[六帖 末摘花 要旨] (光源氏18歳春~19歳春)
源氏は、夕顔や空蝉のことが心残りである。そんな折、乳母子である大輔の命婦(ミョウブ)から、荒廃した邸で故常陸宮の姫君(末摘花)が独り身で寂しく琴だけを友として暮らしていると聞き、源氏は興味をひかれる。早速、命婦の居所で、末摘花の琴を聞く機会を得た、が手並みのほどはわからない。
実は頭中将も姫君に興味を持ち、両者が競って文を送るが、何れに対しても梨の礫である。源氏は、命婦の計らいで今一度姫君を尋ね、襖子を挟んで姫君と対坐した。嘆息して訴えたのが次の歌である:
いくそたび 君がしじまに まけぬらん
ものな言ひそと いはぬたのみに (光源氏)
源氏は、若々しい声の返歌をもらうことが出来、非常に喜び、さらに歌を送ったが、その後返辞はなかった。源氏は、襖子を開けて入り、契りを結ぶが、風情のなさに落胆する。
時は過ぎ、ある雪の降る晩、深夜前に、源氏はそっと姫君を訪ねた。翌朝、源氏は、雪を眺める風をしながら横目で姫君を追った。その顔に驚いた。まず姫君の鼻が並はずれで、象を思わせ、高く長くて垂れて赤みを帯びている。
源氏は、頼えるものなく不遇な姫君に胸を痛めて、以後、姫君の面倒を見続ける。
本帖の歌と漢詩
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いくそたび 君がしじまに まけぬらん
ものな言ひそと いはぬたのみに
[註] 〇しじま:口を閉じて黙りこくっていること。
(大意) 幾たび貴女の沈黙に負けてしまったことだろう、それでも貴女が私に物を言うな と言わないことをよいことにして、諦めないでいます。
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<漢詩>
申訴恋慕心 恋慕心を申訴(ウッタエ)る [下平声一先韻]
眷恋幾度送華箋,眷恋(ケンレン) 幾度 華箋(タヨリ)を送ったことか,
何奈無答一悵然。何奈(イカン)せん答無く 一に悵然(チョウゼン)たり。
抓住無言別搭話,搭話(ハナス)別(ナカレ) の言無きに抓住(ソウジュウ)して,
又来申訴豈非緣。 又来たりて申訴す 豈 緣(エン)非やと。
[註] 〇眷恋:思い慕う; 〇華箋:模様入りの便箋、他人の手紙の敬称; 〇悵然:ふさぎこんでいるさま; 〇抓住:に乗じて; 〇搭話:話しかける; 〇申訴:訴える; 〇豈非:…ではないのだろうか。
<現代語訳>
恋慕の思いを訴える
思い慕っており、幾度便りを送ったであろう、残念ながら応答はなく、打ちひしがれている。話し掛けないで とは言われていないことを幸いに、又便りを送り、縁がないわけではなかろう と一縷の望みを持って訴える。
<簡体字表記>
申訴恋慕心 Shēnsù liànmù xīn
眷恋几度送华笺, Juànliàn jǐdù sòng huá jiān,
何奈无答一怅然。 hé nài wú dá yī chàngrán.
抓住无言别搭话, Zhuā zhù wúyán bié dā huà,
又来申诉岂非缘。 yòu lái shēnsù qǐfēi yuán.
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源氏の訴える歌に対する返歌は次のようであった:
鐘つきてとじめんことはさすがにて答えまうきぞかつはあやなき
(大意) しじまの鐘をついてこれで終わりということではないが さりとてお答えをすることが出来ず 私は心苦しく思っています。
実は、この返事は、姫君の乳母の娘で侍従と言う気さくな若い女房が、見かねて、姫君の側へ寄って姫らしく代弁したものであった。
【井中蛙の雑録】
・日本は、曽て中国より漢詩を含めて漢字を輸入した。漢字に工夫を加えて“カタカナ・ひらがな”を創生、和歌や物語の記述が可能となり、人情の機微「もののあはれ」の表記を可能にした。その絶頂は『源氏物語』にある と(本居宣長)。
・今ここで、逆に「もののあはれ」表現の粋・『源氏物語』“和歌”の“漢詩”への翻訳に挑戦している。出来や如何? 井の底から天空を仰いでいる。