秋16 (定家 秋・256) (『新勅撰集』 巻五 秋下・316)
[詞書] 月夜菊花をたをるちて
濡れて折る袖の月影ふけにけり籬(マガキ)の菊の花の上の露
(大意) 籬に植えた菊を折り取った袖に、花の上の露が滴る。その袖に映る月の光から、夜更けであることを知った。
<漢詩>
月夜折采菊花 月夜菊花を折采(タオ)る [上平声四支韻]
芳馨秋菊在垣籬, 芳しい馨(カオリ)の秋菊 垣籬(エンリ)に在り,
泫泫白露盈万枝。 泫泫(ゲンゲン)として白露 万枝に盈(ミ)つ。
不覚折葩沾衣袖, 不覚(オボエズ) 葩を折るに衣袖を沾らし,
知袖月影漏声遅。 袖の月影に漏声(ロウセイ)の遅きを知る。
<簡体字表記>
月夜折采菊花
芳馨秋菊在垣籬, 泫泫白露盈万枝。
不觉折葩沾衣袖, 知袖月影漏声迟。
<現代語訳>
<月夜に菊花を手折る> 菊が芳ばしい香りを発して垣籬にあり、枝々には露を一杯に置いている。つい 花を摘んだところ 袖が露に濡れて、 濡れた袖にうつる月影から 夜も更けていることを知った。
秋17 (定家 秋・261) (『新勅撰集』 秋下・337)
[詞書] 秋の末に詠める
雁鳴きて寒き朝明(アサケ)の露霜に矢野の神山色づきにけり
(大意) 雁が鳴いて 秋の深まりを知らせる今朝の寒い明け方に 降りた露や霜で ここ矢野の神山は紅葉したことだ。
<漢詩>
晚秋情景 晚秋の情景 [上平声一東韻]
雁鳴秋色老, 雁鳴いて 秋色老い,
拂曉冷気籠。 拂曉(フツギョウ) 冷気籠(コ)む。
矢野神山景, 矢野の神山の景,
露霜促変紅。 露と霜 木の葉の紅に変ずるを促す。
<簡体字表記>
晚秋情景
雁鸣秋色老, 拂晓冷气笼。
矢野神山景, 露霜促变红。
<現代語訳>
<晩秋の情景> 南への渡る雁の鳴き声が聞こえて、秋が深まってきた、明け方には冷気を感じるこの頃である。矢野の神山の景色は、降りた露霜により紅葉(コウヨウ)しだしたようだ。
[注記] “歌枕”の “矢野の神山”、その場所は不明である。兵庫県、徳島県等々、諸所に想定されている。
秋18 (定家 秋・269)
[題詞] 水上落葉
ながれ行く木の葉の淀む江にしあれば暮れてののちも秋は久しき
(大意) 木の葉のよどんで流れぬ江であるから 秋が暮れてのちも ここには秋が久しく残っているように見える。
<漢詩>
江上落葉 江上の落葉 [上平声六魚韻]
流来乱落葉, 流れ来たる乱(ラン)落葉,
行至所江淤。 行(ユキ)ゆきて至(イタ)る江の淤(ヨド)む所。
四節秋過去, 四節(シセツ) 秋 過去(ユキサ)るも,
但茲秋氣舒。 但(タダ)茲(ココ)は 秋氣 舒(ジョ)たらん。
<簡体字表記>
江上落叶
流来乱落叶, 行至所江淤。
四节秋过去, 但兹秋气舒。
<現代語訳>
<江上落ち葉の淀んだところ> さまざまな落ち葉が流れ来って、流れ流れて、川のさる場所で淀んでいる。時節は変わって、間もなく秋は暮れることであろう、だが、落ち葉の淀むこの川では、その後も、秋の気配は続くことでしょう。
[注記]「川面のもみじ葉は、川の錦」と詠った能因法師(参考3)とは、真逆である。実朝の胸内には、“苦悶”の重しが淀んでいたように思える。
《冬の部》
冬1 (定家 冬・275) (『続古今集』 545)
詞書] 十月(カミナヅキ)一日(ツイタチ)よめる
