愉しむ漢詩

漢詩をあるテーマ、例えば、”お酒”で切って読んでいく。又は作るのに挑戦する。”愉しむ漢詩”を目指します。

閑話休題378 源氏物語(桐壺) 尋ね行くまぼろしもがな 紫式部

2023-11-27 09:23:48 | 漢詩を読む

[要旨]

更衣は、実家へ帰宅後間もなく、亡くなります。帝の悲しみは尋常でなく、葬儀の折、更衣に女御に相当する位階である“三位”の位階を贈る旨の連絡が宮中から届けられた。

帝は引き籠りがちとなり、いつも目にするのは、白楽天の長恨歌を絵にし、それに伊勢や貫之の和歌や漢詩を添えた絵巻物であった。野分の風が出て、肌寒さを覚える頃、靫負(ユゲイ)の命婦(ミョウブ)が故右大臣家を尋ねた。未亡人は、故人の形見として、命婦に髪上げの用具の入った箱などを贈った。

命婦が贈られた品物を御前で並べると、帝は、「これが、幻術士が他界の楊貴妃に逢って得て来た玉の簪であったなら」*と甲斐ないことを思い、次の歌を詠んだ。

 

尋ね行く まぼろしもがな つてにても

  魂のありかを そこと知るべく       (桐壺帝) 

 

曽て、「天に在っては比翼の鳥、地にあっては連理の枝」という、帝と桐壺の更衣は永久の愛を誓っていたのである。しかし運命はその一人に早く死を与えてしまった。帝は、せめて魂の在りかだけでも、知りたいものだ と詠っています。

 

本帖の歌と漢詩 

ooooooooooooo    

 尋ね行く まぼろしもがな つてにても 

   魂のありかを そこと知るべく 

 (大意) 亡き人を尋ねゆく幻術士はいないものか せめて 方士を介して魂のありかはそこ と知ることができるなら。 

xxxxxxxxxxxxxxx 

<漢詩> 

 至少魂所在         至少(セメテ) 魂の所在(アリカ)を 

             [上平声十五刪-上平声十一真韻]  

聞言唐妃幻仙山、 聞言(キクナラク) 唐の妃の幻は仙山にありと、

願有士尋已故人。 願わくは 士有りて 已故人を尋(タズネ)ゆくを。

無奈介於幻術士, 無奈(イカントモスルナシ) 幻術士を介於(カイ)して,

知魂所在入夢頻。 魂の在る所を知る 夢に入ること頻(シキリ)なり。

<現代語訳> 

 せめて魂の在りかだけでも 

聞くところによれば、唐代の楊貴妃の幻は、東海の仙山に在ったという、願わくは、故人を探して尋ね行く方士がいて欲しいものである。詮無いことながら せめて幻術士を介して、亡き人の魂の在処を知ることができればと 頻りに夢に見るのである。

<簡体字およびピンイン> 

 至少魂所在        Zhìshǎo hún suǒzài

闻言唐妃幻仙山、 Wén yán táng fēi huàn xiānshān,  

愿有士寻已故人。  yuàn yǒu shì xún yǐ gùrén.  

无奈介于幻术士,  Wúnài jiè yú huànshù shì, 

知魂所在入梦频。  zhī hún suǒ zài rù mèng pín.   

ooooooooooooo  

 

* [参考]

東海の仙山の蓬莱宮で、方術士の来訪を知った玉姫は、

部屋を飛び出し、方士に面会します。曽て帝より頂いた懐かしい品々の螺鈿の小箱と黄金の簪 を持ち出し、方士に告げます:

   「かんざしは二つに分け、簪は2本に裂いた。それらの一方は帝に持ち帰り下さい。二人の思いが、これらの品のように堅固でありましたら、天上界と人界とに別れていても、いつか必ずお会いできる日があるでしょう」と告げる  (白楽天・『長恨歌』から)。

   

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閑話休題377 源氏物語(桐壺) 限りとて 別るる道の 紫式部

2023-11-20 09:48:11 | 漢詩を読む

[要旨]

