愉しむ漢詩

漢詩をあるテーマ、例えば、”お酒”で切って読んでいく。又は作るのに挑戦する。”愉しむ漢詩”を目指します。

閑話休題22 漢詩を読む ドラマの中の漢詩―9(『ホ・ジュン』-5)

2016-11-23 16:26:37 | 漢詩を読む
李白は42歳で宮廷に招かれましたが、44歳で宮廷を追われました。その事態には、前回取り上げた「清平調詞 三首」の中の一首の詩が関わっています。少し道草して、この点に触れておきます。

李白は、当時すでに世に広く知られる存在でした。42歳のある時、宮廷に招かれて、玄宗皇帝の前で作詞する機会を得ました。その折、宮廷詩人として大長老の 賀知章 が、李白を「“謫仙人(タクセンニン)”である」と評したようです。

“謫仙人”とは、“天上界から罪によって人間界に追放された仙人”という意味のようです。李白が“詩仙”と呼ばれるようになったのはこれによるのでしょう。そこで“翰林供奉(カンリングブ)”として宮廷に“就職”することになります。

“翰林供奉”とは、特定の組織・職場に属するのではなく、天子側近の顧問役で、詔勅や詩文の作成に当たる“自由人”と言ったところのようです。ただし、お声が掛かれば直ちに参内して、役を果たさなければならない立場でした。

玄宗皇帝は、彼自身詩人であるばかりでなく、作曲をよくする多芸の人でもありました。歌舞学校を作って、音楽や演劇の人材を養成する熱の入れようです。なお、当時、詩は曲に合わせて歌われていたようです。

牡丹の花盛りのころ、楊貴妃を傍に侍らせ、牡丹の花を愛で、自ら作曲した音楽を聴き、見事な舞を楽しんでいました。花も女も音楽も舞いも最上なのだが、どうも歌詞が物足りない。そこで皇帝は、李白を呼んで詩を作らせることにします。

李白は、いつものように酒を楽しんでいましたが、お声が掛かると直ちに参内しなければなりません。この花見の宴で、玄宗皇帝から「楊貴妃と花を読み込んだ詩を作れ」とのご所望があり、そこで作ったのが、3連作の「清平調詩 三首」でした。

「三首」のうち、「其の一」は前回に紹介しました。本稿で取り上げたい、問題の部は、「其の二」です。「其の二」の詩およびその読み下しと現代訳は末尾に挙げてあります。

李白は、参内する際に、宦官の 高力士 という人に足を突き出して、靴を脱ぐよう強要したらしい。いかに豪放な李白であり、また酔っぱらっていたとは言え、ちょっと頂けない行いであったのではないでしょうか。

宮廷内での李白は、皇帝の覚えめでたく、それゆえに周囲の宮廷人の嫉妬の対象でもありました。さらに彼の豪放磊落さが一部の人々に良くない印象を与えていたようでもありました。そこへ高力士の自尊心を傷つけるような行いです。

高力士は、玄宗皇帝の信任が厚く、側近第一号と言っても過言ではない人物でした。靴脱がせの出来事以来、高力士が玄宗皇帝に何らかの働き掛けを行ったことは、想像に難くない。

失脚させようと思えば、口実を設けることはたやすいことでしよう。その口実としたのが、「清平調詩 三首 其の二」の中で、楊貴妃を飛燕に譬えている第3、4句でした。歴史に残る“漢宮の美女の中で、あの可憐な趙飛燕がお化粧したての時の美貌”に当たると詠んでいます。

趙飛燕は、卑賎の出であるが、美貌が前漢第11代皇帝の成帝(BC33~BC7)を虜にして、後宮に迎えられ、皇后となりました。当時、傾城という言葉はなかったが、まさに傾城の美女と言えるでしょうか。しかし成帝が崩御すると、宗室を乱した者として断罪され、庶人に落とされ、自殺する羽目となります。