秋はいぬ風に木の葉は散りはてて山さびしかる冬は来にけり
(大意) 秋は去ってしまった。風に木の葉は散り尽くし、山が寂しい様子を表す冬がやって来たのだ。
<漢詩>
孟冬情味 孟冬の情味 [上平声四支韻]
過秋草木衰, 秋は過(サ)りて 草木 衰え,
風刮落葉枝。 風 刮(フイ)て 葉落とす枝。
千里山清寂, 千里 山 清寂(セイジャク)にして,
顕然迎冷期。 顕然(ケンゼン)たり 冷時を迎える。
<簡体字表記>
孟冬情味
过秋草木衰, 风刮落叶枝。
千里山清寂, 显然迎冷期。
<現代語訳>
<初冬の情緒> 秋の季節が遷り替わり 草木が萎れてきた、風が吹いて 葉を落とした枝。千里四方 山はひんやりとして寂しい様子である、明らかに冬の寒い季節となっているのだ。
冬2 (定家 冬・290)
[詞書] 月影霜に似たりといふことを
月影の白きをみれば鵲のわたせる橋に霜やおきけむ
(大意) 月が白くさえているのは あの天上に鵲が渡した橋に霜を置いているからであろう。
<漢詩>
冬天銀漢 冬天の銀漢 [下平声七陽韻]
煌煌冬銀漢, 煌煌(コウコウ)たり冬の銀漢(ギンカン)、
奕奕鵲成梁。 奕奕(エキエキ)たる鵲(カササギ) 梁(ハシ)を成(ナ)す。
月影一明浄, 月影 一(イツ)に明浄(メイジョウ)たり,
是因橋上霜。 是(コ)れ橋上の霜に因るならん。
<簡体字表記>
冬天银汉
煌煌冬银汉, 奕奕鹊成梁。
月影一明净, 是因桥上霜。
<現代語訳>
<冬空の銀河> 天上に光り輝いている冬銀河、美しい鵲が羽を広げて橋をなす。月光はなんと冴えわたっていることか、それは鵲橋に置いた霜のせいなのであるよ。
冬3 (定家 冬・298) (『新勅撰集』 冬・408)
[詞書] 寒夜の千鳥
風寒み夜の更けゆけば妹が島形見の浦に千鳥なくなり
(大意) 風が寒くなって夜が更けて来ると ここ妹が島の形見の浦に千鳥の鳴く声が霧に響くことだ。
<漢詩>
寒夜鴴 寒夜の鴴(チドリ) [上平声十四寒韻]
風寒天一端, 風寒し 天の一端,
夜更思渺漫。 夜更けて 思い渺漫(ビョウマン)たり。
妹島形見浦, 妹島(イモガシマ) 形見(カタミ)の浦,
默聞鴴叫闌。 默(モク)して聞く 鴴の叫(ナ)くこと闌(タケナワ)なるを。
<簡体字表記>
寒夜鸻
风寒天一端, 夜更思渺漫。
妹岛形见浦, 默闻鸻叫阑。
<現代語訳>
<寒夜の千鳥> 風寒い夜、天の一端を眺めやる、夜更けて 思いは定まらない。妹が島 形見の浦にあって、耳を澄ますと 千鳥の鳴く声が聞こえてきた。
冬4 (定家 冬・311)
[詞書] 屏風の絵に三輪の山に雪の降れる気色を見侍りて
冬ごもりそれとも見えず三輪の山杉の葉白く雪の降れれば
(大意) 冬籠居していて、仰ぎ見ても三輪の山はそれとはっきり姿が見えない、杉の葉は真っ白に雪化粧されているから。
<漢詩>
三輪山雪景 三輪山の雪景(ユキゲシキ) [上平声四支韻]
望三輪山過冬時, 三輪山を望む 冬過ぎし時
杳杳模糊不别斯。 杳杳(ヨウヨウ) 模糊として斯くは别しえず。
杉葉輝輝銀装様, 杉の葉 輝輝(キキ)として銀装の様(サマ),
天花慢慢飄落滋。 天花 慢慢として 飄落(ヒョウラク)滋(シゲ)し。
<簡体字表記>
三轮山雪景
望三轮山过冬时,杳杳模糊不别斯。
杉叶辉辉银装样,天花慢慢飘落滋。
<現代語訳>
