黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

桐生川紀行・根本山への道

2019-08-26 14:56:26 | 桐生川紀行
朝、ひめちゃんと獅子丸は、堀之内を北に出て高縄の集会所を廻って帰りました。
集会所の近くで、獅子丸がしつこく吠えました
バイクに乗ったおじさんがやって来て、追い越していったのです。
獅子丸には、不審者にみえたのでしょう。



ひめちゃんは、反応しませんでした。

おじさんは、田んぼの見回りをしていたのです。
田んぼの稲も、次のステージに行きそうです
案山子(かかし)が出現したのは、まだ一ヶ所だけですけど。





石鴨天満宮の駐車スペースに戻ります。



この道をはるばるとやって来たのです
まだ上流に山道は続いているようです

どこに行く道でしょう?

もう少し車で行けるかな
でもデータ不足、お天気も心配、ひめちゃんたちのお昼も心配

捲土重来を期して、ひとまず退却です。



心細いながらも帰りは気持ちの余裕があります


お寺があります
小さいながらも、きちんとしているようです。



山号は読み取れませんけど、長谷寺とあります。

脇の石造物もそれなりの品格です。



本堂もこじんまりして落ち着いた品格です。
本堂に続いている庫裏はしっかり閉まっています
無住のようです



本堂脇の山際には、朱色のキツネノカミソリが見えました



さて、また山道を下ります。

梅田の民話があります



蛇留淵はどこでしょう?
三境山はどこでしょう?

近くだと思いますけど、とりあえずここの桐生川です。





けっこう激しい流れです


やっと梅田ふるさとセンターです
ちょっと、一休みです。


付近の地図があります





この道の行く先は、根本山(ねもとさん)だったのです。

ウィキペディアによれば、
根本山神講(ねもとやまがみこう)は、由良氏との合戦に敗れた桐生氏の残党の手によって、天正元年(1573)に起こされた講である。根本山を神体とし、本地仏に薬師如来を迎え、大山祗命・大山咋命の山神を祀る。根本山の山気に浴して山霊を鎮魂することで神通力を得、心身の苦難を排除できるという民間信仰である。江戸時代には参詣案内所が発行され、関東から東北方面にかけて広く信者が集うほどの盛んな講に発展した。



「由良氏との合戦に敗れた桐生氏の残党の手によって」は、ちょっと疑問符がつきそうです。
でも、江戸時代には、この道を根本山目指して多くの人が登っていったのです
だから、道祖神があったり、石造物があったりしたのです

今度は根本山への道という意識で、捲土重来を期します

根本山の里宮には行った事があります

桐生川紀行の左岸の世界は、総集編としてほとんどアップしました。
右岸の世界も、yahooブログにいくつもあります。
消えてしまう前に、桐生川右岸の世界もアップしておきましょう

次回は、「桐生川紀行総集編(黒弊の天狗の里宮・根本山神宮)」です










コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする