物語は、いよいよ後半の部に入り、ここで<第四段 一>と段構えを執る書もある。絶句で言えば“結句(第四句)”の書き起こし部に当たるか。募る玄宗の想いを酌んで、夢にさえ姿を見せない楊貴妃の魂魄を探し求めて、神仙の方士が異世界で力を尽くします。
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<白居易の詩>
長恨歌 (12)
75臨邛方士鴻都客、 臨邛(リンキョウ)の方士 (ホウシ) 鴻都(コウト)の客(カク)、
76能以精誠致魂魄。 能(ヨ)く精誠(セイセイ)を以て魂魄を致(イタ)す。
77爲感君王展轉思、 君王の展轉(テンテン)の思ひに感ずるが為に、
78遂敎方士慇勤覓。 遂に方士をして慇勤(インギン)に覓(モト)めしむ。
79排空馭氣奔如電、 空(クウ)を排(ハイ)し気を馭(ギョ)して 奔(ハシ)ること電(イナズマ)の如く、
80昇天入地求之遍。 天に昇り地に入りて 之(コレ)を求むること遍(アマネ)し。
81上窮碧落下黄泉、 上は碧落(ヘキラク)を窮(キワ)め 下は黄泉(コウセン)、
82両處茫茫皆不見。 両処茫茫(ボウボウ)として 皆見えず。
註] 〇臨邛:蜀の地名、四川省邛崍(キョウライ)市; 〇鴻都:後漢の都洛陽の宮門の名、
“鴻都客”は、ここでは大都長安に旅寓していた人の意か?; 〇精誠:まごころ、
ここでは道家特有の精神集中法を言う; 〇致:招来する; 〇展轉:寝返りを打つ、
異性を慕って寝付かれぬ思いをいう; 〇慇勤:“慇懃”に同じ、丁重に; 〇排空
馭氣:大気を押し開いてそれに乗る、“馭”は“御”と同じく馬を操る事; 〇碧落:大空、
空の最上層、道教の語; 〇茫茫:広々として果てしがない。
<現代語訳>
75宮廷へ招かれた客・臨邛の道士は、
76精神を統一して 使者の魂を呼び寄せることができる。
77貴妃を失い眠れぬ夜の続く帝のため、
78かの道士を召して 貴妃の魂を丁寧に捜させることにした。
79道士は空を切り裂き 大気を御し 稲妻の如く駆け巡り、
80天空に昇り 地下に潜り、隈なく捜し求めた。
81上は蒼空の彼方、下は黄泉の国まで窮めたが、
82どちらもあてどなく拡がるばかりで、貴妃の姿は見えない。
[川合康三 編訳 中国名詩選 岩波文庫 に拠る]
<簡体字およびピンイン>
75临邛方士鸿都客、 Lín qióng fāngshì hóng dū kè, [入声十一陌韻]
76能以精诚致魂魄。 néng yǐ jīngchéng zhì húnpò.
77为感君王展转思、 Wèi gǎn jūnwáng zhǎnzhuǎn sī,
78遂敎方士殷勤觅。 suì jiào fāngshì yīnqín mì. [入声十二錫韻]
79排空驭气奔如电、 Pái kōng yù qì bēn rú diàn, [去声十七霰韻]
80升天入地求之遍。 shēngtiān rù dì qiú zhī biàn.
81上穷碧落下黄泉、 Shàng qióng bì luò xià huángquán,
82両处茫茫皆不见。 liǎng chù máng máng jiē bù jiàn.
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貴妃の魂魄を求めて、雲の彼方の碧落から黄泉の世界まで隈なく駆け巡ってみたが、勝れた方士を以てしても、捗々しい成果を得ることは叶わなかったようである。この先、どのような展開となるのか、白楽天の筆に期待することにします。
長恨歌のこの部分に触発されて、この方士に先駆けて(?)、自分の幻が、海を隔てた遥かの恋人のところまで波路をわけて通った とする句題和歌を詠んだ人がいます。鴨長明(1155?~1216)でした。今回は、鴨長明およびその歌について触れます。
鴨長明の父は、若くして下鴨神社の神官・正祢宜惣官(ショウネギソウカン)を務めた鴨長継、しかし長明の20歳前後に早逝する。のちに、長明は、50歳前後の頃、河合社(下鴨神社の付属社)の祢宜(ネギ)に と後鳥羽院の推挙があっても叶わず、失意のうちに出家します。
一時、大原に隠棲、間もなく伏見・日野法界寺の近くに方丈(約3m四方)の庵を構えて、住し、そこで執筆されたのが『方丈記』(1212成立)である。長明の代表作とされ、後の兼好の『徒然草』(1331頃成立)と並ぶ、隠者文学の双璧と評されている。
歌人としての長明は、後鳥羽院歌壇で多くの歌合(ウタアワセ)に参加するなど活躍、藤原定家や家隆など有力な専門歌人とも交わり深く、後鳥羽院によって再興された和歌所の寄人(ヨリウド、職員)にも任命されている。30歳代に勅撰集『千載和歌集』(1187成立)に一首入集し、初めて勅撰歌人となり、後『新古今和歌集』に10首入集されている と。
もう一つの著書に1211~没年の間に成立したと考えられる歌論書『無名抄(ムミョウショウ)』がある。作歌の技術論、先人の逸話や同時代歌人についての論評など多岐にわたる随筆風の内容で、約80項に分けて論じている。
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その一項、“第12項”に「千載集に予一首入るを喜ぶこと」があり、勅撰集に入集したことを非常に喜んでおります。勅撰集への入集に対する歌人の想いがいかに強いかが窺い知られて、参考になります。その喜びようを部分的に引用します:
<千載和歌集には私の歌が一首入りました。「これといった重代(代々歌詠み)の歌人でもない。巧みな歌人でもない。また差し当たって人に認められた数奇者でもない。それなのに一首でも入ったのはたいそう名誉なことだ」>。(久保田淳 訳注 『無名抄』;角川文庫)
続けて、長明の琴の師・中原有安(アリヤス、楽人、歌人)による論評が語られている:<……いい加減に言われるのかと思ううち……、本当にそう思って仰るのであろう。ならばこの歌の道できっと冥加がおありになるに違いない人だ。……道を尊ぶには、まず第一に心を美しく使うことにあるのである。……>。
“奢ることなく、自らを非力と謙遜しつゝ、勅撰集入集を素直に喜んでいること”を評価しているということでしょうか。評価する道理が延々と語られていますが、素人の解説文では誤解を招く恐れがあり、ここで留め置きます。関心お有りの読者は、該書をご参照頂きたく想います。以下、千載集に入集した長明の和歌を今回の句題和歌として取り上げます。
[句題和歌]
隔海路恋といへる心をよめる
思ひあまり うち寝る宵の まぼろしも
浪路を分けて 行きかよひけり 鴨長明(千載集 恋五・936)
(大意)恋に思い悩みつゝ 寝(ヤス)んでいる自分の幻も 海を隔てた恋人のもとへ
波路を分けて通って行ったよ 長恨歌の方士の如くに。