<三輪山の雪景色> 冬ごもりしている折、遠く三輪の山を望み見たが、雪が積もり遠くぼんやりとして それだと 輪郭がはっきりとは識別できない。杉の葉はまばゆいばかりに雪化粧の様子であり、雪はひらひらといっそう舞い落ちているのだ。
[注記] 奈良・桜井市にある三輪山の冬景色の屏風絵を見て詠った歌。三輪山は、古来信仰の山で大樹が茂り、特に杉は「三輪の神杉」として神聖視されている。
冬5 (定家 冬・323) (『風雅集』 巻八・冬・823)
[詞書] 雪
深山には白雪ふれりしがらきのまきの杣人道たどるらし
(大意) 山では雪が降っていて、道が雪に埋もれているので、信楽の真木の木こりたちは途方に暮れるのではないか。
<漢詩>
信楽樵夫憂 信楽 樵夫の憂い [上声七麌韻]
深山天花舞, 深山 天花舞い,
白雪蒙広土。 白雪 広土を蒙(オオイカク)す。
只恐樵夫惑, 只(タ)だ恐(オソ)る 樵夫(キコリ)は惑(トマド)い,
山中迷路苦。 山中 路に迷い苦(ク)ならん。
<簡体字表記>
信楽樵夫忧
深山天花舞, 白雪蒙広土。
只恐樵夫惑, 山中迷路苦。
<現代語訳>
<信楽の木こりの憂い> 山では雪が降っており、広い範囲が積もった白雪で覆われている。心配するのは 木こりが戸惑い、道に迷って苦労することになるのではないか と。
[注記] 実朝の視線は 信楽焼の作製に従事する庶民に向けられています。
冬6 (定家 冬・334)
[詞書] 雪
見わたせば雲居はるかに雪白し富士の高嶺のあけぼのの空
(大意) 遠く見渡してみると雲のある曙の大空に雪の白いのが見える、富士の高嶺である。
<漢詩>
銀裝富士 銀裝の富士 [上平声十五刪韻]
瞭望曙大空, 曙の大空を瞭望(リョウボウ)するに、
婉婉彩雲閒。 婉婉(エンエン)たり彩雲の閒(カン)。
雪白雲縫隙, 雲の縫隙(スキマ)に雪の白きあり,
翹翹富士山。 翹翹(ギョウギョウ)たり 富士の山。
<簡体字表記>
银装富士
瞭望曙大空, 婉婉彩云闲。
雪白云缝隙, 翘翘富士山。
<現代語訳>
<雪化粧した富士> 曙の大空を遥かに見渡すと、朝焼けの雲がゆったりと浮いている。雲の隙間から雪の白さが目に止まる、一際高く聳えた富士の高嶺である。
冬7 (定家 冬・343) (『新勅撰集』巻六冬・93)
[詞書] 歳暮
武士(モノノフ)のやそうじ川を行(ユク)水の流れてはやき年の暮かな
(大意) 宇治川を流れる水の流れの何と速いことか 同じように時のめぐりも速く 今や年の暮を迎えようとしている。
<漢詩>
歲暮 歲暮(セイボ) [下平声一先韻]
武士八十宇治川、 武士(モノノフ)の八十(ヤソ)宇治川(ウジガワ)、
活活河水若落天。 活活(カツカツ)として河水 天より落ちるが如し。
荏苒宛転時運去、 荏苒と宛転して時は運(メグリ)去(ユ)き、
弥弥日月逼残年。 弥弥(イヨイヨ) 日月 残年に逼(セマ)る。
<簡体字表記>
岁暮
武士八十宇治川、 活活河水若落天。
荏苒宛转时运去、 弥弥日月逼残年。
<現代語訳>
<年の暮> 武士(モノノフ)のやそ宇治川、河水 天より落ちるが如く勢いよく速く流れている。歳月も何らなすことがないまゝ転がるように過ぎて、今や年の瀬を迎えようとしている。
冬8 (定家 冬・349)
[詞書] 歳暮
乳房吸ふまだいとけなきみどり子の共に泣きぬる年の暮れかな
