蘇軾の詩に次韻して詩を作ることに挑戦しています。今回は蘇軾のユーモラスな詩《吉祥寺賞牡丹》への次韻を試みました。子供の七五三の宮参りの情景を主題にしました。ユーモラスさには程遠いが、子のお祝いに乗じて、一献頂くという、チョッピリ チグハグな父親を描いたつもりです。
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次韻 蘇軾「吉祥寺賞牡丹」 祝孩子七五三儀 [下平声十一尤韻]
孩子紅粧聊若羞, 孩子(コドモ) 紅粧して聊(イササか)羞(ハジ)らうが若(ゴト)し,
蕭蕭松韻池苑頭。 蕭蕭(ショウショウ)として松韻(ショウイン) 池苑(チエン)の頭(ホトリ)。
開新樽祷前途幸, 新樽を開き祷(イノ)る 前途(ゼント) 幸なるを,
千歲飴糖懸玉鉤。 千歲飴糖(チトセアメ)は玉の鉤(カギ)に懸(カケ)て。
註] 〇七五三:男子は3歳と5歳、女子は3歳と7歳にあたる年の11月15日に
行われる、子供の成長を祝う行事。晴れ着を着て神社・お寺に参詣する;
〇蕭蕭:樹木が風にそよぐ形容; 〇池苑:池や花木のある庭園;
〇千歲飴糖:千歲飴(チトセアメ)、鶴亀などの絵のついた長い紙袋に入れてある、
紅白に染めた棒状の飴。七五三や新生児の宮参りのときに縁起物として頂く;
〇鉤:簾などを掛けるフック。
<現代語訳>
蘇軾「吉祥寺に牡丹を賞す」に次韻する
子供の七五三祝い
子供は化粧し、晴れ着を着て、いささかはにかみ気味に、
お参りの後、そよ吹く松風を聞きつつ、池のほとりを親と手を繋いでゆく。
家に帰ると、子供の成長、前途の平安・幸福を願って祝い酒を頂く、
子供が貰ってきた千歳飴は床柱の玉の鉤に掛けて。
<簡体字およびピンイン>
次韵 苏轼「吉祥寺赏牡丹」祝孩子七五三仪
孩子紅妆聊若羞, Háizi hóng zhuāng liáo ruò xiū,
萧萧松韵池苑头。 Xiāo xiāo sōng yùn chí yuàn tóu.
开新樽祷前途幸, Kāi xīn zūn dǎo qián tú xìng,
千岁饴糖悬玉钩。 qiān suì yí táng xuán yù gōu.
oooooooooooooo
<蘇軾の詩>
吉祥寺賞牡丹 吉祥寺に牡丹を賞す [下平声十一尤韻]
人老簪花不自羞、 人は老いて花を簪(シン)し自(ミズカ)らは羞(ハ)じず、
花応羞上老人頭。 花は応(マサ)に羞ずべし 老人の頭(カシラ)に上(ノボ)るを。
酔帰扶路人応笑, 酔帰(スイキ) 路に扶(タス)けられて人応(マサ)に笑うべし,
十里珠簾半上鈎。 十里の珠簾(シュレン) 半(ナカバ)は鈎(コウ)に上(ノボ)す。
註] 〇吉祥寺:杭州にある寺の名。ボタンの名所。乾徳三年(965)、睦州刺史の
薛温(セツオン)が土地を喜捨してできた寺である; 〇扶路:道で人に扶助される;
〇珠簾:美しいすだれ; 〇上鈎:すだれを巻きあげて鈎に掛ける。
<現代語訳>
私は年老いても花をかんざしにして自分では恥ずかしくないが、
花のほうでは老人の頭につけられてきっと恥ずかしかろう。
酔って帰るとき 道で人に支えられ 狂態をさらし 見る人は笑っているであろう、
十里の道の家々の美しい簾が半分ほどは巻きあげられていたのだから。
[石川忠久 NHK「漢詩を読む 蘇東坡」に拠る]
<簡体字およびピンイン>
吉祥寺賞牡丹 Jíxiáng sì shǎng mǔdān
人老簪花不自羞、 Rén lǎo zān huā bu zì xiū,
花应羞上老人头。 huā yīng xiū shàng lǎo rén tóu.
醉归扶路人应笑, Zuì guī fú lù rén yīng xiào,
十里珠帘半上钩。 Shí lǐ zhū lián bàn shàng gōu.
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《吉祥寺賞牡丹》は、蘇軾37歳(1072)、杭州・通判(地方行政の監督官)の任にあった時、太守・沈立(シンリツ)とともに吉祥寺に牡丹の花見に出かけた折の作品です。花見酒に酔った上機嫌の蘇軾は、頭上に牡丹の花を簪でとめて千鳥足で家路につきます。
蘇軾は前年の冬に赴任したばかりで、新任の通判を一目見たいと人々は関心が高かったのでしょう。道路沿いの多くの家々では簾を巻上げていたようである。本人は、年甲斐もなく牡丹の花を頭上に飾って上機嫌であるが、頭上の花はさぞかし恥じらいを覚えているであろう、と花を擬人化して、ユーモラスに詠っています。
宋代には牡丹の人気が非常に高まり、吉祥寺の広大な敷地にはとりわけ多く牡丹が植えられていて、名士たちの憩いの場であったようです。中国には、いわゆる“国花”と指定された花はないが、数ある花の中で牡丹が最も人気があるようだ。
“芍薬は妖艶ではあるが格が落ちる、蓮の花は清浄だが薄情だ、牡丹が真の国歌だよ、花が開く時節には、町を挙げて人々が花を求めて動きだす (唐・劉禹錫《賞牡丹》)”と詠われるほどに、牡丹は人々に愛でられている。この詩でも花は擬人化されている。
牡丹と言えば、河南省洛陽の“牡丹園”は今日なお中国第一の観光スポットでしょう。その繁栄は次のような伝説をもって語られている。唐代、権力の絶頂期にあった則天武后(在位690~705)は、雪見の宴で盃を片手に「花の精よ 直ちに目覚めて開花せよ」と命じた。
殆どの花が命に従い開花したが、牡丹だけは応じなかった、誇り高かったのである。激怒した武后は、牡丹を長安から追放した。以後、牡丹は、流された洛陽で豪華に花を咲かせて、今日に至っている と。2018/04/23、筆者は洛陽を尋ね、牡丹園の広大さ、種類の多さは実感できたが、時期早くほとんど蕾の状態で、残念な思いをしたことを思い出す。
日本で子供の成長を祝う七五三の祝い、男子は3歳と5歳、女子は3歳と7歳にあたる年の11月15日前後に行われます。その根底には、医療技術の発達していなかった時代、幼な子の死亡率が高く、7歳までは“神の子”と呼ばれていた由。
言葉を理解し始める3歳頃から乳歯の生え変わる7歳頃は、特に病気になり易いと考えられていて、健やかな成長を祈る行事として執り行われるようになった。平安時代から行われていたが、明治時代に、“七五三”と呼ばれて、庶民の間でも行われるようになった と。
なお、お宮またはお寺でお参りした後、子供には鶴亀・松竹梅の絵柄をあしらった袋に包装された紅白二本の棒状の長い“千歳飴”を買って差し上げます。「食べると千年もの長壽になりますよ」との願いが込められているのである。その由来は、江戸・元禄時代商人の商魂の発露によるようである。