愉しむ漢詩

漢詩をあるテーマ、例えば、”お酒”で切って読んでいく。又は作るのに挑戦する。”愉しむ漢詩”を目指します。

閑話休題 419 漢詩で読む 『源氏物語』の歌  (三十四帖 若菜上-1)

2024-08-26 09:36:35 | 漢詩を読む

[三十四帖 要旨-(1)] 

朱雀院は、病が重くなり出家を思うのであるが、母を亡くした幼い内親王の女三の宮の将来が案じられて、後見人の心配をする。光源氏に夫となって頂くことが最も安心であると決めた。源氏は、一度は固辞したが、承諾し姫を迎え入れる。紫の上の心は激しく揺れるのであるが、辛うじて冷静さを保っていた。

 

正月二十三日、子の日に、髭黒大将の夫人・玉鬘から若菜の賀を捧げたいとの申し出があり、賀宴が催された。秘密裏に準備されもので、源氏が辞退する間はなかった。

 

玉鬘は増々美しく、重みというようなものも備わってきて、立派な貴婦人と見えた。宴では、まず玉鬘から、自分たちを育てて下さったことへの感謝と源氏の長寿を祈る趣旨の挨拶の歌が贈られた。源氏は、盃を取り、次のお答えの歌を返します: 

 

  小松原 末のよはいに 引かれてや 

    野辺の若菜も 年をつむべき   (光源氏) 

 

朱雀院が病中のため、専門の音楽者は呼ばず、玉鬘の実父・太政大臣の和琴を中心とした静かな音楽の合奏があった。

 

二月十幾日には、女三の宮が六条院に迎えられた。その幼い様子に源氏は失望の念を抑えられません。紫の上は苦悩しつつ、六条院の円満な秩序を維持すべく、自ら女三の宮と対面した。

 

本帖の歌と漢詩 

ooooooooo    

 小松原 末のよはいに 引かれてや 

    野辺の若菜も 年をつむべき  

  [註]○小松:寓意で、子供たち; 〇若菜:寓意で、作者の源氏自身。

  (大意) 子供たちの行末の齢の長さに合わせて、私もきっと長生きする

   ことでしょう。 

xxxxxxxxxxx   

<漢詩>

  懷亀齡        亀齡(キレイ)を懷(オモ)う   [下平声一先韻] 

 孩等前途遠, 孩等 前途遠し,

 自当齡共前。 自(オノ)ずから当(マサ)に 齡(ヨワイ)共に前(スス)まん。

 嫩菜得長寿, 嫩菜(ネンサイ)は長寿を得ん,

 会因堆積年。 会(カナラ)ず年を堆積(ツム)に因(ヨ)りて。

  [註] ○亀齡:亀の寿命の長いこと、長寿の譬え; ○嫩菜:若菜   

<現代語訳> 

  長寿を思う 

 子供らの行末は 遠く長い、前途長い子供に合わせて、大人も共に年を取る 

 のだ。私は 長寿を得ることになろう、必ずや子供の前途の分、さらに年を 

 積んでいくに因る。  

<簡体字およびピンイン>  

  怀龟齢       Huái guī líng 

 孩等前途远, Hái děng qiántú yuǎn, 

 自当龄共前。 zì dāng líng gòng qián. 

 嫩菜得长寿, Nèn cài dé chángshòu, 

 会因堆积年。 huì yīn duījī nián.  

ooooooooo   

  玉鬘は、引き連れて来た幼い子ら共々、この私を育てて下さった巌の如き  あなたの長寿を祈ります との趣旨の挨拶に、次の歌を、沈の木の方盤に若菜を添えて光源氏に贈った。

 

 若葉さす野辺の小松を引き連れてもとの岩根を祈る今日かな (玉鬘) 

  [註] ○「小松を引き」つれ:正月初めの“子の日”に、野に出て小松を

     引き抜いて遊んだ行事・「小松引き」をかけている; 

     ○岩根:どっしりと根を据えた大きな岩、ここでは巌の如き育て親。

  (大意) 若葉が芽ぐむ野辺の小松のような幼い子らを引き連れて、

    この私を育てて下さった巌の如きあなたの長寿を祈る今日です。

 

