OMOI-KOMI - 我流の作法 -

For Ordinary Business People

ホーキング、宇宙のすべてを語る (スティーヴン・ホーキング)

2009-06-28 13:58:36 | 本と雑誌

Andromeda  小学生のころ、宇宙に興味を抱いていた頃がありました。お小遣いをためて天体望遠鏡を買って、ときどき、月や惑星、二重星や星団・星雲等をみていました。
 ということもあり、ホーキング博士の著作は一度は読んでみたいと思っていました。

 本書は、氏の著作の中でも分かりやすいとの評判で選んだのですが、やはりほとんど理解できませんでした。時代を追った宇宙論の流れについては頭にはいるのですが、最近の理論の説明になると、言葉は読めても内容の「理解」には至りませんでした。
 まあ、物理学の素養がないので当然ではありますが・・・。

 とはいえ、興味深い説明・コメントは数多くあったので、その中のいくつかを覚えとして記しておきます。

 まずは、現在の物理学のステージについてです。
 これはホーキング氏の説明を待つまでもなく言われていることですが、二つの基本理論から統一理論への途上にあるとの認識です。

 
(p32より引用) 現代では、科学者たちは基本となる二つの部分的な理論の観点から宇宙を説明しています。それは一般相対性理論と量子力学です。・・・一般相対性理論により重力、そして宇宙の巨大構造・・・が明らかとなっています。他方で、量子力学は・・・非常に小さなスケールでの現象を扱っています。
 しかしあいにくなことに、これら二つの理論は互いに矛盾していることが知られています。・・・現在、物理学ではそれら二つの理論両方を取り入れる新しい理論、すなわち重力についての量子力学を探すことに主な努力が払われています。

 
 重力についての量子論、いわゆる「統一理論」はまだ確立していませんが、ホーキング氏は、多くのその理論の特徴はわかってきていると述べています。たとえば、

 
(p166より引用) ファインマンの経歴総和法をアインシュタインの重力場に適用すると、粒子の歴史が、宇宙全体の歴史を表す曲がった全時空に対応します。

 
 ???・・・何のことでしょう???
 一生懸命理解しようとしたのですが、やはり私には全く分かりません。(もちろん量子力学も相対性理論もキチンと勉強していないのですから当然ですが、それにしても・・・)
 この本が一般書としてベストセラーになるというのは、何ともすごいことですね・・・。

 私と同列のように語るのは大変失礼な物言いではありますが、現代の哲学者も「宇宙」は思索の対象外と考えはじめたようです。

 
(p233より引用) 哲学者は、科学理論の進歩についていくことができていません。18世紀においては、哲学者は科学を含む人類の全知識は自分たちの領域であると考えており、宇宙には始まりがあったのかといった疑問について論議していました。しかしながら、19、20世紀になると、科学は哲学者にとって、そして一部の専門家を除いて誰にとっても、あまりにも技術的で数学的になりました。哲学者は彼らの探求範囲を減らしてしまい、20世紀において最も有名な哲学者であるウィトゲンシュタイン「哲学者にとって唯一残された仕事は言語の分析である」と述べています。アリストテレスからカントまでの哲学の偉大な伝統からの、何と言う落ちぶれぶりでしょう!

 
 

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男の作法 (池波 正太郎)

2009-06-27 16:41:28 | 本と雑誌

 著者の池波正太郎氏は、ご存知の通り「鬼平犯科帳」「仕掛人・藤枝梅安」等の歴史娯楽小説の巨匠です。

 本書は、その池波氏が、「男をみがく」というテーマに対して自身の人生経験からの思いを語ったものです。

 
この本の中で私が語っていることは、かつては「男の常識」とされていたことばかりです。しかし、それは所詮、私の時代の常識であり、現代の男たちには恐らく実行不可能でありましょう。時代と社会がそれほど変わってしまっているということです。

 
 と、著者自身「はじめに」に記しているとおり、「今のご時勢どうかな?」と感じるところもありましたが、底流する姿勢として首肯できる話も多々ありました。

 そのいくつかをご紹介します。

 まずは、「身だしなみ」について。

 
(p54より引用) 身だしなみとか、おしゃれというのは、男の場合、人に見せるということもあるだろうけれども、やはり自分のためにやるんだね、根本的には。自分の気分を引き締めるためですよ。

 
 このあたりはよく分りますね。私は「おしゃれ」については全くセンスも関心もないのですが、やはり、何かイベントがあるときには、このネクタイにしようとかこの靴にしようとか、ちょっとは意識します。

 その他、池波氏の語りですが、時代背景のズレはともかくとして、内容は至極真っ当で、大人としての気遣いを感じます。

 たとえば、生きる姿勢の根本についての池波氏の考えです。

 
(p129より引用) 根本は何かというと、てめえだけの考えで生きていたんじゃ駄目だということです。多勢の人間で世の中は成り立っていて、自分も世の中から恩恵を享けているんだから、
「自分も世の中に出来る限りは、むくいなくてはならない・・・」
と。それが男をみがくことになるんだよ。

