愉しむ漢詩

漢詩をあるテーマ、例えば、”お酒”で切って読んでいく。又は作るのに挑戦する。”愉しむ漢詩”を目指します。

閑話休題422 実朝 金塊集-3

2024-09-01 13:42:02 | 健康

秋16 (定家 秋・256)  (『新勅撰集』 巻五 秋下・316)

 [詞書] 月夜菊花をたをるちて 

濡れて折る袖の月影ふけにけり籬(マガキ)の菊の花の上の露 

 (大意) 籬に植えた菊を折り取った袖に、花の上の露が滴る。その袖に映る月の光から、夜更けであることを知った。

<漢詩> 

  月夜折采菊花  月夜菊花を折采(タオ)る    [上平声四支韻]

芳馨秋菊在垣籬, 芳しい馨(カオリ)の秋菊 垣籬(エンリ)に在り,

泫泫白露盈万枝。 泫泫(ゲンゲン)として白露 万枝に盈(ミ)つ。

不覚折葩沾衣袖, 不覚(オボエズ) 葩を折るに衣袖を沾らし,

知袖月影漏声遅。 袖の月影に漏声(ロウセイ)の遅きを知る。

<簡体字表記> 

 月夜折采菊花 

芳馨秋菊在垣籬, 泫泫白露盈万枝。

不觉折葩沾衣袖, 知袖月影漏声迟。

現代語訳>

<月夜に菊花を手折る> 菊が芳ばしい香りを発して垣籬にあり、枝々には露を一杯に置いている。つい 花を摘んだところ 袖が露に濡れて、 濡れた袖にうつる月影から 夜も更けていることを知った。

 

 

 

 

 

秋17 (定家 秋・261)  (『新勅撰集』 秋下・337)

 [詞書] 秋の末に詠める 

雁鳴きて寒き朝明(アサケ)の露霜に矢野の神山色づきにけり 

 (大意) 雁が鳴いて 秋の深まりを知らせる今朝の寒い明け方に 降りた露や霜で ここ矢野の神山は紅葉したことだ。

<漢詩>

 晚秋情景      晚秋の情景    [上平声一東韻] 

雁鳴秋色老, 雁鳴いて 秋色老い,

拂曉冷気籠。 拂曉(フツギョウ) 冷気籠(コ)む。

矢野神山景, 矢野の神山の景,

露霜促変紅。 露と霜 木の葉の紅に変ずるを促す。 

<簡体字表記> 

     晚秋情景    

雁鸣秋色老, 拂晓冷气笼。

矢野神山景, 露霜促变红。

現代語訳>

  <晩秋の情景> 南への渡る雁の鳴き声が聞こえて、秋が深まってきた、明け方には冷気を感じるこの頃である。矢野の神山の景色は、降りた露霜により紅葉(コウヨウ)しだしたようだ。

[注記] “歌枕”の “矢野の神山”、その場所は不明である。兵庫県、徳島県等々、諸所に想定されている。

 

 

秋18 (定家 秋・269) 

  [題詞] 水上落葉 

ながれ行く木の葉の淀む江にしあれば暮れてののちも秋は久しき 

 (大意) 木の葉のよどんで流れぬ江であるから 秋が暮れてのちも ここには秋が久しく残っているように見える。  

<漢詩>  

江上落葉      江上の落葉      [上平声六魚韻]  

流来乱落葉, 流れ来たる乱(ラン)落葉, 

行至所江淤。 行(ユキ)ゆきて至(イタ)る江の淤(ヨド)む所。 

四節秋過去, 四節(シセツ) 秋 過去(ユキサ)るも,

但茲秋氣舒。 但(タダ)茲(ココ)は 秋氣 舒(ジョ)たらん。

<簡体字表記> 

  江上落叶  

流来乱落叶, 行至所江淤。

四节秋过去, 但兹秋气舒。

現代語訳>

 <江上落ち葉の淀んだところ> さまざまな落ち葉が流れ来って、流れ流れて、川のさる場所で淀んでいる。時節は変わって、間もなく秋は暮れることであろう、だが、落ち葉の淀むこの川では、その後も、秋の気配は続くことでしょう。

[注記]「川面のもみじ葉は、川の錦」と詠った能因法師(参考3)とは、真逆である。実朝の胸内には、“苦悶”の重しが淀んでいたように思える。

 

《冬の部》 

 

冬1 (定家 冬・275)  (『続古今集』 545)

  詞書] 十月(カミナヅキ)一日(ツイタチ)よめる 

秋はいぬ風に木の葉は散りはてて山さびしかる冬は来にけり 

 (大意) 秋は去ってしまった。風に木の葉は散り尽くし、山が寂しい様子を表す冬がやって来たのだ。

<漢詩> 

  孟冬情味  孟冬の情味    [上平声四支韻]

過秋草木衰, 秋は過(サ)りて 草木 衰え,

風刮落葉枝。 風 刮(フイ)て 葉落とす枝。

千里山清寂, 千里 山 清寂(セイジャク)にして,

顕然迎冷期。 顕然(ケンゼン)たり 冷時を迎える。

<簡体字表記> 

 孟冬情味  

过秋草木衰, 风刮落叶枝。

千里山清寂, 显然迎冷期。  

現代語訳> 

  <初冬の情緒> 秋の季節が遷り替わり 草木が萎れてきた、風が吹いて 葉を落とした枝。千里四方 山はひんやりとして寂しい様子である、明らかに冬の寒い季節となっているのだ。 

 

 

冬2 (定家 冬・290) 

 [詞書] 月影霜に似たりといふことを 

月影の白きをみれば鵲のわたせる橋に霜やおきけむ  

 (大意) 月が白くさえているのは あの天上に鵲が渡した橋に霜を置いているからであろう。

<漢詩>  

 冬天銀漢   冬天の銀漢     [下平声七陽韻] 

煌煌冬銀漢, 煌煌(コウコウ)たり冬の銀漢(ギンカン)、   

奕奕鵲成梁。 奕奕(エキエキ)たる鵲(カササギ) 梁(ハシ)を成(ナ)す。

月影一明浄, 月影 一(イツ)に明浄(メイジョウ)たり,

是因橋上霜。 是(コ)れ橋上の霜に因るならん。 

<簡体字表記> 

 冬天银汉     

煌煌冬银汉, 奕奕鹊成梁。

月影一明净, 是因桥上霜。 

現代語訳> 

 <冬空の銀河> 天上に光り輝いている冬銀河、美しい鵲が羽を広げて橋をなす。月光はなんと冴えわたっていることか、それは鵲橋に置いた霜のせいなのであるよ。

 

