本書は「街場のメディア論」というタイトルではありますが、直接的にメディアに関する話題以外でも、興味深い主張が数多くありました。
そのうちのいくつかを以下にご紹介します。
まずは、「市場原理の暴走」について。
内田氏がある国立大学の看護学部に講演にいった際経験したエピソードです。
そこのナースセンタには、「『患者さま』と呼びましょう」と呼びかけるポスターが掲示してあったそうです。厚生労働省からの指示によるのですが、この病院では、「患者さま」と呼び始めて、院内規則を守らず、ナースに暴言を吐き、入院費を払わず退院する患者が増えたとのこと。
この状況に対する内田氏のコメントです。
(p77より引用) 当然だろうと僕は思いました。というのは、「患者さま」という呼称はあきらかに医療を商取引のモデルで考える人間が思いついたものだからです。
医者と患者が向き合う医療現場も「売る人」「買う人」という「市場関係」と相似形で語ることができるのでしょうか。市場は決して誤らないという「市場原理主義」を、商取引以外の社会関係にまで無条件に敷衍するのは、明らかに間違いだと私も思います。
こういった市場原理主義適用の過ちは、医療現場に止まらず教育現場でも見られます。
(p122より引用) 市場原理を教育の場に持ち込んではいけない。そのことを僕はずっと言い続けています。・・・「社会制度は絶えず変化しなければならない。それがどう変化すべきかは市場が教える」という信憑そのものが教育崩壊、医療崩壊の一因ではないのかという自問にメディアがたどりつく日は来るのでしょうか。
もうひとつ、「著作権」について。
最近、デジタルコンテンツの流通拡大に伴い「著作権」については様々な立場からの議論がなされています。内田氏は、公にした自身の評論・論文等については「著作権フリー」を実践しています。広く自分の主張を広めるためには、その方が良いとの判断ですが、「著作権」をビジネスの商材ととらえる動きもあります。
(p147より引用) 短期的利益と引き換えに、著作権を軽んじる社会では、創造への動機づけそのものが損なわれる。
中国のような海賊版の横行する国と、アメリカのようなコピーライトが株券のように取引される国は、著作権についてまったく反対の構えを取っているように見えますけれど、どちらもオリジネイターに対する「ありがとう」というイノセントな感謝の言葉を忘れている点では相似的です。
著作権はビジネスベースで扱われるべきものではなく、読者に対する「贈り物」であり、それに対しては「感謝の気持ち」で報いるべきというのが、内田氏の主張です。非常に面白い考え方だと思います。
(p176より引用) 「価値あるもの」があらかじめ自存しており、所有者がしかるべき返礼を期待して他者にそれを贈与するのではありません。受け取ったものについて「返礼義務を感じる人」が出現したときにはじめて価値が生成するのです。・・・ひとりの人間が返礼義務を感じたことによって、受け取ったものが価値あるものとして事後的に立ち上がる。僕たちの住む世界はそのように構造化されています。
「著作権」として認められる「価値」の根源はどこにあるのか。これを追求する中で提示された「贈与経済」というコンセプト、そしてそれに依拠した内田氏の立論はとても独創的で興味深いものです。
最後に、「メディア」の話題に戻ります。
内田氏によると、昨今のメディアの劣化はその「定型的パターン化」の帰結とのこと。
(p99より引用) メディアの定型性は二種の信憑によってかたちづくられているというのが僕の仮説です。・・・
第一は、メディアというのは「世論」を語るものだという信憑。第二は、メディアはビジネスだという信憑。この二つの信憑がメディアの土台を掘り崩したと僕は思っています。
この内田氏の指摘は、現代メディアの本質を結構的確に言い表しているように思いますね。
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