【井中蛙の雑録】

○三十四帖の光源氏 39歳冬~四十一歳。

『蒙求』と『蒙求和歌』-3  奇数-偶数番の句は対句をなす

 『蒙求』は、596の四字句から成るが、奇数番と偶数番の句は、それぞれ、事跡に関して、何らかの意味で“対”を成している。身近な(?)例を拾ってみます。

  193孫康映雪(ソンコウエイセツ) / 194車胤聚蛍(シャインシュウケイ); 孫康と車胤は、それぞれ、

晋(?)および東晋の人。共に家が貧しく、灯油がなく、書を、それぞれ、雪明かりと蛍の光の下で読み学習し、長じて大成した と。今日、“蛍雪の功”等で語られる。

今一例:

  221杜康造酒(トコウゾウシュ) / 222蒼頡制字(ソウケツセイジ);杜康および蒼頡ともに

古代伝説上の人物、前者は酒を初めて造り、後者は文字を初めて創案したとされる。

  (注)各句への付番は、筆者が便宜上付したものである。

 

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閑話休題 418 漢詩で読む 『源氏物語』の歌  (三十三帖 藤裏葉)

2024-08-19 09:55:38 | 漢詩を読む

[三十三帖要旨] 夕霧と雲居雁はかつて相思相愛の仲であったが、内大臣は雲居雁を春宮に入内させたいとの思惑があって、二人の交際を禁じた。あれから数年経った今、内大臣はむしろ二人の結婚を願う。だが内大臣-夕霧の間には蟠りがあり、互いに話しかけにくい状況にある。夕霧の他との縁談話を聞き、内大臣は焦燥する。

 

春三月二十日、故大宮の一周忌に当たり、一族の極楽寺での参詣の際を機に、内大臣と夕霧は会話を交わすことができた。内大臣は自宅での藤の花の宴へ夕霧を招き、酒杯を取り交わします。頃合いを見て内大臣は機嫌よく、娘を藤の花に譬えて歌を詠み、息子の頭中将に命じて、房の長い藤一枝を折ってきて、夕霧の杯の台に添えさせて、贈った。内大臣の仲直りの歌:

 

  紫に かごとはかけん 藤の花

    まつより過ぎて うれたけれども  (内大臣)

 

夕霧は晴れて雲居雁との結婚を許されました。

 

明石の姫君の入内が二十日過ぎと決まる。源氏と紫の上と相談の上、入内する姫君への付き添い、またそれ以後の後見に、実の母親である明石の上が付き添うことになる。後見の交代を機に紫の上と明石の上は初めて対面し、互いにすぐれた人柄を認め合い、二夫人の友情は固く結ばれていく。

 

頼りない男と見えた夕霧の結婚、また明石の姫君の春宮への入内と すべてを手に入れた源氏は、もう出家してもよい時が来たと思うのである。

 

源氏三十九歳の秋、源氏は准太上天皇の位を得て、朝廷では、翌四十歳の賀宴の用意がなされている。また内大臣は太政大臣、夕霧は中納言に昇進した。十月には冷泉帝と朱雀院が六条院に華やかに行幸されます。朱雀院と源氏は、かつての紅葉賀を思い起こすのでした。冷泉帝の御代、源氏とその一族の栄華は例えようもありません。

 

本帖の歌と漢詩

ooooooooo    

  紫に かごとはかけん 藤の花 

    まつより過ぎて うれたけれども  (内大臣) 

   [註] ○かけん:望ましくないことを、他に負わせる; 〇うれたし:

    “うれいたし(心痛し)”の 音変化、心痛し、憎らし; ○「まつ」: 

    「待つ」、「松」の掛詞、「藤」の縁語。「うれたし」の“うれ”は末

    (うれ) の縁語。 

   (大意) 紫の藤の花(雲居雁)にことよせて免じましょう、今日まで、

    久しく待ちすぎて、心苦しく思いますが。 

xxxxxxxxxxx   

<漢詩> 

  和解         和解             [下平声六麻韻] 

 假託紫藤花, 紫藤花(フジノハナ)に假託(カタク)して, 

 饒恕往日奢。 往日の奢(オゴ)りは饒恕(ジョウジョ)せん。 

 讓君長久等, 君を讓(シ)て長久(ヒサシ)く等(マ)たせしは, 

 悲痛一嘆嗟。 悲痛(ヒツウ) 一(イツ)に嘆嗟(タンサ)たり。 

  [註] ○假託:ことよせる、かこつける; 〇饒恕:許す、大目に見る; 

   ○往日:昔日; 〇奢:おごり、おごるさま; 〇悲痛:心の痛み; 

   〇嘆嗟:嗟嘆、舌打ちして歎く。      

<現代語訳> 

  仲直り 

 藤の花にことよせて、 

 これまでの勝手にしてきたことは、大目に見ることにしましょう。 

 長い間待たせてしまったことは、 

 大変心苦しく思っていますが。 

<簡体字およびピンイン>  

  和好          Hé hǎo  

 假托紫藤花, Jiǎtuō zǐténg huā,   

 饶恕往日奢。 Ráoshù wǎngrì shē.   