 

 

 

冬3 (定家 冬・298)  (『新勅撰集』 冬・408) 

  [詞書] 寒夜の千鳥

風寒み夜の更けゆけば妹が島形見の浦に千鳥なくなり  

   (大意) 風が寒くなって夜が更けて来ると ここ妹が島の形見の浦に千鳥の鳴く声が霧に響くことだ。

<漢詩> 

  寒夜鴴     寒夜の鴴(チドリ)     [上平声十四寒韻] 

風寒天一端, 風寒し 天の一端,

夜更思渺漫。 夜更けて 思い渺漫(ビョウマン)たり。

妹島形見浦, 妹島(イモガシマ) 形見(カタミ)の浦,

默聞鴴叫闌。 默(モク)して聞く 鴴の叫(ナ)くこと闌(タケナワ)なるを。

<簡体字表記> 

 寒夜鸻     

风寒天一端, 夜更思渺漫。

妹岛形见浦, 默闻鸻叫阑。

現代語訳> 

  <寒夜の千鳥> 風寒い夜、天の一端を眺めやる、夜更けて 思いは定まらない。妹が島 形見の浦にあって、耳を澄ますと 千鳥の鳴く声が聞こえてきた。

 

 

 

 

 

冬4 (定家 冬・311) 

  [詞書] 屏風の絵に三輪の山に雪の降れる気色を見侍りて 

冬ごもりそれとも見えず三輪の山杉の葉白く雪の降れれば 

 (大意) 冬籠居していて、仰ぎ見ても三輪の山はそれとはっきり姿が見えない、杉の葉は真っ白に雪化粧されているから。

<漢詩> 

  三輪山雪景   三輪山の雪景(ユキゲシキ)    [上平声四支韻]

望三輪山過冬時, 三輪山を望む 冬過ぎし時

杳杳模糊不别斯。 杳杳(ヨウヨウ) 模糊として斯くは别しえず。

杉葉輝輝銀装様, 杉の葉 輝輝(キキ)として銀装の様(サマ),

天花慢慢飄落滋。 天花 慢慢として 飄落(ヒョウラク)滋(シゲ)し。 

<簡体字表記> 

  三轮山雪景  

望三轮山过冬时,杳杳模糊不别斯。

杉叶辉辉银装样,天花慢慢飘落滋。

現代語訳>

<三輪山の雪景色> 冬ごもりしている折、遠く三輪の山を望み見たが、雪が積もり遠くぼんやりとして それだと 輪郭がはっきりとは識別できない。杉の葉はまばゆいばかりに雪化粧の様子であり、雪はひらひらといっそう舞い落ちているのだ。 

[注記] 奈良・桜井市にある三輪山の冬景色の屏風絵を見て詠った歌。三輪山は、古来信仰の山で大樹が茂り、特に杉は「三輪の神杉」として神聖視されている。

 

 

冬5 (定家 冬・323)   (『風雅集』 巻八・冬・823)

 [詞書] 雪 

深山には白雪ふれりしがらきのまきの杣人道たどるらし  

 (大意) 山では雪が降っていて、道が雪に埋もれているので、信楽の真木の木こりたちは途方に暮れるのではないか。  

<漢詩>  

  信楽樵夫憂    信楽 樵夫の憂い    [上声七麌韻] 

深山天花舞, 深山 天花舞い, 

白雪蒙広土。 白雪 広土を蒙(オオイカク)す。 

只恐樵夫惑, 只(タ)だ恐(オソ)る 樵夫(キコリ)は惑(トマド)い,

山中迷路苦。 山中 路に迷い苦(ク)ならん。

<簡体字表記> 

 信楽樵夫忧   

深山天花舞, 白雪蒙広土。

只恐樵夫惑, 山中迷路苦。

現代語訳> 

<信楽の木こりの憂い> 山では雪が降っており、広い範囲が積もった白雪で覆われている。心配するのは 木こりが戸惑い、道に迷って苦労することになるのではないか と。

[注記] 実朝の視線は 信楽焼の作製に従事する庶民に向けられています。

 

冬6 (定家 冬・334) 

    [詞書] 雪 

見わたせば雲居はるかに雪白し富士の高嶺のあけぼのの空 

 (大意) 遠く見渡してみると雲のある曙の大空に雪の白いのが見える、富士の高嶺である。 

<漢詩> 

  銀裝富士     銀裝の富士     [上平声十五刪韻] 

瞭望曙大空, 曙の大空を瞭望(リョウボウ)するに、

婉婉彩雲閒。 婉婉(エンエン)たり彩雲の閒(カン)。

雪白雲縫隙, 雲の縫隙(スキマ)に雪の白きあり,

翹翹富士山。 翹翹(ギョウギョウ)たり 富士の山。

<簡体字表記> 

  银装富士   

瞭望曙大空, 婉婉彩云闲。

雪白云缝隙, 翘翘富士山。

現代語訳>  

 <雪化粧した富士> 曙の大空を遥かに見渡すと、朝焼けの雲がゆったりと浮いている。雲の隙間から雪の白さが目に止まる、一際高く聳えた富士の高嶺である。

 

 

 

 

冬7 (定家 冬・343)  (『新勅撰集』巻六冬・93) 

  [詞書] 歳暮

武士(モノノフ)のやそうじ川を行(ユク)水の流れてはやき年の暮かな 

 (大意) 宇治川を流れる水の流れの何と速いことか 同じように時のめぐりも速く 今や年の暮を迎えようとしている。

<漢詩> 

歲暮          歲暮(セイボ)        [下平声一先韻] 

武士八十宇治川、 武士(モノノフ)の八十(ヤソ)宇治川(ウジガワ)、   

活活河水若落天。 活活(カツカツ)として河水 天より落ちるが如し。

荏苒宛転時運去、 荏苒と宛転して時は運(メグリ)去(ユ)き、

弥弥日月逼残年。 弥弥(イヨイヨ) 日月 残年に逼(セマ)る。  

<簡体字表記> 

岁暮          

武士八十宇治川、 活活河水若落天。

荏苒宛转时运去、 弥弥日月逼残年。

現代語訳> 

 <年の暮> 武士(モノノフ)のやそ宇治川、河水 天より落ちるが如く勢いよく速く流れている。歳月も何らなすことがないまゝ転がるように過ぎて、今や年の瀬を迎えようとしている。 

