(71番)夕(ユフ)されば 門田(カドタ)の稲葉(イナバ)
おとづれて 芦のまろやに 秋風ぞ吹く
大納言経信『金葉和歌集』秋・183
<訳> 夕方になると、家の門前にある田んぼの稲の葉にさわさわと音をたてさせ、芦葺きのこの山荘に秋風が吹き渡ってきた。(小倉山荘氏)
oooooooooooooo
稲穂が黄金色に輝く田園、陽が西に傾くころになると、爽やかな秋風がそよと葦葺きの山荘に渡ってくる。稲葉の微かな葉擦れの音とともに。何とも平穏な、心惹かれる田園風景です。
作者・大納言(源)経信(ツネノブ, 1016~1097)は、平安中・後期に活躍した貴族・歌人。和歌の他漢詩や管弦に優れ、有職故実(ユウソクコジツ)に関する知識も深く、「三船の才」の人と謳われた。最終官位は正二位・大納言、桂大納言と号した。
上の歌は、友人の源師賢(モロカタ)の山荘で催された歌会で、「田家の秋風」の題で詠われたもので、漢詩の詩題としました。漢詩はすっきりした五言絶句とした。秋の夕暮れの頃の爽やかな田園の情景が読み取れるなら幸甚である。
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<漢詩原文および読み下し文> [下平声七陽韻]
田家秋風 田家の秋風
郷間秋傍晚, 郷間 秋の傍晚(ボウバン),
门外水田茫。 门外 水田茫(ボウ)たり。
稲葉徐徐響, 稲葉 徐徐(ジョジョ)と響き,
爽風到蘆房。 爽風(ソウフウ) 蘆房(ロボウ)に到る。
註]
田家:農家、農民。 郷間:里、田舎。
傍晚:夕暮れ。 茫:広々としたさま。
徐徐:そよそよと、ゆっくりと。蘆房:蘆葺きの小屋。
<現代語訳>
里の秋風
里の秋の夕暮れ時、
門の外には田んぼが広がっている。
稲の葉がそよそよと揺れて葉ずりの音を響かせて、
爽やかな秋風が葦葺きのあばら小屋に吹き渡ってくる。
<簡体字およびピンイン>
田家秋风 Tián jiā qiū fēng
乡间秋傍晚, Xiāngjiān qiū bàngwǎn,
门外水田茫。 mén wài shuǐtián máng.
稻叶徐徐响, Dào yè xúxú xiǎng,
爽风到芦房。 shuǎng fēng dào lú fáng.
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源経信は、平安時代中・後期の歌壇で活躍し、指導的な役割を果たした一人である。宇多源氏・重信流の裔で、父は権中納言道方、祖父は左大臣雅信、また叔母は藤原道長の妻とのことで、有力な一族に属すると言えよう。
子息の俊頼(トシヨリ、1055~1129, 百人一首74番)、孫の俊恵(シュンエ)法師(1113~?, 同85番)と、直系親子三代続いて百人一首の歌人として撰ばれており、唯一の例であり、歌才に優れた血筋と言えようか。
白河天皇(72代、在位1072~1086)の大堰川行幸での、漢詩、和歌、奏楽の3船に分乗させ技量を競わせる遊興行事で、わざと遅れて行って「どの船でもよいから乗せろ」と、自ら万能である事を誇示したという話が伝わっている。
いわゆる万般に優れた才の持ち主であることをいう「三船の才」の人であり、先輩の藤原公任(966~1041、同55番、閑話休題148)と並び称されている。両者ともに晴の歌(宮廷詩)の理論と詠法を完成させた歌人として和歌史上注目されている と。
白河天皇の命による第四代勅撰和歌集『後拾遺和歌集』(成立1086)が、自分を差しおいて藤原通俊(1047~1099)によって撰集された。これに対し『後拾遺問答』・『難後拾遺』を著して批判している。これらは一種の歌論書と言えるでしょうか。
上掲の歌は詞書で「友人・源師賢(1035~1081)の山荘で催された歌会で、“田家秋風”の詩題で詠われた」とある。山荘は、現京都市右京区梅津にあった。大堰川(/桂川)に掛かる“渡月橋”のやや下流、川を挟んで西芳寺/苔寺の対岸に広がる平野部である。
当時、貴族たちは田舎に別荘を建て、美しい田園風景の中で遊び、楽しいひと時を過ごすことが流行していたという。師賢の山荘もその一つである。嵐山の山裾に広がる黄金色の稲穂の大海、夕暮れの頃に稲穂を揺らすそよ風、想像するだけで十分に命の洗濯ができそうである。
叙景歌を得意としていたという経信の面目躍如たる歌と言えよう。経信の歌は『後拾遺和歌集』(6首)以下の勅撰和歌集に87首が入集されている。家集に『経信集』があり、また晩年、大宰府に赴任していた際の漢文日記『帥記』がある。
経信は、少年時代、父親に連れられて大宰府の菅原道真(845~903、同24番、閑話休題137)の廟所・天満宮安楽寺を訪ね、道真所縁の梅を見ていたようである。79歳のころ、自ら権帥として大宰府に赴き梅の老木を目にして感慨を歌にしている(下記)。なお経信は3年後、都に帰ることなく、大宰府で没している、行年82歳。
神垣に 昔わが見し 梅の花
ともに老木(オイキ)と なりにける哉(『金葉和歌集』雑 大納言経信)
[昔わたしが安楽寺の垣根の内に見た梅の花がいまではわたし同様に
老木になっていることだ](小倉山荘氏)
