zzzzzzzzzzzzz -1
春・如月、これから花の盛りを迎えようとする頃、その機を棄てて 夕暮れの空を北に帰っていく雁。群れで行くとは言え、行く先はなお夕暮れの空である。無常感さえ漂う、孤独な実朝の心情が窺い知れるようである。
ooooooooooooo
[詞書] 如月の二十日あまりの程にやありけむ、北向きの縁に立ち出でて、
夕暮れの空を眺めて一人居るに、雁の鳴くを聞きてよめる。
ながめつつ 思うも悲し 帰る雁
行くらむ方(カタ)の 夕暮れの空 [『金槐集』 春・57]
(大意) 夕暮れ時、鳴き声に誘われて目を向けると 北へ帰る雁の群れが目に
はいる。雁の飛んで行く先は なお夕暮れの空、ながめつつ 思うだに
悲しみが増してくる。
xxxxxxxxxxxx
<漢詩>
黃昏空聴雁声 黃昏の空 雁声を聴く [上平声一東韻]
後廈聴嚶夕照紅, 後廈(コウカ) 嚶(オウ)を聴く 夕照(ユウヒ)紅なり,
孤単眺望傍晚空。 孤単(コタン) 眺望(チョウボウ) す傍晚(ユウグレ)の空。
惟見雲間帰雁度, 惟(タ)だ見る 雲間に帰雁(キガン)度(ワタ)るを,
馳念旅雁悲愈隆。 旅雁に念(オモイ)を馳せ 悲しみ愈(イヨイヨ)隆(タカ)まる。
註] 〇黃昏:夕暮れ; 〇後廈:家屋の後方の濡れ縁、廊下; ○嚶:鳥の
鳴き声; ○孤単:独りぼっちである; ○傍晚:夕暮れ;
○旅雁:遠くへ飛んで行く雁; 〇隆:勢いが盛んになる。
<現代語訳>
夕暮れの空に雁の鳴き声を聞く
西の空が夕焼けで染まるころ 北側の縁側で鳥の鳴き声を聞き、
一人で夕暮れの空を見上げた。
惟だ目に入るは 雲間に北に帰る雁の群れのみ、
遠く北に帰る雁に想いを馳せると、悲しみが弥増してくるのだ。
<簡体字およびピンイン>
黄昏空听雁声 Huánghūn kōng tīng yàn sheng
后厦听嘤夕照红, Hòu shà tīng yīng xīzhào hóng,
孤单眺望傍晚空。 Gū dān tiào wàng bàngwǎn kōng.
惟见云间归雁度, Wéi jiàn yún jiān guī yàn dù,
驰念旅雁悲愈隆。 chí niàn lǚ yàn bēi yù lóng.
ooooooooooooo
実朝の歌は、次の歌を参考にした本歌取りの歌とされている。
ながめつつ 思ふもさびし 久方の
月のみやこの 明け方の空 (藤原家隆 『新古今集』 巻四 秋上・392)
(大意) ぼんやりと明け方の月を見ながら、月の都を想像するだに寂しくなる。
zzzzzzzzzzzzz -2
山中に桜の花が咲いている屏風絵を見て詠った歌である。“絵”には 先ず“音”はなく、ときには“動き”もない。“音”や“動き”を感ずることは、“絵”を前にした鑑賞者の感性に委ねられる。“山中に満開の桜”を描いた屏風絵に、実朝は、如何なる“音”を、また“動き”を感じ取っているのでしょうか。
ooooooooooooo
[詞書] 屏風に 山中に桜のさきたる所
山風の さくらふきまく 音すなり
吉野の滝の 岩もとどろに (『金槐集』 春・71)
(大意) 桜の花に吹きつけ 巻きあげる山風の激しい音がしている。あたかも
吉野の滝水が岩に轟き落ちる音のようだ。
xxxxxxxxxxxxxxx
山風襲擊桜花 山風 桜花を襲擊(シュウゲキ)す
山風狂吹打花闌, 山風 狂吹(キョウスイ)し花 闌(タケナワ)なるを打(オソ)い,
勁爆声音一震震。 勁爆(ハゲシ)き声音(オト)の 一(イツ)に震震(シンシン)たる。
猶如聴到吉野里, 猶(アタカモ) 聴到(キク)が如し 吉野の里,
瀑布撞岩轟響頻。 瀑布 岩に撞(ブツ)かり 轟響(トドロクオト)頻(シキリ)なるを。
註] 〇狂吹:吹き巻きあげる; 〇勁爆:激しい; 〇震震:雷、鼓、車馬
など、激しく轟く音の形容; ○猶如:まるで…のようである;
〇轟響:とどろく、鳴り響く。
<現代語訳>
山風 櫻花に吹き付ける [上平声十四寒‐上平声十一真通韻]
山風が咲き誇る桜花に吹きつけて、
巻きあげる激しい音がしている。
恰も 吉野の滝水が岩にぶつかり、
頻りに轟きわたる音を聞いているかのようである。
<簡体字およびピンイン>
山风袭击樱花 Shānfēng xíjí yīnghuā
山风狂吹打花阑, Shān fēng kuáng chuī dǎ huā lán,
劲爆声音一震震。 jìngbào shēngyīn yī shēn shēn.