 

 

 

 

冬8 (定家 冬・349) 

 [詞書] 歳暮

乳房吸ふまだいとけなきみどり子の共に泣きぬる年の暮れかな 

 (大意) まだあどけない 乳飲み子が 母の乳房に吸い付きながら泣いている、つい貰い泣きするこの年の暮れであるよ。

<漢詩> 

 同情嬰児啼哭   嬰児の啼哭(ナク)に同情す    [上平声一東韻]

天真嬰在母懷中, 天真(アドケナ)き嬰 母の懷中に在り,

吮母咂兒臉頰紅。 母の咂兒を吮(ス)って 臉頰(ホオ)は紅いに。

不覚為何開始哭, 為何(ナニユエ)か覚ず 哭(ナ)き開始(ハジメ)た,

灑同情淚此年終。 灑同情淚(モライナキ)している 此の年の終である。

<簡体字表記> 

  同情婴児啼哭    

天真婴在母怀中, 吮母咂儿脸颊红。

不觉为何开始哭, 洒同情泪此年终。

現代語訳>

 <泣いている幼子に貰い泣き> あどけない嬰児が 母の胸に抱かれて、乳房を吸って ほっぺが紅に染まっている。何故か知らないが、つい貰い泣きしている この年の暮れである。

[注記] この歌の対象は庶民の親子でしょう。

 

 

 

 

《賀の部》 

 

賀1 (定家 賀・353)  (『玉葉集』 巻七1049) 

 [詞書] 慶賀の歌 

千々の春万(ヨロズ)の秋にながらえて月と花とを君ぞ見るべき 

 (大意) 千年も万年も生き永らえて 君は月と花とを数え切れぬほど何回も見るであろう。 

<漢詩> 

  慶賀君長寿   君の長寿を慶賀す    [去声八霽韻]  

四時肅肅更遷逝, 四時は肅肅として更(コモ)ごも遷(ウツ)り逝(ユ)き,

君寿悠悠千万歲。 君 悠悠として千万歲を寿(イキナガラ)えん。

遇見時時花亦月, 時時(オリオリ)の花亦(ト)月に遇見(デア)い,

傲賞勝事長久計。 勝事を賞でるに傲れること長久に計(ハカ)らん。

<簡体字表記> 

  庆贺君长寿       

四时肃肃更迁逝, 君寿悠悠千万岁。

遇见时时花亦月, 傲赏胜事长久计。 

 現代語訳>

 <君の長寿を慶賀す> 時節は静かに次々に移り変わっていくが、君は悠悠と千万歳も生き永らえよう。折々の花と月に出会い、この先幾久しく素晴らしい風物を愛でて楽しむことであろう。

 

 

賀2 (定家 賀・362) 

 [詞書] 大嘗会の年の歌に 

黒木もて君がつくれる宿なれば万代(ヨロズヨ)経(フ)とも古(フ)りずもありなむ 

 (大意) 皮付きの木で君が作られた祭殿であるので 万年経(タ)とうとも古びることなく存在することでしょう。

<漢詩>  

 慶賀大嘗会 大嘗会を慶賀す     [上平声四支韻] 

黑檀為祭殿, 黑檀(コクタン)もて祭殿と為(ナ)す, 

君子乃建斯。 君子 乃(スナワチ) 斯(コレ)を建(タ)つ。 

万代無糟朽, 万代 糟朽(ソウキュウ)すること無く,

迢迢保逸姿。 迢迢(チョウチョウ)として逸姿(イツシ)を保(タモ)たん。

<簡体字表記> 

 庆贺大嘗会祭殿 

黑檀为祭殿, 君子乃建斯。

万代无糟朽, 迢迢保逸姿。 

現代語訳> 

 <大嘗会を賀す> 黒木でもって祭殿を建てる、これは君が建てられたものである。万代経ろうとも朽ちることなく、長しえにその威容を保ち続けることでしょう。

[注記] 建暦二年(1212、実朝21歳)十一月十三日に行われた順徳天皇即位に伴う大嘗会の折に詠われた歌であろうとされる。

 

 

賀3 (定家 賀・364)  

  [詞書] 花の咲けるを見て 

宿にある桜の花は咲きにけり千歳の春も常かくし見む 

 (大意) 我が家の桜の花が今年も咲いた、この先千年にもわたって春になればこの美しい花を見ようと思う。

<漢詩>  

    賞桜花            桜花を賞す    [下平声六麻韻] 

四時代謝九重霞,  四時 代謝し 九重の霞かかる時期,

今見庭桜擾弱華。 今庭の桜に擾弱(ワカワカ)として華(ハナサク)を見る。

千歲春裝如此趣, 千歲 春の裝(ヨソオイ) 此の趣の如くに,

欲翫美麗感無涯。 美麗(ビレイ) 感 涯無く翫(メデ)んものと思う。 

<簡体字表記> 

 赏樱花           

四时代谢九重霞,今见庭樱擾弱华。

千岁春装如此趣,欲玩美丽感无涯。

現代語訳>

 <桜の花をめでる> 季節は変わって 今は霞がかかる春の季節となった、我が家の庭の桜が開花したばかりである。この先千年も 今日のような春の訪れがある度に、思い果てなくこの美しい桜の花を愛でることとしよう。

 

 

 

賀4 (定家 賀・366)  (『玉葉集』賀・1359;『続後撰集』 ) 

  [詞書] 二所詣で侍りし時 

ちはやぶる伊豆のお山の玉椿(タマツバキ)八百(ヤオ)万代(ヨロズヨ)も色は変わらじ                

 (大意) 神のおられる伊豆の御山の玉椿は 長い長い年月が経ってもその美しい色は変わらないだろう。

<漢詩> 

茶花悠久   悠久なる茶花     [上平声十五刪 -下平声一先通韻]

激捷伊豆山,激捷(チハヤブル) 伊豆(イズ)の山, 

山茶玉樹妍。山茶の玉樹(ギョウクジュ)妍(ケン)なり。  

鮮紅花熠熠,鮮紅の花 熠熠(ユウユウ)として,  

不変漫長年。漫長(マンチョウ)の年 変らず。

<簡体字表記>  

  茶花悠久  

激捷伊豆山,山茶玉树妍。

鲜红花熠熠,不变漫长年。

現代語訳>

 <悠久の山椿の花> ちはやぶる伊豆権現のある山、山椿の玉樹が美しく花をつけている。その鮮紅の花は光り輝いており、千万年に亘って、咲き続けることでしょう。

 

 

 

《恋の部》 

 

恋1 (定家 恋・374)  (『続後撰集』 巻十一・恋一・647) 

わが恋は初山藍のすり衣人こそ知らねみだれてぞおもう 

 (大意) わが恋はたとえば山藍の摺り衣の初衣のようなものだ、初恋だから人には分からぬが、心はみだれて物思うことである。

<漢詩>  

 初恋心   初恋の心     [下平声十二侵韻]

吾恋何所似, 吾が恋 何に似たる所ぞ,

此心人不斟。 此の心 人斟(ク)まず。

摺衣穿初次, 摺衣(スリゴロモ) 穿(キ)る初次(ハジメ),

共乱麗紋心。 共に乱れてあり麗(ウル)わしき紋(モンヨウ)とわが心。

<簡体字表記> 

  初恋心       

吾恋何所似, 此心人不斟。

摺衣穿初次, 共乱丽纹心。 

現代語訳>

 <初恋の心> 私の初恋のこころ 何に譬えられようか、この心を誰も分からないでしょう。ちょうど藍染の摺衣の作り立てを着た時のようなものだ、摺衣の美しい乱れ模様と同じく私の心も乱れているのです。

[注記] “摺衣”とは、山藍やつゆ草などの茎や葉などを白い衣に摺りつけて染めた衣類のこと。初恋など、心の乱れていることの表徴。

 

 

恋2 (定家 恋 407)  (『風雅集』 巻十三・恋・1286) 

 [詞書] こひの心をよめる

君に恋ひうらぶれをれば秋風になびく浅茅の露ぞ消(ケ)ぬべき 

 (大意) 君に恋い焦がれているが、想いは通ぜず、しょぼんとしている。秋風が吹き、風に靡いた浅茅に降りた露と同じく私は散り失せてしまいそうだ。  

<漢詩> 

 思不相通    思い相(アイ)通わず    [下平声二蕭韻]

綿綿恋慕焦, 綿綿(メンメン)たり 恋慕 焦(コガ)れ, 

繚倒我心凋。 繚倒(リョウトウ)し 我が心 凋(シボ)む。

茅草秋風靡, 茅草(チガヤ)は秋風に靡き,

白露就落消。 白露 就(ジキ)に落ち消えよう。

<簡体字表記> 

  思不相通    

绵绵恋慕焦, 缭倒我心凋。

茅草秋风靡, 白露就落消。

現代語訳>

 <思い通ぜず> 恋い慕う思いが綿綿といつまでも続き、想い通ぜず、しょんぼりとして心が萎えている。一陣の秋風が吹けば、チガヤの草は靡き、葉に置いた露が散るように、わが身も果ててしまいそうだ。

 

 

 

恋3 (定家 恋・417) 

  [詞書] 頼めたる人に 

を篠原(ザサハラ)おく露寒み秋されば松虫の音(ネ)になかぬ夜ぞなき 

 (大意) 小笹原に露が降りて、寒い秋になると松虫が鳴かない夜はない。私は、来ぬ人をまちつつ、夜ごと泣いています。 

<漢詩> 

 所思沒来    所思(オモイビト)来たらず      [上平声一東韻]

秋来細竹露寒風,秋来たりて細竹(ササタケ)に置く露 風寒し,

唧唧哀鳴夜羽虫。唧唧(ジイジイ)と哀(カナシ)く鳴く 夜の羽虫(マツムシ)。

約定所思無到訪,約定(ヤクソク)せし所思 到訪(オトズレ)無く,

夜夜待着流淚紅。夜夜 待着(マチツツ)流す淚 紅なり。  

<簡体字表記> 

  所思没来    

秋来细竹露寒风,唧唧哀鸣夜羽虫。

约定所思无到访,夜夜待着流泪红。

現代語訳>

 <意中の人の訪れを待つ> 秋の訪れとともに笹竹の葉に露がおり 渡る風が寒く、夜になると松虫がジイジイと悲しく鳴いている。意中の人は、訪ねますと約束しながら 姿を見せてくれない、毎夜 涙を流して待ち、涙が血に染まるほどである。

 

 

 

 

恋4 (定家 恋・433) 

   [詞書] 名所の恋 

神山の山下水のわきかえりいはでもの思うわれぞかなしき 

 (大意) 心はわき返りながら   口に出さず心の中で恋い悩んでいる自分が悲しい。   

<漢詩>

  隱秘熱烈恋  隱秘せし熱烈なる恋    [上平声五微― 四支通韻]       

神山曲水隈,神山 曲水の隈(クマ),

噴出泉水奇。噴出せる泉水(センスイ)奇なり。

我忍思澎湃,我 思いの澎湃(ホウハイ)せしを忍び,

默然何可悲。默然(モクネン)たること 何ぞ可悲(カナ)しき。

<簡体字表記> 

 隐秘热烈恋  

神山曲水隈,喷出泉水奇。

我忍思澎湃,默然何可悲。

現代語訳> 

 <秘めた熱烈な恋神山の麓の曲がりくねった小川の奥まったところで、激しく湧き出す泉水は驚くほどである。私は 泉水にも勝る、湧きかえるほどの想いを忍び、口に出せずにいるが、何と悲しいことか。

 

 

 

 

 

恋5 (定家 恋・454)  (『新勅撰集』 巻二・ 801) 

 [詞書] 暁の恋 

さ筵(ムシロ)に露のはかなくおきて去なば 暁ごとに消えやわたらむ 

(大意) 君が起きて帰ってしまうと さむしろに涙をはかなく置いて 暁ごとにわたしは恋の悲しさのために死にそうな思いを続けるのです。

<漢詩> 

  暁時憂愁    暁時(アカツキ)の憂愁  [上平声十灰-上平声四支通韻]                    

