愉しむ漢詩

漢詩をあるテーマ、例えば、”お酒”で切って読んでいく。又は作るのに挑戦する。”愉しむ漢詩”を目指します。

閑話休題 252 飛蓬-146 次韻 蘇軾《東披》 期望初收穫

2022-02-28 09:27:07 | 漢詩を読む
流刑の地 黄州に着いて後、貧窮の生活を強いられていたが、荒れ地を開墾し、自耕できる土地を得て農耕に精出している頃の蘇軾です。絶句《東披》では、農作業を終え、杖の助けを借りて、石ころ道を帰宅途中の様子でしょうか? 夕食後、息抜きの散歩の時間でしょうか? 

荒れた土地の開墾には想像を超える苦労を伴ったことであろう。その模様は後述することとして、秋の収穫の喜びを念頭に置くからこそ、苦労も厭わず精も出るというもの。拙詩・《期望初收穫》では、初収穫を間近にした状況を想像し、蘇軾を励まし、応援する思いで書きました。

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<漢詩と読み下し文>     [下平声八庚韻] 
次韻蘇軾《東坡》 期望初收穫  
黃穗碧空秋氣清, 黃いろの穗(イナホ) 碧(アオイ)空 秋氣 清し, 
東坡犖确荷鋤行。 東坡(トウバ)の犖确(ラクカク) 鋤(クワ)を荷(ニ)なって行く。 
流浪田家豈不苦、 流浪(ルロウ)の田家(デンカ) 豈(アニ)苦しからざらんや、 
就知却喜搗稻声。 就(ヤガテ)知らん 却(カエ)って喜ぶ 稻(モミ)を搗(ツ)くの声を。 
 註] 黃穗:黄金色した稲穂;  東坡:流刑に遭った蘇軾が住んだ黄州の土地で、
  蘇軾が名付けた;  犖确:石ころ道;  鋤:鍬、農機具;  田家:農家、農民; 
  搗:精米するために、臼(ウス)に入れた籾(モミ)を杵(キネ)で搗く、脱穀すること。  
<現代語訳> 
 蘇軾《東披》に次韻す  初収穫への期待  
爽やかな秋気に満ちた紺碧の空の下、たわわに実った黄金色の稲穂が微風に揺れている、 
私は、鋤を肩にかけて 田んぼの草取りや整地のため 東坡の石ころ道を行く。 
流刑に遭い、辿り着いた俄か農民にとって、農作業は苦しくないわけではないが、 
初収穫を間近にして、やがて籾を搗く杵の音の響きが思われて、却って喜び一入である。 
<簡体字およびピンイン> 
次韵苏轼《东坡》 期望初收获  
Cìyùn SūShì 《Dōng pō》 Qīwàng chū shōuhuò  
黄穗碧空秋气清, Huáng suì bì kōng qiū qì qīng,
东坡犖确荷鋤行。 dōng pō luò què hè chú xíng.  
流浪田家岂不苦、 Liúlàng tiánjiā qǐ bù kǔ,
就知却喜捣稻声。 jiù zhī què xǐ dǎo dào shēng.
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ooooooooooooo 
<蘇軾の詩>
  東坡       東坡(トウバ)     [下平声八庚韻] 
雨洗東坡月色清, 雨は東坡(トバ)を洗うて 月色(ゲッショク)清し, 
市人行尽野人行。 市人(シジン)行き尽くして 野人(ヤジン)行く。 
莫嫌犖确坡頭路, 嫌(キラ)うこと莫(ナ)かれ 犖确(ラクカク)坡頭(ハトウ)の路(ミチ), 
自愛鏗然曵杖声。 自ら愛す 鏗然(コウゼン)杖(ユエ)を曵(ヒ)くの声。 
 註] 市人:まちに住む人;  野人:田舎の人;  犖确:石ころだらけのさま;
  鏗然:杖をつく音のさま;  曵杖:杖をつく。  
<現代語訳> 
 東坡 
雨は東坡を洗い、月の色は清らかに澄んでいる、 
町の人はもう通らず、いなか暮らしの私だけが通る。 
石ころだらけの堤の道をいやがってはいけない、 
私はこつこつと杖をつく音がすきなのだ。 
        [石川忠久 『NHK文化セミナー 漢詩を読む 蘇東坡 1990』に拠る] 
<簡体字およびピンイン> 
東坡 Dōng pō
雨洗东坡月色清, Yǔ xǐ dōng pō yuè sè qīng,
市人行尽野人行。 shì rén xíng jǐn yě rén xíng.
莫嫌犖确坡头路, Mò xián luò què pō tóu lù,
自爱鏗然曵杖声。 zì 'ài kēngrán yè zhàng shēng.
ooooooooooooo 

