この一対の句:
遺愛寺の鐘の音は枕を斜めにして聴き、
香炉峰の雪はすだれを撥ねあげて、窓越しにみる。
追ったてられるような毎日の宮仕えよ サヨウナラ! 日が高くなるまでゆっくりと休んで、なお、布団にくるまったままでお寺の鐘に耳を澄まし、遥かに香炉峰の雪を見遣る。新しくできた草堂での、身も心も安らかな一日が始まります。
白居易は、長安の都で高級官僚として出世コースに乗っていた。しかし40代半ば、江州に左遷され、大きな挫折を味わうことになります。左遷の3年目、件の草堂を構え、悠々自適を決め込みます。長安のみが故郷ではあるまい、と嘯きながら。
詩題にあるように、新しい草堂ができた折に作った白居易の詩、七言律詩です。下に示しました。
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<漢詩原文および読み下し文>
---香炉峰下新卜山居草堂初成偶題東壁
-----香炉峰下新たに山居を卜(ボク)し草堂初めて成り偶(タマ)たま東壁に題す
日高睡足猶慵起、 日高く睡(ネム)り足りて猶お起くるに慵(モノウ)し、
小閣重衾不怕寒。 小閣に衾(シトネ)を重ねて 寒さを怕(オソ)れず。
遺愛寺鐘欹枕聴、 遺愛寺の鐘は枕を欹(ソバダ)てて聴き、
香炉峰雪撥簾看。 香炉峰の雪は簾(スダレ)を撥(カカ)けて看(ミ)る。
匡廬便是逃名地、 匡廬(キョウロ)は便(スナワ)ち是れ名を逃(ノガ)るるの地、
司馬仍為送老官。 司馬は仍(ナ)お老いを送るの官為(タ)り。
心泰身寧是帰処、 心泰(ヤス)く身寧(ヤス)きは是れ帰する処、
故鄕何独在長安。 故鄕 何ぞ独(ヒト)り長安にのみ在(ア)らんや。
----註]
香炉峰:廬山の北峰の名。 山居:山中の住居。
卜:占いで場所を定める。
匡廬:廬山の別名。周代に仙人の匡俗(字な君平)が隠れ住んだことに依る。
逃名:名声や名誉心から逃避する。
司馬:州の長官を補佐する役。 泰:やすらかでのびのびしていること。
寧:おだやかで触りがないこと。帰処:落ち着くべき所。最終目的地。
<現代語訳>
---香炉峰の麓に草堂ができたのを機会に詩を作る
日が高く昇るまで十分に寝たが、まだ起きるのは億劫だ、
小さな部屋で布団にくるまっていると、寒いことはない。
遺愛寺の鐘の音は枕を斜めにして聴き、
香炉峰の雪はすだれを撥ねあげて、窓越しにみる。
廬山は、俗世間から逃れるのにふさわしいところであり、
長官の補佐役は、老人が余生を送るのに丁度よい官職だ。
身も心も安らかであれば、安住の所と言ってよい、
どうして長安だけが故郷であろうか。
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先に小倉百人一首から清少納言の歌(62番)の漢詩版を紹介しました(閑話休題123、飛蓬シリース35 ご参照)。その歌では、中国 戦国時代の故事--秦国の追捕から逃れる孟嘗君の話—が歌い込まれていました。
清少納言の教養の高さが伺われる歌でした。彼女には、今一つ才気渙発なことを示す逸話があります。上に挙げた白居易の詩と関係した事柄で、ご存じの方が多いと思いますが。
清少納言が、著書『枕草子』(「雪のいと高う降りたるを」の段)に自ら書いている話で、そのあらすじは以下のとおりです:
“随分と雪が降っていた折、女房たちが中宮定子(テイシ)を中心に火鉢を囲んで談笑していた。中宮が、私に「少納言よ、香炉峰の雪はどうであろうか?」と聞かれた。私は他の女房に格子を上げ、御簾を巻き上げさせた。
中宮は、ニコッ とされた。他の女房たちは、白居易の詩の事についてはよく知っていたし、歌にも詠んだりしていたが、私のしたことは、「思いもよらないこと、さすがに中宮に仕えるにふさわしい人だ」と囁きあった。“ と。
ところで、廬山には北と南の2か所に“香炉峰”と呼ばれる峰があるという話。前回は李白/“望廬山瀑布”を読みました。滝が眺められる峰は、廬山の南に位置しているという。
一方、今回取り上げた白居易の詩が生まれたのは、北側にある“香炉峰“である という。陶淵明の世界にぞっこん惚れ込み、「陶潜の体に倣う十六首」などを書いている白居易としては、陶淵明の故郷に向かうよう北面に草堂を建てたのも頷けます。
白居易の「陶潜の体に倣う十六首」については以前に読んでいます。またその稿で、白居易の生涯について触れてありますので、ご参照いただきたく(閑話休題66、酒シリーズ3、’18.02.15)。
遺愛寺の鐘の音は枕を斜めにして聴き、
香炉峰の雪はすだれを撥ねあげて、窓越しにみる。
追ったてられるような毎日の宮仕えよ サヨウナラ! 日が高くなるまでゆっくりと休んで、なお、布団にくるまったままでお寺の鐘に耳を澄まし、遥かに香炉峰の雪を見遣る。新しくできた草堂での、身も心も安らかな一日が始まります。
白居易は、長安の都で高級官僚として出世コースに乗っていた。しかし40代半ば、江州に左遷され、大きな挫折を味わうことになります。左遷の3年目、件の草堂を構え、悠々自適を決め込みます。長安のみが故郷ではあるまい、と嘯きながら。
詩題にあるように、新しい草堂ができた折に作った白居易の詩、七言律詩です。下に示しました。
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<漢詩原文および読み下し文>
---香炉峰下新卜山居草堂初成偶題東壁
-----香炉峰下新たに山居を卜(ボク)し草堂初めて成り偶(タマ)たま東壁に題す
日高睡足猶慵起、 日高く睡(ネム)り足りて猶お起くるに慵(モノウ)し、
小閣重衾不怕寒。 小閣に衾(シトネ)を重ねて 寒さを怕(オソ)れず。
遺愛寺鐘欹枕聴、 遺愛寺の鐘は枕を欹(ソバダ)てて聴き、
香炉峰雪撥簾看。 香炉峰の雪は簾(スダレ)を撥(カカ)けて看(ミ)る。
匡廬便是逃名地、 匡廬(キョウロ)は便(スナワ)ち是れ名を逃(ノガ)るるの地、
司馬仍為送老官。 司馬は仍(ナ)お老いを送るの官為(タ)り。
心泰身寧是帰処、 心泰(ヤス)く身寧(ヤス)きは是れ帰する処、
故鄕何独在長安。 故鄕 何ぞ独(ヒト)り長安にのみ在(ア)らんや。
----註]
香炉峰:廬山の北峰の名。 山居:山中の住居。
卜:占いで場所を定める。
匡廬:廬山の別名。周代に仙人の匡俗(字な君平)が隠れ住んだことに依る。
逃名:名声や名誉心から逃避する。
司馬:州の長官を補佐する役。 泰:やすらかでのびのびしていること。
寧:おだやかで触りがないこと。帰処:落ち着くべき所。最終目的地。
<現代語訳>
---香炉峰の麓に草堂ができたのを機会に詩を作る
日が高く昇るまで十分に寝たが、まだ起きるのは億劫だ、
小さな部屋で布団にくるまっていると、寒いことはない。
遺愛寺の鐘の音は枕を斜めにして聴き、
香炉峰の雪はすだれを撥ねあげて、窓越しにみる。
廬山は、俗世間から逃れるのにふさわしいところであり、
長官の補佐役は、老人が余生を送るのに丁度よい官職だ。
身も心も安らかであれば、安住の所と言ってよい、
どうして長安だけが故郷であろうか。
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先に小倉百人一首から清少納言の歌(62番)の漢詩版を紹介しました(閑話休題123、飛蓬シリース35 ご参照)。その歌では、中国 戦国時代の故事--秦国の追捕から逃れる孟嘗君の話—が歌い込まれていました。
清少納言の教養の高さが伺われる歌でした。彼女には、今一つ才気渙発なことを示す逸話があります。上に挙げた白居易の詩と関係した事柄で、ご存じの方が多いと思いますが。
清少納言が、著書『枕草子』(「雪のいと高う降りたるを」の段)に自ら書いている話で、そのあらすじは以下のとおりです:
“随分と雪が降っていた折、女房たちが中宮定子(テイシ)を中心に火鉢を囲んで談笑していた。中宮が、私に「少納言よ、香炉峰の雪はどうであろうか?」と聞かれた。私は他の女房に格子を上げ、御簾を巻き上げさせた。
中宮は、ニコッ とされた。他の女房たちは、白居易の詩の事についてはよく知っていたし、歌にも詠んだりしていたが、私のしたことは、「思いもよらないこと、さすがに中宮に仕えるにふさわしい人だ」と囁きあった。“ と。
ところで、廬山には北と南の2か所に“香炉峰”と呼ばれる峰があるという話。前回は李白/“望廬山瀑布”を読みました。滝が眺められる峰は、廬山の南に位置しているという。
一方、今回取り上げた白居易の詩が生まれたのは、北側にある“香炉峰“である という。陶淵明の世界にぞっこん惚れ込み、「陶潜の体に倣う十六首」などを書いている白居易としては、陶淵明の故郷に向かうよう北面に草堂を建てたのも頷けます。
白居易の「陶潜の体に倣う十六首」については以前に読んでいます。またその稿で、白居易の生涯について触れてありますので、ご参照いただきたく(閑話休題66、酒シリーズ3、’18.02.15)。