君臨晨忽起帰回,君 晨に臨んで忽(コツ)として起き 帰回(カエ)る,

我床単上降露滋。我 床単(ウワジキ)上に露を降(オ)くこと滋(シゲ)し。

猶如朝露就消尽,朝露 就に消尽(ショウジン)するが猶如(ゴトク)に,

悲痛欲絶每暁時。暁時每に 悲痛(カナシミ)に(身を)絶えんと欲す。

<簡体字表記> 

  暁時憂愁   

君临晨忽起归回,我床单上降露滋。

犹如朝露就消尽,悲痛欲绝每晓时。

現代語訳>

 <暁の憂鬱あなたは 朝に起きるとすぐに帰られる、わたしは 上敷きの上に涙を流して耐えている。あたかも朝の露がすぐに消えてしまうように、暁にいつも身を亡ぼしたくなるほどに 悲しい思いに駆られるのです。 

 

 

 

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閑話休題 302 飛蓬-162 物いわぬ四方の獣さえ…… 源実朝

2022-12-05 10:03:17 | 健康

源実朝の和歌の漢詩への翻訳に挑戦しています。今回の歌は、獣を主題とする珍しい歌です。解りやすい歌ですが、繊細ながら、想いを独特の居丈高い調子で強く訴える、実朝の特徴がよく表れた歌と言えるでしょうか。

 

“すらだにも”と、強めの助詞を二つ重ねたり、また“あわれなるかなや”と字余りの表現にして想いを強く訴えています。それに呼応して、漢詩でも、杜甫・「貧交行」の表現を借りて字余りの句となし、強く訴えるよう試みてみました。

 

ooooooooooo

 (詞書) 慈悲の心を

物いわぬ 四方(ヨモ)の獣(ケダモノ) すらだにも 

  あわれなるかなや 親の子を思ふ (源実朝 金槐和歌集・雑・607) 

 (大意) 話すことができない、何処にでもいる、どんな獣でさえも、親は子を大切に

   思っているのだ。何とも胸に響くことだなあ。 

 

xxxxxxxxxxx

<漢詩> 

 母慈子心   子を慈しむ母(オヤ)の心  [上声六語韻]

四方獣類呀, 四方(ヨモ)の獣類(ジュウルイ)呀(ヤ), 

根本無話語。 根本 話語(ワゴ)無し。 

甚至它類也, 甚至(ハナハダシキハ) 它(カ)の類(タグイ)也(サエ), 

一何深情緒。 一(イツ)に何ぞ深き情緒(ジョウショ)ならん。 

君不見母慈子,君見ずや 母(オヤ)の子を慈しむを,

令人促省処。 人を令(シ)て省(セイ)を促す処(トコロ)にやあらん。 

 註] 〇四方:(東西南北)四方の; 〇呀:肯定、催促、賛嘆の語気を表す助詞“啊”の 

  音便変化した語; 〇話語:言葉、話; 〇甚至……也:接続詞、…でさえ…; 

  〇情緒:心の動き、感情; 〇省:自省する。  

<現代語訳> 

 子を思う親心 

身の廻りのどこにでもいる獣を見てごらん、

元々話すことなどできないのだ。

その獣類でさえ、

何と深くしみじみと心に響くことをしていることか。

君も見たことがあろう 親獣が子獣を慈しんでいる情景を、

人をして自省を促さずにはおかない。

<簡体字およびピンイン> 

 母慈子心      Mǔ cí zǐ xīn   

四方兽类呀, Sì fāng shòu lèi ya, 

根本无话语。 gēn běn wú huà. 

甚至它类也, Shèn zhì tā lèi yě, 

一何深情绪。 yī hé shēn qíng .  

君不见母慈子,Jūn bù jiàn mǔ cí zǐ,   

令人促省处。  lìng rén cù xǐng chù

xxxxxxxxxxx

 

本ブログ上、これまでに読んできた実朝の幾首かの歌では、実朝が“思い”を庶民に向けている事に触れました。上掲の歌では、「人」一般に目を向けているように読めます。但し、「獣さえ……ですよ」、と問題提起に終わっていますが、漢詩では一歩踏み込みました。

 

実朝は十二歳(1203)の頃から『法華経』を習い、十三歳の頃には宗教行事に参加し始め、『天台止観(シカン)』の談義を聴講し始めたという。上掲の歌は、天台の教えが説く、“慈悲とは父母の心をいう”とする教えを素直に心に留め、歌にしたものでしょう。

 

なお、1214年(24歳)には、鎌倉に新御堂と呼ばれる大慈寺を建立している。同年7月27日には、京都より招いた禅僧・栄西(1141~1215)が導師を務めた大供養が行われた(『吾妻鑑』)。現在は、その跡として、民家と路地の狭間に石碑が残っている と。

 

歌人・源実朝の誕生 (3)

 

先に実朝の学問の師として源仲章、また和歌の師として源光行が公式に当てられていたことに触れました。以下、『吾妻鑑』を参照しつゝ、時を追って、歌人・実朝として成長していく様をみます。

 

1205(元久二)年(14歳)、9月2日には、実朝の元に『新古今和歌集』が届けられている。京都では後鳥羽上皇を中心に、当年は『古今和歌集』の成立(905)後300年の節目に当たることから、その編纂が急ピッチで進められていたものである。なお、届けられた『新古今和歌集』は、完成を祝う“竟宴”もまだ済まず、未公開の出来立てホヤホヤのものであった。

 

同集には、父・頼朝の歌2首が撰されていることを、実朝はすでに知っており、待ち望んでいた筈です。入手後はむさぼり読み、それを参考に作歌が始められたのではないでしょうか。『吾妻鑑』(1205.04.12)には、《12首 歌を詠む》との記載があります。但し、それらの歌は今日知られていない。

 

翌年、2月4日大雪の日、鶴岡八幡宮の祭礼を通常通り行っている。その夜、雪を見るため名越山の辺りに出ていて、北条義時の山荘(北条時政の名越邸か?)で和歌の会を催している。この頃から、実朝は本格的に歌を詠み始めたとされています。

 

1208(承元二)年、御台所(実朝奥方)の侍・兵衛尉清綱が京都から下り実朝の御所に参上、『古今和歌集』を献上した。 これは先祖から伝わった重宝であったとのことで大変実朝を喜ばせた。この頃から歌会で多く読まれ、歌会を想定しながら作歌を進めていきます。

 

1209(承元三)年(18歳)、実朝が二十首の和歌を“和歌の神”を祀る住吉大社に奉納した。使者は、藤原定家の門弟で実朝の近臣・内藤知親、このついでに去る建永元年(1206)に習い始めてから詠んだ和歌三十首を選び、評価を受けるために定家に届けさせている。

 

