杜牧の詩に戻って、作者杜牧が全山色づいた紅葉を愛でている情景・状況を想像してみたいと思います。
まず杜牧(1)で挙げた詩の第1句、『新漢詩紀行ガイド』で、“晩秋の山歩き。山道をのぼる作者の行く手に、別世界が開けます”との解説があることから、石川忠久師は、明らかに作者が山道を登って行っている様子を想像されております。しかし同詩の転句で、“車をとどめて……”とある。もしも作者が山道を登っていっているとすれば、作者は、“どこか他所に車をとどめて歩いて登って”いるか、または“車に乗ったまま登っていて、途中で車をとどめている”かのいずれかでしょうか。
この状況を、宇野直人・江原正士師は、『漢詩を読む』の中で、“彼(杜牧)は官僚ですので、歩いているのではなく、人が押す手押し車に乗っているようです”と解説しております。確かに地方役人とはいえ、官僚としてかなりの権力を持っているであろうから、屈強な下っ端役人に手押し車を押させていることは考えられないことではないでしょう。
ところで、作者が登っていると想像している場所は、第1句にあるように“山の斜面にある細くて狭い、曲がりくねった、石ころだらけの道”です。先に杜牧(2)で示した箕面の山中の小道と大同小異な状況ではないでしょうか。また作者は官僚であることから、それなりに正装していると考えられます。晩唐ともなると、官僚は体を鍛錬することもないでしょうから、正装した状態で山道を‘遠く白雲生ずるところ’まで登る程に体力が十分にあるとは思えません。さらに当時手押し車があったかどうかの論は別にして、このような山の石ころ小道を手押し車で登って行くのはかなり難儀なことではないでしょうか。
筆者がこれまでに目にした漢詩に関する書物ではすべて、とは言っても数種の書物に過ぎませんが、作者の杜牧が、山中の小道を登って行きながら車をとどめて紅葉を愛でている、とする内容になっています。しかしその情景は、上述のように、筆者にとって不自然に思えてなりません。詩意を損なわずに、美しい自然な絵として“山行”を想像することはできないものでしょうか。
まず杜牧(1)で挙げた詩の第1句、『新漢詩紀行ガイド』で、“晩秋の山歩き。山道をのぼる作者の行く手に、別世界が開けます”との解説があることから、石川忠久師は、明らかに作者が山道を登って行っている様子を想像されております。しかし同詩の転句で、“車をとどめて……”とある。もしも作者が山道を登っていっているとすれば、作者は、“どこか他所に車をとどめて歩いて登って”いるか、または“車に乗ったまま登っていて、途中で車をとどめている”かのいずれかでしょうか。
この状況を、宇野直人・江原正士師は、『漢詩を読む』の中で、“彼(杜牧)は官僚ですので、歩いているのではなく、人が押す手押し車に乗っているようです”と解説しております。確かに地方役人とはいえ、官僚としてかなりの権力を持っているであろうから、屈強な下っ端役人に手押し車を押させていることは考えられないことではないでしょう。
ところで、作者が登っていると想像している場所は、第1句にあるように“山の斜面にある細くて狭い、曲がりくねった、石ころだらけの道”です。先に杜牧(2)で示した箕面の山中の小道と大同小異な状況ではないでしょうか。また作者は官僚であることから、それなりに正装していると考えられます。晩唐ともなると、官僚は体を鍛錬することもないでしょうから、正装した状態で山道を‘遠く白雲生ずるところ’まで登る程に体力が十分にあるとは思えません。さらに当時手押し車があったかどうかの論は別にして、このような山の石ころ小道を手押し車で登って行くのはかなり難儀なことではないでしょうか。
筆者がこれまでに目にした漢詩に関する書物ではすべて、とは言っても数種の書物に過ぎませんが、作者の杜牧が、山中の小道を登って行きながら車をとどめて紅葉を愛でている、とする内容になっています。しかしその情景は、上述のように、筆者にとって不自然に思えてなりません。詩意を損なわずに、美しい自然な絵として“山行”を想像することはできないものでしょうか。