高力士は、“楊貴妃を、卑賎の出で、好ましくない末路をたどった趙飛燕に譬えた”と玄宗皇帝に、恐らく、口酸っぱく説いたことでしょう。皇帝とて、心穏やかではなく、結局、李白は宮廷を追われることになりました。744年、李白44歳の時でした。

以後、李白は、宮廷復帰の夢を追いながら、放浪の旅を続けます。

[蛇足]
趙飛燕は、楊柳に譬えられていて、柳腰のほっそりとした、風に吹き飛ばされそうな容姿であり、舞えば飛んでいる燕のようであった と。一方、楊貴妃は、ふっくらとした、白楽天の表現を借りれば、“温泉 水滑らかにして凝脂を洗う”(長恨歌から)肌であった と。

のちに趙飛燕と楊貴妃の美貌をもとに、女性の優れた容姿を表現するのに‘環肥燕痩’(環:楊貴妃の幼名・玉環による)という四字熟語ができているようです。

xxxxxxxxxx
清平調詩 三首   李白
  其の二
一枝濃艶露凝香  一枝(イッシ)の濃艶(ノウエン) 露(ツユ) 香(コウ)を凝(コ)らす
雲雨巫山枉断腸  雲雨(ウンウ)巫山(フザン) 枉(ムナ)しく断腸(ダンチョウ)
借問漢宮誰得似  借問(シャモン)す 漢宮(カンキュウ) 誰か似たるを得(エ)ん
可憐飛燕倚新粧  可憐(カレン)の飛燕(ヒエン) 新粧(シンショウ)に倚(ヨ)る

<現代訳>
ひと枝の鮮やかな赤い牡丹の花に降りた露は、香を凝集させたかのようである。
(楚の襄王は)巫山の神女をむなしい夢で断腸の思いをした(が、今の玄宗と楊貴妃とは、なんとすばらしいことか)。
すこしおたずねするが、漢代の宮中では、誰が似通っているのだろうか。
心が揺り動かされる趙飛燕のお化粧したてのさまであろうか。

 [筆者注] 雲雨巫山:昔楚王が、高唐の館に遊んだとき、昼寝の夢に一人の美女が現れ、契りを結んだ。美女は巫山の神女であると名のり、自分は朝には雲となり、夕には雨となって現れると告げたところで目が覚めたという。交情、情愛の表現。
碇豊長:『詩詞世界 2千3百首詳註』から引用http://www5a.biglobe.ne.jp/~shici/。

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閑話休題21 漢詩を読む ドラマの中の漢詩―8(『ホ・ジュン』-4)

2016-11-12 17:08:11 | 漢詩を読む
ドラマ『ホ・ジュン~伝説の心医~』の話に戻ります。

ドラマの中でイエジン(パク・ジニ)は非常に大きな存在です。ドラマの進行を、“織物を紡ぐこと”に例えるなら“横糸”と言えるでしょうか。“縦糸”になぞえられる多くの登場人物たち、中でも、ホ・ジュン、ユ・ドジおよびイ・ジョンミョンと深い関わりを持ちながら、ドラマは進行します。

イエジンは、幼いころ両親を亡くして、医者のユ・ウイテとオ奥様の元で、養女として義兄のユ・ドジとともに育てられます。イエジンの父は、鍼を携えて、病に苦しむ人々を貧富の差に構わず、治療して回ったとのことで、人々から“心医”と敬われていたようです。

イエジンは、ユ・ウイテの下で、医療の補佐をするうちに、医療・薬草に関する知識のみならず、治療法も身につけてきました。「もし男なら、跡を継がせるのだが」とユ・ウイテに語らしめるほどです。

ユ・ドジは、イエジンに対して兄妹の枠を超えて愛情を抱くようになります。事あるごとに、「町医者の下で、苦労させたくない。自分は、宮廷で御医(オイ)となり、あなたを楽にさせたい。結婚を」と迫ります。しかしイエジンは、「…お兄様、…」と敬いの態度をとりますが、承諾の返事をすることはありません。

