ドラマの話を続けます。
若曦は、一本のローソクに火を点けて、独りで自分の誕生日を祝っています。フッとローソクの火を消して、寛ごうとしたその時、扉の向こうで、来客のお訪ない音が聞こえた。
急いでローソクを取り除き、仕舞い込んで、「どうぞお入りください」と招く。
「良妃に仕える宮女です。若曦さんが、宮女のハンカチに描かれた花柄が評判なため、良妃も依頼したいということで、お願いに参りました」と、若い女性が来訪の趣旨を伝えます。
良妃とは、康熙帝の側女、第八皇子の実母です。出自の家柄が必ずしも高くないということで、非常に控えめな生活を送っています。どうやら、赦免され、復位したとは言え、蟄居の身の第八皇子の手回しで、若曦の誕生日を祝うために、声を掛けさせたような気配です。
若曦が良妃を訪ねると、姉の若蘭も居あわせていた。良妃は、「今日は、あなたにハンカチの図案を描いてもらおうと呼んだの」と、改めて、呼んだ意図を伝えます。若曦は、「良妃のお目に止まり、光栄です」と、軽く会釈を返します。
良妃は、「私の好みを教えてあげて」と、若蘭に指図する。若蘭は頷いて、若曦を伴って、別室に行きます。“控えめな色合いがお好みです”と、若蘭の助言を聞くと、若曦は、早速、机に向かい、筆を執って、何枚かの図案を描きます。
若蘭姉妹は、出来た絵を持って、良妃の部屋に向かいます。良妃は、それらの絵を一枚一枚丹念に見比べた後、一枚をとり、「梨の花?ハンカチの図柄としては珍しいわ」と微笑んで、「これを刺繍して」と、宮女に指図します。
若曦は、「“丘 処機 (キュウ ショキ)”の歌った“無俗念”を表現しています」と、一言言い添えると、良妃も納得した風であった。
良妃と若曦両人の、心の通い合ったわずかな言葉のやり取りを理解するための手助けに、ここで、“丘 処機”ならびに彼の “無俗念”について触れます。“無俗念”は、その一部を末尾に挙げました。適宜参照しつゝ、読み進めてください。
ここで、蛇足を加えるなら、これまでに本稿で取り上げた作品はほとんど“詩”のジャンルに属するものでしたが、今回の作品は“詞”と分類される文学作品です。ある決まったメロデイーに合わせて歌う“歌詞”と考えてよいでしょうか。宋代に広く作られた詩体です。
丘 処機 (1148-1227)は、先に触れた蘇軾 (東坡;1037-1101)の約半世紀後に活躍した人です。ただし、これまでに本稿で触れた人物は、蘇軾はじめすべて詩人、政治家または官僚などでしたが、丘 処機は、異色の宗教人と言ってよいでしょうか。
丘 処機は、道教の流れを酌む一派の“全真教”の指導者の一人で、教えを修めたことを表す“真人”です。“全真教”とは、王重陽 (1112-1170)が、道教に加えて、儒教の朱子学および仏教の禅宗の教えを融合させようとする、儒仏道の「三教一致」を標榜した新しい教義の宗教です。
すなわち、道士の修練に関しては、自分自身の修行である“真功”と他者の救済を行う“真行”ともに全くする「功行両全」を主張している。その教えを修め、教勢の拡大に努めた七人の高弟たちは、特に“七真人”と呼ばれていて、丘 処機はその筆頭に当たるとされています。
丘 処機は、晩年、蒙古を統一して、西域に力を伸ばしつつあるジンギス・ハンを、その遠征地に、高齢を押して訪ねています(1220-1224)。その折、ジンギス・ハンから、「遠路はるばる来られたからには、朕に役立つ長生の薬を持ってこられたであろう」と下問された。
