揺らして、舞台の袖を練り歩く現代のファッションモデル…、そのモデルを芸術的にデフォルメした姿を想像しました。

(写真2)

なんと、この土偶は、山形県西ノ前遺跡(BC3,000~BC2,000年)で、土器などが大量に廃棄された土坑から破片の状態で発見された。それらの破片を接着剤で張り合わせて復元された姿(高さ:約45 cm)であった。

新聞記事によれば、“破片から完全な姿で復元できた例は極めて珍しく、特別な意味を込めて埋められたとみられる” と。そうでなくとも興味をそそられる作品だが、“特別な意味を込めて” と来ると、弥が上にも想像を掻き立ててくれるのである。

どのような人をモデルにして、どのような人が作成したのか?折角できた像を何ゆえに壊し、埋めるに際して“込めた特別な意味”とは何だったろうか?

以下、想像の世界で遊ぶことにします。作成の対象となったモデルの人は、日本海側の遺跡から発掘されたこと、また服装や姿態から見て、大陸から流れ着いた渡来人と見る。作成者は、土器加工に秀でた西ノ前住人であろう。

破片の欠損がなく、土偶が完全復元されたことから推して、他所で破壊して、破片を集めて運んだのではない。態々土偶を土坑まで持ってきて壊したものと推定される。やはり後ろ髪を惹かれるような思いで壊し、埋めたのであろう。

西ノ前では、この渡来人の所属を巡って、交易上の利害関係か、あるいは愛憎の絡み-この可能性が高い?-で激しい争いが起こる。結果として渡来者を失わざるを得ないこととなり、残念ながら土偶も処分せざるを得ない状況になった。

土偶は、土中での長い眠りの後、再び人間界に戻り、“縄文の女神”として親しまれることになった。しかしこの世界では未だに争いが絶えない。争いのうちに生涯を閉じた過去を思い出すにつけても、眠りの中で見た素晴らしい夢は忘れ難い。

眠りの間に見た夢は、人間界から解放されて、天上界で遊ぶ夢でした。屈原が天上界に行く際に先導してくれた御者の望舒が、やはり自分の先導をも務めてくれ、また後ろから風の神の飛廉が後押ししてくれた。

天上界では、何らの争いもなく、まったく桃源郷の様で、お月様と一緒に地球を巡り、青く美しい地球を眺めながら過ごしました。

実は、「縄文の女神」は、素晴らしい才能を持つ土偶作者の閃きを通して創造された天上界の仙女の姿であるやも知れない。本稿では生身の人間に重ねて想像を巡らしました。この想像の世界を律詩として綴ってみました。下に挙げてあります。合わせて目を通して頂きたく。

なお、起句及び承句は、杜牧の七言絶句「赤壁」にヒントを得ました。詩「赤壁」では、“土砂中に埋まっていた折れた刀を拾って磨いてみると、三国時代のものであるとわかった”と。

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<原文 と 読み下し文>
・绳文女神做的夢  绳文の女神が做(ミ)た夢
土片埋砂幾世纪, 土片 砂に埋(ウマ)って幾(イク)世纪,
自将粘成八頭体。 自(オノ)ずから粘(ハリアワ)せて将(モ)って八頭体と成す。
摩登姿態奪人魂, 摩登(モダン)な姿態(シタイ)は人の魂を奪(ウバ)い,
古代麗人懐往時。 古代の麗人は往時(オウジ)を懐(オモ)う。
前望舒陪月亮玩, 望舒(ボウジョ)を前に月亮(ゲツリョウ)と陪(トモ)に玩(アソ)ぶ,
後飛廉繞地球馳。 飛廉(ヒレン)を後(ウシロ)に地球を繞(メグ)って馳せる。
離開吵閙人間界, 離開(リカイ)す 吵閙(ソウドウ)しい人間界,
天上無争仙境里。 天上 争い無く仙境(センキョウ)の里(ウチ)。
 註]
・・八頭体:八頭身の美人
・・摩登:モダン、ピンインmódēng;英語のmodernからきた中国語
・・望舒:月の車をひく御者。月は馬車に乗って夜空を回るという伝承から
・・月亮:月、月球の通称
・・飛廉:風の神
・・吵閙:騒々しい

<現代語訳>
 縄文の女神が見た夢
土片のまま土砂に埋まって幾世紀を経たろうか、
片々が貼り合わされて八頭身の美人の姿を現した。
そのモダンな姿は見る人の魂を奪い、
この古代の麗人は在りし日のことを懐う。
望舒が御する馬車に乗ってお月さまと一緒に遊び、
風の神飛廉は後ろから風を送って、地球を巡るのを援ける。
騒々しい人間界から離れて、
天上界の、なんら争いのない別天地に遊んだ。
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