イエジンは、ユ・ドジに対して“兄妹”という親しい気持ちを持ちながらも、オ奥様への気兼ねがあって、逡巡しているのでしょうか。オ奥様は、イエジンを“悪女”と決めつけて、「ドジの出世の邪魔になる」と事あるごとに、イエジンをドジから引き離すよう徹底的に動きます。

やがてユ・ドジは科挙に合格、オ奥様とともにハニアンに移り住み、内医院に勤めるようなります。

ユ・ウイテは、反胃(胃癌)に侵されていて、自ら末期にあることを悟る。イエジンを傍に呼んで、「…ホ・ジュンには立派な妻がいる。生涯独り身では心もとない。君に対するドジの愛は本物である。ドジの嫁になってくれ。最後の私の願いだ」と。

イエジンは、師の“遺言”を聞き入れて、ハニアンのドジの元へ一人旅に出ます。旅の途中、ユ・ウイテ師匠の看病に当たっているホ・ジュン宛に次のような書状を認めます:

[…..病気の師匠をよろしくお願いします。病を治す医術の半分は医者の真心にあります。ホ先生の真心が天に届き、必ず病が治ると信じております。
心から尊敬する方とともに働けた日々は、私には何物にも代えがたい幸せでした。ホ先生との出会いは、私は永遠に胸に刻んで生きていきます。]

イエジンがハニアンに来てみると、ユ・ドジは、オ奥様の骨折りで、高級官僚の娘さんと縁談が進んでいました。一方、ホ・ジュンも科挙に合格、内医院で働くようになります。

イエジンは、ハニアンに到着して間もなく、オ奥様の画策で数人の荒くれ男たちに襲われ、気を失うことがありました。幸いに宮廷のポドチョン(捕盗庁:警察庁)役人のイ・ジョンミョンに助けられ、彼の家でしばらく静養して、体調を取り戻します。

イ・ジョンミョンの紹介で、イエジンは、宮廷で医女として働くようになります。しかしイ・ジョンミョンは、「本当は、宮廷で医女として働くことはお勧めできません」と言う。イエジンは、「私は、生涯、患者とともに介護しながら過ごすつもりでいます」と、敢えて自ら医女の道を選びました。

イ・ジョンミョンは、ホ・ジュンに向かって、「イエジンの胸には君への想いで一杯だ。君は答えようとしない、悪い男だ」となじることもあった。

ある夜、イ・ジョンミョンは、料亭の玄関口で女給仕人の肩に手を当てて身を支え、千鳥足で歩きながら、「若(モ)し群玉山頭(グンキョクサントウ)に見るに非(ア)らずんば、会(カナラ)ずや揺台(ヨウダイ)の月下に向(オ)いて逢(ア)わん」と独り言ちます。「これ知ってるか?」と女給仕人に尋ねるが、彼女は「知りません」と。

そうです。これは李白作の『清平調詩 三首 其の一』の一部です。同詩とその読み下しおよび現代訳は、本稿の末尾に挙げました。

牡丹の咲き誇るころ、皇帝玄宗は楊貴妃と牡丹を愛でる園遊会を開きます。李白は、即座に、この世のものとも思えない麗しい楊貴妃と牡丹の華やかな美しさを3連作の詩として詠いました。これら3連作のうちの『其の一』です。

すなわち、イ・ジョンミョンの胸の内には、楊貴妃に擬せられるほどのイエジンがいることを暗示しています。事実、のちほど、その胸の内をイエジンに訴えています。イエジンも憎からず思っている様子で、再会の約束をして別れます。

イ・ジョンミョンは、宮廷の役人としては親子と2代目で、儒教の教えをしっかりと父親から教わっていて、善良な警察官として忠実に役目を果たしています。その頃、宮廷内で起こった殺人事件について、その下衆人を捉え、捕縛しました。