おとづれて 芦のまろやに 秋風ぞ吹く
大納言経信『金葉和歌集』秋・183
<訳> 夕方になると、家の門前にある田んぼの稲の葉にさわさわと音をたてさせ、芦葺きのこの山荘に秋風が吹き渡ってきた。(小倉山荘氏)
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稲穂が黄金色に輝く田園、陽が西に傾くころになると、爽やかな秋風がそよと葦葺きの山荘に渡ってくる。稲葉の微かな葉擦れの音とともに。何とも平穏な、心惹かれる田園風景です。
作者・大納言(源)経信(ツネノブ, 1016~1097)は、平安中・後期に活躍した貴族・歌人。和歌の他漢詩や管弦に優れ、有職故実(ユウソクコジツ)に関する知識も深く、「三船の才」の人と謳われた。最終官位は正二位・大納言、桂大納言と号した。
上の歌は、友人の源師賢(モロカタ)の山荘で催された歌会で、「田家の秋風」の題で詠われたもので、漢詩の詩題としました。漢詩はすっきりした五言絶句とした。秋の夕暮れの頃の爽やかな田園の情景が読み取れるなら幸甚である。
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<漢詩原文および読み下し文> [下平声七陽韻]
田家秋風 田家の秋風
郷間秋傍晚, 郷間 秋の傍晚(ボウバン),
门外水田茫。 门外 水田茫(ボウ)たり。
稲葉徐徐響, 稲葉 徐徐(ジョジョ)と響き,
爽風到蘆房。 爽風(ソウフウ) 蘆房(ロボウ)に到る。
註]
田家:農家、農民。 郷間:里、田舎。
傍晚:夕暮れ。 茫:広々としたさま。
徐徐:そよそよと、ゆっくりと。蘆房:蘆葺きの小屋。
<現代語訳>
里の秋風
里の秋の夕暮れ時、
門の外には田んぼが広がっている。
稲の葉がそよそよと揺れて葉ずりの音を響かせて、
爽やかな秋風が葦葺きのあばら小屋に吹き渡ってくる。
<簡体字およびピンイン>
田家秋风 Tián jiā qiū fēng
乡间秋傍晚, Xiāngjiān qiū bàngwǎn,
门外水田茫。 mén wài shuǐtián máng.
稻叶徐徐响, Dào yè xúxú xiǎng,
爽风到芦房。 shuǎng fēng dào lú fáng.
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源経信は、平安時代中・後期の歌壇で活躍し、指導的な役割を果たした一人である。宇多源氏・重信流の裔で、父は権中納言道方、祖父は左大臣雅信、また叔母は藤原道長の妻とのことで、有力な一族に属すると言えよう。
子息の俊頼(トシヨリ、1055~1129, 百人一首74番)、孫の俊恵(シュンエ)法師(1113~?, 同85番)と、直系親子三代続いて百人一首の歌人として撰ばれており、唯一の例であり、歌才に優れた血筋と言えようか。
白河天皇(72代、在位1072~1086)の大堰川行幸での、漢詩、和歌、奏楽の3船に分乗させ技量を競わせる遊興行事で、わざと遅れて行って「どの船でもよいから乗せろ」と、自ら万能である事を誇示したという話が伝わっている。
いわゆる万般に優れた才の持ち主であることをいう「三船の才」の人であり、先輩の藤原公任(966~1041、同55番、閑話休題148)と並び称されている。両者ともに晴の歌(宮廷詩)の理論と詠法を完成させた歌人として和歌史上注目されている と。
白河天皇の命による第四代勅撰和歌集『後拾遺和歌集』(成立1086)が、自分を差しおいて藤原通俊(1047~1099)によって撰集された。これに対し『後拾遺問答』・『難後拾遺』を著して批判している。これらは一種の歌論書と言えるでしょうか。
上掲の歌は詞書で「友人・源師賢(1035~1081)の山荘で催された歌会で、“田家秋風”の詩題で詠われた」とある。山荘は、現京都市右京区梅津にあった。大堰川(/桂川)に掛かる“渡月橋”のやや下流、川を挟んで西芳寺/苔寺の対岸に広がる平野部である。
当時、貴族たちは田舎に別荘を建て、美しい田園風景の中で遊び、楽しいひと時を過ごすことが流行していたという。師賢の山荘もその一つである。嵐山の山裾に広がる黄金色の稲穂の大海、夕暮れの頃に稲穂を揺らすそよ風、想像するだけで十分に命の洗濯ができそうである。
叙景歌を得意としていたという経信の面目躍如たる歌と言えよう。経信の歌は『後拾遺和歌集』(6首)以下の勅撰和歌集に87首が入集されている。家集に『経信集』があり、また晩年、大宰府に赴任していた際の漢文日記『帥記』がある。
経信は、少年時代、父親に連れられて大宰府の菅原道真(845~903、同24番、閑話休題137)の廟所・天満宮安楽寺を訪ね、道真所縁の梅を見ていたようである。79歳のころ、自ら権帥として大宰府に赴き梅の老木を目にして感慨を歌にしている(下記)。なお経信は3年後、都に帰ることなく、大宰府で没している、行年82歳。
神垣に 昔わが見し 梅の花
ともに老木(オイキ)と なりにける哉(『金葉和歌集』雑 大納言経信)
[昔わたしが安楽寺の垣根の内に見た梅の花がいまではわたし同様に
老木になっていることだ](小倉山荘氏)