黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

ラオス紀行総集編 2 (ポリカムサイ県ポリカン郡ノンソムブン村へ)

2019-08-02 22:50:43 | ラオス
今夜も夕立は来ません。
小次郎パパと獅子丸の騒ぎもありません。
遠くにすら、雷鳴はしていないようです。
彼らはかなり遠い雷鳴でも聞きつけて、「怖いよー、怖いよー」と騒ぎ立てるのですけど。
よく「大間々祇園の時は荒れる(雷雨にみまわれる)」といったものですけど、今年はつつがなく過ぎたようです。






ラオス紀行総集篇 2 (ポリカムサイ県ポリカン郡ノンソムブン村へ)            

翌朝ホテルを出発して、常広寺が小学校の校舎を寄付したという、ポリカムサイ県ノポリカン郡ンソムブン村へ、旅行社の手配してくれた専用バスで向かいます。
ラオスの首都ビエンチャンの朝の風景です。



バイク通勤が多いですね。
車は右側通行のようです。
撮影時間は2019年2月20日10時04分、現地時間だと8時04分です。
日本の通勤ラッシュと同じ時間です。


ラオスの凱旋門が見えます。




車の中を上手にバイクが走ります。




少し郊外に行った所だと思います。
む、ドラえもん?



ちょっと違う中国製のドラえもんのようです。
ぬいぐるみが、ホコリになってしまうと、同行のおば(あ)さんは心配していました。

バイク+三輪車の乗り物も活躍中です。





HONDAのバイクの店もあります

バイクで通勤の女性です



上半身と下半身がミスマッチです
二人乗り、時には三人乗りの光景も見られましたけど、みんなヘルメットはしていました。


そのうちに、舗装されていない田舎道に入ります。
しばらくいったころ、突然車両が呼び止められました。
次々と呼び止められています
運転手さんがなにやら書類をもって下りていきます。
「スピード違反です。罰金は日本円で約400円です。」と、ガイドさんは説明してくれました。

さて、気を取り直して、再出発です。

畑に何かいます



牛が放牧されているようです。


何軒かあったHONDAのバイクの店で、一番目立った店です。



中国系の経営者という感じですけど。


こちらはラオス人の経営でしょう。





牛が放牧されている向こうに金色の大仏と寺院が見えます





ドライブインとか道の駅などというものは、もちろんありません。

おトイレタイムを取ったのは、ガソリンスタンドでした



ガソリンスタンド自体は日本とさほど変わりません。
でも、しっかりとトイレットペーパーやらを売っていました。

準備のいい日本のおば(あ)さんは、持っていたので、だれも買いませんでした

ラオスのトイレ事情は、いろいろありましたので、あとでまた報告したいと思います。



お昼少し前、やっと目的地の小学校に到着しました



常広寺が資材購入の資金援助し、村人の勤労奉仕によってできた校舎です
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ラオス紀行総集編 1(ハノイ経由でビエンチャンへ)

2019-08-02 16:22:55 | ラオス

スーパーマーケットの駐車場は、まるで灼熱疑獄のようでした
ひめちゃんたちも、遮光カーテンとすだれの奥で、じっと静かに夕方を待ちます。


あまりの暑さに、涼しそうな水遊びの写真を

12年前、赤城南麓にドイツ村というドッグランのあるテーマパークがありました。
三四郎&サマンサ、七海&小次郎の4名で、時折出かけていました。
夏のある日、水遊びしている写真があります。





なぜか、プールに入るのは若い七海と小次郎で、熟年の三四郎とサマンサは入りませんでした。





仙台4日目の午前中は、仙台市立博物館に行きました。
でも、もしかしたら地底の森博物館に行った方が良かったかな?
懐かしい旧友とランチして、新幹線の乗客となりました。
おかげさまで、命の洗濯ができました
帰宅後、上野国分寺はどうなっているだろうと出かけました
記事は後ほどアップします。

実は今年の2月に、ラオスに行ってきました。
山上の常広寺はラオスに学校を建てる寄付をしたそうです。
学校ができてはや6年、現状視察のツアーに誘われました。
そのときの記事が、yahooブログに約30話あります。
消えてしまう前に、総集篇として再編集してアップしておきたいと思います。
2度と行く事はないであろう国ラオスの旅行記です。
時折新着記事を混ぜながら、ラオス紀行スタートです



ラオス紀行総集編 1(ハノイ経由でビエンチャンへ)

成田到着の予定時間は午前8時でした。
十分余裕で到着です。
搭乗手続きを済ませてから、両替です。
とりあえず、ドルに両替です。
軽い朝食を済ませて搭乗口付近で待ちます。




向こうに搭乗予定のベトナム航空機が見えます。

少し遅れて出発したと思います
ハノイというけど、どこらへんだったっけ?
機内のモニターで地図を確かめると、中国に近いです



このとき、ちょうど中国とベトナムの国境を越えるところでした。
カメラの記録時間は、2019年2月19日15時29分(日本標準時)です。
「Ha Noi 」なのですね
ウィキペディアによると、ハノイとは「城埔河内」の意味だとあります。
唐代には安南都護府(あんなんとごふ)が置かれたともあります。
確か高校の世界史でそんな事を習った記憶があります
それよりも、我々の世代だと、ハノイは北ベトナムの首都です
ベトナムは南北に分かれていたのです。
1976年に統一とありますから、もう1つのベトナムになって40年以上になるのですね


ハノイ空港で移動中に見付けた風景です。



描かれているのは、市内の観光名所でしょうか?


28番ゲートから搭乗です。



実は、帰りの成田行きも28番ゲートでした。


ビィエンチャン行きの飛行機はかなり遅れました。



ラオス航空のようです。
航空券にはQV312/VN2897とあります。
ラオス航空312便はベトナム航空2897便?
ラオス国花プルメリアの花が目立ちます。



かなり遅れてビエンチャンに到着です。
現地ガイドさんは「常広寺グループ」のプラカードを持って、ちゃんと待ってくれていました。
同行者の一人Kさんが、「和尚さん、李さんですよ 前回もお世話になった。」
6年前のツアーに参加したことのあるKさんの発言で、その場の雰囲気がぐっと和らぎました。

外はしっかり夜の帳(とばり)が下りていました。
時計の針を2時間巻き戻します
日本との時差は2時間です。
カメラの時間設定はめんどうなのでそのまま、日本標準時です。


ホテルにチェックインしてから、外食で晩ご飯です。








ラオスの夜です

ラオスビールはおいしかったです
ラオスコーヒーも変わった風味でおいしかったです
6年前にきたKさんは、豆を買って帰り最近まで挽いて飲んでいたとか。


ホテルに帰って、我々の部屋はなんとか無事にすごせましたけど、悪銭苦闘の人たちもいました。
言葉が通じないので、フロントに対処の要求もできなかったようです。
お湯が出ない、バスタブの栓が閉まらない、バスタブの栓が無い

ここは日本ではなく、ラオスです。
何でもありになりそうです。




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