黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

ラオス紀行総集編 8 (北部のルアンナムター・ムアンシンへ)

2019-08-06 21:14:09 | ラオス
今日も特別暑い一日でした。
高齢の七海ママと小次郎パパは、ケーキの保冷剤をタオルでくるんで、首に巻いて過ごしました
ちょっと過呼吸気味でしたけど、収まって静かに過ごしました。
若いひめちゃんたちには、まだやってみません。
どんな反応をするか心配です。
特にハーネスを付けたままにしておくと、くいちぎってしまうひめちゃんが心配です。
かじってしまいそうな不安があります
みんなもっと年を取るまで、これは禁じ手にしておきましょう




ラオス紀行総集編 8 (北部のルアンナムター・ムアンシンへ)

2月21日昼過ぎ、ビエンチャン空港から国内線で、北部のルアンナムター空港に向かいます。

わー、懐かしいプロペラ機です



この隣の機体に、歩いて搭乗です。



カメラの記録時間は2月21日17:46、現地時間で午後3時46分です。

プロペラ機ならではのラピュタの世界を楽しみます





機内では、確かミニサイズのミネラルウォーターが配られただけだったと思います。

約1時間で、ルアンナムター上空です。

川は蛇行するものなのですね。





無事にルアンナムター空港に到着です



こじんまりとした空港です。
カメラの記録時間は19:02、現地時間は17:02です。
もう、夕方の5時過ぎです。

ここから、専用の移動用バスで、さらに北部のムアンシンに向かうのです。



移動のバスの中から見えた空港です。



ルアンナムター空港は、郊外に造られた空港のようです。




しばらくは街道沿いに町並みが続きましたけど、そのうちに人家も無くなります。
人家も無い舗装されていないガタガタ道をゆくうちに、日はどっぷりとくれました。
人間の乗った車両と荷物の車両2台で、とんでもないガタガタ道を行きます
おしりの肉が厚くてよかったなんていう発言も飛び出すほどの、ガタガタ道です
行けども行けども、暗闇の世界です

そのうちに、突然灯りが見えました
「着いたのかな?でも、こんな山の中に泊まるなんて嫌だ

検問です
車両の中もしっかりのぞき込まれます。

ガイドさんによると、不審者と麻薬の摘発が目的だそうです。
中国国境に近いところにまで、来ていたのです

「山火事だ」誰かが叫びました。
「サトウキビ畑の焼畑です。」と、ガイドさん。
サトウキビを刈り取ったあと燃やすと、次の芽が出るそうです。
それからしばらくして、ムアンシンのゲストハウスに着きました

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悲願の南大門(上野国分寺跡)

2019-08-06 15:48:19 | 群馬県・西毛
ののこねーちゃんは恋の季節です。
朝のお散歩は、みんなが終わってから一人で出かけます。
ひめちゃんは獅子丸と、タバサねーちゃんは小次郎パパと出かけます。

堀之内を西に出て、諏訪神社のむこうの高台にもよく行きます。
高台から南に廻ったり、そこから引き返したり、または北の薬師の道(薬師如来の石造物が、いくつも道ばたにあります。)を廻るか、3つのコースがあります。
数日前にも4名で行きました。
先を行ったタバサねーちゃん&小次郎パパは引き返して来ました



最近はよく似てきた二人です
ひめちゃんと獅子丸は、北の方に廻りました。



この日は、赤城山は姿を見せていましたけど、あまりはっきりではありませんでした。
写真がなくて残念ですけど、今日の赤城山はもう少しはっきり姿を見せていました






新着記事です。

仙台で陸奥国分寺跡や郡山官衙跡を訪れたりして、はて上野国分寺跡はどうなっているだろうと気になりました。
数年前に行った事がありますけど、はっきり覚えていませんし記録もありません
まあさほどの距離ではないし、ほぼ西に行くとたどり着くので、出掛けてみました

遺跡に電話番号がないので、上野国分寺跡ガイダンス施設の電話番号をナビに入れて出掛けました。
ひたすら西に行きます。
利根川を渡ります。
しばらくして、ナビの指示通り右折すると、お寺に突き当たりました。
いつか来たときもそうでした
細い道を左折し回り込んで、なんとかガイダンス施設に着きました。

ガイダンス施設でパンフレットをもらったり、いろいろな話を聞いたり、ビデオを見たりします。

国分寺跡の大きな発掘調査は2度、昭和と平成に行われたそうです。
国分寺跡には、十数軒の民家があったそうですけど、移転してもらったそうです

新しいパンフレットの国分寺のイメージです。



七重塔がそびえます。
講堂は昭和の発掘では金堂とされましたけど、平成の発掘ですぐ前に金堂が発見されたので、講堂であることがわかったそうです。
全体が塀でかこまれていたのですね


ガイダンス施設には、瓦の破片もいっぱいありました

天平13年(741)、聖武天皇によって国分寺創建の詔が発せられました。
けれども、実際に建立するのは地方の実力者たちで、協力した証拠に瓦に文字塔を刻んだそうです。
馬の字が逆さに刻まれた瓦の破片は印象に残りました

上野は七重塔を持つ国分寺を建立するほど、実力のある地域だったそうです


パンフレットにある国分寺の配置図です。



なんとなくイメージが湧いてきました


外を見ると、塀が前に来たときより劣化しているように見えました
そして、ミスマッチな黄色い板が目立ちます



伝統的工法で作ったもので、記録によると300年後には崩れていたとあるので、監察しているのだそうです
修理しないのだそうです
黄色いところは壊れたけれど、将来南大門を建てる予定があるので、とりあえず塞いでいるのだそうです

南大門を立てる予定があったんですか
早くできるといいですね
大げさに言えば、悲願の南大門ですね


国分寺跡の紹介ビデオに、ちょっとだけ山上多重塔が出ていました
山上多重塔は、ほぼ東に車で約1時間の所にあるので、山上と国府・国分寺の関係も気になるところです。



ついでに、先ほどお寺に突き当たって、やっと回り込んだ話をしました。
「妙見様を祀る妙見寺です。古いお寺ですよ。あの秩父神社もこの妙見様を勧請したそうです。北辰一刀流の千葉周作もお参りに来たそうです。」
「ええ、そうなんですか、帰りにお参りしていきます











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