“酒に対す”シリーズは、ちょっと一休み。令和への代替わりを機に、自作の詩を紹介します。
新元号・“令和”が決まり(4月1日)、やがて、“平成”から“令和”へと皇位は継がれていきます。予め譲位の時期が定められていたため、新年を迎えると、「今年は、いよいよ….」と、この行事がますます身近に感じられるようになりました。
幼鶯の初音(初鳴き2月27日)を聴いても、つい皇位継承の件が頭を過ってきた次第です、「新陛下にあっては、こうあって欲しいな….」と。その思いを一首の漢詩にしてみました(下記、参照)。
“権威”は、良しにつけ悪しにつけ、利用の対象とされ得ることは想像に難くありません。新陛下にあっては、平成に劣らぬ新しい“象徴像”を築いていかれるよう、願いを込めたつもりです。
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己亥歳孟春聴鶯初啼有懷 (下平声 庚韻)
己亥(キガイ)の歳(トシ)孟春(モウシュン) 鶯の初啼(ハツネ)を聴き 懐(オモ)い有り
黃口一声旭日清, 黄口(コウコウ) 一声(イッセイ) 旭日(キョクジツ)清(キヨ)し,
流鶯幽壑後山鳴。 流鶯(リュウイン) 幽壑(ユウガク)後山(コウザン)に鳴く。
平成寧日五六年, 平成の寧日(ネイジツ) 五六(ゴロク)年,
来陛会極新象徵。 来(キタル)陛(ヘイカ) 会(マサ)に新象徴を極めん。
註] 黄口:嘴の黄色いひなどり、鶯の幼鳥
寧日:、(戦争のない) 安らかな日々
五六年:三十年
来陛:次に即位される天皇陛下
<現代語訳>
己亥(2019)の年 初春 鶯の初音を聴き 懐うことあり
初春の朝日が輝く清々しい朝、雛鶯の一声“キョッ”を聴き、
裏山の谷間で歌う、時経た成鶯の“鶯の谷渡り”の美声を想う。
平和な平成の世も30年、多大な感銘を残してやがて幕を下ろす、
後継の陛下は、時経て新しい象徴像を築いていかれるよう願う。
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筆者の住まいのあたりでは、鶯の初音が聴かれるのは、大体新暦2月の中頃である。今年、筆者が聞いたのは2月27日、東の山の端に朝日が眩しい顔を覗かせた頃であった。真に“キョッ”の一声である。
幼鳥は時を経て、成長を重ね、「ホー ホケッキョッ」から、さらに初夏のころには「ケキョケキョ、コロコロ、キョッキョッ、ケキョケキョ、……..」と、息の続く限りに“谷渡り”の美声を聴かせてくれるようになります。
令和の世を継がれる陛下も、既に皇太子の間に多くの経験を積まれたとは言え、“天皇”としてはピカピカの一年生。無比の“権威”を付与されたそのお立場で、時を経、経験を積まれて初めて、“令和天皇の象徴像”が国民の胸に描かれることになります。
筆者は、昭和-平成-令和と、3代通して馬齢を重ねる身となります。この間、胸の底に沈殿して、消すことのできない記憶は、昭和代の“B-29の爆音”に繋がる体験の数々である。
平成代は、大きな災害に見舞われるという不幸な面を忘れることはできないが、幸いに比較的平穏な時代であった。一方、暗黙の裡に憲法第一条:「天皇は、日本国の象徴…、国民統合の象徴……」の意義が問われていた時代ではなかったでしょうか。
“象徴天皇”とは如何?筆者の思考能力を超える問題ではある。個人的な感想であるが、今上陛下の平成30余年の歩みには深い感銘を受け、そのお姿に一つの“象徴像”を見出したように思われます。
“天皇”には自ずと無比の“権威”が備わります。周囲では、ややもするとその“権威”を利用しようとする動きが無きにしもあらずであったでしょう。平成陛下は、そのさらに外側に位置をとられていたように思われ、筆者が深い感銘を受ける源であった。
やがて“令和陛下”が誕生します。何十年か経て、次代の国民に新たな感銘を与え、且つ新しい“象徴像”を描かせてくれることでしょう。令和の、新しい時代の到来を寿ぐ気持ちや大なりである。
