ドラマに帰って。第四皇子は、若曦に、墨書した王維の詩の一部を送って、それとなく“帝位”を望んでいることをほのめかしました。
改めて、その旨を若曦に直接伝えます。第四皇子は、「質問が質問だけに答えるのに戸惑ったが、君を失いたくない」と 意を決して答えた胸の内を明かします。さらに「皇太子の件が落付いたら、結婚を陛下に申し出よう」と話します。
紫禁城では中秋節の宴が開かれています。若曦は宴会を抜け出すと、廊下の陰で、やはり宴を抜け出した第十三皇子を発見します。“一緒に飲むのも8年ぶりだ、存分に飲みましょう”と、互いにトックリを傾けあいます。
第十三皇子は、若曦に「いつか笛と剣を携えて、馬に跨り、自由に世界を駆けたい。…酒を飲み、時に佳人と詩を吟じるのもいい。」「だが、一番大切な四兄をこの冷たい宮中にひとりで戦わせるわけにはいかない。」
「四兄に誠意をもって接してほしい、君だけが兄上の志と苦しみを理解できる。君は、四兄のもの」と、真剣な表情で若曦に諭すように訴える。皇子たちの争いに、ただならぬ不穏な動きのあることを感じている風である。
皇帝の執務室はただならぬ空気に包まれています。“皇太子は廃位される、と世に触れ回り、扇動して皇太子を陥れる策を巡らしている、首謀は第四皇子のようだ”と、陛下から第四皇子が叱責されているのである。
第四皇子は、「私の存ぜぬこと」と否定するが、叱責はさらに強くなる。そこで第十三皇子が進み出て、「私が触れ回りました。謹んで罰は受けます」と。陛下は「まことに第十三皇子の仕業か?」と問うが、まわりから覆す意見はなく、第十三皇子は軟禁される結果となります。
幾日か経って、皇帝の執務室で皇子たちが居並ぶ中、皇太子が神妙な態度で跪いている。陛下は、「復位してからも態度を改めず、とても先祖の大業を継げる者ではない。軟禁を命ずる、連れていけ!」と。とうとう皇太子は完全に廃位されることになったのである。
これ等の騒動の背後には、客観的状況から推察して、第八皇子と彼の仲間たちの策動があったように思われる。
第四皇子は、若曦の部屋を訪ねて、「君との結婚はできない。私が悪いのだ、好きなだけ私を恨んでくれ。陛下なら、きっと君に好い相手を探すだろう。‘十三弟の件’感謝する」と、想いを押し殺したように言い残して、部屋を出て行った。
‘十三弟の件’とは、第十三皇子の想い人・緑蕪が、軟禁中の第十三皇子の身の周りの世話をできるよう、若曦が、雨の中庭に座りこんで、命がけで陛下に嘆願しました。結果、緑蕪の願いが実現された、そのことを言っています。
以後、第四皇子は、政治の舞台から身を引き自重している。隠居人のように道士を招いて講釈を聞いたりする。またいくらかの土地を入手して、農耕作を始めている模様である。
秋のある日、陛下は臣下らを従えて、「そちの田畑が見たくて…..」と、第四皇子が耕作している農園「南山別苑」に尋ねてくる。第四皇子は「向こうに陛下の好きな菊が植えてあります。何株かは私が育てました。」と、陛下を案内する。
見事に大輪の花が開いた菊園を散策しつつ、陛下は、「“朝に木蘭の露を飲み、夕に秋菊の落英を食う”か、実に雅だ!」と満悦気味です。休憩室で、第四皇子夫人が「鑑賞された菊の茶菓子です」と紹介すると、陛下は、「将にこれぞ“秋菊の落英を食う”だな、朕も風流にあやかる」と菊の茶菓子を頬張る。