 让君长久等, Ràng jūn chángjiǔ děng, 

 悲痛一叹嗟。 bēitòng yī tàn jiē

ooooooooo  

 「私はこれまでの蟠りは捨てます、雲居雁との結婚を許しましょう」と、

仲直りを宣言して、内大臣は、上掲の歌を贈ります。それに対して、夕霧は、盃を持ちながら、頭を下げて謝意を表する形で、次の歌を返します:

 

いく返り 露けき春を すぐしきて 花の紐とく 折に逢ふらん 

 (大意) いったい幾度涙に濡れる春を過ごしてきて 望みの叶う折に巡り

  逢えたことか。

 

【井中蛙の雑録】

○三十三帖の光源氏 39歳春~冬。

『蒙求』と『蒙求和歌』-2  四字句の意味は? -② 

 『蒙求』の四字句を通覧、興味を惹く四字句について見て見ます。まず、漢詩に関係のある人物、酒好きな隠逸/田園詩人の陶淵明。次の三句がある:343武陵桃源、488陶潜帰去および525淵明把菊 の3句(頭の数字:便宜的に『蒙求』中に列記されている順番を示す)。それぞれ、陶淵明の作品の伝記小説『桃花源記』、長編詩「帰去来辞」および「飲酒20首 その五」に関わる事柄と言えよう。

  諸葛孔明についても、先に挙げた句の他、293葛亮顧盧および485亮遣巾幗があり、前者は“三顧の礼”に、後者は五丈原の戦で、動かぬ司馬懿に巾幗(キンコク、女性の髪飾り)を送り、挑発したという故事による。

 これらの例から知られるように、〇初めの二字は、主に“人物”を示し、その 本名や字(アザナ)の他、地名など人物を想起させる用語、及び 〇総じて596句からなるが、対象人数が596人ということではない、と言える。

 

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閑話休題417 漢詩で読む 『源氏物語』の歌 (三十二帖 梅枝)

2024-08-12 09:56:49 | 漢詩を読む

 【三十二帖の要旨】明石の姫君は11歳を迎え裳着(モギ)の儀式(2月10日)、さらに春宮の元服(2月20日頃)、また続いて姫君の春宮への入内(4月)と続き、その準備で慌ただしい日々である。光源氏は、姫君入内の調度品として薫香の調合を思いつく。新旧の名香が集められ、女君たちに分かち調合させ、源氏自身も、承和の(仁明)帝の秘法とされる方法で密かに調合する。

 

2月10日、仲のよい異母兄弟の兵部卿の宮が源氏を訪ねて来た。その折、前斎院(朝顔)から、依頼中の薫香と、半分ほど花の散った梅の枝に添えた歌が届けられた:

 

    花の香は 散りにし枝に とまらねど 

      うつらん袖に 浅くしまめや  (朝顔)    

 

前斎院からは香が届けられ、また宮が見えられたのを機に、女君らの薫香も含めて、夕方、宮を判者として香合(コウアワセ)が行われた。裳着の式は、夜中12時に中宮(秋好中宮)を腰結いとして執り行われた。

 

東宮の元服は二十幾日にあった。それに伴い、左大臣や左大将など、令嬢を後宮へと志望するが、源氏が明石の姫君を入内させるであろうと、遠慮している。源氏は、貴族方の立派な姫君が競い合ってこそ宮中は華やぐのだと、明石の姫君の入内を延期した。それを聞いて、先ず左大臣が三女を東宮へ入れた。後の麗景殿である。明石の姫君は四月に入内の運びとなります。それに合わせて、源氏は、歌や墨蹟など集めた草子類の整理に忙しい日々である。

 

一方、内大臣は、娘の雲居雁と夕霧の間に意の疎通が欠けている風で気を揉んでいるのでした。夕霧は、雲居雁を思い続けているのでしたが、その意はうまく伝わらず、二人はそれぞれに苦しみます。

 