新元号・“令和”が決まり(4月1日)、やがて、“平成”から“令和”へと皇位は継がれていきます。予め譲位の時期が定められていたため、新年を迎えると、「今年は、いよいよ….」と、この行事がますます身近に感じられるようになりました。
幼鶯の初音(初鳴き2月27日)を聴いても、つい皇位継承の件が頭を過ってきた次第です、「新陛下にあっては、こうあって欲しいな….」と。その思いを一首の漢詩にしてみました(下記、参照)。
“権威”は、良しにつけ悪しにつけ、利用の対象とされ得ることは想像に難くありません。新陛下にあっては、平成に劣らぬ新しい“象徴像”を築いていかれるよう、願いを込めたつもりです。
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己亥歳孟春聴鶯初啼有懷 (下平声 庚韻)
己亥(キガイ)の歳(トシ)孟春(モウシュン) 鶯の初啼(ハツネ)を聴き 懐(オモ)い有り
黃口一声旭日清, 黄口(コウコウ) 一声(イッセイ) 旭日(キョクジツ)清(キヨ)し,
流鶯幽壑後山鳴。 流鶯(リュウイン) 幽壑(ユウガク)後山(コウザン)に鳴く。
平成寧日五六年, 平成の寧日(ネイジツ) 五六(ゴロク)年,
来陛会極新象徵。 来(キタル)陛(ヘイカ) 会(マサ)に新象徴を極めん。
註] 黄口:嘴の黄色いひなどり、鶯の幼鳥
寧日:、(戦争のない) 安らかな日々
五六年:三十年
来陛:次に即位される天皇陛下
<現代語訳>
己亥(2019)の年 初春 鶯の初音を聴き 懐うことあり
初春の朝日が輝く清々しい朝、雛鶯の一声“キョッ”を聴き、
裏山の谷間で歌う、時経た成鶯の“鶯の谷渡り”の美声を想う。
平和な平成の世も30年、多大な感銘を残してやがて幕を下ろす、
後継の陛下は、時経て新しい象徴像を築いていかれるよう願う。
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筆者の住まいのあたりでは、鶯の初音が聴かれるのは、大体新暦2月の中頃である。今年、筆者が聞いたのは2月27日、東の山の端に朝日が眩しい顔を覗かせた頃であった。真に“キョッ”の一声である。
幼鳥は時を経て、成長を重ね、「ホー ホケッキョッ」から、さらに初夏のころには「ケキョケキョ、コロコロ、キョッキョッ、ケキョケキョ、……..」と、息の続く限りに“谷渡り”の美声を聴かせてくれるようになります。
令和の世を継がれる陛下も、既に皇太子の間に多くの経験を積まれたとは言え、“天皇”としてはピカピカの一年生。無比の“権威”を付与されたそのお立場で、時を経、経験を積まれて初めて、“令和天皇の象徴像”が国民の胸に描かれることになります。
筆者は、昭和-平成-令和と、3代通して馬齢を重ねる身となります。この間、胸の底に沈殿して、消すことのできない記憶は、昭和代の“B-29の爆音”に繋がる体験の数々である。
平成代は、大きな災害に見舞われるという不幸な面を忘れることはできないが、幸いに比較的平穏な時代であった。一方、暗黙の裡に憲法第一条:「天皇は、日本国の象徴…、国民統合の象徴……」の意義が問われていた時代ではなかったでしょうか。
“象徴天皇”とは如何?筆者の思考能力を超える問題ではある。個人的な感想であるが、今上陛下の平成30余年の歩みには深い感銘を受け、そのお姿に一つの“象徴像”を見出したように思われます。
“天皇”には自ずと無比の“権威”が備わります。周囲では、ややもするとその“権威”を利用しようとする動きが無きにしもあらずであったでしょう。平成陛下は、そのさらに外側に位置をとられていたように思われ、筆者が深い感銘を受ける源であった。
やがて“令和陛下”が誕生します。何十年か経て、次代の国民に新たな感銘を与え、且つ新しい“象徴像”を描かせてくれることでしょう。令和の、新しい時代の到来を寿ぐ気持ちや大なりである。