そこで丘 処機は、「衛生の道あり、されど長生の薬なし」と“全真教”の教えを説いています。すなわち、“不老不死の薬など迷信に過ぎない、養生の道こそが大切である” という意味である。ジンギス・ハンの信頼を得て、蒙古帝国の占領地での全真教保護の特許を得た と。
詞「無俗念」の話に戻って、この題及び作者からも推察できるように、宗教色が色濃く、抽象的で非常に難解な内容です。この詞全体は、20句からなり、末尾にはその前半を挙げました。この前半の趣旨は、真っ白い‘梨花は、高潔で、脱俗的な雰囲気を表徴している’ということに尽きると思われます。
詞の後半では、若い尼の“真人”について述べています。“肌は氷雪の如く、しとやかさは処女の如く”、と人物像が描かれています。前半の‘梨花’は、この人物を引き出すための序章部と考えてよいでしょうか。
ドラマの中で、良妃が、詞の内容を思い出しつつ、次のように諳んじており、後半の内容は、それら数言に尽きるように思われます:
“姿は見目麗しく、意気ごみ高潔なり。魂は気高く、才能傑出す。”
続けて良妃は、微笑を浮かべて、「ハンカチ図柄としては、荷が重すぎるわね。……着眼点が素晴らしいのね!」と満足げに、若曦の発想を讃えます。(第十話から)
以下の詞の解釈は、ネット上、主に次の記事を参考にしています。
古詩文網
http://so.gushiwen.org/view_71605.aspx
xxxxxxxxx
無俗念 丘 処機
<原文と読み下し文>
春遊浩蘯,是年年、寒食梨花時節。
…春遊(シュンヨウ)浩蘯(コウトウ)として,是 年年、寒食(カンショク) 梨花の時節。
白錦無纹香爛漫,玉樹瓊葩堆雪。
…白錦(ハクキン)無纹(ムモン) 香 爛漫(ランマン),玉樹(ギョクジュ)の瓊(ケン)たる葩(ハナビラ)雪 堆(ウズタカ)し。
静夜沈沈,浮光靄靄,冷浸溶溶月。
…静夜 沈沈(チンチン),浮光(フコウ)靄靄(アイアイ),冷たく浸(ソソ)ぐ溶溶(ヨウヨウ)たる月。
人間天上,爛銀 霞照通徹。
…人間(ジンカン) 天上,爛(ラン)たる銀 霞(カ) 照(ヒカリ)通徹(ツウテツ)す。
<語訳と解説>
・春遊:春の野遊び、浩蘯:広々としたさま。春遊浩蘯:芳草が生い茂り、花が満天に舞っている広々として晩春の野の情景を示している。
・寒食:清明節(四月五日頃)の前日。昔この日から三日間は食事のための火を使わず、冷たいものを食べたことから。寒食節ともいう。
・白錦無纹:文様の入っていない、あるいは汚れのない白い錦の織物。
・香爛漫:香る花、ここでは梨花、があざやかに咲き乱れている状況。
・瓊葩:玉のように美しい花びら、堆雪:雪が積もっている。梨の花の真っ白い花びらは、雪が積もっているように見えること。白梅や梨花など、真っ白い花の白さを良く雪で表現することが多い。
・浮光:水面で反射する光をいう。靄靄:雲や靄が蜜に集まるさま。
・冷浸:やや寒い夜気がしみ込んでくるような景色、溶溶月:ひそかに開き始めた梨花が広がる月光の中にある。
・爛銀:鮮やかな白銀色の梨花。霞:夕焼け。照通徹:光が貫いている。
<現代語訳>
年ごとに芳草が生い茂る広々とした春遊びの野、寒食節のころ、ちょうど梨花の時節である。
汚れのない白錦の如く梨花が咲き乱れ、この樹の美しい花びらは雪化粧したように見える。
夜は静かに更けていき、月光は反射して靄が掛かったようで、夜気を帯びて広い野に注いでいる。
この世と天上と、鮮やかな雪明りの梨花と明るい月の光とが入り交じっていて、高潔で、脱俗的な雰囲気を醸し出している。