陛下が引用された“朝に…..、夕に…..」は、屈原の「離騒」と題する‘辞’の中の句です。「離騒」は、中国の戦国時代末期、楚の国の書『楚辞』に収録された一首で、371句からなる長編の辞です。引用された句を含む数句は末尾に示しました。
中国の古い‘詩(歌謡)集’に『詩経』がありますが、その中の‘詩(歌謡)’はすべて‘詠み人知らず’です。『楚辞』は、屈原が、自らの作品ばかりでなく、弟子や崇拝者の作品をも集めたもので、辞の作者が明記された、中国で最初の‘詩(辞)集’と言えます。
屈原(BC343?~BC278?)は、王族出身で、生まれ・育ちともによく、自信に満ちた政治家・詩人でした。当初は君主の信任も厚かったようですが、周囲との折り合いが悪く、追放される羽目となります。終には、5月5日、汨羅の淵で入水自殺します。わが国の‘端午の節句’と関係のある故事です。
「離騒」が書かれた当時、楚は、戦国7雄の一強国で、外交方針を巡って臣下は二分していた。一方は、西の秦と同盟を結んで安泰を得ようとする‘親秦派’、対方は、東の斉と同盟して秦に対抗しようとする‘親斉派’。
屈原は、‘親斉派’の筆頭で、“秦は信用が置けない国だ”と必死で君主に説いていたようです。結局、君主は‘親秦派’の意見に従い、屈原は追放されることになります。「離騒」はその間の君主に受け入れられない心の葛藤を辞の形に綴ったもののようです。
<わが君は、どうして徳を備えた賢臣を愛さず、悪臣どもを近づけるのか>、誠意をもって諫言しても、<私の心中をお察しにならず、悪人どもの讒言を信じて激怒される>。
<月日の流れるのは早い、わが君がそのまま晩年を迎えられるのを恐れるのである>と、君主を思う強い忠誠心を示します。また、<わが身も老いが迫って来る中、汚名を着たまま朽ち果てるのを恐れる>と“尽きぬ憂い”(「離騒」)を述べます。
「離騒」の筋はその後、ドラマで陛下が引用した“朝に……、夕に……”と続きます。その心は、<たとえ貧するとも、正しいと思う道を行く限り、心を痛めることはない>と自らを鼓舞しています。
さて、これら引用句とドラマ展開との関連を考えます。第一感、君主から放逐された屈原と、陛下から遠ざけられた第四皇子の境遇が重なることに気づきます。また周囲の策謀あるいは讒言で遠ざけられた点も共通しています。
さらに陛下は、“屈原は君主に受け入れられず、放逐された”という「離騒」の内容を充分に理解した上で引用している筈です。その点を考慮して、深読みするなら、陛下は、“第四皇子よ、君の前途も屈原同様だよ!”と暗にほのめかしているように思える。
菊園を散策した陛下が「実に雅だ!」、「朕も風流にあやかる」とご満悦の様子であったことを考えるなら、腑に落ちない、裏腹な‘読み’ではある。ドラマの先行き、“帝位”を望む第四皇子の前途が順風でないことを予感させる場面のように思われてならない。(第19・20・21話から)
xxxxxxxx
離騒
<原文および読み下し文>
……..前略……
朝飲木蘭之墜露兮,
・・朝(アシタ)に飲む 木蘭の墜(オ)ちたる露,
夕餐秋菊之落英。
・・夕(ユウベ)に餐(サン)す 秋菊の落英(ラクエイ)。
苟余情其信姱以練要兮,
・・苟(イヤシク)も余情(ヨノジョウ) 其(ソ)れ信(マコト)に姱(カ)にして以って練要(レンヨウ)なれば,
長顑頷亦何傷。
・・長(トコ)しえに顑頷(カンハン)するとも亦(マタ)何をか傷(イタ)まん。
……..後略…….
