秋も深まり、侘しさを覚えるころである。旅にあって、人気のない野原を行く時、遠くから鹿の鳴き声が聞こえてきた。この時こそ、旅の侘しさ、悲しさを覚える時である。きっと鹿も孤独で、友を求めて彷徨っているのであろう、と思い遣っている風である。
実朝のこの歌は、かの有名な猿丸大夫の歌の“本歌取り”の歌とされている。菅原道真公(?)も、猿丸大夫の歌に思いを得た漢詩を作っており、筆者は、曽て漢詩への翻訳を試みました。これを機に、併せて、それぞれの特徴を比較検討してみます(後述)。
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[詞書] 羇中鹿
秋もはや すえのはらのに 鳴く鹿の
声聞く時ぞ 旅は悲しき (『金槐集』旅・519)
(大意) 秋も はや末となり末野の原で鹿の鳴き声を聞いて、その時こそ旅の
悲しさを覚えるのであった。
[註] 〇すえのはらの:“秋の末の原野に”、“末野の原に”の両解釈がある。
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<漢詩>
羇中聞鹿叫 [上平声四支韻]
則已季秋期, 則(スナワ)ち已に季秋の期,
芒芒末野涯。 芒芒(ボウボウ)たり末野の涯(ホトリ)。
呦呦聞鹿叫, 呦呦(ヨウヨウ)として鹿の叫(ナ)くを聞く,
此刻覚羈悲。 此刻こそ 羈(タビ)の悲しみを覚ゆ。
[註] 〇芒芒:果てしなく広いさま; 〇末野:地名、末野の原;
〇呦呦:鹿の鳴き声; 〇羈:旅。
<現代語訳>
旅にあって鹿の鳴き声を聞く
もはや秋も末の季節となった、
広々とした末野の原のほとり。
遠くに鹿の鳴き声を聞く、
この時こそ 旅にあって秋の悲しみを覚える時である。
<簡体字およびピンイン>
羇中闻鹿叫 Jī zhōng wén lù jiào
则已季秋期, Zé yǐ jì qiū qī,
芒芒末野涯。 máng máng mòyě yá.
呦呦闻鹿叫, Yōu yōu wén lù jiào,
此刻觉羁悲。 cǐ kè jué jī bēi.
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実朝の歌の“本歌”とされる歌:
奥山に もみじふみ分け 鳴く鹿の
声聞く時ぞ 秋は悲しき
(猿丸大夫 『古今集』巻四・秋上・215; 百人一首5番)
(大意) 山奥で鹿が紅葉の落ち葉を踏みしだき、彷徨い鳴いている、その鳴き
声を聞く時、秋の悲しみが一入深く感じられる。
- 『新撰万葉集』(菅原道真 編?)から、菅原道真(作?)の漢詩:
(詳細は 閑話休題209 参照)
秋山寂寂葉零零, 秋山 寂寂(セキセキ)として葉 零零,
麋鹿鳴音数処聆。 麋鹿(シカ)の鳴く音(ネ) 数処に聆(キ)く。
勝地尋来遊宴処, 勝地(ショウチ)に尋(タズネ)来たり遊宴(ヨウエン)の処,
無朋無酒意猶冷。 朋(トモ)無く酒無し 意(イ)猶(ナオ) 冷(サム)し。
[註] ○寂寂:物寂しいさま; 〇零:(花や葉が)枯れておちる;
〇麋鹿:中国原産のシカの一種、四不像とも言う; 〇聆:聞く、じっと
聞く; 〇勝地:景勝の地; 〇朋:友達; 〇冷:さむい、つめたい。
<現代語訳>
秋山は寂しく落葉ふりしきり,
鹿の鳴く声 かなたこなたに聞こゆ。
勝景を愛して人は来たり遊べど、
友はなく酒なく わが心さびし。
<簡体字およびピンイン>
秋山寂寂叶零零, Qiū shān jí jí yè líng líng, [下平声九青韻]
麋鹿鸣音数处聆。 mílù míng yīn shù chù líng.
胜地寻来游宴处, Shèng dì xún lái yóu yàn chù,
无朋无酒意犹冷。 wú péng wú jiǔ yì yóu lěng. [上声二十三梗韻]
- 『こころの詩(ウタ) 漢詩で詠む百人一首』から、筆者の翻訳詩:
季秋有懐 季秋に懐(オモ)い有り [上平声四支韻]
遥看深山秋色奇,遥かに看(ミ)る深山 秋色奇(キ)なり,
蕭蕭楓景稍許衰。蕭蕭(ショウショウ)として楓の景(アリサマ)に稍許(イササ)か衰えあり。
呦呦流浪踏畳葉,呦呦(ヨウヨウ)鳴きつつ畳(チリシイ)た葉を踏んで流浪(サマヨ)うか,
聞声此刻特覚悲。鹿の鳴き声を聞くその時こそ 特に秋の悲しさを覚える。
註] ○季秋:晩秋; ○蕭蕭:木の枝が風に鳴って寂しげなさま;
○稍許:少しばかり; ○畳:散り敷く; 〇呦呦:鹿の鳴き声。
<現代語訳>
晩秋の懐い
遥かに遠く奥山に目をやると鮮やかな秋の彩である、
物寂しく風にそよぐ紅葉、しかしその景色にやや衰えが見える。
雌を求めて鳴き鳴き 散り敷く紅葉の葉を踏んで流浪(サマヨ)っているか、
鹿の鳴き声を聞くその時こそ 秋の悲しみが一入深く感じられる。
[考察]
『新撰万葉集』の漢詩について:
1.『新撰万葉集』は、一般に、和歌の“漢詩訳書”(翻訳書)と捉えられている。
この点、疑問に思われる。猿丸大夫の歌を対象に考えてみたい。
- 猿丸の歌を“本歌”とした“本歌取り”の漢詩とみるべきである。
(理由)猿丸の歌の主旨は、「鹿の鳴き声を聞く時こそ秋は悲しい」
のに対して、『新撰万葉集』では、「鹿の鳴き声もさることながら、
遊宴の地に居ながら、相棒はなく、お酒がないのが、一層寒々とする」
と、主旨・主張が異なる。
即ち、「猿丸大夫の和歌における主旨に思いを得て、さらに発展した"自ら
の主張"を漢詩にしたものと考えられる。
因みに、 筆者の漢詩では、晩秋の情景を背景に、主旨・主張は
猿丸に合わせた。明らかに翻訳と考えている。
菅原道真と同時代の大江千里(チサト)は、漢詩の中の1句、例えば、
白居易の「長恨歌」の一句、に思いを得て和歌を詠む“句題和歌”を
盛んに詠んでいた(『こころの詩(ウタ) .......』歌No.23参照)。
『新撰万葉集』の漢詩は、それと逆の手法を採ったものと推察する
が如何?
即ち、定家によって確立され、実朝も得意とした「本歌取り」の技法に
倣って言えば、「“本歌取り”の漢詩」と定義できるのではないでしょうか。
3.ピンインで示したように、『新撰万葉集』の漢詩は、今日の規則に従え
ば、正しい押韻とは言えない。但し、邦語の“音読み”では、“零”、“聆”
および“冷”のいずれも“レイ”であり、一見、同じ“韻”に思えるが。
目下、実朝・『金槐集』の歌の漢詩化を試みている。実朝の“思い”・“こころ”を伝えることを一義として、終始その思いを胸に 進めている。