犹如听到吉野里, Yóu rú tīng dào jíyě lǐ,
瀑布撞岩轰响频。 pùbù zhuàng yán hōng xiǎng pín.
ooooooooooooo
歌に表わされた“音”は、桜に吹きすさぶ嵐のごとき音、と吉野の滝水が岩に轟き落ちる音。こんもりとした山の奥深い所に滝の存在を想像するのは、自然のように思われ、滝水の轟音はまだしも、異な感はない。
しかし春たけなわ、満開と思しき櫻花を前に 吹きすさぶ山嵐を想像するのは、並みの人には想像に難い。絵中、森の木の枝や葉が靡き、桜の花が乱れ飛んでいる情景であるなら……と、つい理屈っぽく考えるのである。
この点を、先人たちの研究成果・考え方を紹介して、疑問の答えとしたい(以下、三木麻子『源実朝』に依る)。
新古今時代の屏風歌は、「絵画に強く依存せず、観念的に詠まれた題詠をそのまま屏風歌として色紙形に推すケースが多かった」という。こう指摘した上で、やわらかな春の風を嵐のように聞く実朝の感性について、「人と絵画が一つになって荒れ狂うといった趣の歌」であって、「なにか内面に鬱屈したものがなければ出て来ぬ姿であり、調べであろう」ともいう。[「」内:角川書店『鑑賞日本古典文学第十七巻 金槐和歌集』(片野達郎)]。
実朝の歌の参考歌として、次の歌が挙げられている。
山風に 桜吹きまき 乱れなむ
花の紛れに 立ち止まるべく
(僧正遍照 古今集 巻八離別・394)
(大意) 山風が桜を吹き巻いて散り乱してほしい さすれば、あなたが花に紛
れて立ち止まってくれるであろうから。
zzzzzzzzzzzzz -3
桜の花の盛りを過ぎ、そろそろ花期の終わるころ、夕べの春雨に濡れ、枝葉に宿した雨露がポツリポツリとこぼれ落ちるさまである。桜の盛りの頃が華やかな風情であるだけに、一層陰鬱な気にさせる歌である。
ooooooooo
[詞書] 雨中夕花
山桜 今はのころの 花の枝(エ)に
ゆふべの雨の 露ぞこぼるる (金槐集 春・80)
(大意) 山桜が散り終わろうとするころ 花の枝に置かれた夕べの雨露が
別れを告げる涙のように こぼれ落ちている。
註] 〇今はのころ:今は別れむのころ、花の散り終わろうとするころ。
xxxxxxxxxx
<漢詩>
季春桜花 季春の桜花 [下平声二蕭韻]
山桜雕謝際, 山桜 雕謝(シボミチ)らんとする際(キワ),
清露乃盈條。 清露 乃(イマ)し 條(エダ)に盈(ミ)つ。
前夜残春雨, 前夜の残(ナゴリ)の春の雨,
塗塗露珠跳。 塗塗(トト)として露珠(ロシュ)跳(ハ)ねる。
註] 〇雕謝:(花や葉が)しぼみ落ちる; 〇盈:満ちる; ○乃:すなわち;
〇條:細長い枝; 〇残:名残の; 〇塗塗:露がたっぷりと膨らんで
いるさま; 〇露珠:露の玉。
<現代語訳>
晩春の山桜
散ってしまいそうな際にある山桜、
その枝には澄んだ露が満ち満ちている。
昨夜の名残の春雨なのだ、
たっぷりと膨らんだ露の玉がこぼれ落ちている。
<簡体字およびピンイン>
季春樱花 Jìchūn yīnghuā
山樱雕谢际, Shān yīng diāo xiè jì,
清露乃盈条。 qīng lù nǎi yíng tiáo.
前夜残春雨, Qián yè cán chūn yǔ,
涂涂露珠跳。 tú tú lù zhū tiào.
ooooooooo
実朝の歌の参考歌として 次の後京極摂政・藤原良経の歌が挙げられている:
立田姫 今はの頃の 秋風に
しぐれを急ぐ 人の袖かな (九条良経 新古今集 巻五・秋下・544)
(大意) 秋の女神である紅葉を司る立田姫が去ろうとする晩秋の頃、秋風
を受けてまだ秋なのに時雨を急いで降らせて人の袖を濡らしている。
註] ○立田姫(/竜田姫):秋を司る女神、竜田山を神格化したもの、竜田山
が平城京の西にあったため、陰陽五行説で西と秋が一致することから秋の
女神とされた; 〇いまは:臨終、ここでは立田姫の臨終なので、秋の
終わりを指す; ○しぐれ:晩秋から初冬にかけて降ったりやんだりする
雨。