鎌倉では、実朝の主催に拠るばかりでなく、その他の歌会も頻繁に実施されていたようで、実朝が歌題を用意する機会も度々あったようである。のちに纏められた家集・『金槐和歌集』をみれば、同じ主題で種々表現を変えた複数の歌が続けざまに現れます。

 

以上、実朝が歌を詠み始めてのち、ある程度の数の歌が出来、定家に提示するまでを年を追って見てきました。実朝の歌の習得、つまり腕を磨く道場は、鎌倉でも頻繁に催されていた歌会の場であったと言えそうです。

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閑話休題263 句題和歌 17  白楽天・長恨歌(11)

2022-05-23 09:18:47 | 健康

霜が降り、朝夕寒さを覚える頃。秋の夜長、共寝する人もなく、中々寝付かれずに、孤独の想いに耐えかねている玄宗皇帝です。死別して幾歳も経つと言うのに、貴妃が夢にさえ現れたことがない と玄宗は憂えています。

 

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<白居易の詩> 

   長恨歌 (11)     

67夕殿螢飛思悄然、  夕殿セキデン)に蛍飛びて 思ひ悄然(ショウゼン)たり

68孤燈挑盡未成眠。  孤燈(コトウ)挑(カキタ)て尽くすも未だ眠りを成(ナ)さず

69遲遲鐘鼓初長夜、  遅遅たる鐘鼓(ショウコ) 初めて長き夜 

70耿耿星河欲曙天。  耿耿(コウコウ)たる星河(セイガ) 曙(ア)けんと欲する天 

71鴛鴦瓦冷霜華重、  鴛鴦(エンオウ)の瓦(カワラ)は冷ややかにして 霜華(ソウカ)重く

72翡翠衾寒誰與共。  翡翠(ヒスイ)の衾(シトネ)寒くして 誰と共にせん

73悠悠生死別経年、  悠悠たる生死 別れて年を経(ヘ)たり

74魂魄不曾來入夢。  魂魄(コンパク) 曾て来(キタ)りて夢に入らず

  註] 〇蛍:『礼記』月令、季夏(六月)の条に「腐草 蛍と為る」とあるように、 

   薄気味悪さを伴い、しばしば人の不在の代わりにあらわれる; 〇挑:消え 

   かかる燈心をかきたてる; 〇鐘鼓:時を告げる鐘や太鼓の音; 〇耿耿: 

   鮮やかに輝くさま; 〇星河:牽牛と織女を隔てる天の川; 〇鴛鴦瓦: 

   おしどりの装飾を施した瓦、“鴛鴦”は夫婦和合の象徴; 〇霜華:花のように 

   結晶した霜; 〇翡翠衾:翡翠の刺繍を施した布団、“翡翠”は男女和合の象徴; 

   〇悠悠:遠く離れたさま。     

<現代語訳> 

67日の暮れた宮殿に飛び交う蛍に心は沈み、

68侘しい灯火をかきたてかき立て、灯りが尽きても眠りは遠い。

69遅々として鐘太鼓、長くなり始めた秋の夜、

70白々と冴えわたる天の川、夜明けの迫る空。

71おしどり模様の瓦は冷え冷えとして、霜の花も重たく敷く、

72カワセミの縫い取りの衾も冷たく、共にくるまる人もいない。

73生と死に遠く隔てられて はや幾星霜、

74貴妃の魂は一度たりとも夢に現れてくれない。 

              [川合康三 編訳 中国名詩選 岩波文庫 に拠る]                

<簡体字およびピンイン>   

67夕殿萤飞思悄然  Xī diàn yíng fēi sī qiǎorán      [下平声一先韻]

68孤灯挑尽未成眠  gū dēng tiāo jǐn wèi chéng mián 

69迟迟钟鼓初长夜  Chí chí zhōng gǔ chū cháng yè 

70耿耿星河欲曙天  gěng gěng xīnghé yù shǔ tiān 

71鸳鸯瓦冷霜华重  Yuānyāng wǎ lěng shuāng huá zhòng   [去声二宋韻]

72翡翠衾寒谁与共   fěicuì qīn hán shuí yǔ gòng 

 73悠悠生死别経年  Yōu yōu shēng sǐ bié jīng nián 

74魂魄不曾来入梦  húnpò bù céng lái rù mèng      [去声一送韻]

xxxxxxxxxxxxxxx 

 

 

“蛍”と言えば、直にゲンジボタル、ヘイケボタルが思い出されて、やがて川の辺での“ホタル狩り”の季節を迎えます。雑木の鬱蒼とした陰で、暗闇の中、点滅しながら光が舞う情景は神秘な感に打たれます。

 

 “蛍”は川の清流で“幼虫”として育った後、地上に上がり、腐食した落ち葉などの下の湿潤な環境で“蛹(サナギ)”として成長、やがて羽化して成虫の蛍となる。今日、我が国ではほぼ常識として識られている事柄と言えようか。 

 

中国や他国では、“幼虫”の時期から地上の腐食した落ち葉の下、湿潤の環境で生育する とのことである。すなわち、日本の蛍は“水生“、中国はじめ他国では”陸生“と言うことである。なお世界で知られている約2000種の蛍の内、“水生“は10種ほどで、そのうち3種が日本種で、ゲンジボタル・ヘイケボタル・クメジマ(久米島)ホタルがそうである と。

 

いずれにせよ、蛍はある時期、落ち葉下の湿潤地で育つということである。その観察を基に、紀元前200年頃に書かれた『礼記(ライキ)』月令(ゲツリョウ)で、「季夏の月(六月) 腐草 蛍となる」とされ、長い間、蛍は、腐草が転生したものと信じられていたようである。 

 

人は死後、土葬されていた時代、暗闇の中、点滅しながら舞う蛍火の神秘的な情景、加えて、湿地で腐草が転じて蛍となる との思いから、中国では、蛍火は、人魂・鬼火である との迷信が長い間活きていたようである(瀬川千秋:『中国 虫の奇聞録』大修館書店)。

 

「67夕殿螢飛……」に関連して、[註]にあるように「螢が、“……人の不在の代わりに現れる”(=“人魂”?)」。その一方、「74魂魄不曽来入梦」の句と読み合わせると、孤独感に苛まれる主人公・玄宗皇帝への同情の念が一層掻き立てられるように思われる。

 

