愉しむ漢詩

漢詩をあるテーマ、例えば、”お酒”で切って読んでいく。又は作るのに挑戦する。”愉しむ漢詩”を目指します。

閑話休題84 漢詩を読む 酒に対す-9; 李白:客中行

2018-08-25 15:19:35 | 漢詩を読む
この二句:
蘭陵の美酒 鬱金の香、
玉碗に盛り來たる 琥珀の光。
 
 四君子の一つ“蘭”、香草ウッコンの香り、玉の杯に注がれて琥珀の色、……と 字面・音の響きを見・聞きするだけで旨酒が想像され、唾が流れ出てきます。李白の詩「客中行」の起・承句です。まずは下記の詩をご鑑賞下さい。

蘭陵のお酒が“美酒“たる所以は、その独特な作り方にあるのでしょうか。その驚きの作り方については、後に記します。

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客中行。  李白。
蘭陵美酒鬱金香、 蘭陵(ランリョウ)の美酒 鬱金(ウコン)の香、
玉碗盛來琥珀光。 玉碗(ギョウクワン)に盛(モ)り來(キタ)る 琥珀(コハク)の光。
但使主人能酔客、 但(タ)だ主人をして能(ヨ)く客を酔わ使(シ)めば、
不知何処是他郷。 知らず何(イズ)れの処(トコロ)か是(コ)れ他郷(タキョウ)。
 註]
客中行:旅をしている時の歌;“中”は“~している時”、“行”は詩歌の意味
蘭陵:現山東省棗荘市付近
鬱金香:チューリップの意味もある;ここでは香草の鬱金の香

<現代語訳>
 旅先での作
蘭陵の美酒は鬱金の芳しい香りがし、
玉の杯になみなみとつがれて、琥珀色に光輝いている。
ただ主人が客人を充分に酔わせてくれると、
異郷であれ 故郷に居ると同じ思いで、異郷・故郷の違いはないのだ。
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この詩は、李白が30代半の頃、山東省の辺りを旅した時の作とされています。故郷を離れてほぼ10年、故郷が恋しくなる頃ではなかったでしょうか。

店の主人から旨酒の快いもてなしを受け、旅にあることを忘れさせてくれた と喜びと感謝の気持ちが述べられているように思われます。

詩に詠われた蘭陵の美酒とは、いわゆる“白酒”(蒸留酒)の一種ですが、その製法は驚きです。その独特な造り方とは? 以後、本稿で話題となるお酒に関する記述の理解にも役立つと思われるので、まずここで一般的な酒造りの概要に触れておきます。

酒造り過程の本質は、○原料中のデンプンをブドウ糖に分解し、○次いで、ブドウ糖をアルコールに変換、○それを飲める形にする、と言えようか。具体的には、1. 麹(コウジ)、2. 酛(モト)、3. 造り、これら3段階を経てアルコール生成が完了する。

1) 麹(デンプン→ブドウ糖):蒸した米、麦などの原料に麹カビを植え付け、発酵させる。麹カビとしては、分離培養された黄麹カビや黒麹カビなど、日本酒や焼酎などの酒の種類によって使い分けられている。

2) 酛(モト):1) の麹に水、酵母(ブドウ糖→アルコール)を加える。これを酛または酒母と呼ぶ。

3) 造り(デンプン→ブドウ糖→アルコールの多量生成):酛にさらに蒸した原料、水、麹および酵母を加え(仕込み)、ゆっくりと発酵させると“もろみ”ができる。以後、“もろみ”を搾る(日本酒など)または蒸留(焼酎など)して、飲める形にする。

以上の過程で、一般的に、原材料含め水、麹カビや酵母は、厳密に吟味された材料が使われ、また各段階での発酵条件も厳しく管理された環境下で進められる。

そこで蘭陵の美酒の“驚きのお酒造り”を覗いて見ます。なおこの部分は、「アジア酒街道を行く#009」(酒文化研究所 山田聡明)を参考にしました。そのURLは、参考として最後に示しました。

1) 麹を造る:大麦、小麦、エンドウなどを粉砕、水を加えて混ぜ、形を整える。これを暖かい部屋に放置して、クモノスカビ、酵母、乳酸菌などを繁殖させる。これは餅麹(モチコウジ)または麯(qū、漢字の日本読みは“キク”)と呼ばれる。

2) 仕込み:原料(蒸した高粱)に麯を混ぜ、窖池(コウチ)にいれ、土をかぶせて土中で発酵させる。窖池とは縦横3m×2.2m、深さ1.5mほどの穴倉である。

3) 数週間経つと、アルコールを含んだ“もろみ”となる。“もろみ”を穴倉から掘り出して、蒸留の段階に進む。注意を引くのは、できた麹も“もろみ”も固体の状態なのである。

4) 蒸留:窖池(穴倉)から掘り出した“もろみ”に もみ殻や落花生の殻を混ぜて、蒸し器・蒸篭(セイロ)に入れる。下でお湯を沸かして蒸気を発生させ、その蒸気でアルコ-ルを取り出す。もみ殻や落花生の殻は、水蒸気の通りを良くするためである と。

一見、原始的に見えるが、土の中で良いお酒ができるよう“自然による管理(?)”がなされているらしい。それを実現するノウハウは、長年の経験を通して蓄積されているのであろう。古い窖池は、“老窖”と呼ばれて、有益な微生物が多く住んでおり(?)珍重されるという。

工場では、窖池が100か所以上あるという。土地の広い中国ならではの製法とも言えるでしょうか。また蘭陵のお酒は、春秋時代から名を馳せていたようですから、3,000年前後の歴史があり、やはり“中国”を感じます。

終戦後間もなく、小学校4,5年の頃、我が家で焼酎を造ったことがあり、その蒸留の段階でお手伝いをした経験がある。後年に判明したことであるが、いわゆる“密造”である。人目・人鼻を避けて、蒸留は夜半に始まり、夜明け前には終わる作業であった。

蒸留装置の天辺には大きな鍋が設置してあり、蒸気を冷却するための水で満たしてある。水は、常に“冷たい”状態に保つために頻繁に交換する必要がある。当時水道はなく、井戸から釣瓶を使って汲み上げ、バケツで運ぶのである。それが筆者の仕事であった。

李白の詩の話題に戻ります。上記のように、土の中で生まれたお酒には独特な芳ばしさがあるように思われます。詩中“鬱金の香”の表現は、このようなお酒そのものの“芳ばしさ”を“鬱金の香”に例えて言ったようにもみえる。

あるいは香草の鬱金を漬けて香りを和ませたお酒でしょうか。鬱金は、黄色の染料としても使われていたようなので、琥珀色に輝いて見えるのもその所為であろうか。色、味、香り,...ちょっと味わってみたいお酒ではあります。
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閑話休題83 飛蓬 漢詩を詠む-21 - 苦熱

2018-08-15 10:42:48 | 漢詩を読む
最近の気象・地象の変動は“半端でない!地球上の各地、各方面で、好ましくない天変地変の報が伝えられている。

7月には、瀬戸内海を挟んだ中国・四国地方で豪雨災害が発生した。一月以上経った今だに、失われた生活の場の復旧の見通しも立たない と報じられている。この炎天、被災地に思いを遣ると、いたたまれない気持ちになります。

「災いは重なってくるものだ」と成語に言うが、豪雨に続く、連日・連夜の炎天・熱帯夜である。何処かの、何物かに怨みをぶちまけたい衝動に駆られます。その想いが下の七言絶句になりました。

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苦熱        苦熱(上平聲 灰韻)。
誰堪連日灼熱哉,誰か堪えん連日(レンジツ)の灼熱(シャクネツ)哉(カナ),
禍不単行暴雨災。禍(ワザワイ)は単行(タンコウ)せず 暴雨(ボウウ)の災(サイ)。
知了集鳴喧殺我,知了(セミ)は集(シュウ)をなして鳴き、我を喧殺(ケンサツ)す, 
夢覚熱気会襲来。夢覚(サ)めて 熱気(ネッキ) 会(マタ)襲い来る。
註]
苦熱:厳しい暑さ
禍不単行:(成語)災いは重なって来るものだ
知了:蝉(セミ)の口語、鳴き声が“知了(zhīliǎo)”のように聞こえるから
喧殺:かまびすしい、殺は、程度が甚だしいことを表す

<現代語訳>
 苦熱
連日の灼熱の太陽には誰が耐えられるであろうか、
災害は重ねて来るもので、豪雨災害に続くこの苦熱である。
セミは群れをなして、ジイジイと大音声で鳴き、うるさくてたまらない、
夜明けに夢が破られ目が覚めると、また一日熱さが襲って来るのだ。
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かねてセミの鳴き声には、清涼感さえ感じたものである。しかし、ここ数年、特に今夏は状況が変わってきているかと思われるほどである。夜が明けるのを待たず、セミの大合唱が始まる。

クマゼミであろうか。ジイジイ、ジリジリ…と、 神経の感度を高めるに十分である。“蝉”という‘かわゆい’言葉より、やはり“zhiliao (ジリジリ)”がピッタリと来る。言葉は生きている ということでしょうか。

最近、セミの出生数が増えているように思われる。写真は、昨夏に撮影したものであるが、脱け殻が群れをなして認められた。今年も同様である。セミには罪はないと知りつつも、この酷暑には、ついセミを“当たる対象”にしたくなるのである。


写真:群れをなすセミの脱け殻

セミは‘うるさい’虫という思いは、詩句や成語としても伝えられている。中国最古の詩集『詩経』では「如蜩如螗」(蜩・螗ともにセミ)、また北宋代の蘇軾(東坡)の詩を基にできた「蛙鳴蟬噪」(蛙なき蟬さわぐ)が知られている。いずれも‘騒がしい’という意味を込めている。

ついでに‘セミ’について調べてみた。意外と面白い虫です。興味をひいた事柄を以下に挙げます。

受け売りで、主に瀬川千秋著『中国 虫の奇聞録』(大修館書店 2016)及び宋 成徳著『蝉、ひぐらしを詠む万葉歌と中国文学』(京都大学國文學論叢、2009)を参考にしました。

中国の皇帝や高官が被る“冠”、その正面を飾る記章は、玉、金、べっ甲などを用いて“セミ”を象った飾り物であった と。この習慣は、戦国時代に始まり、明の時代まで続いていたらしい。戦国時代に趙の武霊王が北方遊牧民族をまねたのが始まりとされています。

セミとは関係ありませんが、武霊王は、周囲の臣の猛反対を押し切って、漢民族として初めて北方民族の軍服-<弓を弾きやすい上着と二股のズボン>-を導入し、騎馬軍団を組織した。戦国時代に趙が、秦に対抗できるほど強国となった基のようである。

“セミ”は、・五穀を食わず、気を吸い清らかな露で口を濯ぐ、・棲む巣をつくらず、・高い木の枝に棲み、良く通る声で気持ちよさそうに鳴いている、・顔は天を向き、・生まれ、死ぬ季節を違えない等々。 

これらセミの特性は、高潔、超俗、節操を象徴するものとして、昔の中国知識人たちの心に響いたもののようです。そこで時代を越えて多くの詩人たちが詩の題材として、“セミ”を詠んでいます。

三国魏の詩人曹植は、セミを主題にした賦「蝉賦」の中で、“帝臣たちは、セミの曇りない高潔さを尊んで、貴顕の印として、頭に頂いているのである”と詠っている と。しかし輸入元の北方民族が同様の発想を持っていて、セミの飾り物を用いていたかは不明ですが。

セミの鳴き声は、‘毎日聞いても飽きない’(万葉集歌)とか、楽器の音に喩えて詩を詠む(漢詩)など、必ずしも"騒がしい音"としてではなく、"快い音"として捉えられていることもある。

当然ながら、“セミ”の種類が多く、季節・時節により登場する種類が異なる、また聞く人・環境によっても異なった印象を与えるであろう。“騒がしい”か“快い”か、一概に論ずることはできないようです。

セミに“当たり散らして”も苦熱から逃れることができるわけでもありません。人それぞれに、暑さを乗り切る術を心得て行かねばなるまい。
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閑話休題82 飛蓬 漢詩を詠む-20 ― 杜甫:游龍門奉先寺

2018-08-05 09:52:12 | 漢詩を読む
続けて、杜甫の「龍門奉先寺に遊ぶ」を読みます。杜甫が若い頃(25歳, 736年)、洛陽を訪ねて、龍門奉先寺に宿をとった時の作とされています。用語が非常に難解な詩です。