 
 また、芝居の演出についての流れで、こうも話しています。

 
(p161より引用) 君たちも一つのことをやるときにね、どうせやるんなら、
「自分だけじゃなくて、もっといろいろな人が利益になるようなことはないか・・・」
 ということをまず、考えたらいいんだよ。

 
 こういう感じで、池波氏は、周りの人への心配りを大事にすると同時に、自分自身にも謙虚さを求めます。

 
(p155より引用) たとえば、ぼくの職業の場合、大邸宅を構えちゃうと、やっぱり大邸宅の主であるという感じになってくるね。・・・そうすると、ぼくの場合では、書くものの中に江戸時代の八百屋とか魚屋とか庶民がいっぱい出てくる、その庶民感覚がやっぱりだんだん薄れてくると思うんだよ、いくら自分で気をつけていても。

 
 巨匠といわれる方は、どうしても知らず知らずのうちに「裸の王様」になってしまいます。
 自分はそういうつもりでなくても、周りの接し方が変わってくるところもありますし・・・。
 そういうときの、第三者からの助言は大変貴重でありがたいものです。

 
(p144より引用) 人間というのは自分ことがわからないんだよ、あんまり。そのかわり他人のことはわかるんですよ、第三者の眼から見ているから。・・・だから、言ってくれたときは、
「なるほど、そうかもしれない・・・」
というふうに思わないとね。
ぼくなんかもなかなか出来ないことだけどね。

 
 

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資本主義はなぜ自壊したのか 「日本」再生への提言 (中谷 巌)

2009-06-24 22:28:17 | 本と雑誌

 最近(2009年春)、話題になっている本です。

 著者の中谷巌氏は、「経済戦略会議」での主張をはじめとしていわゆる「構造改革」路線を積極推進した中心人物でした。
 その中谷氏が、本書で、「新自由主義」に基づく自らの考えを改め、マーケット至上主義・グローバル資本主義の問題点の指摘、さらにそれらが生起させた弊害に対する改善提言を行なったのです。
 氏自ら、本書を「懺悔の書」と称しています。

 
(p210より引用) 今回の教訓から、我々が学ぶべきものがあるとするならば、それはいったい何なのだろうか。それは単純なグローバル資本主義の否定ではなく、グローバル資本主義が暗黙の前提としていたアメリカ的な価値観や思想のどこに問題があったかを検討することだろうし、さらに積極的には人類の将来のために我々が本当に共有すべき価値観とは何かを考えることではないだろうか。言い換えるならば、そもそもアメリカ流資本主義、さらに近代西洋思想のどこが誤っていて、どのように修正していくべきかを、根本に遡って考えるということである。

 
 新自由主義の思想は、機会の平等を前提に自由競争を促し、その結果をすべてと考えます。

 
(p112より引用) 自己の利益を最大化することで、かりに他者が不幸になったとしてもそれに何の道徳的責任を感じたりしない「合理精神」こそが、自由競争の勝者に求められる資質であると言っても過言ではないだろう。

 
 著者は、こういった自由競争が、所得格差を生み、地球環境破壊を引き起こし、社会生活を大きく変容させるに至ったと指摘しています。

 たとえば、格差拡大に関する日本の実態です。

 
(p300より引用) 国家による課税や社会福祉がなされる前の段階、つまり再配分における日本の貧困率は、1985年段階では12.5%であった。・・・
 ところが、それから20年経った2005年には、日本の貧困率(再配分前)は・・・26.9%にまで跳ね上がった。わずか20年で貧困者の割合が倍以上になったということである。

 
 また、社会の相互扶助機能の喪失についての指摘です。

 
(p343より引用) 社会的なつながりは、戦後経済の発展の中で失われてしまったし、「最後の砦」とも言うべき「会社」さえ今や社会としての機能を果たさなくなってしまった。今や日本人はグローバル資本主義によって、バラバラにされ、アトム化してしまった。

 
 本書のタイトルは、「資本主義はなぜ自壊したのか」ですが、必ずしも「資本主義」が、その経済の基本パラダイムとしての意味をなくしたのではありません。アメリカ発の特殊な「グローバル資本主義」と言われるものが問題視されているのです。

 従来の資本主義とグローバル資本主義との間には大きな質的な違いがあることは、本書でも指摘されています。

 
(p90より引用) 戦後の日本が典型的な例であるが、一つの国の中で資本主義経済が発展していけば、たしかに貧しい人たちにも所得配分が行なわれるので、そこで生活もよくなっていく。・・・しかし、こうしたリベラルな効果をもたらすのは、あくまでもローカルな資本主義においてのことで、グローバル資本が跋扈するグローバル・マーケットにおいては通用しない。
 というのも、・・・グローバル資本主義においては労働者と消費者が同一人物である必要はないからである。

 
 グローバル企業は、世界の中で最も安価な労働力のある国に生産を移していきます。そしてその恩恵は、その結果利潤を得る人及びその製品を消費する人にもたらされるのです。そうして世界中に格差拡大の悪影響を及ぼしていくわけです。

 そういったグローバル資本主義の特性を踏まえ現実的な対応策を考えると、そこにはローカル資本主義との適度な並存がひとつの解として浮かんできます。

 
(p366より引用) EU諸国が制度の平準化を議論するときにしばしば使う言葉に「相互承認」(mutual recognition)がある。グローバル・スタンダードとして制度の平準化を一律に推進するのではなく、各国の固有の制度を残したままそれを互いに認め合おうという考え方である。・・・
 このことは日本の資本主義にとっても重要である。歴史も文化的伝統もまったく異なるアメリカ型の資本主義を日本がそのまま受け入れる必然性はどこにもないのだ。・・・
 適切な統制が存在すれば、資本主義は何とかよろめきながらも存続できるが、新自由主義が主張するようなまったく摩擦のないグローバルな自由取引市場を作ってしまえば、それは間違いなく人類の滅亡を早めることになる・・・

 
 さて、最後に本書。いくつかの有益な論考もありましたが、正直なところ、著者は本当にこんなに単純な「ステレオタイプ思考」をされていたのかと驚く部分もありました。
 後者の例では、たとえば、以下のようなアメリカ的資本主義の成立経緯についての記述です。

 
(p52より引用) 少し長期的な視点で歴史を追いかけるとその流れはひじょうに単純明快であり、自由放任政策の追求がアメリカ社会を安定させ、「豊かな社会」を作り上げたわけではないことが分かるのだが、近視眼的に世の中の動きを追っかけているだけでは、本当のところ、社会で何が起こっているのかはなかなか正確に読み取れないものらしい。

 
 本書の後半部で示されている「日本は環境立国になるべき」という提言も、根本の発想の始点に不安を感じざるを得ません。
 先日、「反貧困」という本を読みましたが、そこで指摘されているような「現実」を、著者はどこまで理解しているのか・・・

 
(p345より引用) 日本は無尽蔵ともいえる未来への可能性を持っている国なのである。
 その一例を挙げるならば、日本人が縄文時代から有してきた自然に対する尊敬の念、自然との共生の思想があるだろう。もっと大きくいうならば、日本ならではの自然哲学、自然観がそれである。

 
 こういう記述を目にすると、著者が、本書の前半で、自ら明らかにした新自由主義信奉に至った道程、すなわち、1970年代以降の「豊かなアメリカの夢社会」への思い入れと、未だに思考スタイルの根っこは変わっていないように感じてしまいます。
 
 

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大人の見識 (阿川 弘之)

2009-06-21 14:08:59 | 本と雑誌

Big_ben   阿川弘之氏の著作は初めてかと思っていたのですが、小さいころ読んだ記憶にある「きかんしゃやえもん」の作者とのことなので、40年以上の年月を隔てた再会となります。

 まず、本書の冒頭で阿川氏は、日本人の国民性を言い表すことばとして「軽躁」という単語を挙げています。

 
(p16より引用) 日本人の性格がどうも軽躁であると見抜いて注意を払っていた戦国武将は、武田信玄です。「主将の陥りやすき三大失観」と題した信玄の遺訓を読むと、
 一つ、分別あるものを悪人とみること
 二つ、遠慮あるものを臆病とみること
 三つ、軽躁なるものを勇豪とみること
そう戒めています。

 
 「軽躁」とは、「落ち着きがなく、軽々しく騒ぐこと」「軽はずみに騒ぐこと。考えが足りないこと。また、そのさま。」といった意味です。

 本書で、日本と対称的な位置で語られているのが、大人の国「英国」です。

 特に、日本人に欠落しているのが「ユーモア」。他方、ユーモアは「英国紳士」の重要な要件です。

 
(p70より引用) 議会でイングランド出身の議員が、スコットランド人を侮辱する演説をした。・・・
「イングランドでは馬しか食わない燕麦(oats)を、スコットランドでは人間が食っている」
 この発言にすぐさまスコットランド出身の議員が応じた。
「仰有る通りなり。だからスコットランドの人間が優秀で、イングランドの馬が優秀なのです」
 日本の国会だったら前者の差別発言、ただでは済まないでしょうが、ロンドンの議会は、爆笑で終わったといいます。英国の国民性に、重厚さを貴ぶ一面とユーモアを大切にする一面があることは、注目に値するのではないですか。

 
 もうひとつ、英国の「大人」の台詞の例として、1920年代、アメリカの教育使節団がオックスフォードを視察に来た席でのオックスフォード大学の総長の挨拶のことばです。

 
(p98より引用) 「皆さんはこちらへ来られる前、ドイツを訪れて学者を作る教育は充分ご覧になったはずですが、ここではどうか人間を作る教育をみていただきたい」

 
 さて、話は変わって、第二次大戦開戦期の日本の世情について。

 開戦直後、日本は緒戦の勝利に沸き立ちました。当時の日本指導者層は、開戦すべきか否かの冷静な状況判断を行なったのではなく、「ともかく判断する」ことによる「思考の停止・迷いからの逃避」を選んだのです。