蘇軾には、掲詩・《東坡》とは別に、《東坡八首》の連作がある。《東坡八首》の長文の“序”中では、黄州に左遷された直後の蘇軾の生活状況が語られている。非常に赤裸々に語られているので、下にその邦訳・大意を挙げます。

// 《東坡八首》序 から  
私は、黄州に来て2年、日々の生活に困窮を窮めていた。友人の馬正卿(バセイケイ)は、私が食べ物に乏しく窮しているのを知って、役所に掛け合い、郡中の元兵営の地であった土地、数十畝(下注参照)を借り受け、そこで耕作することができるようにしてくれた(1081)。

その土地は、長年荒れ放題で、雑草、瓦礫の場となっていて、その上、その歳は大干ばつであった。このような荒れ地を開墾する労たるや、筋力はほとんど力尽き果て、耒(スキ)を投げ捨てて、歎くこと頻りであった。

そこでここに詩を作り、自らその労をねぎらう次第である。来年の収穫が、この苦労を忘れさせてくれること 切に請い願いつつ。
  [注] 現・中国:1畝=6.667アール; 1アール=100m2; 当時の面積単位は 
  不明であるが、数十畝とは、結構な広さのようである。//  

蘇軾は、1079年暮れに流謫の命、翌年2月黄州に着任している。着任早々、お寺・定恵院(ジョウエイン)に住んでいたが、1年後 居を移し、あてがわれた新居を臨皋亭(リンコウテイ)と名付けた。また借り受けた耕地を“東坡”と名付け、自ら“東坡居士”と号した。 

因みに“東坡”とは、東の堤 という意味である。曽て白楽天が江州から忠州(重慶)に移され、その郊外の東の堤(東坡)に手ずから桃李を植えて、その場を愛した と。これに倣ったものとされている。

掲詩・《東坡》では、例え“がらくた道”の田舎道とは言え、置かれた環境での生活を愛して止まない蘇軾の人柄がよく出た詩であるように思える。その心根を応援するべく、当詩に次韻して、「初収穫への期待」を書きました。 

[追記] 前稿・閑話休題249に関し、{喜界島は“クレオパトラ アイランド”?}と、読者の方からコメントを戴いています。有難うございます。少々調べたので、ここに、以下概要をお伝えいたします。

[記] ペリー艦隊は、1854年、「日米和親条約」締結(3月)後、(太平洋を)琉球に向け南下、6月に喜界島―奄美大島間を通過した。その折、喜界島を“Bungalow island ”と名付けた と(ペリー著、金井圓訳『ペリー日本遠征記』)。

その8年ほど前(1846.05)、仏・サビーヌ号ゲラン艦長は、(東シナ海を)沖縄から長崎に向かう途中、「二つの小さな島で、円錐形、ともに無人。互いに接近してあり、火山性の形成物、噴火口がある。その南端は、北緯28°48‘、統計128°59’30”」、これらの島を”Kleopatra island”と名付けた と。(フォルカード著、中島昭子、小川早百合訳『幕末日仏交流記:フォルカード神父の琉球日記』?)

以上の記載から、”Kleopatra island”とは現・吐噶喇(トカラ)列島の“横当島・上の根島”である。“Bungalow island ”、 ”Kleopatra island”ともに、命名の根拠は不明である。ただ、後者については、関連は不明ですが、ゲラン艦隊には、艦船‘クレオパトラ号’が同道していたという。[『喜界町誌』および『国立国会図書館』調査報告書を参考にした。]
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閑話休題251 句題和歌 10  白楽天・長恨歌(4)

2022-02-21 09:14:35 | 漢詩を読む
楊玉環が、正式に貴妃として後宮に入る(745)と、楊一族は都・長安に移ります。3人の姉たちは夫人として封土を賜り、曾従兄関係にある楊釞(ショウ、国忠)も要職に就き、後に宰相となる。彼・彼女らの栄華振りは、世の人々から羨ましがれる存在となっていきます。その様子は、長恨歌の次の四句に語られている。

