黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

桐生川紀行総集編(黒弊の天狗の里宮・根本山神宮)

2019-08-27 15:14:33 | 桐生川紀行
小次郎パパは、この夏13歳になりました。



最近足腰が弱ってきたようで、あまり遠くには行きたがりません。
タバサねーちゃんは、もの静かだけど、強い意志を持ってます。
パパとタバねーちゃんのお散歩は、タバねーちゃんがリードすることが多いです。
先日、久しぶりに、諏訪神社裏の元蓮田に行きました。
何年も蓮の花の田んぼと親しまれてきましたけど、今年はうなわれて、田植えがされました。
どうなったかな?



蓮田復活とまでもいきませんけど、蓮の花が咲いていました
蓮は強い生き植物です





桐生川右岸の史跡もいくつも訪ねてあります

先日(2018年10月29日)、梅田の碧雲寺(へきうんじ)目指して出かけました。
地図を検索すると、すぐ近くに根本山神宮と栖松寺石仏群があります。

県道66号線を北上しカインズホームを過ぎてしばらくして、碧雲寺の表示で左折します。
大きなカーブを曲がると、神社が出現しました
駐車場らしき場所はありません。
隣のNTTの交換所にちょっと失礼します。



社殿は山の方を向いています。

個性的な粉犬です





どちらも口を開いているように見えます。
どちらも子供を抱えているように見えます。



向拝には龍がいます



根本山の額がかかります



あ、天狗です



こういう世界がまだあったんですね
しっかり二礼二拍一礼でお参りしました。



邪鬼が灯籠を支えていました。



お疲れ様。



南に見えるのは柄杓山方面でしょうか?





左手を下がると石の鳥居がありました。



本来は下から参詣するようです。
今日は裏口から参詣してしまったようです



社の裏手に「大山祇神(おおやまつみのかみ)」と大きく刻んだ石造物がとありました。
大山祇神は、山をつかさどる神様です。



今までまったく知らなかったのですが、この神社は江戸時代後半に盛んだった根本山信仰の根本山の里宮だそうです


桐生の民話「黒弊の天狗」では、
この神社は由良氏との合戦に敗れた桐生氏の将兵が自刃した奥方様や戦いに散った同輩たちの冥福を祈って、天正元年(1573)に創建したもので、弘法大師登山の伝説をも残している
とあります。

あらすじは、
ある夜、村の居酒屋に男が現れ一升の徳利に三升の酒を所望した。不思議な事に一升の徳利に三升の酒が入った。男は、自分は黒弊の天狗である。今から江戸の大火を消しに行くところだと言った。黒装束に身を固めた男が大活躍をして人々の難儀を救った。


里宮として設立された大正院は、桐生川ダム建設で現在地に移転したということです。
もともとの里宮は水没してしまったのですね。
そうだったのですか


「コラム58根本山信仰の跡を辿る」では、
根本山神社の歴史は古く、鎌倉末から室町期に桐生城の北の守りとして祀られていた山神が、その発祥であろうと伝えられている。戦国末期の天正年間に天台宗派修験の霊場として開山され、別当として大正院が置かれた。~中略~明治以降は、神社の社地も、その信仰も縮小したが、興味深い話としては、根本山では博打が盛んにおこなわれたということである。



そうだったのですか


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする