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金槐集中、四季の部で夏の歌は最も少ない(38首)が、その中で最も多いのがホトトギスを詠んだ歌のようである(22首)。ホトトギスは、新緑の深まる初夏に日本に渡来し、夏の訪れを告げる鳥、“時鳥”の字があてられるが、その他多くの当て字または呼び名がある。“杜鵑”は、中国故事由来の呼称のようである。
平安時代には、その初音を朝一番に聞くのを楽しみにして、夜明けまで待機することが流行っていたようである。またその年に初めて聞く鳴き声を“忍(シノ)び音(ネ)”といい、 “忍び音”を誰よりも早く聞こうと競っていたと。実朝の歌は、その京の言い伝えを念頭においた歌と言えようか。
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[詞書] 郭公を待つ
郭公(ホトトギス) 必ず待つと なけれども
夜な夜な目をも さましつるかな (金槐集 夏・123)
(大意) ホトトギスが来て鳴くのを是非に待つということではないのだが、
もしや来るのではないかと 夜な夜な目をさますのだ。
註] 〇必ずまつ:ぜひ待つというわけではないが、もしやと思って。
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<漢詩>
等忍音 忍び音を等(マ)つ [上平声十灰 ]
杜鵑鳴覚夏, 杜鵑(トケン)鳴いて 夏来たるを覚(オボ)ゆ,
不必須等来. 必須(カナラズ)しも杜鵑の来(ク)るを等(マツ)にはあらず。
或許会来叫, 或許(モシ)や来(キ)て叫(ナ)くことが会(アル)やもしれず,
每夜醒頻催. 每夜(ヨゴト)醒(メザメル)こと頻(シキリ)に催す。
註] 〇忍音:その年、初めて聞くホトトギスの鳴き声; 〇或許:ひょっと
したら……かもしれない。
<現代語訳>
忍び音を待つ
ホトトギスの鳴き声を聞くと夏の訪れである、
是非にもホトトギスを待っているというわけではないが。
もしや鳴き声が聞けるかもしれないと、
夜な夜な しきりに目を醒ますのである。
<簡体字およびピンイン>
等忍音 Děng rěn yīn
杜鹃鸣觉夏, Dùjuān míng jué xià,
不必须等来. bù bì xū děng lái.
或许会来叫, Huòxǔ huì lái jiào,
每夜醒频催. měi yè xǐng pín cuī.
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建暦元年(1211、実朝20歳)は、当時、鎌倉3大寺の一つ永福寺(ヨウフクジ)を尋ねている。前日の朝、ホトトギスの初声を聞いたという知らせを聞いて、自らその声を聞きたいものと訪ねたのであろう。
歌詠み仲間数人が連れ立って訪ねたようである。恐らくは、“初音”を聞いたのちに、ホトトギスを歌題にして、歌会を開こうという意図があったのではないでしょうか。しかし鳴き声を聞くことは叶わず、空しく帰途についたとのことである。
なお、実朝の掲歌は、次の歌を参考に詠まれたとされている。
桐の葉も ふみわけがたく なりにけり
必ず人を まつとなけれど (式子内親王 新古今集 巻五・秋歌下・534)
(大意) 桐の葉も落ちては積もり、人の来訪がないので踏み分けにくいほどに
なってしまった。必ずしも、人を待っているというわけではないのだ
けれど。
ふた声と きくとはなしに ほととぎす
夜ふかく目をも さましつるかな (伊勢 後撰集 巻四・172)
(大意) 耳を澄まして、はっきりと聞いたということではないが、夜中に目を
覚まして ホトトギスの鳴き声を聞いたよ。
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待ちに待ったホトトギスの“忍び音”を聞くことが叶いました。但し、月光の下、深山の奥から出たばかりで、身近な里での鳴き声ではない。久方ぶりに旧友に逢えた際のような喜びの響きが感じられる歌ではある。
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あしびきの 山時鳥 み山いでて
夜ぶかき月の かげに鳴くなり (『金塊集』夏・127、『風雅集』夏・332)
(大意) 山ホトトギスが 深山の奥から出て来て 深夜に月光のもとで鳴く
ようになったよ。
註] 〇あしびきの:山の枕詞、特に意味はない; 〇月の影に鳴く:月光の
下に鳴く。
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<漢詩>
杜鵑鳴月影間 杜鵑 月影の間に鳴く [下平声一先-上平声十五刪韻]
夜深山杜鵑, 夜深(フカ)く 山杜鵑(ヤマホトトギス),
逢時出深山。 逢時(トキヲエ)て 深山(ミヤマ)を出ず。
月亮何明浄, 月亮(ゲツリョウ) 何ぞ明浄(メイジョウ)たる,
嚶嚶月影間。 嚶嚶(オウオウ)として 月影(ツキカゲ)の間。
註] 〇杜鵑:ホトトギス; 〇逢時:時を得て; 〇明浄:明るくてきれい
である; 〇嚶嚶:鳥の鳴き交わす声、友を求めて鳴く鳥の声、
ここではホトトギス; 〇月影:月明かり。
<現代語訳>
月影で鳴くホトトギス
深夜 山ホトトギスは、
時よろしく、深山を出たようだ。
月の何と明るく美しいことか、
月光輝く中で、友を求めて鳴いているか。
<簡体字およびピンイン>
杜鹃鸣夜深月影间 Dùjuān míng yè shēn yuèyǐng jiān
夜深山杜鹃, Còuhé shān dùjuān,
逢时出深山。 féng shí chū shēn shān.