三十二帖の歌と漢詩: 

ooooooooo   

花の香は 散りにし枝に とまらねど 

うつらん袖に 浅くしまめや   (朝顔) 

 [註]○浅くしまめや:反語表現。浅く薫りましょうか、いや深く薫ることでしょうの意。  

 (大意) 花の香は、花の散ってしまった枝には留まってないが、美しい明石の姫君のお袖には深く染みこみ、香気を放つことでしょう。

 

 

xxxxxxxxxx  

<漢詩>        

  放香気公主袖   香気を放つ公主の袖   [下平声七陽韻] 

梅枝花已散, 梅枝 花 已(スデ)に散らば,

安得保芳香。 安(イズクン)ぞ 芳香を保ち得ん。

承香公主袖, 香を承(ウケ)し公主の袖,  

放氣却非常。 氣を放つこと 却って非常。

 [註] ○公主:(明石の)姫君; 

<現代語訳> 

 香気を放つ姫君の袖 

花が散ってしまった梅の枝に、

何で芳香を止めることがあろうか。

香を移し留めている姫君の袖は、

却って香気を放つこと常ならず深いであろう。

<簡体字およびピンイン>  

 放香气公主袖  Fàng xiāngqì gōngzhǔ xiù

梅枝花已散, Méizhī huā yǐ sàn, 

安得保芳香。 ān dé bǎo fāngxiāng. 

承香公主袖, Chéng xiāng gōngzhǔ xiù, 

放气却非常。 fàng qì què fēicháng.  

ooooooooo   

  

上掲の歌で、朝顔が自らを“花の散った、香りのない枝”に譬え、一歩引いているようです。それに対して、源氏は、“そう仰るあなたに一層心惹かれるのです、人に咎められはしないかと、胸の内は隠しつつ”という趣旨の次の返歌を送ります:

 

花の枝にいとど心を染むるかな 人の咎めん香をばつつめど  (光源氏)

 (大意)花の枝に大層心惹かれます。人が咎めるであろう香は隠しつつ。

 

 

【井中蛙の雑録】 

○光源氏 39歳の春 

『蒙求』と『蒙求和歌』-1  四字句の意味は? 

 <1.王戎簡要、2.裵楷清通、3.孔明臥龍、4.呂望非熊> 

  ドラマで“まひろ”が唱えた呪文(?)は『蒙求』構成の基本単位の四字句であった。馴染のある所から見ると、先ず第3句、 “(諸葛亮)孔明 山中に臥す龍“の意で、劉備が三顧の礼を以て招いた逸材の話題。続く第4句、”(太公望)呂望は、釣り糸を垂れて、熊を釣るに非ず“と、両句は国造りに関わる話と言えようか。

  即ち、四字のうち最初の2字は歴史上 有名な人物名、後の2字はその人の事跡を思わせる事柄を表している。同じ要領で、上代~南北朝の有名人の話題569句が集められた著書で『蒙求』と命名されている。なお各句の詳細は、ネット上多くの解説記事があり、ご参照頂きたい。

  『蒙求』とは、「童蒙(愚かな子供)我に求む」の意で、児童が教わり、耳で聞き、繰り返し口ずさむうちに、歴史上の人物とその事績が自然と身に付くよう意図された児童用の教科書なのである。勿論、指導者の為には、人物、時代、事跡の内容等々、重要な点が記載、解説されている。

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閑話休題416 漢詩で読む 『源氏物語』の歌 (三十一帖 真木柱) 

2024-08-05 09:47:51 | 漢詩を読む

三十一帖の要旨】玉鬘に対し多くの求婚者がいたが、思いを遂げたのは髯黒大将であった。大将は、女房の弁の導きで、玉鬘との最初の夜を過ごすことが叶い、夫婦となれたようである。かつて求婚した人々は残念がったが、源氏および実父の内大臣も許容するほかなく、儀式も華麗に行われた。髯黒は有頂天なのですが、玉鬘は、身の不運を嘆くばかりであった。

 

大将は、過去に浮名が立つような行状はなくまじめな人で、すでに正夫人があり、男児2人、女児一人がいる。夫人は、尊貴な式部卿の宮の長女で、世の中から敬われていた。ただこの何年来ひどい物の怪に憑かれて、時に病的発作があり、夫婦の中も遠くなっていた。大将が新妻・玉鬘の許へ行く支度をしている時、夫人は突然錯乱して、薫物の火取りの灰を夫に浴びせかけてしまいます。それ以来髯黒は妻を避ける。

