愉しむ漢詩

漢詩をあるテーマ、例えば、”お酒”で切って読んでいく。又は作るのに挑戦する。”愉しむ漢詩”を目指します。

閑話休題107 漢詩を読む 酒に対す-27;李白:月下独酌

2019-05-26 17:52:48 | 漢詩を読む
この一対の句!
盃を挙げて名月を招いて、
我が影に向かえば三人だ。

作者は、連れもなく花の下で独酌しているのですが、名月を招き入れ、自分の影を含めて“3人”で飲んでいます。李白:「月下独酌四首 其の一」の中の句です。

杯を重ねるごとに酔いも廻り、月との会話を楽しみながら歌い出し、また舞いも始まります。春爛漫、花の下最高の解放感に浸っています。やがて酔いが深まると、仲良し“3人”の間の関係は一変するようです。

先に、張説の「醉中の作」を読みました。合わせて読むと興趣も一入です。ご参考までに、「醉中の作」は本稿の末尾に再掲しました。

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 月下独酌 李白
花間一壷酒, 独酌無相親。花間 一壷の酒,独酌 相い親しむ無し。
挙杯邀明月, 対影成三人。 杯を挙げて明月を邀(ムカ)へ,影に対して三人と成る。
月既不解飮, 影徒隨我身。月 既に飮を解せずして,影 徒(イタズラ)に我が身に隨う。
暫伴月將影, 行樂須及春。暫く月と影とを伴いて,行樂 須(スベカ)らく春に及ぶべし。
我歌月徘徊, 我舞影凌乱。我 歌えば月 徘徊(ハイカイ)し,我 舞えば影 凌乱(リョウラン)す。
醒時同交歓, 醉後各分散。醒時(セイジ) 同じく交歓し,醉後 各(オノ) おの分散す。
永結無情遊, 相期邈雲漢。永く無情の遊を結び,相い期さん 邈(ハル)かなる雲漢に。
 註]
相親:親しい人;    邀:招く、誘う;
既:…であるのみならず; 將:~と;
徘徊:うろうろ動きまわる; 凌乱: 無秩序に乱れ動くさま;
無常遊:人情を超越した交友; 相期:約束する、互いに待つ;
雲漢:天の河

<現代語訳>
 月の下独り酒を酌む
いっぱいに咲いた花の下で酒壺一本おいて、
  ともに親しく飲む者はなく、自ら手酌して頂く。
盃を挙げて名月を招いて、
我が影に向かえば三人だ。
月はお酒の楽しみを知らないばかりか、
  影はむやみとわが身に付きまとうだけではある。
まあ しばらく月と影を伴って、
  花いっぱいのこの春を楽しむことにしよう。
私が歌えば月は当てもなくさまよい、
  私が舞えば、影は乱舞する。
醒めているときにはともに喜びを分かち合っていても、
  酔ってしまうと皆バラバラになる。
末永く人情を超越した友情を結び、
  はるか雲漢のかなたでまた会いましょう。
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この詩中、酔ってしまうと、月も影もバラバラに分散してしまうが、醒めている間には喜びを分かち合うことができる。末永く友情を深めるよう、はるか銀河のかなたでまた会いましょう、と、結んでいます。世事を超えた、素晴らしい飲み友達ということでしょうか。

両作者については、すでに紹介しております。ただ、李白(701~762)は、張説(667~730)より一世代後の人と考えてよいでしょうか。李白は、わずかな期間ではあるが、宮廷詩人として仕えています。張説の事績をある程度知っていたかも知れません。

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醉中作  張説 
醉後方知樂, 醉後(スイゴ) 方(マサ)に樂しみを知り、
弥勝未醉時。 弥(イヨ)いよ 未だ醉はざる時に勝(マサ)る。
動容皆是舞, 容(カタチ)を動かせば 皆 是(コ)れ舞(マイ)、
出語総成詩。 語を出(イ)だせば総(スベ)て詩と成る。
註]
醉中:酔っぱらった状態のとき
方:いままさに、ちょうど
弥:ますます、さらに
動容:立ち居振る舞い; 容:容貌、姿
出語:言葉に出す、ものを言う

<現代語訳>
酔った折の作
酒に酔って初めてその楽しみがわかる、
酔えば酔うほどにますます正気の時に比べて気分がよくなるのだ。
酔った時の身ごなしは即ち舞姿であり、
発する言葉はすべてそのまま詩となる。
(閑話休題103より抜粋)
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閑話休題 106 飛蓬-漢詩を詠む 26: 故郷懐古-南島里花鳥風月

2019-05-12 17:31:05 | 漢詩を読む
この5月1日、“令和”元年として、令和の世が始まりました。非常に明るい雰囲気の中での代継ぎで、その前後の日々はまさに“黄金”というに相応しい時期であったように思われました。

この代替わりを機に、“令和”の字を組み込んだ詩を書いてみてはどうか、とつい遊び心を起こした次第である。偶々帰省して、故郷の今の姿に接する機会があって、その折りの“懐い”から出来たのが下に挙げた七言律詩です。

新しい時代が幕を上げようとして、期待が大きく膨らんでいく一方で、“昔は良かったな!”と感傷の念も湧き、少々複雑な気分でもあった。“花鳥風月”の推移を思いつつ、新時代“令和”の有り様を夢想するこの頃ではある。

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故郷懐古 -南島里花鳥風月
玲瓏洗心霊、 玲瓏(レイロウ)な令月(レイゲツ) 心霊(ココロ)を洗う、
拂臉和風鴴便鳴。 臉(カオ)を拂(ナ)でる和(ヤワラカ)な風 鴴(ハマチドリ) 便(スナワチ)鳴く。
扶桑炎赫赫紛、 扶桑(フソウ)炎の花 赫赫(カクカク)として紛(フン)たり、
率流翠嗖嗖行。 流れに率(シタガ)い翠鳥(カワセミ) 嗖嗖(ソウソウ)として飛び行く。
運流代謝森羅化、 運流(ウンリュウ) 代謝(タイシャ)して 森羅(シンラ)が化し、
沙渚無鴴聴海鳴。 沙渚(シャショ) 鴴は無く海鳴(ウミナリ)を聴くのみ。
惟有月独如往昔、 惟(タ)だ月のみ有って 独り往昔(オウセキ)の如し、
挙頭遙望起慼情。 頭(コウベ)を挙(ア)げて遙かに望めば 慼情(セキジョウ)起る。
註] 
玲瓏:透き通るように美しいさま;  鴴:浜千鳥; 
扶桑:ハイビスカス;     赫赫:赤々と照り輝くさま; 
紛:咲き乱れる、咲き誇る;  率:沿う、従う;
嗖嗖:すいすいと;  運流:時が流れること; 
代謝:世が代わる;  森羅:無数に並び連なるもの; 
沙渚:沙洲、渚;  海鳴:海鳴り; 
慼:憂い

<現代語訳>
  ふるさと懐古 -南島の花鳥風月
透き通る玉のような美しい月 心が洗われる思いである、
頬を撫でる穏やかな海風に ハマチドリの鳴き声が乗って来る。
此処彼処にハイビスカスの燃えるような花が真っ赤に咲き乱れており、
谷川の流れに沿ってはカワセミがすいすいと飛び去って行く。
時は流れ、世が代わって、あらゆるものが変わってしまった、
渚の沙洲にハマチドリの姿は見えず、海鳴の音だけが耳に届く。
月だけは独り往時のままに光り輝いている、
頭を挙げて遥かを望めば、憂いの気が沸き起こって来る。
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ここでいう“故郷”とは喜界島のことである。鹿児島と沖縄のほぼ中間、奄美大島の東に位置している。高い山はなく、最も高い台地で214mと比較的平坦な島で、背中を丸めて、ちょこなんと座っていると言った方がぴったりくる。

海岸線周囲約49km、面積約57km2、隆起サンゴ礁でできていて、海岸は特有な景観を示し、奄美群島国立公園の一部をなしている。人口約8,000人、主に海岸の入江部を拠点に形成され、散在する32の集落に住む。小さな島である。

この島も、例にもれず、高度成長期の“開発”の波に洗われた。島の姿・形が変わったばかりではない。動・植物の存否を含めて、その生態が変わった。旧を知る者にとっては悔やみの念を禁じ得ない。

海に囲まれた小さな島故に、海岸の景観が最も印象深く脳に刻まれている。ちょっと当時の様子を点描してみます。入江の先は扇状に広がっていて、陸地側には真っ白な砂浜が広がっている。子供たちの絶好の遊び場である。

遠浅の入江では干潮時に広い白砂の渚が現れる。ここは人以外の生物の生活の場となり、大小さまざまな生物が蠢く。中でも、カニの一種“シオマネキ”が、彼方此方で“オイデ!オイデ!”と大きな手(ハサミ)を振っているさまは出色の景観である。

渚では浜千鳥が飛び交い、また地中に獲物を求めて右に左に歩を進めながら、餌を啄んでいる。のどかな情景である。筆者の住まいの近傍では、近年、このような景観が消えてなくなったのである。

丘の麓の巌間からは清水が湧き出し小川となり、森の間を流れ下っている。サワガニ、エビや小魚が、時に流れに沿ってカワセミが飛んでいるのが目にとまる。近年、湧水が激減、これらの情景も遠い昔の物語となったようである。

“功罪相償う”という。一概に“罪”の面のみを強調はできない。だが最近、地球上約100万種の動植物が絶滅の危機にあり、またこの500年間で680種を超える脊椎動物が絶滅したという報告がなされた。心に止めておく必要がある。

入江の口から太平洋上東方向に目をやると、遙か遠くに、やや弧を描いた“横線”に至る。“天海の際”である。太陽および月は、それぞれ、輪郭がはっきりした濃い橙色および黄金色に染まって、この線上に姿を現す。

天空の太陽、月および星は、昔も今も変わることなく運行して、地球上に恵みを施している。しかし今日、月や星にも“人の手”が届きつつある。せめて天空は、人間の“エゴ”で汚すことなく、永遠の存在であってほしいものである。
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