月亮何明净, Yuèliàng hé míngjìng,
嘤嘤月影間。 yīng yīng yuèyǐng jiān.
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ホトトギスの漢字表記や異名は多く、実朝の歌でも一様ではない。因みに『金槐集』中、ホトトギスを詠う歌22首あり、郭公:10首、時鳥:8首、ほととぎす:4首と表記が異なる。いずれにせよ、“夏”部で、38首中22首と多い。
本来、“郭公”は“カッコウ鳥”の漢字表記である。平安時代の頃から和歌などでホトトギスを“郭公”とした例があるようである。両鳥は、似ていることから誤って記されたり読まれたりしたのではないかと考えられている。
鳥類学では、両鳥ともにカッコウ目・カッコウ科に属し、“種”名が、それぞれ、“ホトトギス”および“カッコウ”という事である。なお“ホトトギス”の鳴き声は、けたたましく「キョッキョッ キョキョキョキョ!」と、時に“東京特許許可局”と擬せられる。“カッコウ”の鳴き声は、もっとオトナシイようであるが、筆者は聞いたことがない。
実朝の掲歌は、次の歌を参考にした“本歌取り”の歌とされている。
五月雨に 物思いをれば 郭公
夜深く鳴きて いづち行くらむ (紀友則 『古今集』夏・153)
(大意) 五月雨に物思いに耽っていると、夜深くホトトギスが鳴いて飛び去っ
てゆくのが聞こえる、何処へゆくのであろうか。
わが心 いかにせよとて 郭公
雲間の月の 影に鳴くらむ (藤原俊成 『新古今集』夏・110)
(大意) 私が寂しい思いに浸っているのに どうせよというので、ホトトギ
スは、雲間からさす月光のもと、あのように哀しく鳴いているのだろう。
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橘の花が盛りを過ぎ、そろそろ散り始めるころ、芳ばしい香りが漂っている。五月雨がしとしとと降っているが、なお香は衰えない。ちょうど時節は今ごろの歌でしょうか。近頃、街中では、八朔柑でしょうか、心地よい香りが漂っています。
作者・実朝は、ホトトギスの鳴き声に飽きず聞き入っている。勢いのある鳴き声に元気を貰っているのでしょう。
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[歌題] 郭公
郭公 きけどもあかず 立花(タチバナ)の
花ちる里の さみだれのころ (『金塊集』 夏・141、新後撰 209)
(大意) ほととぎすの声はいくら聞いても飽きない。橘の花が散る、五月雨の
降る頃。
註] 〇きけどもあかず:いくら聞いても聞き飽きがしない。
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<漢詩>
聴杜鵑 杜鵑を聴く [上平声八斉韻‐四支韻]
不断杜鵑啼, 杜鵑(ホトトギス) 啼(ナ)くこと断(タエ)ず,
貪聴不自持。 貪聴(ムサボリキク)を自持(ジセイ)することなし。
故郷橘花謝, 故郷 橘(タチバナ)の花 謝(チ)る,
正是梅雨期。 正(マサ)に是(コ)れ 梅雨(サミダレ)の期(コロ)。
註] 〇自持:自制する。
<現代語訳>
杜鵑を聴く
ホトトギスは鳴くことを止めず、鳴いており、
聞き厭きることなく 貪るように聞いている。
故郷でのこと 橘の花が散り始めた、
五月雨の頃である。
<簡体字およびピンイン>
杜鹃 Dùjuān
不断杜鹃啼, Bù duàn dùjuān tí,
贪听不自持。 tān tīng bù zìchí.
故乡橘花谢, Gùxiāng jú huā xiè,
正是梅雨期。 zhèng shì méiyǔ qí.
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明治の俳人・正岡子規は、実朝の歌を大いに賞賛し、「歌人・実朝の誕生」に一役かっていたことは先に述べました(閑話休題330:『歌人・実朝の誕生』)。正岡子規の号“子規”は、“ホトトギス”に由来しており、その因縁について 一言 追記しておきます。
正岡子規の本名は“常規”です。“常規”は、1895年(明治28年)、さる雑誌社の従軍記者として中国・遼東半島に渡りました。間もなく体調不良で帰国の途に就きますが、帰国の船中で喀血して重体に陥り、神戸で入院する。
一方、ホトトギスは“赤い口”を露わにして鳴くことから、「鳴いて血を吐く」と言われている。そこで喀血した自分とホトトギスを重ね、ホトトギスの漢字表記のひとつの「子規」を自分の俳号とした ということである。なおその折、ホトトギスにちなむ句を、一晩で数十句も作ったと言う。
次の歌は、実朝の掲歌の本歌と目されている。
橘の 花散る里の ほととぎす
片恋しつつ 鳴く日しぞ多き (大伴旅人 『万葉集』巻八 1473)
(大意) 橘の花の散る里でホトトギスは 花に片思いをしつゝ鳴く日が多い
ことだ。
五月山 卯の花月夜 ほととぎす
聞けども飽かず また鳴かぬかも(作者不詳 『万葉集』第10巻 1953)
(大意) 今、山は五月、将に卯の花がこうこうと照らし出される月の夜、
ホトトギスの鳴き声が届き、いくら聞いていても飽きない鳴き声である。
まだまだ鳴いてくれ。