・・註] 離騒:悩みに取りつかれていること、‘終わりなき憂鬱’という意味
・・・・兮:語調を整える助字、『楚辞』に多くみられる
・・・・落英:散り落ちた花びら
・・・・余情:自分の心
・・・・姱:美しい
・・・・練要:練り正されている、塾慮して正しいと判断する
・・・・顑頷:飢えやつれる
<現代語訳>
朝にはモクレンの木から落ちた露を飲み、
夕には秋菊の落ちた花びらを食する。
苟も私の心がまことに美しくまた熟慮の上正しいと判断したのであり、
長しえに飢え苦しむことが続こうとも何で心を痛めることがあろうか。
改めて、その旨を若曦に直接伝えます。第四皇子は、「質問が質問だけに答えるのに戸惑ったが、君を失いたくない」と 意を決して答えた胸の内を明かします。さらに「皇太子の件が落付いたら、結婚を陛下に申し出よう」と話します。
紫禁城では中秋節の宴が開かれています。若曦は宴会を抜け出すと、廊下の陰で、やはり宴を抜け出した第十三皇子を発見します。“一緒に飲むのも8年ぶりだ、存分に飲みましょう”と、互いにトックリを傾けあいます。
第十三皇子は、若曦に「いつか笛と剣を携えて、馬に跨り、自由に世界を駆けたい。…酒を飲み、時に佳人と詩を吟じるのもいい。」「だが、一番大切な四兄をこの冷たい宮中にひとりで戦わせるわけにはいかない。」
「四兄に誠意をもって接してほしい、君だけが兄上の志と苦しみを理解できる。君は、四兄のもの」と、真剣な表情で若曦に諭すように訴える。皇子たちの争いに、ただならぬ不穏な動きのあることを感じている風である。
皇帝の執務室はただならぬ空気に包まれています。“皇太子は廃位される、と世に触れ回り、扇動して皇太子を陥れる策を巡らしている、首謀は第四皇子のようだ”と、陛下から第四皇子が叱責されているのである。
第四皇子は、「私の存ぜぬこと」と否定するが、叱責はさらに強くなる。そこで第十三皇子が進み出て、「私が触れ回りました。謹んで罰は受けます」と。陛下は「まことに第十三皇子の仕業か?」と問うが、まわりから覆す意見はなく、第十三皇子は軟禁される結果となります。
幾日か経って、皇帝の執務室で皇子たちが居並ぶ中、皇太子が神妙な態度で跪いている。陛下は、「復位してからも態度を改めず、とても先祖の大業を継げる者ではない。軟禁を命ずる、連れていけ!」と。とうとう皇太子は完全に廃位されることになったのである。
これ等の騒動の背後には、客観的状況から推察して、第八皇子と彼の仲間たちの策動があったように思われる。
第四皇子は、若曦の部屋を訪ねて、「君との結婚はできない。私が悪いのだ、好きなだけ私を恨んでくれ。陛下なら、きっと君に好い相手を探すだろう。‘十三弟の件’感謝する」と、想いを押し殺したように言い残して、部屋を出て行った。
‘十三弟の件’とは、第十三皇子の想い人・緑蕪が、軟禁中の第十三皇子の身の周りの世話をできるよう、若曦が、雨の中庭に座りこんで、命がけで陛下に嘆願しました。結果、緑蕪の願いが実現された、そのことを言っています。
以後、第四皇子は、政治の舞台から身を引き自重している。隠居人のように道士を招いて講釈を聞いたりする。またいくらかの土地を入手して、農耕作を始めている模様である。
秋のある日、陛下は臣下らを従えて、「そちの田畑が見たくて…..」と、第四皇子が耕作している農園「南山別苑」に尋ねてくる。第四皇子は「向こうに陛下の好きな菊が植えてあります。何株かは私が育てました。」と、陛下を案内する。
見事に大輪の花が開いた菊園を散策しつつ、陛下は、「“朝に木蘭の露を飲み、夕に秋菊の落英を食う”か、実に雅だ!」と満悦気味です。休憩室で、第四皇子夫人が「鑑賞された菊の茶菓子です」と紹介すると、陛下は、「将にこれぞ“秋菊の落英を食う”だな、朕も風流にあやかる」と菊の茶菓子を頬張る。