しかし当時、宮廷内では、上司の大監チョン・ソンピルが絡んだ事務方トップの激しい権力闘争があり、下衆人はその上司の息の掛かった人でした。図らずも、イ・ジョンミョンは、上司の陰謀で、逆に反逆罪で逮捕される結果となり、自害を宣告されます。

刑場に牽かれたイ・ジョンミョンは、多くの役人の見守る中で、自害のための毒薬を与えられます。その毒薬を調合し、刑場に運んでくるのは医女の役目の一つです。なんと!毒薬を運ぶのは、イエジンの役でした。

盆にのせて毒薬を運んできたイエジンは、受刑者がイ・ジョンミョンであることを目撃し、驚愕します。全身震えが止まらず、その場で立ち尽くします。同伴の医女が盆を取り上げ、受刑者に渡す。イ・ジョンミョンは、イエジンと視線を合わせたのち、毒薬を一気に飲み干します。

楊貴妃と牡丹を想起させる美しい情景と、イ・ジョンミョン‐イエジンの意外な“再会”の情景と、余りにも大きな落差に、ドラマとは言え、いたたまれない気持ちにさせられます。

xxxxxxxxxxx
清平調詩 三首 李白
其の一
雲想衣装花想容、 雲には衣装を想い花には容(カタチ)を想う、
春風拂檻露華濃。 春風 檻(カン)を拂(ハラ)って露華(ロカ) 濃(コマヤ)かなり。
若非群玉山頭見、 若(モ)し群玉山頭(グンギョクサントウ)に見るに非(ア)らずんば、
會向揺臺月下逢。 會(カナラ)ずや揺台(ヨウダイ)の月下に向(オ)いて逢わん。
  [筆者注] 
拂 → 払; 會 → 会; 臺 → 台
群玉山:中国古代神話上の不老不死の女神 西王母が住んでいる仙山

<現代訳>
雲を見ては楊貴妃の衣装を想起し、花を見ては楊貴妃の姿を連想する、
春風は欄干に吹き当たって、露の光が満ちている。
もしも、仙山の群玉山上で会うのでなければ、
かならず仙人の居る揺台の月下において出会うことだろう。
  碇豊長:『詩詞世界 2千3百首詳註』から引用 
http://www5a.biglobe.ne.jp/~shici/

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閑話休題21 漢詩を読む ドラマの中の漢詩―8(『ホ・ジュン』-4)

2016-11-12 17:08:11 | 漢詩を読む
ドラマ『ホ・ジュン~伝説の心医~』の話に戻ります。

ドラマの中でイエジン(パク・ジニ)は非常に大きな存在です。ドラマの進行を、“織物を紡ぐこと”に例えるなら“横糸”と言えるでしょうか。“縦糸”になぞえられる多くの登場人物たち、中でも、ホ・ジュン、ユ・ドジおよびイ・ジョンミョンと深い関わりを持ちながら、ドラマは進行します。

イエジンは、幼いころ両親を亡くして、医者のユ・ウイテとオ奥様の元で、養女として義兄のユ・ドジとともに育てられます。イエジンの父は、鍼を携えて、病に苦しむ人々を貧富の差に構わず、治療して回ったとのことで、人々から“心医”と敬われていたようです。

イエジンは、ユ・ウイテの下で、医療の補佐をするうちに、医療・薬草に関する知識のみならず、治療法も身につけてきました。「もし男なら、跡を継がせるのだが」とユ・ウイテに語らしめるほどです。

ユ・ドジは、イエジンに対して兄妹の枠を超えて愛情を抱くようになります。事あるごとに、「町医者の下で、苦労させたくない。自分は、宮廷で御医(オイ)となり、あなたを楽にさせたい。結婚を」と迫ります。しかしイエジンは、「…お兄様、…」と敬いの態度をとりますが、承諾の返事をすることはありません。

イエジンは、ユ・ドジに対して“兄妹”という親しい気持ちを持ちながらも、オ奥様への気兼ねがあって、逡巡しているのでしょうか。オ奥様は、イエジンを“悪女”と決めつけて、「ドジの出世の邪魔になる」と事あるごとに、イエジンをドジから引き離すよう徹底的に動きます。

やがてユ・ドジは科挙に合格、オ奥様とともにハニアンに移り住み、内医院に勤めるようなります。

ユ・ウイテは、反胃(胃癌)に侵されていて、自ら末期にあることを悟る。イエジンを傍に呼んで、「…ホ・ジュンには立派な妻がいる。生涯独り身では心もとない。君に対するドジの愛は本物である。ドジの嫁になってくれ。最後の私の願いだ」と。

イエジンは、師の“遺言”を聞き入れて、ハニアンのドジの元へ一人旅に出ます。旅の途中、ユ・ウイテ師匠の看病に当たっているホ・ジュン宛に次のような書状を認めます:

[…..病気の師匠をよろしくお願いします。病を治す医術の半分は医者の真心にあります。ホ先生の真心が天に届き、必ず病が治ると信じております。
心から尊敬する方とともに働けた日々は、私には何物にも代えがたい幸せでした。ホ先生との出会いは、私は永遠に胸に刻んで生きていきます。]

イエジンがハニアンに来てみると、ユ・ドジは、オ奥様の骨折りで、高級官僚の娘さんと縁談が進んでいました。一方、ホ・ジュンも科挙に合格、内医院で働くようになります。

イエジンは、ハニアンに到着して間もなく、オ奥様の画策で数人の荒くれ男たちに襲われ、気を失うことがありました。幸いに宮廷のポドチョン(捕盗庁:警察庁)役人のイ・ジョンミョンに助けられ、彼の家でしばらく静養して、体調を取り戻します。

イ・ジョンミョンの紹介で、イエジンは、宮廷で医女として働くようになります。しかしイ・ジョンミョンは、「本当は、宮廷で医女として働くことはお勧めできません」と言う。イエジンは、「私は、生涯、患者とともに介護しながら過ごすつもりでいます」と、敢えて自ら医女の道を選びました。

イ・ジョンミョンは、ホ・ジュンに向かって、「イエジンの胸には君への想いで一杯だ。君は答えようとしない、悪い男だ」となじることもあった。

ある夜、イ・ジョンミョンは、料亭の玄関口で女給仕人の肩に手を当てて身を支え、千鳥足で歩きながら、「若(モ)し群玉山頭(グンキョクサントウ)に見るに非(ア)らずんば、会(カナラ)ずや揺台(ヨウダイ)の月下に向(オ)いて逢(ア)わん」と独り言ちます。「これ知ってるか?」と女給仕人に尋ねるが、彼女は「知りません」と。

そうです。これは李白作の『清平調詩 三首 其の一』の一部です。同詩とその読み下しおよび現代訳は、本稿の末尾に挙げました。

牡丹の咲き誇るころ、皇帝玄宗は楊貴妃と牡丹を愛でる園遊会を開きます。李白は、即座に、この世のものとも思えない麗しい楊貴妃と牡丹の華やかな美しさを3連作の詩として詠いました。これら3連作のうちの『其の一』です。

すなわち、イ・ジョンミョンの胸の内には、楊貴妃に擬せられるほどのイエジンがいることを暗示しています。事実、のちほど、その胸の内をイエジンに訴えています。イエジンも憎からず思っている様子で、再会の約束をして別れます。

イ・ジョンミョンは、宮廷の役人としては親子と2代目で、儒教の教えをしっかりと父親から教わっていて、善良な警察官として忠実に役目を果たしています。その頃、宮廷内で起こった殺人事件について、その下衆人を捉え、捕縛しました。

しかし当時、宮廷内では、上司の大監チョン・ソンピルが絡んだ事務方トップの激しい権力闘争があり、下衆人はその上司の息の掛かった人でした。図らずも、イ・ジョンミョンは、上司の陰謀で、逆に反逆罪で逮捕される結果となり、自害を宣告されます。