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<白楽天の詩> 
 長恨歌 (4)  
23姉妹弟兄皆列土、 姉妹(シマイ)弟兄(テイケイ) 皆(ミ)な土(ド)に列す、
24可憐光彩生門戶。 憐(アワレ)む可(ベ)し 光彩(コウサイ) 門戶(モンコ)に生ず。
25遂令天下父母心、 遂に天下の父母の心をして、 
26不重生男重生女。 男を生むを重んぜず 女を生むを重んぜしむ。
 註] 列土:爵位とそれに応じた領地をあたえられること。3人の姉は韓国夫人、
  虢(カク)国夫人、秦国夫人に封じられ、曾従兄の楊国忠は宰相となった;可憐:
  強く心を動かされること、哀れ、同情などの気持ちを起こさせること。 

<現代語訳>
 長恨歌 (4) 
23姉妹兄弟みなご領地を賜り、
24ああなんと、目も眩む一門の栄華。
25 遂に国中の父母たちの心をして、
26 男を生むより 女を生む方が好いと思わせるまでになった。

<簡体字およびピンイン>
長恨歌
23姊妹弟兄皆列土, Zǐmèi dìxiōng jiē liè , [上声七麌韻]
24可怜光彩生门户. kělián guāngcǎi shēng mén.
25遂令天下父母心、Suì lìng tiānxià fùmǔ xīn, 
26不重生男重生女。bù chóngshēng nán chóngshēng .  
xxxxxxxxxxxxxxx 

楊玉環が貴妃となったのを機会に、直ちに姉たちは都長安に移り、それぞれ、韓国夫人、虢(カク)国夫人、秦国夫人となって封土を得ている。夫人とは、妻という意味ではなく、女官の官位を示す称号で、皇后に次ぐ一品の位である。

楊釞(ショウ、?~756、後の国忠)の来歴を追ってみます。生年は定かではないが、蒲州永楽県(現・山西省運城市一帯)に生まれ、酒と博打に明け暮れる無学のならず者で、一族の嫌われ者であったようである。楊貴妃の父・楊玄琰(ゲンエン、686~729)を頼りに蜀に移ったのでしょう。

楊釞は、30歳頃?蜀で地方軍に入り、軍功を挙げて新都県尉に任命されている。楊玄琰が40歳代と、若くして亡くなると、楊釞は、楊家に入り浸り、後の虢国夫人と懇ろになっていた と。

楊玉環が、貴妃となったことを知った蜀の節度使は、この機会を利用すべく、部下を通じて楊釞を招き、幕僚に取り立てた。その上で、楊釞を使いとして都に派遣します。楊釞は、虢国夫人、さらに楊貴妃を通じて、玄宗皇帝に謁見が叶います。

玄宗を相手に碁を楽しむ機会があったとか、言葉も巧みであったのでしょう。楊釞はすっかり玄宗の気に入られて、多くの公職に任命されている。遂には、皇帝直属の高位の役職である監察御史に任命されている(748?)。監察御史とは、皇帝の耳目として、官吏の非行を検察し、弾劾する官である。

更に、優れた出納官として度支郎中(タクシロウチュウ)に任命されており、会計に明るく財政手腕を発揮した、国に忠義な人であるとして、ここで「国忠」の名を賜っている。税金の取り立てが旨かったということのようである。

楊国忠は、楊貴妃を通じて、玄宗の意向を探り、得た情報を活かしていきつつ、時の宰相・李林甫と結託して勢力を伸ばしていった。李林甫もどっちかと言うと、佞臣のレッテルを張られている専横政治家であった。国の進路も歪んでいきつつあるようである。

751年、蜀で異民族の反乱があり、その討伐軍の統率者として推挙され討伐に向かったが、大敗を喫している。しかし玄宗には、反乱は鎮圧されたと報告された と。翌年(752)、李林甫が病没して、楊国忠は宰相に登り詰めた。

玄宗(685―762、在位712~756)は、若いころの開元年間(713~741)には「開元の治 (カイゲンノチ)」と称される革新的な善政を敷き、唐は安定した太平の世の絶頂期を迎えたのであるが、歯車が狂い始めたようである。 

句題和歌:今回は、関連する句題和歌はなし。
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閑話休題250 句題和歌 9  白楽天・長恨歌(3)

2022-02-14 09:14:22 | 漢詩を読む
 

玄宗の第18子の寿王・李瑁(リボウ)の妃であった楊玉環は、玄宗に見初められ、しばらく内縁関係の後、後宮に呼び入れられて、妃と同等な待遇を受けます。数ある後宮の麗人たち(3,000人!)を余所に、楊玉環(貴妃)は、玄宗の寵愛を一身に受けて、公私に華々しい生活を送るようになりました。