(大意) まだあどけない 乳飲み子が 母の乳房に吸い付きながら泣いている、つい貰い泣きするこの年の暮れであるよ。
<漢詩>
同情嬰児啼哭 嬰児の啼哭(ナク)に同情す [上平声一東韻]
天真嬰在母懷中, 天真(アドケナ)き嬰 母の懷中に在り,
吮母咂兒臉頰紅。 母の咂兒を吮(ス)って 臉頰(ホオ)は紅いに。
不覚為何開始哭, 為何(ナニユエ)か覚ず 哭(ナ)き開始(ハジメ)た,
灑同情淚此年終。 灑同情淚(モライナキ)している 此の年の終である。
<簡体字表記>
同情婴児啼哭
天真婴在母怀中, 吮母咂儿脸颊红。
不觉为何开始哭, 洒同情泪此年终。
<現代語訳>
<泣いている幼子に貰い泣き> あどけない嬰児が 母の胸に抱かれて、乳房を吸って ほっぺが紅に染まっている。何故か知らないが、つい貰い泣きしている この年の暮れである。
[注記] この歌の対象は庶民の親子でしょう。
《賀の部》
賀1 (定家 賀・353) (『玉葉集』 巻七1049)
[詞書] 慶賀の歌
千々の春万(ヨロズ)の秋にながらえて月と花とを君ぞ見るべき
(大意) 千年も万年も生き永らえて 君は月と花とを数え切れぬほど何回も見るであろう。
<漢詩>
慶賀君長寿 君の長寿を慶賀す [去声八霽韻]
四時肅肅更遷逝, 四時は肅肅として更(コモ)ごも遷(ウツ)り逝(ユ)き,
君寿悠悠千万歲。 君 悠悠として千万歲を寿(イキナガラ)えん。
遇見時時花亦月, 時時(オリオリ)の花亦(ト)月に遇見(デア)い,
傲賞勝事長久計。 勝事を賞でるに傲れること長久に計(ハカ)らん。
<簡体字表記>
庆贺君长寿
四时肃肃更迁逝, 君寿悠悠千万岁。
遇见时时花亦月, 傲赏胜事长久计。
<現代語訳>
<君の長寿を慶賀す> 時節は静かに次々に移り変わっていくが、君は悠悠と千万歳も生き永らえよう。折々の花と月に出会い、この先幾久しく素晴らしい風物を愛でて楽しむことであろう。
賀2 (定家 賀・362)
[詞書] 大嘗会の年の歌に
黒木もて君がつくれる宿なれば万代(ヨロズヨ)経(フ)とも古(フ)りずもありなむ
(大意) 皮付きの木で君が作られた祭殿であるので 万年経(タ)とうとも古びることなく存在することでしょう。
<漢詩>
慶賀大嘗会 大嘗会を慶賀す [上平声四支韻]
黑檀為祭殿, 黑檀(コクタン)もて祭殿と為(ナ)す,
君子乃建斯。 君子 乃(スナワチ) 斯(コレ)を建(タ)つ。
万代無糟朽, 万代 糟朽(ソウキュウ)すること無く,
迢迢保逸姿。 迢迢(チョウチョウ)として逸姿(イツシ)を保(タモ)たん。
<簡体字表記>
庆贺大嘗会祭殿
黑檀为祭殿, 君子乃建斯。
万代无糟朽, 迢迢保逸姿。
<現代語訳>
<大嘗会を賀す> 黒木でもって祭殿を建てる、これは君が建てられたものである。万代経ろうとも朽ちることなく、長しえにその威容を保ち続けることでしょう。
[注記] 建暦二年(1212、実朝21歳)十一月十三日に行われた順徳天皇即位に伴う大嘗会の折に詠われた歌であろうとされる。
賀3 (定家 賀・364)
[詞書] 花の咲けるを見て
宿にある桜の花は咲きにけり千歳の春も常かくし見む
(大意) 我が家の桜の花が今年も咲いた、この先千年にもわたって春になればこの美しい花を見ようと思う。
<漢詩>
賞桜花 桜花を賞す [下平声六麻韻]
四時代謝九重霞, 四時 代謝し 九重の霞かかる時期,
今見庭桜擾弱華。 今庭の桜に擾弱(ワカワカ)として華(ハナサク)を見る。
千歲春裝如此趣, 千歲 春の裝(ヨソオイ) 此の趣の如くに,
欲翫美麗感無涯。 美麗(ビレイ) 感 涯無く翫(メデ)んものと思う。
<簡体字表記>
赏樱花
四时代谢九重霞,今见庭樱擾弱华。
千岁春装如此趣,欲玩美丽感无涯。
<現代語訳>
<桜の花をめでる> 季節は変わって 今は霞がかかる春の季節となった、我が家の庭の桜が開花したばかりである。この先千年も 今日のような春の訪れがある度に、思い果てなくこの美しい桜の花を愛でることとしよう。
賀4 (定家 賀・366) (『玉葉集』賀・1359;『続後撰集』 )
[詞書] 二所詣で侍りし時
ちはやぶる伊豆のお山の玉椿(タマツバキ)八百(ヤオ)万代(ヨロズヨ)も色は変わらじ
(大意) 神のおられる伊豆の御山の玉椿は 長い長い年月が経ってもその美しい色は変わらないだろう。
<漢詩>
茶花悠久 悠久なる茶花 [上平声十五刪 -下平声一先通韻]
激捷伊豆山,激捷(チハヤブル) 伊豆(イズ)の山,
山茶玉樹妍。山茶の玉樹(ギョウクジュ)妍(ケン)なり。
鮮紅花熠熠,鮮紅の花 熠熠(ユウユウ)として,
不変漫長年。漫長(マンチョウ)の年 変らず。
<簡体字表記>
茶花悠久
激捷伊豆山,山茶玉树妍。
鲜红花熠熠,不变漫长年。
<現代語訳>
<悠久の山椿の花> ちはやぶる伊豆権現のある山、山椿の玉樹が美しく花をつけている。その鮮紅の花は光り輝いており、千万年に亘って、咲き続けることでしょう。
《恋の部》
恋1 (定家 恋・374) (『続後撰集』 巻十一・恋一・647)
わが恋は初山藍のすり衣人こそ知らねみだれてぞおもう
(大意) わが恋はたとえば山藍の摺り衣の初衣のようなものだ、初恋だから人には分からぬが、心はみだれて物思うことである。
<漢詩>
初恋心 初恋の心 [下平声十二侵韻]
吾恋何所似, 吾が恋 何に似たる所ぞ,
此心人不斟。 此の心 人斟(ク)まず。
摺衣穿初次, 摺衣(スリゴロモ) 穿(キ)る初次(ハジメ),
共乱麗紋心。 共に乱れてあり麗(ウル)わしき紋(モンヨウ)とわが心。
<簡体字表記>
初恋心
吾恋何所似, 此心人不斟。
摺衣穿初次, 共乱丽纹心。
<現代語訳>
<初恋の心> 私の初恋のこころ 何に譬えられようか、この心を誰も分からないでしょう。ちょうど藍染の摺衣の作り立てを着た時のようなものだ、摺衣の美しい乱れ模様と同じく私の心も乱れているのです。
[注記] “摺衣”とは、山藍やつゆ草などの茎や葉などを白い衣に摺りつけて染めた衣類のこと。初恋など、心の乱れていることの表徴。
恋2 (定家 恋 407) (『風雅集』 巻十三・恋・1286)
[詞書] こひの心をよめる
君に恋ひうらぶれをれば秋風になびく浅茅の露ぞ消(ケ)ぬべき
(大意) 君に恋い焦がれているが、想いは通ぜず、しょぼんとしている。秋風が吹き、風に靡いた浅茅に降りた露と同じく私は散り失せてしまいそうだ。
<漢詩>
思不相通 思い相(アイ)通わず [下平声二蕭韻]
綿綿恋慕焦, 綿綿(メンメン)たり 恋慕 焦(コガ)れ,
繚倒我心凋。 繚倒(リョウトウ)し 我が心 凋(シボ)む。
茅草秋風靡, 茅草(チガヤ)は秋風に靡き,
白露就落消。 白露 就(ジキ)に落ち消えよう。
<簡体字表記>
思不相通
绵绵恋慕焦, 缭倒我心凋。
茅草秋风靡, 白露就落消。
<現代語訳>
<思い通ぜず> 恋い慕う思いが綿綿といつまでも続き、想い通ぜず、しょんぼりとして心が萎えている。一陣の秋風が吹けば、チガヤの草は靡き、葉に置いた露が散るように、わが身も果ててしまいそうだ。
恋3 (定家 恋・417)
[詞書] 頼めたる人に
を篠原(ザサハラ)おく露寒み秋されば松虫の音(ネ)になかぬ夜ぞなき
(大意) 小笹原に露が降りて、寒い秋になると松虫が鳴かない夜はない。私は、来ぬ人をまちつつ、夜ごと泣いています。
<漢詩>
所思沒来 所思(オモイビト)来たらず [上平声一東韻]
秋来細竹露寒風,秋来たりて細竹(ササタケ)に置く露 風寒し,
唧唧哀鳴夜羽虫。唧唧(ジイジイ)と哀(カナシ)く鳴く 夜の羽虫(マツムシ)。
約定所思無到訪,約定(ヤクソク)せし所思 到訪(オトズレ)無く,
夜夜待着流淚紅。夜夜 待着(マチツツ)流す淚 紅なり。
<簡体字表記>
所思没来
秋来细竹露寒风,唧唧哀鸣夜羽虫。
约定所思无到访,夜夜待着流泪红。
<現代語訳>
<意中の人の訪れを待つ> 秋の訪れとともに笹竹の葉に露がおり 渡る風が寒く、夜になると松虫がジイジイと悲しく鳴いている。意中の人は、訪ねますと約束しながら 姿を見せてくれない、毎夜 涙を流して待ち、涙が血に染まるほどである。
恋4 (定家 恋・433)
[詞書] 名所の恋
神山の山下水のわきかえりいはでもの思うわれぞかなしき
(大意) 心はわき返りながら 口に出さず心の中で恋い悩んでいる自分が悲しい。
<漢詩>
隱秘熱烈恋 隱秘せし熱烈なる恋 [上平声五微― 四支通韻]
神山曲水隈,神山 曲水の隈(クマ),
噴出泉水奇。噴出せる泉水(センスイ)奇なり。
我忍思澎湃,我 思いの澎湃(ホウハイ)せしを忍び,
默然何可悲。默然(モクネン)たること 何ぞ可悲(カナ)しき。
<簡体字表記>
隐秘热烈恋
神山曲水隈,喷出泉水奇。
我忍思澎湃,默然何可悲。
<現代語訳>
<秘めた熱烈な恋> 神山の麓の曲がりくねった小川の奥まったところで、激しく湧き出す泉水は驚くほどである。私は 泉水にも勝る、湧きかえるほどの想いを忍び、口に出せずにいるが、何と悲しいことか。
恋5 (定家 恋・454) (『新勅撰集』 巻二・ 801)
[詞書] 暁の恋
さ筵(ムシロ)に露のはかなくおきて去なば 暁ごとに消えやわたらむ
(大意) 君が起きて帰ってしまうと さむしろに涙をはかなく置いて 暁ごとにわたしは恋の悲しさのために死にそうな思いを続けるのです。
<漢詩>
暁時憂愁 暁時(アカツキ)の憂愁 [上平声十灰-上平声四支通韻]
君臨晨忽起帰回,君 晨に臨んで忽(コツ)として起き 帰回(カエ)る,
我床単上降露滋。我 床単(ウワジキ)上に露を降(オ)くこと滋(シゲ)し。
猶如朝露就消尽,朝露 就に消尽(ショウジン)するが猶如(ゴトク)に,
悲痛欲絶每暁時。暁時每に 悲痛(カナシミ)に(身を)絶えんと欲す。
<簡体字表記>
暁時憂愁
君临晨忽起归回,我床单上降露滋。
犹如朝露就消尽,悲痛欲绝每晓时。
<現代語訳>
<暁の憂鬱> あなたは 朝に起きるとすぐに帰られる、わたしは 上敷きの上に涙を流して耐えている。あたかも朝の露がすぐに消えてしまうように、暁にいつも身を亡ぼしたくなるほどに 悲しい思いに駆られるのです。