長恨歌中、この下りの部分で、平安期の読者も思いを深くしていたように思われ、比較的多くの歌人が句題和歌を残しています(千人万首asahi-net.or.jp)。ここでは、以下、勅撰和歌集に多くの歌が採られている歌人たちの歌・3首を読みます。

 

なお歌人・藤原定家(閑話休題―156)、慈円(同―153)および伊勢(同―173)については、それぞれ、先に詳細を紹介してあります、要に応じてご参照ください。

 

[句題和歌] 

〇(67・68句) 「夕殿蛍飛思悄然、秋灯挑尽未能眠」に思いを得た和歌: 

 暮ると明くと 胸のあたりも 燃えつきぬ 

   夕べのほたる 夜はのともし火(藤原定家『拾遺愚草員外』)

  (大意) 暮れても明けても 胸は痛み、燃え尽きる思いである、ちょうど 

     夕べの蛍火や夜半過ぎの灯(トモシビ)のように。 

〇(72句)「旧枕故衾誰与共」に思いを得た和歌:

 如何にせん 重ねし袖を かたしきて 

   涙にうくは 枕なりけり(慈円『拾玉集』) 

  (大意) 自分の袖を重ね、枕にして一人寝ていると 枕が涙で濡れるのを 

      どうしようもない。

〇 句題の提示なし: 

 玉簾 あくるもしらで 寝しものを 

    夢にも見じと ゆめ思ひきや(伊勢『伊勢集』) 

  (大意)夜が明けたのも知らずに寝ているのに 夢にさえ見ないとは 

    思いも寄らぬことであった。 

 

<注>「68孤灯挑尽未成眠」および「72翡翠衾寒谁与共」は、書物により、それぞれ「68秋灯挑尽未能眠」および「72旧枕故衾誰与共」[=旧(フル)き枕 故(フル)き衾 (シトネ)誰と共にせん」]と部分的に違いがあります。その原因・由来は不明である。

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からだの初期化を試みよう 44 アローン操体法  あとがき

2016-08-23 17:45:46 | 健康
§ からだの「初期化」って?

からだの「初期化」についての第1回目(2015-03-27)の項で、次のように述べました。

『なんら難しいことを論ずる意図はありません。何だか疲れが残っているかな?、けったるい感じがするなあ、からだが重い、頭がボーッとしている….等々の自覚症状が、すっきり無くなり、からだの隅々まで改まった感じとなること、すなはち、次の活動へスムースに入っていける状態となること、これを仰々しく「初期化」と一言で表現したいのです。』

今日でもその定義は生きています。非科学的な表現ではあるが、最も的確であるように思われる。自ら体験して、“感じて”もらう以外、十分な説得力ある説明はなさそうです。

§ 「アローン操体法」の誕生

20数年前、不用意な運動で腰を痛め、不健康な状態を経験した。

司馬遼太郎の幕末歴史世界で大活躍する坂本龍馬(司馬世界では‘竜馬’)の、代表的な立位写真を想像して頂きたい。龍馬は、左腰に傷害があったのか、上半身が右前に傾いています。筆者は真逆で、右腰後方に傷害を得て、上半身が左前に傾いた姿勢でした。

立位で背筋を伸ばす、または上半身を右にひねるなどの姿勢変化で、ひどい痛みを起こす。通勤電車で、吊革にぶら下がっていながら、姿勢を直にしようとして、激痛を覚え、失神の一歩手前で、しばらく座り込んだ経験もある。ましてや右側への側屈は不可能であった。さらに右脚の上・下腿の皮膚に軽い鈍麻感を覚えた。

2,3年は整形外科で治療を受けた。以後、美容上また運動性向上の観点から、積極的に自ら訓練することにし、からだを動かすことを毎日の日課とした。先ず、痛みに堪えつつ、ゆっくりと“背伸び”から始めた。体調を見ながら、屈伸など姿勢を変える運動項目を増やし、訓練時間も長くしていった。

大通りに面したビルの大型ウインドウに映った自分の立ち姿が、一見、正しい直立姿勢に見えるようになったのは、訓練を始めて8年前後過ぎた頃であった。やっと美容上の難点を克服できたのでした。右脚皮膚の鈍麻感がなくなるのはもっと後のことであった。

上半身の右側への側屈やひねりは、可動範囲がかなり改善されたとは言え、やはり激痛を覚えた。ほとんど違和感なく、上半身の側屈、ひねりおよび回旋ができるようになるには、さらに10年前後の訓練期間を要した。

姿勢を正す訓練として、“背伸び”から始めて、徐々に運動項目を増やしていき、それらを整理して出来上がったのが、「アローン操体法」です。『何ら道具を用いることなく、どこでも、いつでも一人(アローン:alone)で実施できること、さらに自ら“身体をあやつる”要素が多い運動法である』との意味を込めて“操体法”とした。

単なる机上のプランとして出来たのではありません。強調したいのは、腰の痛みに耐えながら、痛みを減らし、姿勢を整えられるよう願いつつ、日々の実践を通して、工夫の末に出来上がった運動法であることです。

“背伸び”から始まる、20年を超す訓練を通して、痛みを消し、姿勢を正すことに成功した経験から、“背伸び”の動作に非常な‘こだわり’を感ずるようになった。“余話”の項で、“背伸び”について、特に多く記しましたが、その真意をくみ取って頂けることを願う次第です。なお、事項に述べる実践教室では、最後に“背伸び”をして健康運動の時間を閉じることにしています。

§ 「アローン操体法」の実践

地域活動の一つとして、「アローン操体クラブ」と称する「アローン操体法」を実践する健康体操教室(毎週1回、1時間)を実施している。『からだの「初期化」』を実感して欲しいとの願いを込めつつ進めています。幸い、14年経過して盛況を維持しています(我田引水)。

教室での実践を通して経験を重ね、新しい項目の追加やより良い操体法の工夫などを含めて、完成した形が『からだの初期化を試みよう』として、本ブログで2015.06.04から書き起こした“実際”編です。

「アローン操体法」の実践を日課としている経験から、“からだの初期化”を最もよく実感できる場面は次の様である。

激しい運動、あるいは家事やその他の年末大掃除のような不慣れな重労働(?)を行った後、特に翌日以降、足や身体が重たい、体の節々・筋肉の痛み、何をするにも気が乗らない、…等々。誰しも歳とともに、強い疲労感を感じ、回復が遅くなるという経験がある筈です。

激しい運動・重労働の翌日、仕事を始める前に「アローン操体法」を実践する。‘硬い’からだが‘軽く’感じられて、スムースに仕事に取り掛かれるようになる。まさに「初期化」の感覚が実感できます。疲労感からの回復も促進されます。

また、終日、PCと睨めっこする、あるいは、書き物に没頭するなどのデスクワークで暮れたその日。夕方以降に、やはり足や身体が重たい、けったるい気分、肩が凝っている感じ、…等々。

終日没頭したデスクワークの終わりに「アローン操体法」または静的ストレッチング(「アローン操体法」第一部)を実践する。できることなら仕事の途中、休憩時間を設けることをお勧めしますが、その際に軽く静的ストレッチングを実践する。やはり「初期化」の感覚が実感できるでしょう。

「アローン操体法」を実践することにより、他の体操法と異なり、「からだの初期化」を実感できるのは何故か?

