タバサねーちゃんが動きません。
小次郎パパも付き合います。
しばらくすると、ひめちゃんと獅子丸がやって来ました。
パパ&タバサねーちゃん、ひめちゃん&獅子丸の4名の大軍団(?)で堀之内を西に出て、諏訪神社の向こうの高台をお散歩します
西の方に、かすかに榛名山が見えます
榛名山の姿が見えるのは、本当に久しぶりです
赤城山は青く見えています
もうキャベツの苗が植えてありました
秋の足音が聞こえます
栖松寺の墓地に地続きという感じで、大慈山碧雲寺(だいじさんへきうんじ)があります。
桐生市仏教会のHPによると、
もともとは上野国山田郡梅田村字二渡の戦場(いくさば)にあった。後に栃木県安蘇郡田沼町大字飛駒字今倉に移った。県境変更により、群馬県桐生市になり、ダム建設により昭和55年現住所に移転した。(非常にわかりにくい記述なので概略です。)
桐生川のこちら(右岸、西側)にあったのが、あちらに移り、またこちらに移転したのですね。
戦場(いくさば)は、桐生川ダム(梅田湖)のほとりにあります。
ここを左に上り県道66号線に出ると、戦場(いくさば)というバス停がありました。
バス停があることは、とてもすばらしことです
新里は桐生市に合併してから、バス路線が廃止になり、それに伴ってバス停も消滅しました
碧雲寺は山の側面をうまく利用して建てられています。
石造物も、持ってきたのでしょうね。
六地蔵は新しそうでした。
不動堂(?)に新旧の不動像がありました。
中央の新しい不動像です。
「桐生川ダム建設移転記念」とあります。
ねずみ取り用の毒団子がおいてあります
まさかお不動様はお菓子でできてるわけではないですよね
本堂には、大わらじが奉納されていました。
桐生市仏教会のHPによると、これは平成6年3月に奉納された、2mのわらじということです。
わらじを奉納することは、足腰の健康、ひいては体全体の健康を願うことのようですね
ご本尊は釈迦牟尼仏ということです。
本堂脇には、白山さまがありました。
それなりの歴史がありそうな白山さまです。
すぐ近くに根本山神宮も引っ越してきてるのですけど、まあ今の時代心配いらないのでしょう。
根本山信仰、白山信仰、ともに修験道だったと思いますけど。
御朱印をいただこうと声をかけましたが、誰もいないようでした
近くを少し散策してみました。
何年か前に柄杓山の本丸跡に登りました。
もしかしたらここを上ったのかな?
城山入り口はここですものね。
でも、根本山神宮も栖松寺跡石仏群も碧雲寺も、まったく記憶にないのです
何年か前でも、やっと通れる感じでした。
車を止めて、あるかなきかの山道を登りました。
何が出てもおかしくないです
桐生市にとって、柄杓山は大切な史跡だと思いますが、ちょっと忘れられている感があります。
小次郎パパも付き合います。
しばらくすると、ひめちゃんと獅子丸がやって来ました。
パパ&タバサねーちゃん、ひめちゃん&獅子丸の4名の大軍団(?)で堀之内を西に出て、諏訪神社の向こうの高台をお散歩します
西の方に、かすかに榛名山が見えます
榛名山の姿が見えるのは、本当に久しぶりです
赤城山は青く見えています
もうキャベツの苗が植えてありました
秋の足音が聞こえます
栖松寺の墓地に地続きという感じで、大慈山碧雲寺(だいじさんへきうんじ)があります。
桐生市仏教会のHPによると、
もともとは上野国山田郡梅田村字二渡の戦場(いくさば)にあった。後に栃木県安蘇郡田沼町大字飛駒字今倉に移った。県境変更により、群馬県桐生市になり、ダム建設により昭和55年現住所に移転した。(非常にわかりにくい記述なので概略です。)
桐生川のこちら(右岸、西側)にあったのが、あちらに移り、またこちらに移転したのですね。
戦場(いくさば)は、桐生川ダム(梅田湖)のほとりにあります。
ここを左に上り県道66号線に出ると、戦場(いくさば)というバス停がありました。
バス停があることは、とてもすばらしことです
新里は桐生市に合併してから、バス路線が廃止になり、それに伴ってバス停も消滅しました
碧雲寺は山の側面をうまく利用して建てられています。
石造物も、持ってきたのでしょうね。
六地蔵は新しそうでした。
不動堂(?)に新旧の不動像がありました。
中央の新しい不動像です。
「桐生川ダム建設移転記念」とあります。
ねずみ取り用の毒団子がおいてあります
まさかお不動様はお菓子でできてるわけではないですよね
本堂には、大わらじが奉納されていました。
桐生市仏教会のHPによると、これは平成6年3月に奉納された、2mのわらじということです。
わらじを奉納することは、足腰の健康、ひいては体全体の健康を願うことのようですね
ご本尊は釈迦牟尼仏ということです。
本堂脇には、白山さまがありました。
それなりの歴史がありそうな白山さまです。
すぐ近くに根本山神宮も引っ越してきてるのですけど、まあ今の時代心配いらないのでしょう。
根本山信仰、白山信仰、ともに修験道だったと思いますけど。
御朱印をいただこうと声をかけましたが、誰もいないようでした
近くを少し散策してみました。
何年か前に柄杓山の本丸跡に登りました。
もしかしたらここを上ったのかな?
城山入り口はここですものね。
でも、根本山神宮も栖松寺跡石仏群も碧雲寺も、まったく記憶にないのです
何年か前でも、やっと通れる感じでした。
車を止めて、あるかなきかの山道を登りました。
何が出てもおかしくないです
桐生市にとって、柄杓山は大切な史跡だと思いますが、ちょっと忘れられている感があります。