 
(p130より引用) 京大教授の中西さんが、ギリシャの歴史家ポリュビオスの言葉を教えてくれた。ポリュビオスによれば、物事が宙ぶらりんの状態で延々と続くのが人の魂をいちばん参らせる。その状態がどっちかへ決した時、人は大変な気持ちよさを味わうのだが、もしそれが国の指導者に伝染すると、その国は滅亡の危機に瀕する。・・・さらにつけ加えて、中西教授が言うには、
「この言葉、近代の英国では軍人も政治家もよく取り上げる決り文句。英国のエリートは、物事がどちらにも決らない気持ちの悪さに延々と耐えねばならないという教育をされている。世界史に大をなす国の必要条件ということです」。

 
 「大人の判断」を可能とする教育、「叡智」を身につけさせる「大人を作るための教育」です。

 しかし、このような「叡智」は、古くから東洋においても重んじられていました。
 「温故知新」。有名な論語の教えです。

 
(p189より引用) 吉川幸次郎先生・・・その人の『論語』・・・に、次のような解釈が出ている。
「温とは、肉をとろ火でたきつめて、スープをつくること。歴史に習熟し、そこから煮つめたスープのような知恵を獲得する。その知恵で以って新シキヲ知ル」-。
 まさに東洋古代のwisdomそのものではありませんか。

 
 本書は、阿川氏86歳のエッセイですが、ご本人も「序に代えて」で、「老文士の個人的懐古談」だと称されています。
 今のご時世、老成された一言居士のお考えを聞く機会もめっきりなりました。もちろん、すべて首肯できるものばかりではありませんが、なかなか興味深いお話が数多くありました。
 
 

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幕末史 (半藤 一利)

2009-06-20 18:20:16 | 本と雑誌

Tokugawa_yoshinobu  あとがきによると、本書は、慶應丸の内シティキャンパスの特別講義の内容をまとめたものとのことです。話しかけるような語り口で、半藤氏流の幕末から明治初期の歴史が語られます。

 まず始めは黒船来航

 嘉永6年(1853)のペリー来航は、当時の鎖国体制を大いに揺るがすものでしたが、その議論過程が、意外な連関を辿って幕府の終焉にも影響を与えました。

 
(p55より引用) 幕府がそれまでの方針を変えてあらゆる人間に意見を求めたことが、のちのち尊王論にたつ幕府批判に、あるいは攘夷のイデオロギーに基づいた幕府批判へと繋がってゆき、尊皇攘夷の大議論、そして騒動がはじまるのです。

 
 また、この意見募集にはおまけの効果がありました。
 募集に応じた意見書の中には、当時31歳の勝隣太郎のものもあったのです。このときの意見が幕閣の目に留まり、その後の幕内要職への抜擢につながっていったのです。

 半藤氏は、幕末の思想の盛衰の危うさを指摘しています。特に「攘夷」についてです。

 
(p138より引用) 「攘夷」「攘夷」と言っていますが、では下級武士や浪人たちはいったいどのような理論構成のもとに攘夷を唱えたのか、当然問題になるわけです。が、正直申しまして、攘夷がきちんとした理論でもって唱えられたことはほとんどなく、ただ熱狂的な空気、情熱が先走っていた、とそう申しあげるほかはない。時の勢いというやつです。・・・テロの恐怖をテコに策士が画策し、良識や理性が沈黙させられてしまうのです。むしろ思想など後からついてくればいいという状態だったのではないでしょうか。いつの時代でもそうですが、これが一番危機的な状況であると思います。

 
 この「攘夷」に見られる熱狂の先走りが、再び昭和の時代に登場し、日本を大きな悲劇に導いたのでした。

 さて、そのほか、本書で語られた半藤氏の興味深いコメントをいくつかご紹介します。

 第一に、坂本龍馬の暗殺事件についてです。
 半藤氏は、近江屋での龍馬暗殺の黒幕は、薩摩の大久保利通だと推理しています。

 
(p269より引用) 龍馬はいまや武力倒幕などとんでもない、大政奉還をして徳川家が一大名に下がったのであれば、これからの日本は「船中八策」のように万機公論に決すべし・・・と今日の政治形態のようなことを考えています。ここで戦争をやるべきではないとさかんに主張しています。・・・つまり、権力を武力によって勝ち取ろうと意図している薩摩にとっては坂本龍馬は邪魔なんです。とんでもなく面倒くさい男なんです。

 
 第二は、幕府側の主役勝海舟に関する半藤氏の評価です。
 鳥羽伏見の戦いの後、江戸に逃れてきた徳川慶喜から万事を託されたのが、氷川に下がっていた勝海舟でした。

 
(p289より引用) 幕末にはずいぶんいろんな人が出てきますが、自分の藩がどうのといった意識や利害損得を超越して、日本国ということを大局的に見据えてきちんと事にあたったのは勝一人だったと私は思っています。

 
 第三は、薩摩の大久保利通についてです。
 薩摩といえば、西郷隆盛ですが、政治の舞台では大久保利通の方が一枚上だったようです。
 版籍奉還から廃藩置県という大変革を経て、明治4年(1871)に「岩倉使節団」が欧米諸国の歴訪の途に着きました。その留守中、西郷隆盛は、徴兵制・地租改正と矢継ぎ早に新制度を導入します。そして征韓論。
 岩倉らが帰国し征韓論は頓挫します。敗れた西郷の後、大変革後の政治の実権を握ったのは大久保利通でした。

 
(p427より引用) 生まれつきの政治家っていう人物がいる、その典型が大久保なんですね。・・・政治的な剛毅果断さ、決めたら確固として動かないところ、だれも大久保の足もとに及びません。

 
 そして最後に著者は、戊辰戦争以降明治初期の10年間をこう位置づけます。

 
(p462より引用) 戊辰戦争のつづきといえるこの明治の権力をめぐってガタガタした十年間は、古代日本人的な道義主義者の西郷と、近代を代表する超合理主義の建設と秩序の政治家大久保との、やむにやまざる「私闘」であったといえそうです。

 
 

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星界の報告 他一編 (ガリレオ・ガリレイ)

2009-06-17 22:38:28 | 本と雑誌

Galileo_telescope  ガリレオ・ガリレイ(Galileo Galilei 1564~1642)は、ご存知のとおりルネサンス期のイタリアの物理学者・天文学者です。

 彼は、倍率32倍の手作りの望遠鏡で、木星の4衛星・月の山谷・天の川の正体等、多くの重大な天文学的発見をしました。

 本書は、それらを発表した著書と太陽の黒点に関する書簡の全訳です。

 
(p13より引用) この小論においては、自然研究者の観察と思索とに対して、まことに重要な問題が提起される。主題そのもののすばらしさのゆえに、過去の時代に耳にしたことのない新しさのゆえに、この問題そのものをわたしたちの感覚に示した器械のゆえに、わたしは重要だというのである。

 
 ガリレオの考察は、観測による事実の開陳に止まりませんでした。
 一歩踏み込んで、精緻な観測結果から対象の実像を推論しようとしたのです。

 
(p29より引用) 月のより明るい表面には、いたるところに隆起やくぼみが散在している。・・・あとは地上の凹凸が月のそれより遥かに小さなことを示し、その規模に言及すれば足りる。しかも、小さいというのは、みかけの球の大きさのわりにというのではなく、絶対的な大きさにおいてである。このことを、つぎにはっきり証明しよう。

 
 この記述の後、観測データを元に初等幾何学を使って月面上の山の高さを割り出し、それが地球上の山よりもはるかに高いことを証明しています。

 さて、有名なエピソードですが、ガリレオは地動説を唱え、当時のカトリックの教義と衝突しました。

 
(p35より引用) 地球は運動と光とを欠如しているという理由で、星の回転から除外しなければならないと主張する人びとがいる。こういう人びとには、・・・地球が遊星であり、輝きにおいて月を凌駕していること、世界の底によどんでいる汚い滓ではないことを示そう。かぎりない自然の理性によって、わたしたちはそれを確認するだろう。

 
 具体的には、太陽と木星およびその衛星との関係を明らかにすることにより、その相似形としての太陽・地球・月の関係を規定したのです。

 
(p72より引用) 四つの星は木星とともに、12年の周期で太陽のまわりを大きく回転している。同時に、地球のまわりの月とおなじく、木星のまわりをも回転している。感覚的経験がこのことを示している。いま、惑星が二つ、太陽のまわりに大きな軌道を描きつつ、同時に、一方の惑星のまわりをほかの一つが回るということが、どうして考えられないのか。

 
 ガリレオは、望遠鏡による観測から得られた事実と論考によって、従来のアリストテレスの学説を否定しました。
 しかし、その学究のプロセスは否定していません。むしろ敬意を払い続けているのです。

 
(p125より引用) 現代まで隠されていた予期せざる驚異からなにかを収穫するには、今後、天空の実体についてアリストテレスとは違ったように考える賢明な哲学者たちに、耳を傾けるのがいいでしょう。アリストテレスそのひとだって、現在の感覚的観測を知っていたら、かれらの考えとそう違いはしなかったでしょう。なぜならかれは、自然の諸問題にかんして結論づけることを可能にする方法として、明白な経験を認めたのみでなく、それに第一の地位を与えたのでした。過去の時代にはそこになんの変化もみられなかったという理由で、かれは天空の不変性を論じているのですから、わたしたちにとっては明白となっていることがらを感覚がかれに示したとすれば、かれは疑いもなく、このような驚くべき発見にもとづいて、わたしたちが考えている逆の意見にしたがうでしょう。

 
 本書から、ガリレオの地道で精緻な観測の足跡とその結果から真の実態を推測する想像力と論理構成力を見て取ることができます。さらには、研究の経緯と結果を平易に伝えるプレゼンテーション能力と忍耐力?を感じることもできます。
 
 

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思想の坩堝 (諸子百家―儒家・墨家・道家・法家・兵家(湯浅邦弘))

2009-06-14 13:19:41 | 本と雑誌

 諸子百家に数えられる儒家・道家以外の思想家についても、興味を覚えた点を記しておきます。

 まずは、墨家です。
 戦国の乱世を憂えた墨子は、「兼愛」「非攻」を説きました。

 
(p141より引用) 『墨子』において武力行使が肯定されるのは「誅」と「救」の場合のみ。この軍事行動だけが「義」として認められるのである。侵略戦争は他者の利益を損ねて自分の利益を図る行為であり、兼愛の理想をもっとも過激に破壊するのである。

 
 墨家は、自己の思想の根本である「兼愛」「非攻」といった「義」に忠実でした。
 しかし、その墨家の「義」は世の中に受け入れられず、にも関わらずその世情に妥協しないという姿勢が、後年、墨家を絶やしたのです。
 ただ、最近の中国では、墨家の守城技術が科学技術の先駆けとされ、墨子も「科聖」として2000年の時を隔てて再度脚光を浴びているようです。

 次に、法家
 法家の思想は、現実的な統治原理として秦の始皇帝に採用されました。

 
(p191より引用) 法による統治は、賞罰を背景として天下中に適用でき、しかも即効性がある。わざわざ賢人が現地に赴く必要はない。凡庸な君主でも、官僚体制という組織にその運営を任せ、自らはその組織の頂点に位置しているだけでよい。

 
 法治と官僚体制は現代にも通ずる統治システムです。
 しかし、法治偏重の体制は、統治される側の「人心」の軽視を招き、悲劇的な終末か制度の形骸化に至ることとなります。

 
(p208より引用) この歴史の教訓をもとに、次の漢代では、儒家が新たな統治理論を提唱した。法家が唱え、始皇帝が実践した「法治」を、皇帝の「人徳」によってコントロールしようという考え方であり、これが、漢帝国によって採用された。春秋戦国時代に見られた「徳治」と「法治」の対立が、結果的に折衷される形となったのである。法治は高く評価されたが、それはあくまで徳治を支える技術としてであった。

 
 最後は、兵家です。
 九流には含まれていませんが、中国古代思想の中では、現在最も広く知られている思想かもしれません。私も「孫子」は、以前、金谷治氏によるものと浅野裕一によるものを読んだことがあります。

 「百戦百勝は善の善なるものに非ず。戦わずして人の兵を屈するは善の善なるものなり」との言に明確に著されているように、孫子の兵法は「戦わずして勝つ」ことを最善と考えます。
 その成否を握るのが「用間篇」で説かれている「情報」です。

 
(p246より引用) 『孫子』は、戦争が国家経済に深刻な打撃を与えると考えた。だからこそ、戦う前に敵情を充分に把握し、戦いの成否を的確に予知している必要があるという。
 ・・・『孫子』は・・・神秘と迷信をいっさい避ける。「先知」は、人間の知性によってのみ可能となる。具体的には、間諜による情報の収集活動と、それに基づく冷静な情報分析である。この合理性が、『孫子』を貫く最大の特色となっている。

 
 近年発見された多くの古代資料は、従来の定説の不確定であったところを、史実をもって埋めていきました。
 また、同時に、単線的に考えられていた思想発展の流れにも多様なバリエーションがあったことも明らかにしていきました。

 2000年から2500年も前に、これほどまでに多種多彩な思想の華が咲いていたという歴史は素晴らしいですね。
 
 

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道家 (諸子百家―儒家・墨家・道家・法家・兵家(湯浅邦弘))

2009-06-13 14:32:56 | 本と雑誌

Roushi  老荘思想関係では、ちょっと前に「タオ・マネジメント―老荘思想的経営論」という本を読みましたが、本書はストレートな思想の概説です。

 道家の思想は、無為自然、無欲などの虚無を道の基としました。
 ただ、この基本的コンセプトである「道」に関して、老子と荘子での考え方の相違が見られます。

 
(p179より引用) 天地万物が生ずる以前、そこには宇宙の母たる何ものかが存在していた。・・・
 そして、老子は、この道の姿を理想として、処世のあり方を説く。・・・俗世の中におけるさまざまな智慧を説くのである。
 一方、荘子は、相対的な価値観に彩られたこの世のすべてを受け入れるという超俗的な態度をとる。自らは価値判断を下さず、世界の実相をそのまま認めていくというのである。だから、荘子にとって、「道」とは、この世のすべてである。

 
 老子と荘子では「道」の意味づけが異なるのです。

 ただ、いずれにしても、そこには儒家的な世俗の価値基準は存在しません。「世俗的な価値観」は否定されています。
 世俗的な価値観を否定するにしても、老子と荘子では否定・批判する際の姿勢は異なっていました。

 
(p175より引用) 『老子』も、世俗の人間の価値観が世界の実相から外れていると批判した。しかし、批判する自分自身には批判の矢は向けられなかった。一方『荘子』は、自分自身を含む人間全体に批判の網をかぶせてしまったのである。これを脱出する手段は、言葉によらない超越的な方法、つまり「明」という悟りの境地である。のちに中国に伝来した仏教、とりわけ禅宗が、『荘子』の思想を助けとして受容されたのは、こうした点にも一因がある。『荘子』における「明」と禅宗における無言の悟り、この両者は強い共通性を持つ。

 
 荘子においては、「胡蝶の夢」で語られているように、「判断の相対化」が説かれるのです。

 さて、漢の武帝によって儒教が国教化された後、諸子の思想は次第に廃れてしまいますが、道家思想だけは、ある意味儒教のアンチテーゼとして後年に渡り生き残りました。

 
(p182より引用) 儒家の思想は、きわめて人間的である。どんなに歴史をさかのぼっても、せいぜい、古代聖王の堯・舜までであり、しかもそれら古代聖王によって築かれた文明を高く評価する。
 しかし、道家の思想は、人間の誕生や活動が、むしろ宇宙の根源的状態を乱してしまったのではないか、という文明批判的側面を持っている。その思想は、他の諸子百家に比べてはるかに巨視的であるといえよう。

 
 

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儒家(諸子百家―儒家・墨家・道家・法家・兵家(湯浅邦弘))

2009-06-09 22:49:59 | 本と雑誌

Koushi  古代中国、春秋戦国時代(前770~前221年)に活躍した多くの思想家たちを諸子百家といいます。
 この諸子百家を「漢書」の芸文志では九流十家に分類しています。九流とは、(1)儒家、(2)道家、(3)陰陽家、(4)法家、(5)名家、(6)墨家、(7)縦横家、(8)雑家、(9)農家の9つです。

 本書では、九流の中から、儒家(孔子・孟子)、墨家(墨子)、道家(老子・荘子)、法家(韓非子)、兵家(孫子)、さらに孫子を加えた思想の概要を解説しています。
 特に、1990年代に発見された古代文献からの新たな事実も踏まえている点が特徴的です。

 それぞれの思想家は、自らの理念を現実政治に具現化すべく諸侯に政策具申をし続けました。

 
(p77より引用) 孔子自身は、「従政」への強い意欲を持ちながら、一国の命運を左右するような「従政」者の地位につくことはついになかった。しかし、孔子集団にとって、彼らの理想を実現するもっとも重要な方法の一つは、彼ら自身が「従政」者となり、国政に参画していくことであった。

 
 儒教の祖 孔子の思想は、人間を多角的に捉えた包括的思想で「中庸」を旨としたものでした。

 
(p89より引用) が外側から人間を規制し、その形式によって人の美を追求するものであるのに対し、は、人間のもっとも素朴な心情を、あらゆる道徳の基礎として重視するものである。・・・
 つまり、孔子の思想には、外なる礼と内なる孝という二つのまなざしがある。一方に偏らない総合性が、孔子の思想に奥行きを与えているといえる。

 
 孔子には、この「二つまなざし」のバランスをとる懐の深さがありました。

 しかし、後年、この孔子の思想を継承していく過程で、その総体は変形していきました。弟子たちは思想の総体を引き継ぐことができず、包括的思想のある側面を強調する形で伝えていったのです。

 
(p93より引用) 孔子の思想は、弟子門人たちの興味関心に沿って、分割伝承されていった。

 
 子夏、子游、荀子のグループは「礼」を尊重し「外面性」を重視しました。
 他方、主流となったグループは、「孝」を強調した曾子、孔子の孫の子思から孟子につながる系統でした。

 
(p91より引用) この系統の弟子門人たちは、孔子の思想のうちの、特に内面性を重視し、それを「孝」や「中庸」や「性善」といったキーワードで展開していったのである。

 
 この系統の代表が「性善説」で有名な孟子です。

 
(p111より引用) 孟子は・・・まずは、人の本性が善であるという「性善説」を主張する。
 ・・・人間には本来的に、「惻隠の心」、「羞悪の心」、「辞譲の心」、「是非の心」の四つ(四端)が備わっていて、これを発展させていくと、それぞれ「仁」「義」「礼」「智」の道に到達するというのである。

 
 この対抗が、「礼」を重んじ「性悪説」を唱えた荀子です。
 後に、「性悪」を正すための行動規範としての「礼」が「法」と同義となり、荀子の弟子に「法家」の韓非子や李斯が連なったのでした。
 
 

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雑種植物の研究 (メンデル)

2009-06-07 15:56:13 | 本と雑誌

Mendel  メンデル(Gregor Johann Mendel 1822~84)は、「遺伝の法則」の発見者として有名ですが、本来の顔は修道士です。研究の場も修道院が中心でした。

 本書は、その遺伝の法則を発表した論文の全訳です。

 さて、この論文ですが、発表された当時はほとんど注目されなかったそうです。本書の巻末の解説で、訳者の岩槻氏はこう説明しています。

 
(p107より引用) 刊行されても生物学会で評価されることがなかったこの論文は、・・・数量的な検討を含め、極めて科学的な論証で一貫している。19世紀中葉の生物学は、よい意味でも悪い意味でも博物学に徹底していた。数学的論理に従った現象の解析には、研究者は慣れていなかった。だから、当時第一線で研究を行なっていた生物学者にとってさえ、この論文は時代を少し超えすぎており、理解が届かなかったのではあるまいか。

 
 メンデルも論文の序言において、本研究の意義と従来の研究との違いについて言及しています。

 
(p9より引用) これまで行なわれた多くの実験の中には、雑種の子孫に現われる種々の型の数を決定したり、各世代における雑種の型を適確に整理し、雑種の型の相互の比の値を確定できるような範囲や方法を用いて行なわれたものが1つもないことである。それほど広い範囲まで包含する研究にとりかかることは、とにかくかなりの勇気を必要とすることである。しかし、それが生物の進化の歴史にとって重大な意味を有する問題を最終的に解決できる、唯一で正当な道であるように思われる。

