(37番) 白露に 風の吹きしく 秋の野は
つらぬきとめぬ 玉ぞ散りける
<訳> 草の上に結ばれた白露に、風がしきりに吹きつける秋の野では、紐で貫きとめていない白玉が散り乱れたように見えることだ。(板野博行)
紅葉が山々を彩る秋、昨夜は小雨だったのでしょうか、あるいは急に冷え込んだためであろうか。野の草の葉に露が宿っている。野分きの風がサッと吹き抜けると、飛び散った露滴が朝日を反射して、キラキラと輝きながら宙を舞う。
あたかも首飾りの紐が切れて、輝いている真珠が一面に舞い散っているようである と。なんとも美しい動的な秋の一情景です。百人一首の選者の藤原定家も気に入っていた歌であるという。「秋の風物詩」と題して、七言絶句の漢詩にしてみました(下記参照)。
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<漢詩原文および読み下し文> [入声九屑韻]
秋天的風物詩 秋天(アキ)の風物詩
遥望山山縱発彩, 遥かに望む山山 彩(サイ)を発するを縱(ホシイママ)にし、
秋原百草露凝結。 秋の原の百草 露が凝結(ギョウケツ)す。
每陣疾風吹跑露, 陣(ヒトシキリ)の疾風ある每(ゴト)に露を吹跑(フキトバ)し,
解縄散玉耀何潔。 解縄(ヒモト)け散りし玉 耀(カガヤ)くこと何ぞ潔(キヨラカ)なる。
註]
疾風:秋に吹く野分(ノワ)きのこと。 吹跑:風で吹き飛ばす。
解縄:紐をほどく。 玉:真珠、白玉
<現代語訳>
秋の風物詩
遥かに望む山々は紅や黄などいろいろな彩(イロドリ)に染まり始め、
野原の草々の葉には白露が結ばれるようになった。
秋の野分きが吹くごとに白露は吹き飛ばされ、
紐を解かれ、飛び散った真珠のごとく、キラキラ輝くさまは何と清らかなことか。
<簡体字およびピンイン>
秋天的风物诗 Qiūtiān de fēngwù shī
遥望山山纵发彩,Yáo wàng shān shān zòng fā cǎi,
秋原百草露凝结。qiū yuán bǎicǎo lù níngjié.
每阵疾风吹跑露,Měi zhèn jífēng chuī pǎo lù,
解绳散玉耀何洁。jiě shéng sàn yù càn hé jié.
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風で宙に舞う露滴を真珠に見立てて、その美しさを詠った歌です。宝飾品としての真珠は、すでに奈良時代には広く利用されていたようである。万葉集に集められた歌4500余首中、真珠を読み込んだ歌が56首あるという。平安時代になると、真珠の首飾りが好まれていたようです。
和服に髪を文金高島田に結った女性で、襟元に後れ毛が乱れて残る後ろ姿の方が、びっちりと整った髪よりも、より艶っぽく見えます(?)。整った首飾りの真珠も美しい。が 想像するに、宙を舞う真珠もまた動的でなお一層美しさを感じます。「美は乱調にあり」と言われる通り か。
この歌の作者・文屋朝康は、先に紹介した(閑話休題127)百人一首27番の作者・文屋康秀の子息である。27番の歌とは:「吹くからに 秋の草木の しをるれば、むべ山風を 嵐といふらむ」。親子の両歌を並べて読み比べてみると、面白いことに気づかされます。
まず、いずれも季節が“秋”であること。さらに、ともに“野分き”によってもたらされた“動的な乱”の状態を表す情景であること。ただ目の向く焦点は、一方は、“(草木を萎れさせる)嵐”であり、他方は、“(宙に舞う)真珠”であるという違いはありますが。
この両歌に見られる発想の類似性は、偶然であろうか、あるいはDNAによるのでしょうか。選者の藤原定家が、ほとんど似た発想の両歌を選んだことからみると、選者は、この秋の“動的な”情景が非常に気に入っていたことを想像させます。
文屋朝康は、平安時代中期の歌人で、生没年ともに不詳です。駿河掾(ジョウ)、大舎人大允(オオトネリノダイジョウ)に任じられたことが伝わる程度で、伝記・経歴については不詳であるという。しかし歌の才能は広く認められており、多くの歌会に参加した記録があるようです。
文屋朝康の歌は、勅撰和歌集について見れば、『古今和歌集』に一首、『後選和歌集』に二首が収められており、さして多くはない。ただ父・康秀の歌の幾つかは、朝康の作ではないかと言われているようで、だとすると、中々の歌人ということでしょう。ただしその真偽は不明である。
参考] 勅撰和歌集について
勅撰和歌集とは、天皇、上皇または法皇の命によって編纂された和歌集を言い、“二十一代集”がある。そのうち平安初期から鎌倉初期の選集は“八大集”と呼ばれていて、下記の集が含まれる。他の13集は、鎌倉・室町時代にできた集である。
古今和歌集(成立905年;醍醐天皇)、後選和歌集(951;村上天皇)、拾遺和歌集(1005~07;花山法皇?)、後拾遺和歌集(1075;白河天皇)、金葉和歌集(1127;白河法皇)、詞花和歌集(1151;崇徳院)、千載和歌集(1188;後白河院)、新古今和歌集(1205;後鳥羽院)