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<白楽天の詩> 
  長恨歌  
17承歓侍宴無閑暇、 歓(カン)を承(ウ)け宴(エン)に侍(ジ)して 閑暇(カンカ)無し、
18春從春遊夜專夜。 春は春の遊びに從い 夜は夜を專(モッパ)らにす。
19後宮佳麗三千人、 後宮(コウキュウ)の佳麗(カレイ) 三千人、
20三千寵愛在一身。 三千の寵愛(チョウアイ) 一身(イッシン)に在(ア)り。
21金屋粧成嬌侍夜、 金屋(キンオク) 粧(ヨソオ)い成(ナ)りて嬌(キョウ)として夜に侍(ジ)し、
22玉楼宴罷醉和春。 玉楼(ギョクロウ) 宴(エン)罷(ヤ)みて醉(ヨ)いて春に和(ワ)す。 
  註] 承歓:上の者から愛情を注がれる、私的な睦み合い;  侍宴:公的な席に 
   付き従うこと;  夜專夜:一人だけで天子のおとぎをつとめること、 
   一晩を一人でおとぎするのは皇后だけ、楊玉環は未だ皇后ではなかったが; 
   後宮:皇后や妃などが住む宮中奥向きの宮殿;  金屋:皇后の御殿; 
   玉楼:りっぱな御殿。   
<現代語訳> 
   とわの悲しみのうた 
17帝のお相手やら宴席のお務めやらまるで暇がない、 
18春には春の行楽に付き従い、夜には枕を一人占め。 
19後宮にひしめく三千の麗人、 
20その3千人分の寵愛がいまや一身に注がれる。 
21黄金のやかたでは粧いを凝らし、あでやかに夜のおとぎ、 
22玉のうてなの宴が尽きれば、後には春と溶け合う酔い心地。 
                  [主に参考:川合幸三 編訳 『中国名詩選』]                    
<簡体字およびピンイン> 
    长恨歌 Cháng hèn gē
17承欢侍宴无闲暇, Chéng huān shì yàn wú xiánxiá, [去声二十二禡韻]
18春从春游夜专夜. chūn cóng chūn yóu yè zhuān .
19后宫佳丽三千人, Hòugōng jiālì sānqiān rén,      [上平声十一真韻]
20三千宠爱在一身. sānqiān chǒng'ài zài yīshēn.
21金屋妆成娇侍夜, Jīnwū zhuāng chéng jiāo shì yè,
22玉楼宴罢醉和春. yù lóu yàn bà zuì hé chūn.  
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玄宗に見初められた玉環は、出家し女冠(女道士)を経て、後宮に入り(744)、皇后の扱いを受け、正式に貴妃となるのは、翌年(745)である。玄宗が愛情を注いでいた妃の武恵妃は、40余歳で亡くなって(737)いて、玄宗にあっては、新しい妃を迎える状況にあった。

楊貴妃は、“羞花美人”と称される中国四大美女の一人とされる。なお、クレオパトラ・小野小町と共に世界三大美女とも称されている。また音楽をこよなく愛し、琵琶、笛や磬(ケイ、打楽器)をこなすばかりか、踊りにも長けていた人で、玄宗と共通の趣向を持ち合わせていた。結びつきが一層強くなることも頷けることである。 

楊貴妃作とされる詩(下記)が遺されており、その多才ぶりが伺える。清代に編集された唐詩全集・『全唐詩』に採りあげられていて、華清宮で侍女の張雲容に「霓裳(ゲイショウ)羽衣(ウイ)の曲」を舞わせて、それを題材にして詠んだ詩である。以下、その詩・七言絶句を読みます。なお、漢詩部は、「Wikipedia楊貴妃」に拠った。 

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<楊貴妃の詩> 
 阿那曲(贈張雲容舞)     [上声四紙韻] 
羅袖動香香不已、 羅袖(らしゅう)香を動すも 香已まず 
紅蕖裊裊秋煙裏。 紅蕖(こうきょ)裊裊(じょうじょう)たり 秋煙の裏 
輕雲嶺上乍搖風、 軽雲 嶺上 乍(たちま)ち風に揺らぎ 
嫩柳池辺初拂水。 嫩柳(ドンリュウ) 池辺 初めて水を払う 
 註] 阿那曲:「霓裳羽衣の曲」のこと;  羅:きめの細かい絹織物、薄絹; 
  蕖:芙蓉(ハス)の花;  裊裊:ゆらゆらと揺れるさま;  嫩:若い。
 ※ 「霓裳羽衣の曲」:玄宗が、夢の中で見た天上の月宮殿での天人の舞楽に 
  ならって作ったと伝えられる楽曲。 
<現代語訳> 
 霓裳羽衣の曲 (張雲容の舞に贈る) 
薄絹の袖の動きに合わせてまわりに香気が揺らぎ、香りは消えることがなく、
秋の煙霧の内に紅の芙蓉の花がゆらゆらと揺れている。
山上の千切れ雲が忽ち風に揺らぎ、
池のほとりの若柳の葉が初めて水を払う。 
<簡体字およびピンイン> 
 阿那曲(赠张云容舞) Ā nà qǔ (zèng ZhāngYúnróng wǔ)  
罗袖动香香不已、 Luó xiù dòng xiāng xiāng bù , 
红蕖袅袅秋烟里。 hóng qú niǎoniǎo qiū yān . 
轻云岭上乍摇风、 Qīng yún lǐng shàng zhà yáo fēng, 
嫩柳池边初拂水。 nèn liǔ chí biān chū fú shuǐ. 
xxxxxxxxxxxxxxx

「霓裳羽衣の曲」と踊りがどのようなものであるか、定かではありません。中国歌舞でよく目にする「10m前後の長さの白布を両手にして、曲に合わせて上下・左右・時計方向、反時計方向に と自在に操り、波打たせる」踊り、を筆者は想像しています。

漢詩について: 詩の“作り”の上では、脚韻、平仄等々、七言絶句の規則はしっかりと踏まえた唐詩である。その内容は、踊り手の腕の動きで起こされた微風が、大気を動かし、布に染み込ませた芳香を撒き広げ、また天地周囲の諸々の事物を揺るがしている と。

ひいては、楊貴妃自身、さらに踊りを見ている人々にも少なからぬ感動を呼び起こさせているよ と、「霓裳羽衣の曲」と踊り手の踊りの出来栄えを賞賛していることを言外に仄めかしているように思える。

音楽、舞芸、詩作…と、楊貴妃の多才ぶりを知ると、彼女が、非常に教養豊かで、比較的恵まれた生活環境の中で育てられたように思える。現代流で言えば、“中流の上位”階級の人と言えようか?また詩から推して、心豊かで、明るく鷹揚な気性の人であったように思える。

句題和歌: 長恨歌の第20句 “三千寵愛在一身”に関連した、藤原高遠(閑話休題247、長恨歌(1))の “句題和歌”を読みます。

我ひとりと 思ふ心も 世の中の
はかなき身こそ うたがはれけれ (『大弐高遠集』)  
<大意> 帝の愛は私一人にだけ…… と思いつつも、なお、はかない女の身であることに 不安の念がよぎるのである。 

[蛇足] 百人一首54番(儀同三司母、閑話休題165):「…いつ心変わりされるか不安で、最も幸せに浸っていられる今この時、あなたの傍で命が絶えてしまえばよいと思うのよ」との趣旨の歌がありました。高遠の心配ごと、楊貴妃にもあったのでしょうか? 
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閑話休題 246 飛蓬-144 次韻 蘇軾「題西林璧」 富士山

2022-02-09 10:15:32 | 漢詩を読む
「蘇軾「題西林璧」に次韻する詩 富士山」を書いてみました。“廬山”に替えて、“富士山”を話題の対象として、次韻しました。

蘇軾(1037~1101)は、「題西林璧」で 山中に入ったら 山のホントの姿を識ることはできませんよ と述べております。次韻する詩では、山中に入ったら、(その山の真の姿を識ることができないばかりか、) 却って好ましくない事象に遭遇しますよ と。

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 次韻 蘇軾「題西林璧」 富士山      [上平声二冬・一東通韻] 
誰上霊山求秀峰, 誰が秀峰を求めて霊山に登るであろうか, 
宿心所看相不同。 宿心 所看(ミシトコロ) 相(アイ)同じからず。 
豈肯行行石磊磊, 豈(アニ)肯(ガエ)んぜん 行行(ユキユキ)て 石の磊磊(ライライ)たるを, 
須知厳酷在山中。 須(スベカラ)く知るべし 山中には厳酷在るを。 
 註] 宿心:日ごろ抱いていた思い、ここでは“常々見たいと思い描いている秀峰”; 
  所看:目にした所の物; 行行:行き続ける、道行くうちに; 磊磊:多くの
  石がゴロゴロと積み重なっているさま。