若曦は、一本のローソクに火を点けて、独りで自分の誕生日を祝っています。フッとローソクの火を消して、寛ごうとしたその時、扉の向こうで、来客のお訪ない音が聞こえた。
急いでローソクを取り除き、仕舞い込んで、「どうぞお入りください」と招く。
「良妃に仕える宮女です。若曦さんが、宮女のハンカチに描かれた花柄が評判なため、良妃も依頼したいということで、お願いに参りました」と、若い女性が来訪の趣旨を伝えます。
良妃とは、康熙帝の側女、第八皇子の実母です。出自の家柄が必ずしも高くないということで、非常に控えめな生活を送っています。どうやら、赦免され、復位したとは言え、蟄居の身の第八皇子の手回しで、若曦の誕生日を祝うために、声を掛けさせたような気配です。
若曦が良妃を訪ねると、姉の若蘭も居あわせていた。良妃は、「今日は、あなたにハンカチの図案を描いてもらおうと呼んだの」と、改めて、呼んだ意図を伝えます。若曦は、「良妃のお目に止まり、光栄です」と、軽く会釈を返します。
良妃は、「私の好みを教えてあげて」と、若蘭に指図する。若蘭は頷いて、若曦を伴って、別室に行きます。“控えめな色合いがお好みです”と、若蘭の助言を聞くと、若曦は、早速、机に向かい、筆を執って、何枚かの図案を描きます。
若蘭姉妹は、出来た絵を持って、良妃の部屋に向かいます。良妃は、それらの絵を一枚一枚丹念に見比べた後、一枚をとり、「梨の花?ハンカチの図柄としては珍しいわ」と微笑んで、「これを刺繍して」と、宮女に指図します。
若曦は、「“丘 処機 (キュウ ショキ)”の歌った“無俗念”を表現しています」と、一言言い添えると、良妃も納得した風であった。
良妃と若曦両人の、心の通い合ったわずかな言葉のやり取りを理解するための手助けに、ここで、“丘 処機”ならびに彼の “無俗念”について触れます。“無俗念”は、その一部を末尾に挙げました。適宜参照しつゝ、読み進めてください。
ここで、蛇足を加えるなら、これまでに本稿で取り上げた作品はほとんど“詩”のジャンルに属するものでしたが、今回の作品は“詞”と分類される文学作品です。ある決まったメロデイーに合わせて歌う“歌詞”と考えてよいでしょうか。宋代に広く作られた詩体です。
丘 処機 (1148-1227)は、先に触れた蘇軾 (東坡;1037-1101)の約半世紀後に活躍した人です。ただし、これまでに本稿で触れた人物は、蘇軾はじめすべて詩人、政治家または官僚などでしたが、丘 処機は、異色の宗教人と言ってよいでしょうか。
丘 処機は、道教の流れを酌む一派の“全真教”の指導者の一人で、教えを修めたことを表す“真人”です。“全真教”とは、王重陽 (1112-1170)が、道教に加えて、儒教の朱子学および仏教の禅宗の教えを融合させようとする、儒仏道の「三教一致」を標榜した新しい教義の宗教です。
すなわち、道士の修練に関しては、自分自身の修行である“真功”と他者の救済を行う“真行”ともに全くする「功行両全」を主張している。その教えを修め、教勢の拡大に努めた七人の高弟たちは、特に“七真人”と呼ばれていて、丘 処機はその筆頭に当たるとされています。
丘 処機は、晩年、蒙古を統一して、西域に力を伸ばしつつあるジンギス・ハンを、その遠征地に、高齢を押して訪ねています(1220-1224)。その折、ジンギス・ハンから、「遠路はるばる来られたからには、朕に役立つ長生の薬を持ってこられたであろう」と下問された。
