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歴史の深淵 (エーゲ―永遠回帰の海(立花隆・須田慎太郎))

2007-05-03 18:56:08 | 本と雑誌

Apolon  あとがきによると、この本は20年がかりで作られたものだといいます。

 今から20年以上前、立花隆氏が写真家須田慎太郎氏と共に、エーゲ海をとりまくギリシア・トルコ等の古代遺跡を巡った紀行記です。
 立花氏の哲学的歴史的な思索の跡を辿った文と、須田氏の写実的な写真とのコラボレーションが見事です。

 シチリア島セリヌンテを訪れた際、立花氏は遠い歴史に思いを巡らせます。

(p155より引用) 突如として私は、自分がこれまで歴史というものをどこか根本的なところで思いちがいをしていたのにちがいないと思いはじめていた。
 知識としての歴史はフェイクである。・・・
 最も正統な歴史は、記録されざる歴史、語られざる歴史、後世の人が何も知らない歴史なのではあるまいか。・・・

 後世の歴史に何も記録されていない神殿を目の前にして、立花氏の思索はさらに深まります。

(p155より引用) 自分の前に存在している物体自体が正しい現実なのか、その存在を抹消してしまった歴史が正しい現実なのか。
 むろん疑問の余地はそこにない。・・・
 記録された歴史などというものは、記録されなかった現実の総体にくらべたら、宇宙の総体と比較した針先ほどに微小なものだろう。宇宙の大部分が虚無の中に呑みこまれてあるように、歴史の大部分もまた虚無の中に呑みこまれてある。

 総行程8000Km、エーゲ海の古代遺跡を憑かれたように訪ね歩いた立花氏の感慨です。

(p158より引用) この地を旅する者は、空間を超えて旅すると同時に時間を超えて旅しなければならない。
 クレタ文明、ミノア文明などは、いまから四千年、五千年前にさかのぼる一方、東ローマ帝国の遺跡などは、まだ千年もたっていないものがある。時間差数千年の歴史が隣り合っていたり、あるいは同じところに積み重なっていたりする。・・・
 フィリピだけではない。このあたりのどの町をとってみても、歴史のひだをかきわけかきわけのぞいていくと、何層にもわかれた歴史の地層のごときものが観察できて興趣がつきない。歴史だけではない。そこに、神話や伝説もまた積層されている。

エーゲ―永遠回帰の海 エーゲ―永遠回帰の海
価格:¥ 1,575(税込)
発売日:2005-10

コメント
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