桐壺の更衣は、御所の中でも東北の隅にある桐壺の局(ツボネ)に住まっていることから 桐壺の更衣と呼ばれている。更衣とは、後宮に侍する高位の女官ではあるが、その位は、皇后(天皇の正妻)-中宮(皇后と同格)-女御(ニョウゴ、主に摂関の娘)-更衣の順に低く、最下位に位置する。

桐壺の更衣は、父は大納言であったが、すでに故人で、未亡人の母親と暮らしていた。親の地位が、後ろ盾として娘の羽振りに非常に大きな力となっていた時代、父親が亡くなっていたことは、更衣にとっては非常に生き辛い状況にあった。

しかし桐壺の更衣は、帝の寵愛を一身に受けていた。そのことが他の女御や更衣の妬み・嫉妬を誘い、時には意地悪な仕打ちに遭い、体調を崩して、体は日に日に弱っていきます。そのことがまた帝の思し召しを深くしていく。

桐壺の更衣に美しい皇子が誕生します。右大臣の娘である弘徽殿(コキデンノ)女御にすでに第1皇子が誕生していましたが、第2皇子に対する帝の可愛がりようは尋常でなく、3歳時の袴着(ハカマギ)の式も、第1皇子に劣らず華やかに行われました。女御の妬みはさらに増し、疑心暗鬼を生ずるほどであった。

桐壺の更衣は、周りの女御、更衣たちの心無い仕打ちに会い、体は弱り、病気がちとなり、実家に帰ることを願い出ます。しかし帝は、「死の旅にも同時に出るのが私たち二人である とあなたも約束したのだから、私を置いて家に行ってしまうことはできないはずだ」と言って赦してくれません。

病状が勝れず、療養のため帝と別れて、已む無く実家に帰ろうとする折に、桐壺の更衣が詠った歌です。

 

限りとて 別るる道の 悲しきに いかまほしきは 命なりけり

     (桐壺の更衣) 

 

本帖の歌と漢詩 

oooooooooo  

 限りとて  別るる道の  悲しきに いかまほしきは 命なりけり 

    [註] 〇いかまほしきは:生きたがっているのは。

 (大意) 今生の限りにあって 死に出の道にいる私は悲しいのです、いつまでも生きていたいこの命なのですが。

xxxxxxxxxxxxxxx 

<漢詩> 

   不如意性命           不如意(ママナラ)ない性命(イノチ)  

                    [下平声一先韻] 

定数嗟嗟生有限, 定数(サダメ)なのだ 嗟嗟生には限り有り, 

悲傷悢悢赴黃泉。 悲傷(カナシミ) 悢悢たり 黃泉に赴く。

依依心乱何以敘, 依依として心乱れ 何を以てか敘べん、

惟願長久性命全。惟に願う長久に 性命を全うせん。 

<現代語訳> 

 儘ならぬ命 

ああ 定めなのだ 生命には限りがある、悲しみに堪えないが、私は貴方と別れ、冥途に赴こうとしている。私は後ろ髪を引かれる想いでいるが 伝える言葉がない、只に 私の思いと違い、私を死に出の道に追い遣ろうとしているのは命なのだ。

<簡体字およびピンイン> 

  不如意性命       Bùrúyì xìngmìng 

定数嗟嗟生有限, Dìngshù jiē jiē shēng yǒu xiàn,     

悲伤悢悢赴黄泉。 bēishāng liàng liàng fù huángquán.  

依依心乱何以叙, Yīyī xīn luàn héyǐ xù,  

只是跟随性命权。 zhǐ shì gēnsuí xìngmìng quán.  

ooooooooooooo   

悲しい歌から始まります。『源氏物語』中、初っ端に出て来る歌でした。

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閑話休題376 金槐集 野となりて 跡は絶えにし 鎌倉右大臣 源実朝

2023-11-13 09:06:58 | 漢詩を読む

曽て幸せな時をともに過ごした伴侶の訪れはなくなり、庭園はすっかり雑草の生い茂る所となった。そうでなくとも涙に暮れる日々を送っているというのに、侘しい思いに駆られる秋がまた巡ってきたよ、と詠っています。

 

ooooooooooooo  

 [詞書] 初秋歌 

野となりて 跡は絶えにし 深草の 

  露の宿りに 秋はきにけり (『金槐集』秋・160) 

 (大意) 伴侶の訪れが絶えて、草深い土地となってしまったが、束の間の幸せ

  の時を送った宿に また秋は巡ってきたよ。  

 [註] 〇跡は絶えにし:人跡の絶えた、愛を交わした人の足跡が絶えた; 

  〇露:“束の間”と“露”の掛詞; 〇秋:“飽き”と“秋”の掛詞。 

  ○深草:山城国の歌枕で、文字どおり草深い土地。 

xxxxxxxxxxxxxxx   

<漢詩> 

  孟秋歌                  孟秋の歌     [上平声四支韻]   

陰陰儔侶痕跡絕, 陰陰(インイン)たり 儔侶(ハンリョ)の痕跡(アト)絕え,

索索庭園野草滋。 索索(サクサク)たり庭園 野草滋(シゲ)し。

轉瞬安寧如露宿, 轉瞬(ツカノマ)の安寧(アンネイ) 露の如き宿,

四時流易復秋期。 四時(シイジ)流易(リュウエキ)して 復た秋期至る。

 [註] 〇陰陰:うす暗く物寂しいさま; 〇儔侶:伴侶、仲間; 

  〇索索:小さな物音のさま、サワサワ; 〇轉瞬:束の間; 

  〇流易:季節が替わること。   

<現代語訳> 

  初秋の歌 

伴侶が訪れることもなくなり、痕跡も絶え 物寂しく、 

庭には雑草が生い茂り、そよ風に侘しく微かな音を立てている。 

束の間の安らかな日々 幸せが露の如くに消えた宿に、 

四季は巡り、また秋の季節は巡って来たのだ。 

<簡体字およびピンイン> 

  孟秋歌         Mèng qiū gē 

阴阴俦侣痕迹绝,Yīn yīn chóulǚ hénjì jué,   

索索庭园野草滋。suǒ suǒ tíngyuán yě cǎo .  

转瞬安宁如露宿,Zhuǎnshùn ānníng rú lù sù,   

四时流易复秋期。sì shí liú yì fù qiū .    

ooooooooooooo  

 

実朝の歌の“本歌”とされる歌・2首:

 

年をへて すみこし里を いでていなば

  いとど深草 野とやなりなむ (在原業平 『古今和歌集』雑下・971)  

 (大意) 長い年月、通い続けてきたこの里を、もし私が出ていってしまった 

   なら、ただでさえ「深草」なのに、いっそう草深い野となってしまう

    だろう。 

深草の 露のよすがを ちぎりにて

  里をばかれず 秋はきにけり 

     (九条良経 『新古今集』巻四 秋上・293)  

 (大意) 私に飽きて夫の去ってしまったこの里の深草に置く露。その露を 

  たよりに、私の涙の露を散らそうと、約束どおりこの里を離れることなく

  秋はやって来たのだなあ。  

 

[参考] 

 上記“本歌の”第1首:「年をへて……」は、『伊勢物語』百二十三段に

見える歌である。その段の物語をかいつまんで語るとこうである。

 ある男(在原業平?)が、長年通っていた深草に住む女性に、そろそろ

飽きがきて、別れたいとの思いから件の歌を贈った。それに対して、

女性は次の歌を返します: 

 

  野とならば 鶉(ウズラ)となりて 鳴きをらむ 

    狩にだにやは 君は来ざらむ 

   (大意) ここが草深い野となったら、私は鶉となって鳴いて 

   おりましょう。さすれば、あなたはせめて狩にだけでも  

   来て下さらないだろうか。 

 

 この歌に感動して、男性は去ることを取り止めた と。歌には、冷めつゝあるこころを再燃させる力があるようです。 

 

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閑話休題375 吾妻鏡  い出て去なば 主なき宿と 鎌倉右大臣 源実朝

2023-11-06 10:20:53 | 漢詩を読む

建保七(1219)年1月27日、源実朝は、右大臣拝賀のため鶴岡八幡宮に参宮される。親拝の行事を終え、その帰路、夜半に、宮前の石段を下る途中、甥の公暁により殺害された。

 

掲歌は、当日、出立の朝、髪を整え、出御の折に、庭の梅を見て、詠まれた「禁忌」の歌であるとされる。恐らくは、大宰府に左遷されて憤死した菅原道真の《東風吹かば匂い起こせよ梅花……》の歌を思い浮かべつゝ、詠まれたものと想像される。 

 

oooooooooo 

  [詞書] 庭の梅をご覧じて禁忌の歌を詠み給う 

い出て去なば 主なき宿と なりぬとも 

  軒端の梅よ 春を忘るな   (吾妻鑑・建保七年正月廿七日) 

 (大意) 私が出て逝ってしまったら ここは主のいない家となろう。例えそう

  なったとしても 軒端の梅よ 春を忘れることなく 花を咲かせてくれ。

xxxxxxxxxxx 

<漢詩> 

 臨終歌    臨終の歌     [去声二十三漾韻] 

任他余出去, 任他(ママヨ) 余が出(イデ)て去りなば, 

唯有寂空帳。 唯 寂(サビシ)き空帳有るのみ。 

雖然前梅也, 然(シカ)りと雖(イエド)も 房前にある梅(ウメ)也(ヨ), 

春春開別忘。 春春(シュンジュン)、開花を 忘れないでくれ。 

 註] ○任他:ままよ、さもあらばあれ。

<現代語訳> 

 辞世の歌 

ままよ私が此処を出ていって、世を去ったなら、 

ただ此処は主無しの寂しい帳の内となってしまおう。 

たとえそうだとしても 軒先の梅よ、 

巡りくる春には忘れることなく 花を咲かせておくれ。 

<簡体字およびピンイン> 

 临终歌        Línzhōng gē

任他余出去,  Rèn tā yú chū qù,    

唯有寂空帐。  wéi yǒu jì kōng zhàng

虽然前梅也,  Suīrán qián méi yě,

春春开别忘。  chūn chūn kāi bié wàng.   

oooooooooo  

 

この歌は、『金槐集』には収められていない。『吾妻鏡』に、右大臣拝賀の行事のために出立する、当日朝の出来事の一コマとして記載されている。その前後および凶事の模様を点描すると、以下の様である。

 

夕刻(夕6時前後)、出御されたが、その夜は、雪、二尺余の積雪であった。出立に先立って、大江広元が、「……今涙が出て止まらない、東大寺落慶供養の際の右大将・頼朝の例にならい、束帯の下に腹巻(鎧の胴)をつけてください」と進言されたが、源仲章が「大臣、大将に昇叙する人に前例がない」として制止された。

 

宮内公氏が、髪を整えた際、実朝は、自ら髪の一筋を抜き、記念に と公氏に与えられた由。更に庭の梅を見て、実朝は、歌一首を詠まれた。これが掲題の歌である。

 

八幡宮での親拝を終え、南門を出御される際、鳩が頻りに鳴き騒ぎ、また牛車から降りる際に、帯びた剣の先端を突き折ってしまった 等々、不吉な出来事が出来していた。

 

一方、八幡宮寺の楼門に入る際、将軍を警護する立場にあった北条義時は、急に体調不良を訴えて御剣役を源仲章に譲り、列から離れて、子町亭に帰られていた。実朝とともに、源仲章も凶事で倒れる結果となった。

 

その他、凶事の前後、不吉を予感させる出来事が色々と起こっていた様である。実朝自身、時代の流れ、身辺の動静、等々、“空気感”として、不祥事を予感して、覚悟を持っていたのではなかろうか と推察します。

 

  実朝が参考にした思える歌:

東風吹かば 匂い起こせよ 梅の花 

  主なしとて 春な忘れそ 

     (菅原道真 『大鏡』; 『拾遺集』巻十六 雑春・1006)  

 (大意) 春になって東風が吹いたなら 梅の花よ 香りを私の所に届けてくれ、

  主人がいないからといって、春を忘れることのないように。

 

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