<現代語訳> 
 蘇軾「題西林璧」に次韻する  富士山 
誰が霊岳富士の秀峰を見たいと 富士山に登るであろうか、 
かねて見たいと思い描いていたことと、登って実際目にすることは同じではないのだ。 
行けども行けども 石ころゴロゴロ、岩だらけに どうして肯んじ得ようか、 
山中には外から見えない厳しい状況があることを忘れてはならない。 

<簡体字およびピンイン> 
 次韻 蘇軾「題西林璧」  富士山 
           Cìyùn Sūshì `tí Xīlín bì' Fùshìshān 
谁上灵山求秀峰, Shéi shàng língshān qiú xiù fēng,
宿心所看相不同。 sù xīn suǒ kàn xiāng bù tóng.
岂肯行行石磊磊, Qǐ kěn xíng xíng shí lěi lěi,
须知严酷在山中。 xū zhī yánkù zài shān zhōng.
xxxxxxxxxxxxxxx 
        
<蘇軾の詩> 
 題西林壁 西林の壁に題す 
橫看成嶺側成峰, 橫に看れば嶺と成り 側(カタワラ)では峰と成る,
緣近高低各不同。 緣近 高低 各(オノ)おの同じからず。
不識廬山真面目, 識(シ)らず 廬山の真面目(シンメンボク),
只緣身在此山中。 只(タダ) 身 此の山中に在るに緣(ヨ)る。
 註] 西林:仏教の聖地・廬山(江西省)の西林寺; 嶺:幾重にも連なった山なみ; 
  峰:突出した山頂; 真面目:真実の姿。 
 
<現代語訳> 
 西林の壁に題す 
横から見れば延々とたたなわる嶺、側面から見ると切り立つ険しい峰、
見る位置の遠近高低によって 山の姿がそれぞれ違って見えるのだ。
廬山のまことの姿を知りえないのは、
自分がこの山の中にいるからなのだ。
                        [白 雪梅 『詩境悠游』に拠る]
<簡体字およびピンイン> 
题西林壁 Tí xīlín bì 
横看成岭侧成峰, Héng kàn chéng lǐng cè chéng fēng,
缘近高低各不同。 yuán jìn gāo dī gè bù tóng.
不识庐山真面目, Bù shí lúshān zhēnmiànmù,
只缘身在此山中。 zhǐ yuán shēn zài cǐ shān zhōng.
ooooooooooooo 

蘇軾の詩は、用語・表現が非常に簡明で解りやすい。字面を追うだけで言わんとすることが解る。「题西林壁」の詩もその例に漏れない。ただしその深奥に寓意を秘めていて、それが何とも味わい深く、自然・人生・物事の本質に迫る“哲理”を含んでいるのである。

解説は蛇足ですが、敢えて一寓意を記すなら、掲詩での話題は、表面的には“廬山”についての記述である。立つ位置で目にする山容は異なる と。つまり物事は、見る人の置かれた立場や時により、すなわちTPO(時・所・機会)により異なります と。

また山中に入ってしまっては、山容を識ることはできない。例えば、難題に遭遇した際、その渦中に身をおいては、本質を見失うことになりかねません。一歩下がって、冷静に対処しなさいよ と。筆者の理解である。

蘇軾は、北宋時代の文学者、書画家、美食家……、万能の士である。地方行政に携わっていた折、政府に批判的な内容の詩があったことから、1079年、朝政誹謗罪で逮捕され、御史台の獄に入獄される。死刑を覚悟していたようである。

数ケ月の後、黄州(現湖北省黄岡県)へ流刑となる。黄州ではかなり厳しい生活を強いられていたようであるが、楽天的な性格で、例えば、安価な食材で美味な食事を との工夫がなされて“東坡肉(トンポーロウ)”が創生されたのは、この時期である。

1984年、汝州(現河南省臨汝県)への転勤が命じられます。この転勤は実質的な名誉回復であった。汝州へ赴く途中、友人の参寥と九江に寄り、廬山・西林寺を訪ねている。そこで筆を採り、壁に書き付けた詩が「题西林壁」である と。

この「题西林壁」に次韻を試みました。蘇軾の名詩と並べて記すのは恐れ多いのであるが。中国には:[初生牛犊不怕虎 Chūshēng niú dú bù pà hǔ、生まれたばかりの仔牛は虎を恐れない] という諺があります。恐るべき相手の前を 目を瞑って進む心境ではある。

