黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

鹿の川沼のエノキ(銅山街道の記憶)

2020-06-19 20:49:50 | 群馬県・東毛

雨の一日です。

ひめちゃんたちは、朝も夕方も、貧乏カッパでお散歩です

ビニール風呂敷や市指定のゴミ袋を風呂敷大にカットした、簡易レインコートです。

首とお腹の2ヶ所を結ぶだけですけど、背中が濡れないですみます

今夜は気温も低いので、みんなミニ毛布を小屋に入れてもらいました

 

こんな天気なので、ひめちゃんちの枇杷(びわ)は、鳥がほとんどやって来ていません。

熟した枇杷の獲得競争、去年は鳥と競争でした

今年はたわわに実ってくれたので、食べきれないほどです

実はこの木は、ミニドッグランの中にあります。

固形の肥料を根本に埋めるわけにはいきません。

この冬は、固まってないさらさらの油かすを撒いて土と混ぜました。

それなりの効果があったようです。

 

同様に施肥した隣の梅の木も、たくさんの実をならせています。

「さて今年もらっきょう酢で梅干しを作ろう。」と、近所のスーパーマーケットに行きました。

あれ、らっきょう酢がない

この間までいっぱいあったのに、今日は一本もありません

この間買っただけで漬けきれなかったら、塩漬けにしなければなりません。

塩梅(あんばい)が難しい

 

 

 

岩宿博物館(みどり市)付近の案内図です。

左が北、上が東、右が南です。

画面中央の下の方・鹿の川沼(かのかわぬま)西側に、市指定天然記念物エノキがあります。

鹿の川沼の西です。

あの山は琴平山、その南麓に岡上景能開基の国瑞寺があります

 

目立つ大木が道沿いにあります。

周囲より高い位置に植えられています。

鹿の川沼のエノキです。

江戸時代には、エノキは一里塚に植えられた木だったとあります。

銅山街道の桐原宿と大原宿から、ほぼ4kmの距離にあるんですって

 

よく県道69号線が銅山街道だと言われますけど、全てが重なるわけではなさそうです。

昔の道は、まっすぐではないことがよくあります。

この付近も、69線の近くだけれど、一本東の細い道です。

銅山街道は、この木の脇を通っていたのです

足尾で掘り出された銅は、ここを通って利根川まで運ばれ、舟で江戸に送られたのです。

岡上景能は、銅山奉行もしていたことがありますね

 

この地図は、銅の積み出しが前島河岸になってからのルートです。

以前は、大原の少し先から世良田長楽寺の脇を通って、平塚(ひらづか)河岸から、江戸に運ばれていました。

旧尾島町にも、銅山街道の記憶があります。

 

前島河岸コースです。

この案内板は、勾当内侍の花見塚公園入り口にあります。

 

平塚河岸コースです。

ここは、総持寺の前のようです。

総持寺と長楽寺の位置が、ちょっと変かな?

この間、長楽寺に行った帰り、細い道を総持寺の前に抜けて県道142号線に出ました。

その細道で、銅山街道の案内図を見た様な気がします。

細い道で車を止めれれなかったし

この道はまだ歩いてなかった道でした。

今度世良田に行ったら、歩いて見ましょう

 

 

 

 

 

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ひめちゃんちの早咲きヘメロカリスコレクション2020

2020-06-17 22:04:12 | 日記

すっきり晴れました

ひめちゃんと獅子丸は、堀之内を北に出て、高縄の集会所を廻って帰ります。

久しぶりに、影がはっきり出ています。

モコモコひめちゃんと、モコモコ獅子くんです

おや、田んぼにカモがいます

この間と同じ田んぼです。

カモの数が増えています。

去年は、こんな風景を何カ所かで見ました。

今年はここだけです

農薬とか、何か条件があるのでしょう。

この田んぼ1枚だけが、安心して食事のできる田んぼなのでしょう

このガードレールの先がその田んぼです。

今朝は、赤城山の新緑もはっきり見えます

 

 

ひめちゃんちに、ヘメロカリスが咲き始めました

早咲きのみんなを紹介します

 

毎年一番に咲いてくれます

 

昨日、ガーデンに行って、ビックリです

巨大な黄色い花が咲いています

今朝の様子です。

昨日よりは小ぶりかな?

ユリに混じって、えんじ色の八重咲きヘメロカリスが咲いています。

 

一重えんじ色のシンプルもいいものです

 

巨大輪の真っ赤な花です。

向こうにオレンジのユリ咲きが見えます。

こちらも、かなりの巨大輪です。

 

ピンクサーモンのかわいい花です。

背丈も、あまり大きくはなりません。

 

毎年咲いてくれますけど、増えません。

 

穏やかな黄色です。

 

好みが分かれそうな花です。

華やかだけど、華やかすぎるかも。

 

白に近いクリーム色の花です。

 

こちらのユリ咲きも花盛りです

 

華やかさから取り残された空間に、クレマチスがたくましく花を咲かせています

 

ひめちゃんちのヘメロカリスは、まだまだ咲きます

続きは、後日に

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白柴タバサちゃんの世良田長楽寺参拝記・後編

2020-06-16 21:21:00 | 群馬県・東毛

朝、ひめちゃんと獅子丸は、堀之内を西に出て、山上城跡公園の紫陽花の道を歩いてきました

やば、小学生の黄色い帽子が2つやって来ます

ちょっと、待機です。

ひめちゃんは、子どもが苦手です。

紫陽花の道の出口には、まだ例の看板がありました

桐生市の公園では、県外ナンバーの車は、まだお断りです

 

 

おじさんとタバサねーちゃんは、もう太鼓門をくぐってます。

早く行こうよ

とりあえず、直進で開山堂に行きます。

開山道の前に、牛石があります。

開山栄朝禅師の牛がここで倒れたので、ここに寺を建てたのです。

倒れた牛は石になったのですね

 

逆竹もあります。

栄朝禅師は竹の杖を使っていたのです

水戸黄門様も同じ竹の杖を使っていたのです。

 

開山堂の前に、不思議なおふた方です

お地蔵様のようでもありますけど

 

なんともクラシックな開山堂です

これぞ古刹です

でも、中はどなたもいませんし、ちょっと荒れている感じです

 

開山堂の後ろは、歴代住職の墓地です。

お腹に文字が刻まれたお地蔵様がいます

文字は、はっきりとはわかりません。

僧正とか大和とかの文字が見えます。

 

来た道を戻ります。

本堂にもちょっと寄りましょう。

今日は閉まってます。

今、御利益のあるのは、ぼけ封じ観音なのでしょうか?

 

徳川氏累代の墓にも、ちょっと寄って行きましょう。

こんにちは、お久しぶりです。

いくつかの宝塔と多層塔があります。

メインは、説明板のある宝塔です。

説明板です。

国指定の重要文化財のこの塔の底面に、「建治二年(1276)に、三代住職院豪が建立した」という銘文があったのですね

建立者の院豪は宋に渡って勉学してきた高僧で、正嘉二年(1258)長楽寺三世となり、以来二十四年間住職であった。弘安四年(1281)長楽寺で没し、その後「円明仏演禅師」と朝廷よりおくり名をされた高僧である。

弘安四年(1281)長楽寺で亡くなったんですか

行仙上人がなくなったのは、弘安元年です。

院豪禅師の住職時代は、行仙上人が長楽寺に通っていた時期と、重なりそうです

意外なところで、行仙上人の記憶に出会えました

さらに、『尾島町誌通史編』上巻(平成5年)で、この基礎底面に刻まれていた文字の写真を発見しました。

感激

直接ではないけれど、行仙上人が生きた時代の記憶です

 

雨も上がりました。

さて、帰りましょう。

アタチは前向きに降りられます

 

太鼓門の向こうも、長楽寺です。

竜宮につながっているという蓮池は、どうなったかな?

水がなくなっているという話があったけど

 

まあ、みんなが待っているから帰りましょう

あちらの散策は、又の機会にしましょう

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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白柴タバサちゃんの世良田長楽寺参拝記・前編

2020-06-15 17:22:38 | 群馬県・東毛

晴れました

ひめちゃんと獅子丸は、堀之内を北に出てお散歩です。

獅子くんも、モコモコ始まりました。

久しぶりに、赤城山がはっきりとその姿を現しています

暑いよー

 

あれ、田植えの終わった田んぼに、カモがいます

涼しそうだね

いっぱいご飯食べたかな?

 

 

鎌倉時代に書かれた『沙石集(しゃせきしゅう)』という本に、上野国山上に住んでいた「行仙上人(ぎょうせんしょうにん)の事」が書かれています。

そして、行仙上人自身の著「念仏往生伝」に、彼は山上の窪井に居たことが書かれています。

窪井は久保井で、現在の(桐生市新里町)新川の久保井と言われています。

現在FC2ブログ「黒柴ひめちゃんの葛塚村だより」で、『沙石集』行仙上人の事を読んでます

昨日、行仙上人のいた風景を歩いてようと、タバサねーちゃんと久保井に出掛けました

 

でも、あてもないので、とりあえず久保井集会所に行ってみました。

 

ここは、窪地でなく高台です。

ごみごみした住宅地の中にあって、駐車して歩き回る雰囲気でもありません

まあ、しょうがない

久保井探検は、捲土重来を期すことにしましょう

 

ここから、最短距離にナビを入れて世良田長楽寺に行ってみよう

行仙上人は、たびたび世良田の長楽寺に行っていたのです。

まだ、雨は大丈夫そうです。

ナビの指示通り進みます。

どうも県道69号線を行くルートのようです。

最短距離かな?

 

まあ、69号線を下ります。

途中、両毛線の踏切を渡ります。

ここに、岡上景能の陣屋跡があります

踏切の名は大間々第一踏切です。

説明板以外何もありません。

 

更に下ると、岡上景能を祀った岡上霊神社があります。

今回はパスです。

 

ナビの指示通りに、長楽寺太鼓門の脇に駐車です。

あれ、ここは東照宮の駐車場のようです。

いつもは、よい子で歴史公園の駐車場から歩いてくるので、ここの駐車したのは初めてです。

 

雨が降り出していますけど、おじさんとタバサねーちゃんは、さっさと駐車場の奥のお宮に行ってしまいます。

そういえば、この宮は今までお参りしたことがありません。

日枝社とあります。

「世良田東照宮建立の時、日光から奉遷」とあります。

さりげなく、御朱印やお守りの案内もあります。

そういえば何年か前のお正月、御朱印を頂きました。

こちらには参拝せずに、失礼しました。

 

東照宮の鬼門にあるのですね。

大きな猿の像があります。

由緒もあります。

本殿には、見ざる・聞かざる・言わざるの三猿でしょうか

子授け・安産・子育てを実践している神猿の像です

赤ちゃん猿、かわいい

 

遅ればせながら、心を込めて、2礼2拍1礼です。

 

 

さて、長楽寺の方に行きましょう。

おじさんとタバサねーちゃんは、長楽寺太鼓門をくぐってます

 

 

(つづく)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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岡上景能開基の国瑞寺・後編

2020-06-13 21:05:58 | 黄檗宗のお寺を訪ねて

激しい雨の一日でした

ひめちゃんたちは、ビンボー合羽でお散歩です。

ビニール風呂敷や市指定ゴミ袋をビニール風呂敷と同じ大きさに切り裂いて、首とお腹で結びます。

だれにも逢いません。

こんな日はみんなどうしているのかな?

梅雨入りしそうになかったけれど、あっという間に梅雨入りして、雨の毎日です。

でも、花菖蒲の季節になりました

今年は、花菖蒲のみなさんちょっと元気がないかな?

晴れたら、しっかり草むしりをしてお世話しますね

 

 

岡上景能開基の国瑞寺(こくずいじ)に到着です。

ちょっとかわった雰囲気です。

山門の上にいるのは、何でしょう?

しゃちほこ?

角度を変えてみても、わかりません。

境内には、マスクをして草むしりをしているおじさんがいます。

ちょっと、声を掛けにくい。

門脇の掲示板に寺の由緒があります。

ここ国瑞寺は徳川四代将軍家綱公のころ、推定、寛文七年(1667)に笠懸野を開拓された時の代官岡上景能(おかのぼりかげよし)公によって創建され、延宝元年(1673)、景能公が師事されていた独堪性瑩禅師(後の黄檗宗四代管長)により開かれました。

景能公は笠懸野の荒れ果てた大地に農業や街道、宿場町などを作り上げ、この地を生活できる場所に変えられました。しかし、その大きな功績や名声を妬む人々により、結果、切腹という不遇の最後を遂げられました。

 

「御朱印希望の方は本堂東の建物へ」ともあります

御朱印があるんだ

山門をくぐり、さっきの草むしりをしているおじさんに声を掛けます。

「あのう、御朱印をいただきたいんですけど。」

「こちらへどうぞ。」

失礼しました。

和尚さんでした。

いただいた御朱印です

ありがとうございます

 

境内はさほどひろくないようです。

本堂西から裏山にかけて、羅漢さんがいっぱいです。

16名様か確認しませんでしたけど、とりあえず、みなさんに合掌

 

山門を出て、墓地に向かいます。

参門脇に六地蔵です。

こんな形で祀られている六地蔵さんもあるのですね

 

墓地には、御利益のありそうなお地蔵様もおいでです

 

やっと、岡上景能の墓です

埼玉県児玉郡高柳村の生まれとあります。

群馬県指定史跡だったのです

子どもの頃郷土の偉人と教えられ、ちょっと反発を覚え、向き合ってきませんでした。

今は素直に向き合って、合掌です

 

 

鹿の川沼の脇を通って帰ります。

むこうにみえるドームは、岩宿博物館です。

 

岡上用水は、荒れ果てた笠懸野を、農耕可能な人の住める土地にしたのですね

いわば、瑞穂の国(みずほのくに)にしたのですね

あれ、瑞穂の国には、国と瑞の字があります

そして、その後もさまざまな努力によって、みどり豊かなみどり市になったのですね

 

 

 

 

 

 

 

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