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この世で一番おもしろいミクロ経済学―誰もが「合理的な人間」になれるかもしれない16講 (ヨラム・バウ

2012-06-30 07:46:31 | 本と雑誌

Adamsmith  ユニークな体裁で、ちょっと話題になっている本のようですね。

 「ミクロ経済学」の主要なキーワードを、豊富なイラストと身近な具体例で概説した超入門編です。基本概念の復習であったり、初心者に対する説明方法のヒントであったりと、入門編は入門編として、それなりの気づきは得られます。

 たとえば「限界分析」に関する説明ではこんな具合です。

(p21より引用) 〔日常会話〕 釣りに120分かけるつもりだけれど。もう数分余計に釣ろうかしら?
〔経済業界用語〕 釣りに数分余計にかける限界便益は、限界費用を上回るでしょうか?

〔日常会話〕 コックを5人雇うつもりだが、6人の方がいいかな?
〔経済業界用語〕 限界労働生産の価値賃金率よりも高いかしら?

 そのほかにも「ゲーム理論」「需要と供給」といった基礎概念についても、ユーモアを交えた同じようなトーンで概説されています。
 そういった中でも、個人的には「比較優位」の説明がわかりやすかったですね。巻末の「用語集」では、

(p210より引用) 2人の個人または2つの国は、片方がすべての面で他よりすぐれている場合でも、取引すれば利益が得られるという発想

という淡白な解説でしたが、本文中の2人の原始人の設定とやりとりは直観的な理解しやすさに配意されたものでした。

 とはいえ、本書を読んで気になったところが2点。

 そのひとつは、本当に「初心者」にとって分かりやすいのかどうかという疑問です。
 私の場合も、はるか昔に経済学の超基礎的な知識は学んだことがあったので、本書で解説されている内容程度であればある程度の素地はありました。しかしながら、本当に「経済学の概念に初めて触れる人」の場合、それぞれの説明が言葉足らずになっていないか少々心配です。

 そして、もうひとつは「用語集」。これは酷いです。通常イメージする「用語集」とは全く別物と考えるべきでしょう。
 たとえば、「インフレーション」を「時間がたつにつれて物価が全般的に上がること」と説明されても、正直なところ全く意味をなさないのではないでしょうか。

 その点でも、本書は、「本物の初心者」向きではないかもしれません。


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バーボン・ストリート (沢木 耕太郎)

2012-06-24 10:20:26 | 本と雑誌

Iwharper  久しぶりの沢木耕太郎氏のエッセイです。

 氏の代表作「深夜特急」とほぼ同時期の発刊ですが、あちらはワイルド、対するこちらはクールなタッチです。
 ちなみに本書の初刊は1984年、いまから30年前ですが、エッセイに登場する人物は今でも活躍されている人が多いですね。

 たとえば、井上陽水さん。ある晩、陽水さんからアルバムのための曲の歌詞の相談の電話がありました。

(p58より引用) 「あの・・・雨ニモマケズ、風ニモマケズ・・・っていう詩があるでしょ」・・・
「あれ、どういう詩だっけ」

 その続きが出てこなかった沢木氏は大急ぎで、宮沢賢治の詩がのっている本を本屋で買ってきて、陽水さんに電話で伝えました。その朗読を聞きながら、陽水さんはところどころで気になったフレーズを反芻しました。

(p64より引用) なるほど、私は彼の方法が納得できた。彼は詩の全体というより、個々の詩句を聞いているのだ。そして耳に引っかかってくる言葉から刺激を受け、そこから歌づくりをしようとしている。

 陽水さんは、賢治の言葉の力に大いに刺激されたようです。
 こうして出来上がったのが、「ワカンナイ」という曲。沢木氏は、この曲は、賢治の詩に対する陽水さんのアンサーソングでもあると考えています。

 ちなみに、このころの陽水さんは、「氷の世界」に代表される初期のブームに続く、第二陽水ブームの真っただ中でした。当時の曲は、初期に比べて粘性やメッセージ性が増したように思いますね。ただ、そのメッセージは、徒に爆発的でも攻撃的でもありませんでしたが。

 さて、本書に採録されている15編のエッセイを読んでの感想です。

 沢木氏より一世代下の私ですが、すべての作品に対して、描かれている世相や登場人物、そしてそれらの背後に漂う空気には懐かしさを感じましたね。登場するテレビ・映画での有名人やスポーツ選手に纏わるエピソードは、私の記憶に残っている当時の皮膚感覚としてスッと入ってきました。その分、今の人々にはかなり古臭く感じられるかもしれませんね。

 最後に、いかにもという沢木さんらしさが表れたフレーズを書き留めておきます。

(p83より引用) 物を持たなければ持たないほど自由さは増していく。物にしばられ不自由になりたくはない。私のポケットがいつもからっぽなのも、私にそのような思いがあるためともいえる。