陛下が引用された“朝に…..、夕に…..」は、屈原の「離騒」と題する‘辞’の中の句です。「離騒」は、中国の戦国時代末期、楚の国の書『楚辞』に収録された一首で、371句からなる長編の辞です。引用された句を含む数句は末尾に示しました。
中国の古い‘詩(歌謡)集’に『詩経』がありますが、その中の‘詩(歌謡)’はすべて‘詠み人知らず’です。『楚辞』は、屈原が、自らの作品ばかりでなく、弟子や崇拝者の作品をも集めたもので、辞の作者が明記された、中国で最初の‘詩(辞)集’と言えます。
屈原(BC343?~BC278?)は、王族出身で、生まれ・育ちともによく、自信に満ちた政治家・詩人でした。当初は君主の信任も厚かったようですが、周囲との折り合いが悪く、追放される羽目となります。終には、5月5日、汨羅の淵で入水自殺します。わが国の‘端午の節句’と関係のある故事です。
「離騒」が書かれた当時、楚は、戦国7雄の一強国で、外交方針を巡って臣下は二分していた。一方は、西の秦と同盟を結んで安泰を得ようとする‘親秦派’、対方は、東の斉と同盟して秦に対抗しようとする‘親斉派’。
屈原は、‘親斉派’の筆頭で、“秦は信用が置けない国だ”と必死で君主に説いていたようです。結局、君主は‘親秦派’の意見に従い、屈原は追放されることになります。「離騒」はその間の君主に受け入れられない心の葛藤を辞の形に綴ったもののようです。
<わが君は、どうして徳を備えた賢臣を愛さず、悪臣どもを近づけるのか>、誠意をもって諫言しても、<私の心中をお察しにならず、悪人どもの讒言を信じて激怒される>。
<月日の流れるのは早い、わが君がそのまま晩年を迎えられるのを恐れるのである>と、君主を思う強い忠誠心を示します。また、<わが身も老いが迫って来る中、汚名を着たまま朽ち果てるのを恐れる>と“尽きぬ憂い”(「離騒」)を述べます。
「離騒」の筋はその後、ドラマで陛下が引用した“朝に……、夕に……”と続きます。その心は、<たとえ貧するとも、正しいと思う道を行く限り、心を痛めることはない>と自らを鼓舞しています。
さて、これら引用句とドラマ展開との関連を考えます。第一感、君主から放逐された屈原と、陛下から遠ざけられた第四皇子の境遇が重なることに気づきます。また周囲の策謀あるいは讒言で遠ざけられた点も共通しています。
さらに陛下は、“屈原は君主に受け入れられず、放逐された”という「離騒」の内容を充分に理解した上で引用している筈です。その点を考慮して、深読みするなら、陛下は、“第四皇子よ、君の前途も屈原同様だよ!”と暗にほのめかしているように思える。
菊園を散策した陛下が「実に雅だ!」、「朕も風流にあやかる」とご満悦の様子であったことを考えるなら、腑に落ちない、裏腹な‘読み’ではある。ドラマの先行き、“帝位”を望む第四皇子の前途が順風でないことを予感させる場面のように思われてならない。(第19・20・21話から)
xxxxxxxx
離騒
<原文および読み下し文>
……..前略……
朝飲木蘭之墜露兮,
・・朝(アシタ)に飲む 木蘭の墜(オ)ちたる露,
夕餐秋菊之落英。
・・夕(ユウベ)に餐(サン)す 秋菊の落英(ラクエイ)。
苟余情其信姱以練要兮,
・・苟(イヤシク)も余情(ヨノジョウ) 其(ソ)れ信(マコト)に姱(カ)にして以って練要(レンヨウ)なれば,
長顑頷亦何傷。
・・長(トコ)しえに顑頷(カンハン)するとも亦(マタ)何をか傷(イタ)まん。
……..後略…….
・・註] 離騒:悩みに取りつかれていること、‘終わりなき憂鬱’という意味
・・・・兮:語調を整える助字、『楚辞』に多くみられる
・・・・落英:散り落ちた花びら
・・・・余情:自分の心
・・・・姱:美しい
・・・・練要:練り正されている、塾慮して正しいと判断する
・・・・顑頷:飢えやつれる
<現代語訳>
朝にはモクレンの木から落ちた露を飲み、
夕には秋菊の落ちた花びらを食する。
苟も私の心がまことに美しくまた熟慮の上正しいと判断したのであり、
長しえに飢え苦しむことが続こうとも何で心を痛めることがあろうか。