 

事情を知った正夫人の父・式部卿の宮は、夫人と子供らを実家へ連れ戻すことを決め、車を差し向ける。姫君は、大将が非常に可愛がっている子であった。姫君は、父に逢わずに行くことはできないと泣きながら、歌を書いた桧皮色の紙を、いつも自分が寄りかかっていた東の座敷の柱の割れ目にかんざしの端で押し込んでおいた。その歌:

 

  今はとて 宿離れぬとも 馴れ来つる

    真木の柱は われを忘るな 

 

夫人は、“真木の柱が私たちを忘れないとしても、此処に立ち止まることはないよ”と、返歌を詠む。

 

翌春、玉鬘は内侍として出仕する。今帝は、勤労らしいことも未だ積んでいない玉鬘を三位に叙するなど、好意を示す。帝との仲を心配する髯黒は、宮中の詰め所にいる玉鬘を強引に自宅へ連れ帰ってしまいます。残念がる源氏も、恋しくなるばかりで、文を送ります。玉鬘は、泣いた。いまになって源氏が清い愛で一貫してくれた親切が有難くてならなかった。やがて玉鬘は男の子を産みます。

 

三十一帖の歌と漢詩:

ooooooooo   

  今はとて 宿離れぬとも 馴れ来つる  

    真木の柱は われを忘るな   (真木柱) 

   [註]○真木:杉や桧など良材となる木、“ま”は美称; 

   (大意) 今を限りにこの邸から離れ行くにしても、幼いころから慣れ親

    しんできた真木の柱はこの私を忘れないでください。 

xxxxxxxxxx  

<漢詩>        

  可憐子女      可憐(アワレムベ)し子女(コ)   [上平声六魚韻] 

遺憾無逢父, 遺憾(イカン)なり 父に逢うことなく,

如今離旧居。 如今(イマ)に旧居(キュウキョ)を離れんとす。

親近真木柱, 親近(ナレシタミ)し真木(マキ)の柱よ,

雖然別忘余。 雖然(シカレドモ) 余(ヨ)を忘れなきよう。

 [註] ○親近:馴れ親しむ、親しい、親しむ; ○真木柱:本帖の人名、題名

  および真木の柱; 〇雖然:…であるけれども。 

<現代語訳> 

 可哀そうな娘(コ)  

残念ながら 父に逢うことなく、

この邸から離れていきます。

馴れ親しんだ真木の柱よ、

私が去っていったとしても 私を忘れないでください。

<簡体字およびピンイン>  

 可怜子女    Kělián zǐnǚ 

遗憾无逢父, Yíhàn wú féng fù,   

如今离旧居。 rújīn lí jiù.

亲近真木柱, Qīnjìn zhēnmù zhù,  

虽然别忘余。 suīrán bié wàng .    

ooooooooo   

姫君は、真木柱に父親を見ているのでしょう。逢わずに別れる父へのメッセージと解されるか。歌を書き掛けては泣き、泣いては書きしていた と付記されています。母上は、「さあ」と、出立を促しながら、淡々と詠います。

 

なれきとは思ひ出づとも何により 

  立ち止まるべき真木の柱ぞ (髭黒大将 北の方) 

 (大意)慣れ親しんできたことを思い出しても、何を頼りにここに立ち 

   止まっていられましょうか。真木の柱よ。   

 

【井中蛙の雑録】 

○光源氏37冬~38歳の冬。

○「玉鬘十帖」、玉鬘の婿取り物語“玉鬘十帖”は、本帖で終結。

『蒙求』と『蒙求和歌』-序 

  NHK-TV大河ドラマ『光る君へ』第28回中、まひろ が、2,3歳の愛娘を相手に、<王戎簡要(オウジュウカンヨウ)、裵楷清通(ハイカイセイトン)、孔明臥龍(コウメイガリョウ)、……> と 呪文を唱える風の場面がありました。

  これは中国・唐代に李瀚によって著され、平安時代に日本に伝わった著書 で、中国では児童用の教科書として利用されたという『蒙求』の内容のごく一部分である。同著書の概要は、本稿(閑話休題-389、’24-02-07)ですでに紹介しました。幸い、今回、同著の内容の一部が具体的に提示されたのを機に、具体的な内容から読み解き、特に、如何に和歌作歌の参考書として利用されるに至ったかを改めて勉強し直したい と思っています。

 

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