 還暦も過ぎている沢木氏ですが、未だにバッグひとつで旅に出ているのでしょうか。


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ガイアの夜明け 不屈の100人 (日経スペシャル) (テレビ東京報道局)

2012-06-10 09:21:36 | 本と雑誌

Ls600_car  ちょっと前に、東日本大震災を舞台にした「ガイアの夜明け 復興への道 」を読んでみましたが、今回の本は、ドキュメンタリー番組「ガイアの夜明け」の5周年記念版です。

 構成は、「視点」「挑戦」「極意」「苦闘」「誇り」の5章からなり、それぞれのテーマごとに、まさに不屈の精神をもって現実に立ち向かい理想にチャレンジした計100人の言葉を紹介しています。

 登場する人物は、キヤノン社長(当時)御手洗冨士夫氏・スズキ会長鈴木修氏・日本電産社長永守重信氏といった大物経営者の方々もいらっしゃれば、大企業の中堅管理者や社員、中小企業の経営者、地方自治体の公務員、医師、起業を目指す学生等、様々なジャンルの人々でバラエティに富んでいます。

 それぞれの人々の言葉は、すべて実経験の中から発せられたものなので、それらからは、いくつもの興味深い気づきを得ることができました。
 その中から一つ、トヨタ自動車のエンジニアで「レクサス」開発責任者の福里健さんのことば。

(p35より引用) 「自分たちの目指すものを、まずとことんつくる。ベンチマーク(比較の対象)を置いてそこを目指してやっていては、同じところまでしかたどり着けない」と福里さん。「理想の世界を目指してやっていけば、誰もついてこられないところまで到達できる」。最高の車をつくるためには妥協はしない。エンジニアとしてのプライドが、そこにあった。

 競争に勝つということは「比較優位」だという考えがあります。それはそれで正しいのですが、最初から競合との比較優位を狙うのと、絶対優位を目指すのとでは、ゴールの本質が全く異なります。

 さて、本書ですが、タイトルにあるようにそれぞれの人々のエピソードのエッセンスを「100の言葉」に凝縮しようと試みたものなので、1つのテーマの紹介は2ページ程度の限られたスペースに押し込まれています。そのため、「言葉」の背景となるストーリー部分の書き込みが、やはり圧倒的にプアです。
 もちろん、それを覚悟の企画なのでしょうからやむを得ないのですが、軽めのノンフィクションだとしてもかなり物足りない内容でした。残念です。


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清貧と復興 土光敏夫100の言葉 (出町 譲)

2012-06-06 21:23:00 | 本と雑誌

Dokou001  石川島播磨重工業・東京芝浦電気の社長、経団連会長を歴任、さらに齢80歳を過ぎてなお、第二次臨時行政調査会長として日本再建に尽力した土光敏夫氏。

 その清廉・実直な人柄とともに、土光氏の「言葉」は、ビジネス社会に留まらず、人間の生きる姿勢として普遍的な価値を持つものだと思います。また、東日本大震災・福島原子力発電所事故からの復興の途にある今、さらにその精神・姿勢は重みを増しているのです。

 本書は、まさにその土光氏の至言集です。

(p58より引用) 仕事に困難や失敗はつきものだ。そのようなとき、困難に敢然と挑戦し失敗に屈せず再起させるものが、執念である。そればかりではない。およそ独創的な仕事といえるものも、執念の産物であることが多い。・・・
 物事をとことん押しつめた経験のない者には、成功による自信が生まれない。・・・執念の欠如する者には、自信を得る機会が与えられない。

 「執念」という言葉は昨今あまり流行らなくなりました。「執念」、とても真っ直ぐで純粋な心だと思います。

 この実直な姿勢は、意外なシーンで証明されました。
 1954年、土光氏は造船疑獄事件で逮捕された105人のうちの一人となりました。拘置所の調べ室では検事と被疑者は1対1で全人格的に対立します。
 その事件の取調官であった元検事総長伊藤栄樹氏の述懐です。

(p137より引用) 「私も、いろいろな“ほんとうの姿”を見ることができたが、『これはまいった。実に立派な人だ』と感心させられた人が数人いる。その筆頭が土光さん」

 土光氏は「金」で政治に対して影響を与えようとは決して考えませんでした。そして、自らも「贅沢」とは無縁の生活を送っていました。土光氏自身、こう語っています。

(p158より引用) 石川島の社長時代もバス、電車での通勤を当たり前と思っていたし、人間、庶民感覚を失くしたらアガリだ。雲上人になってしまうと、本当の世の中が見えなくなってしまう。今、使っているヒゲそり用のブラシ、これ、もう50年も愛用している。・・・一種の習慣です。

 土光氏は、人を大切にした経営者でもありました。
 現場の社員・ビルの守衛の方とも分け隔てなく接し、女性の職場の地位の向上にも配慮しました。それは、「人を信じる経営」とも言えるでしょう。

(p96より引用) ひとたび、才能はコレコレ、性格はシカジカと評価してしまうと、終生それがついてまわるのである。
 このような発想には根本に人間不信感があるのだが、たとい不信感を与えた事実があっても、人間は変わりうるという信念を欠いている点が重要だ。人によっては、失敗や不行跡を契機として転身することもあるし、旧弊をかなぐりすてて翻然と悟ることだってある。とにかく、人間は変わるという一事を忘れてはなるまい。

 大企業の経営者・経団連会長という要職での実績は、土光氏に「日本の改革」の道筋をつけるという大役を担わせることになりました。

(p178より引用) 行政改革を、肥大化した政府を健全な姿に是正して行くという面ばかりでとらえるのでなく、将来の日本はどうあるべきか、そういう将来を築くには、国民は何をなすべきか、という点から考えて行く必要がある。

 土光氏にとって「行革」は、日本の将来ビジョンを描き実行するプロジェクトだったのです。
 そして、「行革推進全国フォーラム」の代表世話人には、本田宗一郎氏・井深大氏という当時の財界の超大物も加わったように、土光氏の要請を受けた多くの財界人がこのプロジェクトの支援に尽力しました。
 臨調の主要メンバの一人だったウシオ電機会長牛尾治朗氏は、当時を振り返ってこう語っています。

(p191より引用) 「56年の3月、臨調を引き受けたときは、国のためという使命感だった。ところが、いまでは、土光さんに恥をかかせちゃ申し訳ないという私情が八割になってしまった

 これもまた、土光氏の人間的な魅力を端的に表した言葉です。


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官報複合体 権力と一体化する新聞の大罪 (牧野 洋)

2012-06-03 10:16:04 | 本と雑誌

The_wall_street_journal_first_issue   昨年の福島原子力発電所の事故を待つまでもなく、近年「新聞」をはじめとする既存メディアに対する批判がとみに強まっています。

(p340より引用) 「放っておけば権力は秘密主義に走る」といわれており、都合の悪い情報は伏せられている可能性もある。「権力側の発表=真実」を前提に報道していては「ニュースの正確性」で失格だ。

 本書は、日本経済新聞の記者であった牧野氏によるメディア内部からの批判本です。
 たとえば、「リーク依存」の報道体質について、郵政不正事件を例に、著者こうコメントしています。

(p65より引用) 「検察の捜査はおかしい」などと記事に書いたら、その時点て出入り禁止になり、他社に抜かれてしまいかねない。検察が気に入る記事を書いてこそ、リークしてもらえる可能性も高まる。現場の司法記者にしてみれば「他社に抜かれる」のが最悪の事態であり、そのためには検察のシナリオに沿って事件の構図を報じることにためらいはない。

 この「他社との先取り取材競争」ですが、これもマスコミの中に閉じた特殊な価値観が反映されたもののように思います。多くの読者が新聞に期待するのは、数時間を争う即時性・速報性ではなく、多面的な取材やより掘りされた解説といった類の充実した記事内容です。

 著者は、日経新聞の記者時代にコロンビア大学大学院ジャーナリズムスクールへの留学を経験しています。そこで、報道に対する日米の考え方の大きな隔たりを身をもって知りました。
 その中で、最も顕著な違いのひとつが「取材者の目線」でした。

(p184より引用) Jスクールに在学していた私は、「政府ではなく納税者」「大企業ではなく消費者」「経営者ではなく労働者」「政治家ではなく有権者」の目線で取材するよう教え込まれた。・・・
 それまで日本では「権力に食い込むことこそ記者の王道」と指導されてきた。記者クラブの構造を見れば、それも当然である。

 この日米の違いは著者にとって衝撃的だったと言います。
 政府・大企業等権威側からのプレスリリースのみを材料にした記事は、アメリカでは間違いなく「ボツ」になります。影響を受ける市民・消費者への直接取材による声・反応も伝えてこそ、その記事は、「読者に供する判断材料としての価値をもつ」との考えです。

 さて、本書を読んでの感想です。
 冒頭「メディア内部からの批判本」と書きましたが、実際は、著者の経験に基づいたアメリカの「ウォッチドッグジャーナリズム」の紹介といった内容が主になっています。
 「何もしなければ永久に闇に葬り去られてしまうニュースを掘り起こし社会的弱者を守る」というピュリツァーの精神に代表されるアメリカの調査報道スタイル、それに対して、日本は、特落ちを極端に嫌う「発表先取り方」への偏重。そして、それが結果的には「権力追随」に陥ってしまうという現実。

 著者が批判する日本スタイルのより具体的な姿、そうならざるを得ない真の要因等・・・、タイトルのインパクトに比べて深堀りは今一歩です。正直なところ、もう少し踏み込んだ「調査報道」的内容であればと、少々物足りない感じが残りました。


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