黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

桐生川紀行総集編(栖松寺跡・石幢と子安観音堂)

2019-08-28 23:05:54 | 桐生川紀行
夕方、ひめちゃんは小次郎パパと、久しぶりに東の牧場の方に行きました。
あれー
ヤギさんたちの姿がありません。
代わりに、りっぱな牛舎が建っています
しばらく前、獅子丸と来た時には、確かにヤギさんがいたのです。



古墳の石はそのままありましたけど、ヤギさんたちの姿がありませんでした






根本山神宮の道の向こうに、古いお堂が見えます



道を横断し、石段を登ります。
栖松寺石幢と白いポールがありました。







桐生市HPによると、6地蔵に阿弥陀如来が一面あるということですけど、ちょっとわかりません。





大永2年(1522)の銘があるとありますが、わかりません。
大永2年は壬午(みずのえうま)です。
昭和49年に盗難にあったが、平成に発見されに現在地に戻されたともあります。
誰が持ち去ったのでしょう
まあよくぞご無事で



石幢の前には、もしかしたら鳥居のようなものがあったかしれません。



礎石が左右にあります。
たくさんの人が、祈りを捧げた場所だったのでしょう



石造物群の脇を上ります。





子安観世音の額がかかります。





石段を上がりきってすぐ右に、子安観音と思われる石像があります。



まるで聖母マリア像のようです



お堂の奥まったところに、子安観音の仏像はおいでのようです。



今のように生まれたこどもが健康に育つのが当たり前ではなかった時代には、人々は必死で祈りを捧げたのでしょう



栖松寺とはどんなお寺だったのでしょう?
大永2年(1522)の銘があるということは、このあたりに栖松寺かどうかはわかりませんけど、仏教的な何かがあったのでしょう
享徳の乱・長享の乱が収束し、関東管領上杉氏と古河公方の影響力が低下し、小田原北条氏が台頭し始めたころです


(昨年10月29日の訪問です。)

コメント
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