富士山を話題としました。詩中、敢えて山中に分け入ってみました。実を言うと、筆者は、富士山については、新幹線の窓越しにチラリと見た程度、況や登山の経験もありません。富士の山肌については、曽て催された、自衛隊の選手たちによる富士の登り/下り・駅伝競走のTV放映での印象・記憶に拠った。

富士登山がそれなりの別の目的でなされるであろうことはさておき、山中では、かの思い描いた秀麗な姿を眼にすることはできません。そればかりか、その山中では、足元は石ころ、周りは大小の岩、岩 と我慢ならないほどに身に応える事象が待ち受けていますよ と。

筆者は、親の恩愛を胸の内に想いながら、次韻の詩を書きました。すなわち、親の懐に抱かれている間は、親の恩愛に気付くことがない。やれ「勉強せよ!」、やれ「ゲーム遊びばかりして!」等々、堪えがたい小言ばかりを聞かされる。

だが、一度、親元を離れてみると、小言は、恩愛の深さによると気づく。同様のことは、「故郷は、遠きにありて思うもの」(室生犀星)、や「国を離れて始めて、国の良さが解る」等々。やはり「しばし一度離れて、振り返ること」が、人間成長の第一歩のように思える。“秀麗を求めて山に登る事のないように!!”

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閑話休題 249 飛蓬-145 次韻 蘇軾「海棠」 「通红芙蓉」

2022-02-07 09:26:05 | 漢詩を読む
地球上では、生物は環境に合わせつつも、異種間で、お互い助け・助けられつつ生きる、独特の生態系を形成しています。ここでは、南国の“情熱の花”ハイビスカスと美装を纏った旅する蝶・アサギマダラ(下写真)の交歓を話題にします。

   
作・著作権者:Andrzej Kaim 
リンク先:アサギマダラ - Wikipedia

蘇軾「海棠(カイドウ)」に触発されて、同詩に次韻する作詩に挑戦しました。海棠の原産地が、自らの故郷・蜀であったこともあろう、蘇軾は殊の外、海棠の花・木を愛していたようである。流刑の地・黄州にいたころ(1083)、そこで一株の海棠を見出し、詠んだ詩である と。

「通紅芙蓉」の詩は、舞台として本邦・南西諸島の一小島・喜界島の東沿岸を念頭に書いています。同島では、アサギマダラが繁殖し、同蝶が海を渡り、本州を含む多くの地方と行き来していることが確認されています。アサギマダラの長旅の助けにと、密を蓄えて待っているハイビスカスの“思い遣り”の心を想像しました。

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 次韻蘇軾《海棠》 通紅芙蓉  [下平声七陽韻]
太洋瀲灔曙瑞光, 太洋 瀲灔(レンエン) として曙(アケボノ)の瑞光,
蛱蝶飄飄旋転廊。 蛱蝶(キョウチョウ) 飄飄(ヒョウヒョウ) として廊に旋転(センテン)す。
芙蓉猶恐蜜充否, 芙蓉(フヨウ) 猶(ナ)お恐る蜜の充なるや否やを,
更待旅蝶耀紅粧。 更に待つ 旅蝶(リョチョウ) 紅粧(コウショウ)を耀かして。
 註] 芙蓉:ハイビスカスのこと。アオイ目アオイ科 フヨウ属 (Hibiscus) に属する、 
  熱帯・亜熱帯性の植物。真っ赤な花の種“ブッソウゲ(仏桑華)とも言われる; 
  瀲灔:広々とさざ波を湛えたさま。; 曙:夜が明け始めるころ。; 飄飄:漂い翻 
  るさま。;  旋転:ぐるぐる舞まわる。; 旅蝶:旅する蝶、ここではアサギマダラ 
  のこと、大海を渡って旅する蝶。     
<現代語訳>
  蘇軾《海棠》に次韻する 真っ赤なハイビスカスの花 
波静かな大洋の水平線に日が顔を出すと、海面では瑞光を映して漣の如くに光が揺れる、
廂の向こうには、大小、色取りどりの蝶がひらひらと活動を始めた。
ハイビスカスは、蓄えた密が充分であるか 気にしながら、
真っ赤な装いを輝かして、これから旅に出る旅蝶の来訪を待っている。
<簡体字およびピンイン> 
 次韵苏轼《海棠》 Cìyùn SūShì “hǎitáng”  
   通红芙蓉 Tōng hóng fúróng   
太洋潋滟曙瑞光, Tàiyáng liànyàn shǔ ruì guāng,
蛱蝶飘飘旋转廊。 jiádié piāo piāo xuánzhuǎn láng.  
芙蓉犹恐蜜充否, Fúróng yóu kǒng mì chōng fǒu,  
更待旅蝶耀红妆。 gèng dài lǚ dié yào hóng zhuāng.
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<蘇軾の詩>
 海棠  [下平声七陽韻]
東風嫋嫋泛崇光、 東風 嫋嫋(ジョウジョウ)として崇光(スウコウ)泛(ウカ)び、
香霧霏霏月転廊。 香霧(コウム) 霏霏(ヒヒ)として 月 廊(ロウ)に転ず。
只恐夜深花睡去、 只だ恐(オソ)る 夜深くして花の睡(ネム)り去らんことを、
高焼銀燭照紅粧。 高く銀燭(ギンショク)を焼(ヤ)いて紅粧(コウショウ)を照らさん。
 註] 嫋嫋:風が柔らかに吹くさま; 泛:うごく; 崇光:海棠の気高い光沢; 
  香霧:花の香りがする夜霧; 霏霏:霧などでぼんやりするさま; 紅粧:赤く紅
  をさした化粧、海棠の花のつぼみは赤く、咲くと花びらの先が淡く赤い。 
 ※ 転句:玄宗が楊貴妃の寝起きの姿を「海棠 睡り未だ足らず」と言った話に拠る と。  
<現代語訳> 
 海棠 
夜風がやさしくそよぐ春宵、海棠には気高い光が仄かにゆらめき、 
夜霧は芳ばしい香りを秘めて降りそそぎ 月影は回廊を巡る。 
夜が更けゆく中 海棠が眠ってしまうのが心配で、 
高々と銀色の蝋燭を灯して その紅の粧(ヨソオ)いを照らす。 
<簡体字およびピンイン> 
 海棠        Hǎitáng 
东风嫋嫋泛崇光、 Dōng fēng niǎo niǎo fàn chóng guāng, 
香雾霏霏月转廊。 xiāng wù fēi fēi yuè zhuǎn láng. 
只恐夜深花睡去、 Zhǐ kǒng yè shēn huā shuì qù, 
高焼银烛照红妆。 gāo shāo yín zhú zhào hóng zhuāng. 
               [白 雪梅「詩境悠游」に拠る] 
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喜界島は、鹿児島―沖縄間の中間位、北緯ca.28.3°東経ca.130°に位置、太平洋に面していて、西に辿ると奄美大島を飛び越え、中国・浙江省・玉環島の辺り、東に大洋を渡っていくと北米カリフォルニア半島の根っこ辺りに突き当たる。温暖な亜熱帯に属する、周囲ca.49km面積ca.57km2の小島である。

島の東海岸に立てば、太平洋が一望でき、遥か水平線はやや凸に孤を描き、円い地球が実感できる。朝日や夕の望月が水平線上に顔を覗かせると、海面の漣に揺れる光が映える。「海棠」に出てくる“崇光(スウコウ)泛(ウカ)ぶ”情景を想像させます。

同島で注目される事象の一つに、乱舞するアサギマダラ(上写真)にお目に掛かれることが挙げられる。特に同蝶は、島の台地の森林内に生息(/繁殖)する特定箇所があり、その周囲で秋季に乱舞する情景を楽しむことができるという。

ある研究施設では、網で囲った大空間内で繁殖させ、人は、乱舞する環境に身を置いて間近に鑑賞することができる。この成蝶は、写真に看るように、美麗な装いであるが、幼虫は姿・色合いがいかにも毒々しく、実際、有毒物質を含むと。自己防衛の手段であろう。

同蝶は、好んで有毒物質を含む花の密を吸うという。ハイビスカスの密は、生命維持・活動のための栄養源の補給が目的となろう。「密を十分に蓄えたよ!長旅に耐える体力作りに利用して」と、目印として花を真っ赤に染めて、蝶を待っているのだ。

植物の多くは、独特な色または香りを発して、有翅昆虫や小鳥などを呼び寄せ、密を提供する。その代償に受粉の手助けをしてもらっている。ハイビスカスとアサギマダラの関係もその例から外れることはない、持ちつ・持たれつの生態系の一例と言えよう。

[追記] ”Hibiscus”名で総称される花木の種類は多く、その名称の使用には戸惑うのであるが、学問的には「アオイ目アオイ科の下位分類フヨウ属 Hibiscus 」に属することから、現地の通称“ハイビスカス”、また同花を漢詩中では“芙蓉”と表現して話を進めた。
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