刑場に牽かれたイ・ジョンミョンは、多くの役人の見守る中で、自害のための毒薬を与えられます。その毒薬を調合し、刑場に運んでくるのは医女の役目の一つです。なんと!毒薬を運ぶのは、イエジンの役でした。

盆にのせて毒薬を運んできたイエジンは、受刑者がイ・ジョンミョンであることを目撃し、驚愕します。全身震えが止まらず、その場で立ち尽くします。同伴の医女が盆を取り上げ、受刑者に渡す。イ・ジョンミョンは、イエジンと視線を合わせたのち、毒薬を一気に飲み干します。

楊貴妃と牡丹を想起させる美しい情景と、イ・ジョンミョン‐イエジンの意外な“再会”の情景と、余りにも大きな落差に、ドラマとは言え、いたたまれない気持ちにさせられます。

xxxxxxxxxxx
清平調詩 三首 李白
其の一
雲想衣装花想容、 雲には衣装を想い花には容(カタチ)を想う、
春風拂檻露華濃。 春風 檻(カン)を拂(ハラ)って露華(ロカ) 濃(コマヤ)かなり。
若非群玉山頭見、 若(モ)し群玉山頭(グンギョクサントウ)に見るに非(ア)らずんば、
會向揺臺月下逢。 會(カナラ)ずや揺台(ヨウダイ)の月下に向(オ)いて逢わん。
  [筆者注] 
拂 → 払; 會 → 会; 臺 → 台
群玉山:中国古代神話上の不老不死の女神 西王母が住んでいる仙山

<現代訳>
雲を見ては楊貴妃の衣装を想起し、花を見ては楊貴妃の姿を連想する、
春風は欄干に吹き当たって、露の光が満ちている。
もしも、仙山の群玉山上で会うのでなければ、
かならず仙人の居る揺台の月下において出会うことだろう。
  碇豊長:『詩詞世界 2千3百首詳註』から引用 
http://www5a.biglobe.ne.jp/~shici/

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閑話休題20 漢詩を読む ドラマの中の漢詩―7(『ホ・ジュン』-3)

2016-11-03 17:04:11 | 漢詩を読む
伝説から推して、お酒と料理を並べた時、李白にあってはまず念頭に浮かぶのはお酒であり、一方、杜甫にあっては料理である、という構図が想像されます。それが実際に詩に反映されているであろう として、これまでに両者の詩を一首づつ挙げました。

その構図を裏付ける例をもう一首紹介しましょう。李白の詩で、「行路難 三首」の其の一を読んでみます。その詩は、末尾に読み下しおよび現代訳とともに挙げてあります。

第1句から第3句を見て頂きましょう。第1から2句にかけて、“金樽(キンソン)の清酒(セイシュ)”に続いて“玉盤(ギョクバン)の珍羞(チンシュウ)”と詠われています。また第3句でも、“盃(サカズキ)を停(トド)め”、“筯(ハシ)を投じて”と続いています。

やはり李白の詩にあってはお酒のことが先に、続いて料理が後に述べられています。

この詩「行路難」については、先の「将進酒」と読み比べたとき、作者李白の心の有りようにかなりの違いが感じられます。「将進酒」では、力強く、前に進んでいける可能性を秘めた、若さの勢いが感じられます。

この「行路難」では、“黄河を渡ろうとすれば氷が川をふさぎ”、“山に登ろうとすれば雪が天を暗くする”、進むに進めない状況にある。“今自分はどこにいるのだ、”と逆境にあって、半ば失意のうちに、焦燥感に囚われているようです。

しかし、“必ず追い風の吹く時が来るはずだ。そのときこそは、帆を高く揚げて、敢然と大海原を渡ってゆくのだ”と、李白本来の豪放な性質(たち)が顔を覗かせて、自らを鼓舞しています。