そこで丘 処機は、「衛生の道あり、されど長生の薬なし」と“全真教”の教えを説いています。すなわち、“不老不死の薬など迷信に過ぎない、養生の道こそが大切である” という意味である。ジンギス・ハンの信頼を得て、蒙古帝国の占領地での全真教保護の特許を得た と。
詞「無俗念」の話に戻って、この題及び作者からも推察できるように、宗教色が色濃く、抽象的で非常に難解な内容です。この詞全体は、20句からなり、末尾にはその前半を挙げました。この前半の趣旨は、真っ白い‘梨花は、高潔で、脱俗的な雰囲気を表徴している’ということに尽きると思われます。
詞の後半では、若い尼の“真人”について述べています。“肌は氷雪の如く、しとやかさは処女の如く”、と人物像が描かれています。前半の‘梨花’は、この人物を引き出すための序章部と考えてよいでしょうか。
ドラマの中で、良妃が、詞の内容を思い出しつつ、次のように諳んじており、後半の内容は、それら数言に尽きるように思われます:
“姿は見目麗しく、意気ごみ高潔なり。魂は気高く、才能傑出す。”
続けて良妃は、微笑を浮かべて、「ハンカチ図柄としては、荷が重すぎるわね。……着眼点が素晴らしいのね!」と満足げに、若曦の発想を讃えます。(第十話から)
以下の詞の解釈は、ネット上、主に次の記事を参考にしています。
古詩文網
http://so.gushiwen.org/view_71605.aspx
xxxxxxxxx
無俗念 丘 処機
<原文と読み下し文>
春遊浩蘯,是年年、寒食梨花時節。
…春遊(シュンヨウ)浩蘯(コウトウ)として,是 年年、寒食(カンショク) 梨花の時節。
白錦無纹香爛漫,玉樹瓊葩堆雪。
…白錦(ハクキン)無纹(ムモン) 香 爛漫(ランマン),玉樹(ギョクジュ)の瓊(ケン)たる葩(ハナビラ)雪 堆(ウズタカ)し。
静夜沈沈,浮光靄靄,冷浸溶溶月。
…静夜 沈沈(チンチン),浮光(フコウ)靄靄(アイアイ),冷たく浸(ソソ)ぐ溶溶(ヨウヨウ)たる月。
人間天上,爛銀 霞照通徹。
…人間(ジンカン) 天上,爛(ラン)たる銀 霞(カ) 照(ヒカリ)通徹(ツウテツ)す。
<語訳と解説>
・春遊:春の野遊び、浩蘯:広々としたさま。春遊浩蘯:芳草が生い茂り、花が満天に舞っている広々として晩春の野の情景を示している。
・寒食:清明節(四月五日頃)の前日。昔この日から三日間は食事のための火を使わず、冷たいものを食べたことから。寒食節ともいう。
・白錦無纹:文様の入っていない、あるいは汚れのない白い錦の織物。
・香爛漫:香る花、ここでは梨花、があざやかに咲き乱れている状況。
・瓊葩:玉のように美しい花びら、堆雪:雪が積もっている。梨の花の真っ白い花びらは、雪が積もっているように見えること。白梅や梨花など、真っ白い花の白さを良く雪で表現することが多い。
・浮光:水面で反射する光をいう。靄靄:雲や靄が蜜に集まるさま。
・冷浸:やや寒い夜気がしみ込んでくるような景色、溶溶月:ひそかに開き始めた梨花が広がる月光の中にある。
・爛銀:鮮やかな白銀色の梨花。霞:夕焼け。照通徹:光が貫いている。
<現代語訳>
年ごとに芳草が生い茂る広々とした春遊びの野、寒食節のころ、ちょうど梨花の時節である。
汚れのない白錦の如く梨花が咲き乱れ、この樹の美しい花びらは雪化粧したように見える。
夜は静かに更けていき、月光は反射して靄が掛かったようで、夜気を帯びて広い野に注いでいる。
この世と天上と、鮮やかな雪明りの梨花と明るい月の光とが入り交じっていて、高潔で、脱俗的な雰囲気を醸し出している。