この詩を読み解くには、“龍門奉先寺”の佇まいを思い描いておくことが必須と思われますので、まず、撮ってきた写真を基に絵解きを試みます。少々‘くどく’なりそうですが、ご勘弁を。

“龍門石窟”の完成は、玄宗皇帝(在位712~756)の時期とされていますので、杜甫が訪ね、宿をとった折は、新築建材の香気が香るまっさらなお寺であったと言えるでしょうか。

昼間は、和尚さんに案内されて寺内を見て回り、廬舎那大仏に手を合わされたことでしょう。夜休まれた後、目にしたこと、耳にしたこと、また感じたことなどを詠っています。下記の詩をご参照下さい。

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游龍門奉先寺   杜甫
已從招提遊, 已(スデ)に招提(ショウダイ)に從(シタガ)いて遊び,
更宿招提境。 更(サラ)に招提の境(キョウ)に宿(シュク)す。
陰壑生虛籟, 陰壑(インカク) 虛籟(キョライ)を生じ,
月林散清影。 月(ツキ) 林(ハヤシ)に散(サン)じて清影(セイイン)なり。
天闕象緯逼, 天闕(テンケツ) 象(カタチ)緯(イ)にして逼(セマ)り,
雲臥衣裳冷。 雲に臥(フ)して衣裳(イショウ)冷(ヒヤ)やかなり。
欲覚聞晨鐘, 覚(サ)めんと欲(ホッ)するに晨(アシタ)の鐘を聞く,
令人発深省。 人をして深省(シンセイ)を発(ハッ)せ令(シ)める。
註]
招提:梵語の中国語音訳で「四方」という意味。ここでは寺院または寺院の僧の意
陰壑:幽暗な山谷;陰は陽に対する語で、山の北側を指すこともある
虛籟:谷間をよぎる風の音
清影:晴朗な月の光
天闕:天上の宮殿、ここでは、高く聳える龍門の懸崖
象緯:星がつくる経緯;恒星をたて糸(経)、木・火・土・金・水の5惑星をよこ糸(緯)とした夜空の星辰
雲臥:龍門山は高く、雲を突き抜けていて、奉先寺で寝ているのは、雲の中に寝ているようなものである
覚:目覚める
深省:深く考える、しっかりと悟る

<現代語訳>
   龍門奉先寺に遊ぶ
すでに幸いにも寺僧の案内でお寺を見て回り、
その上、晩にはこのお寺で泊まった。
ほの暗い谷間を吹き抜ける風の音が聞こえてきて、
   林の木の枝を突き抜けてちらついている月光は晴朗である。
高く聳える龍門山では天上の星が身近に迫って来て、
   雲の中で寝ているようで、衣を通して寒気を覚える。
目覚めるとお寺の朝の鐘の音が聞こえてきて、
   心の琴線に響き、人をして深い悟りを起こさせる。
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“寺”と聞くと、これまでに目にしてきた多くのお寺を基に、仏殿、講堂、宿坊、庫裏…..と別々の建物からなる佇まいを想像します。広い敷地が得られる平地やなだらかな山の斜面では、自然な佇まいと言えるでしょう。

対して、山裾らしき広がりも見当たらない懸崖の竜門石窟で、“奉先寺”とは何処にあるのであろう?これは、上掲の杜甫の詩を手にとった時、筆者がまず感じた偽らざる疑問であった。

結論を急ぐなら、龍門山懸崖の中腹に掘られた大きな石窟、奉先洞がすなわち奉先寺なのである。この洞に、今日目にすることができる厨子の諸像のほか、宿坊、庫裏、講堂など諸要素が作り込まれていたようです。

以下、撮ってきた写真を基に、想像を働かせてその佇まいと周囲の情景を思い描いてみます。麓を流れる伊河の船上から撮った龍門西山の遠望を写真 1に示しました。懸崖の中腹に大きな洞“奉先洞”が掘られていて、その奥に廬舎那仏の座像が見えます。


写真1:伊河を下る船上から龍門奉先洞を望む

なお、カメラの後ろには東山が迫っており、撮影者は、東・西の両山に挟まれた谷底を流れる伊河にいることになります。灯りの乏しい唐の時代、夜陰にこの谷間をヒューヒューと過る風音は、詩人の詩情を掻き立てずには措かなかったものと想像されます。