要点を挙げると、次の2点が挙げられるでしょうか:
☆1 手の指先から足のゆび先まで、身体の動きに関わるほとんどの筋群に対して、比較的選択的に静的・動的ストレッチングを課するよう工夫してある、
☆2 筋力、持久力、瞬発力および柔軟性の向上、さらに平衡感覚を養うなどバランスの取れた構成になっている。

下図は、☆2に関して「アローン操体法」(赤線)と「ラジオ体操第1(青線)」の相違を的確に示すレーダー図です。詳細は投稿済(2015.06.11)ブログご参照頂きたい。




要は、実践することに尽きます。「アローン操体法」の実践が、日常生活リズムの一部となることを願って‘あとがき‘とします。

”Exersise must be a way of life.” (運動が生活リズムの一部となるように)
(Rene Callier)

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からだの初期化を試みよう 37 アローン操体法 余話-3 運動と認知能-2

2016-04-25 16:23:44 | 健康
著者のジョン J. レイテイーが『脳を鍛えるには運動しかない』を著す契機となったと思われる米国のさる中・高校の体育授業と学業成績との関連について、同著書の内容の一部に触れておきます。

米国イリノイ州シカゴの西、ネーパービル203学区セントラル高校。入学時に “読解力”が標準以下であった新入生の中で志願者を対象に特別の運動プログラムを実施した。正規の“1時限”の授業には、読解力を養う授業を行うようにして、その授業が始まる前に“0時限授業”と称して、対象の生徒に8~10分間の長距離走の有酸素運動を行わせる。


すなわち、ウオーミングアップに続いて、グランドを4周走らせるのである。その際、各人に心拍数計と送信機を装着させて、平均心拍数が185以上、最大心拍数(220―年齢)の80~90%となるように、走りを自分で調節する。

走る速さは当然個人差がある。同じ早さで走ることを要求したのでは運動負荷量に差があり、走りの不得意な人にとっては運動負荷量が多くなることとなる。そこで個人の能力に合わせて運動の負荷量を課するようにしているのである。

学期の最後に試験したところ、正規の体育授業のみを受けた生徒に比較して、“0時限授業”を受けた生徒の読解力が伸びた という。その成果を基に、学校では、“0時限授業”を「学習準備のための体育」と名付けて、正規の教育課程の中に組み入れて、継続して実施しているとのことである。

その成果は米国内で広く注目されて、これがモデルとなって、他の学校でも同趣旨のカリキュラムが取り入れられ、実施が広がっているという。

“0時限授業”は、1990年に開始されたが、この取り組みを始めるきっかけとなったのは、当時の新聞記事で、「米国の子供の健康状態が下降しつつあり、それは子供たちがあまり動かないからである」と記載されていたのである。

一方、脳科学の研究で、運動、特に有酸素運動が刺激となって、脳内のニューロン(注)を結び付けることが解ってきていた。このようなニューロンの新しい結ぶ付きができるということは、脳が学習することであり、環境の変化に適応できるようになることを意味している。[注:ニューロンの詳細については追って触れることにします。]

これら周囲の状況を踏まえて、子供たちの健康増進を図ることと合わせて、読解力の強化に繋がることを期待して“0時限授業”を設けたようである。ただ、当時、国あるいは学校ともに、体育の授業時間を減らそうという動きがあったようだ。正規の体育授業時間を増やすことができず、正規外に時間を設定して“0時限”としたようにも想像される。

この“0時限授業”を着想し、推進したのは、203学区の中学および高校の体育教師たちであった。長距離走の有酸素運動を実施するに当たって、当時、父兄をはじめ周囲からの反対も強かったようであった。先生方の熱意がより強かったようである。

“0時限授業”の成果と言えるのではないかとする注目された出来事は、1999年に実施されたTIMSSの結果である。

TIMSSとは、「国際数学・理科教育動向調査」の略記である。1995年に始まり、4年ごとに実施されている。第2回目に当たる1999年には、世界38か国が参加し、23万人が受験し、うち米国受験生は、59,000人であった由。

1999年のTIMSSで、203学区の生徒が、理科では1位、数学では6位となった。理科ではわずかの差でシンガポールが2位、また数学ではシンガポールが1位で、以下、韓国、台湾、香港、日本と続き6位ということであった。因みに、米国の生徒の平均は,理科18位、数学19位とのことであった。

この結果が、“0時限授業”の効果であると、断定はできない。しかし203学区の8年生生徒の約97%が参加したということで、対象者が特別優秀な、選ばれた生徒に限られたわけではない。また、地域や家庭環境などの背景要因のみでは説明できないとしている。

当然ながら、203学区の子供たちは、健康状態も良好であるようだ。たとえば、肥満の指標として用いられるBMIについて見れば、2001年および2002年において、203学区の生徒の97%が正常範囲内にあった。また2005年に高校最終学年時の270人を抽出して調査した結果、肥満児は130人中1人の割合であったと。

上記の事柄は、結果を統計的に処理できるよう慎重に企画された大規模試験の結果ではない。同著書でも記載されているように、感触を探るケース・スタデイーである。とは言え多くの示唆を提供しているように思われる。参考として念頭に置いておくのに十分価値のある事柄であると思われる。

高齢化が進む中で、運動と健康や認知能との関りが注目を引いています。最近、認知能を高める目的の運動の工夫や、その成果も散見されるようになっています。それに関わる事項の理解に役立つ解説となるよう話を進めていくつもりです。

続いて、ブラックボックスの中、絵を描くキャンバスはどのようなものか、ちょっと覗いて見ることにします。

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