この詩が作られた時期は、宮廷を追われた後であることは容易に想像されます。宮廷詩人となる前後での、両詩の作年代が何十年も違うわけではないと思われるが、李白がお酒に対する拘りがより強いと考えられるは、年齢とは関係ないように思われます。

筆者の周りにある書物を調べる限り、お酒と料理を同じ一首の中に読み込んだ詩は、以上3首にしか過ぎません。これら3首を基に、詩中に現れるお酒と料理の記載順序は、即、李白はお酒、杜甫は料理であり、関心の大きさを反映しているという考え方を、“法則(?)”として大上段に主張するには、根拠が十分とは言えないでしょう。

ただ、豪放磊落な性格で、若い頃から遊侠、山水、神仙などとの関わりが多かった李白がお酒に対し、一方、関心が現実の人間、社会、生活に向かっている社会派の杜甫が料理(食べ物)に対して、まず拘りを示すのは自然なことのように思われます。

いずれにせよ、亡くなるに当たり、捉月伝説の李白と、肉の食べ過ぎによるとする杜甫の伝説は、なかなか含蓄のある説と言えよう。詩作者の心情が思い描かれるようで、つい微笑みたくなります。

xxxxxxxxx
行路難 三首       李白
其一
1 金樽清酒斗十銭 金樽(キンソン)の清酒(セイシュ) 斗(ト)十銭(ジッセン)
2 玉盤珍羞直万銭 玉盤(ギョクバン)の珍羞(チンシュウ) 直(アタイ) 万銭(バンセン)
3 停盃投筯不能食 盃(サカズキ)を停(トド)め筯(ハシ)を投じて食(ク)らう能(アタ)わず
4 拔剣四顧心茫然 剣を拔き四顧(シコ)して心 茫然(ボウゼン) 
5 欲渡黄河冰塞川 黄河を渡らんと欲(ホッ)すれば 氷(コオリ) 川を塞(フサキ)ぎ
6 将登太行雪暗天 将(マサ)に太行(タイコウ)に登らんとすれば 雪 天を暗(クラ)くす
7 閑来垂釣坐溪上 閑来(カンライ) 釣(チョウ)を垂れて溪上(ケイジョウ)に坐(ザ)し
8 忽復乘舟夢日辺 忽(タチマ)ち復(マ)た舟に乘って日辺(ニッペン)を夢む
9 行路難 行路(コウロ) 難(カタ)し
10行路難 行路難し
11多歧路 歧路(キロ)多し
12今安在 今 安(イズク)にか在(ア)る
13長風破浪会有時 長風(チョウフウ) 浪(ナミ)を破る会(カナラ)ず時有り
14直挂雲帆済滄海 直(タダ)ちに雲帆(ウンパン)を挂(カ)けて滄海(ソウカイ)を済(ワタ)らん

<現代訳>
高価な酒と贅沢な料理を前にして、
私は盃をとどめ、箸を置いたまま、料理に手をつけられないでいる。
そして剣を抜き、あたりを見回して、呆然としている。
黄河を渡ろうとすれば氷が川をふさぎ、山に登ろうとすれば雪が天を暗くする。
障害ばかりの現実を見限り、谷川のほとりでのどかに釣り糸を垂れてみても、
心はいつしかまた舟を漕ぎ出し、太陽の彼方、都長安へ行くことを夢見てしまうのだ。
ああ、わが人生航路は辛い。
本当に辛く苦しい。
行く手はまるで迷路のようだ。
いま私は、一体どこにいるのか。
だが、彼方より吹き寄せる風に乗り、荒波を蹴立てて突進するときは必ず訪れる。
そのときこそ、私は帆を高く揚げ、敢然と大海原を渡ってゆこう。
  石川忠久 監修 『NHK 新漢詩紀行 ガイド 4』 日本放送出版協会 2010 より引用。
   (注:各句頭の付番は筆者が書き加えた。)
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