平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活躍した西行(サイギョウ、西行法師、1118~1190)の和歌を鑑賞、また漢詩訳を試みつゝ、その生涯を概観し、人間・西行像を描けるべく務めていていきます。
俗名は佐藤義清(ノリキヨ)で、鳥羽院の北面武士であったが、23歳の時に出家して西行(僧名 円位)と号し、僧侶として旅に身を置く。旅行きは、時に、今でいうボランテイアとして、社会活動・勧進をしながら、和歌を詠む歌人としての旅であった。
まず23歳の若さで出家する心を固め、これまで交流のあった人々の前でそれを公表したことを詠った歌を読みます。兼ねて東山のさるお寺にはよく出入りしていたが、偶々、そこで“寄靄述懷 (霞に寄せて懷いを述べる) ”をテーマにした歌会が催されていた。その折、詠んだ歌で、未だ義清の頃の歌である:
そらになる 心は春の かすみにて
世にあらじとも おもひ立つ哉 [山家集723]
向後、先ず、若い頃の西行(義清)、中でも出家に至る状況あるいはその動機・理由等々、さらには出家後の活動について、遺された歌を鑑賞しながら漢詩化を進め、西行像を構築すべく務めていきます。
和歌と漢詩
ooooooooooooo
<和歌>
世にあらじと思い立ちけるころ、東山にて人々、寄靄述懷と云(イフ)事をよめる
そらになる 心は春の かすみにて
世にあらじとも おもひ立つ哉 [山家集723]
[註] 〇世にあらじ:出家する、隠遁する; 〇おもひ立つ:出家を思い
立つ、“たつ”は“霞”の縁語。
(大意) (現世の諸々のしがらみを捨て)、心は春霞のような“空”の状態にあって、
出家を思い立ったことだ。
xxxxxxxxxxxxxxx
<漢詩>
想起桑門心 桑門の心 想起(オモイタ)つ 下平声十二侵
曾経拜訪東山寺,曾経(カツテ) 東山の寺を拜訪(タズネ)たことあり,
寄靄述懷説素襟。今日「寄靄述懷」の歌会で、素襟(ココロノウチ)を説す。
心不在焉似春靄,心不在焉(ココロココニアラズ) 春の靄(カスミ)に似て,
想起自白桑門心。桑門の心を想起(オモイタ)ち、自白(ジハク)す。
[註] 〇桑門:出家すること; 〇寄靄述懷:「靄に寄せて懷(オモイ)を述べる」と題 する歌会; 〇素襟:本心、ありのままの心; 〇心不在焉:成語、心ここにあらず; 〇自白:はっきりと自分の考えを表明する; 〇桑門:出家して修行する人。
<現代語訳>
出家を思い立つ
曽て東山のお寺には何度か訪ねたことがある、
この度、「寄靄述懷」と銘打つ歌会に遭遇、思いを述べる。
心ここになく、さながら春霞の如き’空’の状態にあって、
出家することを思い立ち決心したことを、表明した。
<簡体字およびピンイン>
想起桑門心 Xiǎngqǐ sāngmén xīn
曾経拜訪東山寺, Céng jīng bàifǎng dōngshān sì,
寄霭述怀说素襟。 jì ǎi shùhuái shuō sù jīn.
心不在焉似春霭, Xīn bù zài yān sì chūn ǎi,
想起自白桑门心。 xiǎngqǐ zìbái sāngmén xīn.
ooooooooooooo
歌の上3句と下2句の繋がりは難解である。詞書を加味するなら、「出家すると思い立って、心中諸々の憂いが消え、心が春霞のごとく“空”になっています」ともとれる。
同時代の公家・藤原頼長の日記『台記(タイキ)』中、義清(西行)の出家2年後の記事[永治(1142)2年3月15日]に、次の記載がある。出家前後の動静について参考となる多くの情報が含まれているようであり、此処に引用しておきます:
≪西行法師来りて曰く、一品経(イッポンギョウ)を行ふにより、両院以下、貴所皆下し給ふなり。料紙の美悪を嫌わず、ただ自筆を用いるべしと。余(ヨ)不軽(フギョウ)を承諾す。また余 年を問ふ。答えて曰く、廿五なりと。去々年(オトトシ)出家せり。廿三。そもそも西行は、もと兵衛尉義清なり。左衛門大夫康清の子。重代の勇士なるをもって法皇に仕えたり。俗時より心を仏道に入れ、家富み年若く、心愁ひ無きも、遂に以て遁世せり。人これを歎美せるなり≫ (「壷齋散人ブログ」から)。
西行が出家したのは23歳の時であることが判ります。また引用部最後の文から、西行は、強いて出家を考えるような世を儚む生活環境にあったわけではなさそうである。兼ねてより仏道に関心を示していて、“寄靄述懷”の集まりにおいて、出家の意思を公表した次第のようである。ただ出家を決心させた動機については、興味のある点として残りますが、追って触れることにします。
最後の部、“家富み……”について付け加えるなら、佐藤氏は代々、紀の川中流の右岸にあった摂関家の所領で田仲荘と呼ばれる肥沃な農地の在地領主としてその経営を任されていた。すなわち、中央にいる荘園領主に代わって、年貢・荘地・荘民の管理を行っており、経済的には富裕であったのである。
なお上記『台記』中の個々の話題点については、追々関連する話題に触れる際に参照・解説していきます。
【井中蛙の雑録】
〇 先ず、出家した時点から開始しました。“歌の巨人”と評される西行の出家前―“青少年時、育つ頃” ―の状況に特に興味があり、暫く、出家前/前後の歌を中心に読んでいきます。
〇これまでに『百人一首』(文芸社、2022)(全100首)、源実朝著『金槐和歌集』(投稿検討中)(110首)および紫式部著『源氏物語』(70首)について漢詩化を試みています。いずれも、本ブログ投稿済み。