洞内を近くで覗くと、廬舎那仏を中心に両脇に菩薩や弟子など精緻に彫られた像が目に入ります(写真2)。写真一枚には収まりませんでしたが、両脇にはさらに羅漢や力士等の立像が彫られてあり、総勢一仏、二弟子、二菩薩、二天王、二力士とされ、洞内の広さが伺われます。


写真2:廬舎那仏と諸像

写真2で、確認しておいて頂きたいこと:・仏像の座高17 m、耳の大きさは1.9 mと巨大である、・諸像の台座は一段高くなっていて、その前に広場があり、多くの観光客が観覧している、・洞壁にはほぼ諸像の頭の高さに、縦に並んだ四角に穿かれた孔が何列かある。

奉先洞の真ん前の路上から洞を覗く(写真3)と、3筋の階段の向こう左寄りに廬舎那仏の頭部だけが目に入り、胴体部分は隠れています。すなわち、階段を登り切った向こうの広場の奥行きが非常に深いことを想像させます。


写真3:龍門山の麓から奉先洞を望む

画面下の「石窟奉先洞」の看板は、道路わきのお土産店を示しています。お店の両脇から階段を登ると、屋根上は踊り場となっています。方向を変えてさらに上った所に一息つける踊り場が設けられているのが、手すりの作りから想像できます。

奉先洞への登り口を横から見た様子は写真4に示しました。お店の屋根上から洞へと登ります。写真が不鮮明で恐縮ですが、階段中程に白い衣装の人影があります。そこが中間の踊り場で、この辺りは龍門懸崖の壁面に当たり、洞はさらに奥まっていくことを示しています。


写真4:橙色の手すりに沿って階段をさらに上った先に奉先洞がある。壁面の洞にはすべて、仏像が彫られている

奉先洞の三次元の様子が思い描けたでしょうか。洞の大きさを実感してもらうために敢えて‘くどく’述べました。資料によれば、洞の奥行き・横幅ともに30 mを越すとされており、900 m2(300坪)以上の面積です。大仏の高さから推測して、洞屋根は20m超の高さ、3、4階建ての建物に相当します。

唐の頃には、今日見るような鉄筋やコンクリートの利用はなく、木材が柱や梁として使用されていたことでしょう。写真2で見た、壁面に穿たれた四角の孔列は、巨大な梁を固定するための孔であったと想像されます。

本論の詩に戻ります。まず詩題について。奉先寺は、洞いっぱいに建てられた巨大なお寺です。この巨大さを念頭に置くなら、詩題「龍門奉先寺に遊ぶ」の“~に遊ぶ”という表現に納得がいくように思われます。

和尚さんに案内されて寺内を随分と歩かれたことでしょう。しかし“寺に遊ぶ”と題しながら、起句で“遊ぶ”と触れて、2句目で“寺に宿して”後、“遊覧”した形跡を示す字句が全くありません。面白いです。

詩の3、4、5及び6句は、奉先寺で夜に宿泊している際の景色を描写しています。3句の“陰壑”については、先に触れたように、奉先寺は谷間にあることから、敢えて“北の谷間”を想定する必要はないように思われます。

ほの暗い谷間に、ひとしきり冷たい風が起こり、風に吹かれて揺れる樹の枝、その間を通して見える晴朗な月光がちらちらと揺れ動いて見える。すなわち、“散”の字で、月光を借りて、風に樹木が揺れている“動”の情景を描いています。

頭を挙げて天を仰ぐと、澄み切った夜空に無数の星が煌いていて、群星が身に迫って来る。このような圧迫感が“逼”の一字で表現されています。‘雲中で寝ている’とは、‘世俗から離れている’思いでしょうか。

つまり、詩題の“遊ぶ”は、谷間をよぎる風音、風に揺れる木の枝の間に煌く月光、身に迫り来る天空の星辰、また夜陰の寒気 と、五感を通して心中に起こす感興であった と読むのは、穿ち過ぎか。

これらは,龍門奉先寺で宿したからこそ起こる感興でしょう。昼間には和尚さんの案内で大仏に参拝した筈です。7、8句で、朝に目が覚める頃、鐘の音が耳に届きます。詩句通りに、杜甫をして深い思いを起こさせたに違いありません。
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