 
 日の目を見なかった「メンデルの遺伝の法則」は、19世紀と20世紀とのまさに境の1900年に、ド・フリース、コレンス、チェルマクの3人により再発見されました。
 メンデルの研究は、その発見した法則自体の重要性に加え、生物学研究の方法論においても大きな変革をもたらしたのでした。

 
(p112より引用) 19世紀の生物学は、現象の記載に手一杯で、その向こうにある普遍的な原理に迫る準備はできていなかった。・・・20世紀の生物学は、だから、物理化学の思考法に従って、生物の示す多様な現象から、それを支配する生命の普遍的な原理を追求する方向での研究に邁進することになった。

 
 従来の博物学から自然科学への質的転換です。

 メンデルは、数多くの地道な実験結果の積み上げをもとに、その中から普遍的法則の発見に努めました。そして、発見された普遍的法則は、文字記号を使ったシンプルな記述で説明されます。
 この法則の表現方法の点でも、メンデルは大きな貢献を果たしているのです。

 
(p104より引用) 遺伝を支配する因子と推定したもの(現在のゲノムに相当する)をA,B,a,bなどの単純な記号で表記する方法を案出したことも、その後の遺伝学の発展に絶大な貢献となるものだった。

 
 記号での表記は、以下の引用にあるような一見法則の非適用例を見なされそうな事象についても、論理的かつ簡明な説明を可能としました。

 
(p57より引用) 色の形質については、エンドウ属の場合と完全に一致していると結論づけることは難しい。たとえば、白色と紫紅色の交雑の結果では、紫紅色から薄紫色や白色までの種々の色がでるうえ、花の咲いた31株のうち、ただ1株だけが白色、すなわち劣性の形質をもっているというのも注意を惹く結果である。エンドウ属では平均4つに1つが劣性形質であるというのと、明瞭に異なっている。
 しかし、一見奇妙なこの現象も、つぎのような仮定によって、エンドウ属と同じ法則で説明できる。すなわち、ベニバナインゲンの花や種子の色は、それぞれ2つあるいはそれより多い相互に独立の色が組合わさってできているものであり、植物の他の不変の形質と同様に1つ1つが独立の形質のように行動すると考えるのである。

 
 本書に採録されているメンデルの論文で明らかにされた遺伝の法則は、高校の生物の授業でも御馴染みのものです。
 遺伝子の構造や交配のしくみを知っているものからすると、メンデルの実験は「夏休みの自由研究の発展形」ぐらいにしか思えないかもしれません。

 しかしながら、「法則を知っていて実験結果を評価する」のと、「実験結果から(あるかないかも分らない)普遍的法則を導き出す」のとでは、本質において天と地ほどの絶対差があるのです。
 
 

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共創への気づき (世界の知で創る―日産のグローバル共創戦略(野中郁次郎・徳岡晃一郎)

2009-06-06 14:47:45 | 本と雑誌

 欧州はある意味、米国以上に自動車王国です。各国の自動車会社は、それぞれの国のニーズを反映した個性的なクルマで市場を押さえています。
 そういう中で日産は新参者でした。アメリカのとき以上に条件の厳しい欧州に進出する際も、エンジニアは現地の人材を最大限活用しました。

 独自日本流の暗黙知主導の開発スタイルをNETC流に再構築していくうちに、英国側エンジニアからの有益な気づきが生れてきました。

 
(p136より引用) 「グローバルに開発するためには最低限の形式知は必要なのです」。そしてチームワークと現場重視で暗黙知を伝え合い、官僚主義に陥らずにスピーディに開発を進めていくやり方を模索していった。

 
 また、上流・下流の工程の壁をつくらない検討方式も、スムーズな開発推進に大きく寄与しました。

 
(p136より引用) 「フレームワークをみなでワイワイガヤガヤと検討することに価値があるのです。マニュアルのようになってしまったものでは生きてこない。フレームワークを考えるプロセスでみなの知恵が出ます。またフレームワークだけであれば、その都度、中身をどうするべきかを発展させられます。マニュアルでは固まってしまうのです」

 
 こういったワイガヤの検討が機能するには、メンバ間の関係性の濃さがその前提条件として必要となります。

 
(p189より引用) すり合わせにおいては、一緒に仕事をするメンバーの「関係性」が重要になる。参加するメンバーの①暗黙知の質、②その共有度合、および③どのような方向で知をすり合わせるのかの文脈、この三つを総称して「関係性」という。

 
 この濃密な関係性に基づく知恵の綜合は、これからの市場で求められる商品作りの大きな力となります。
 著者たちは、「モノづくり」から「コトづくり」というキーワードで今後の市場の動きを指摘しています。

 
(p190より引用) デザイン、ソフト、サービスなどを総合してモノに込め、消費者にその商品を使用する場面の価値を訴え、ストーリー性や意味づけを与えるような、経験価値の創出を「コトづくり」という。

 
 高くても買いたくなるようなワクワク感のある商品です。
 そういった「コトづくり」を重視すると、市場との対話力が益々重要になってきます。

 
(p192より引用) これまで重要であったモノづくりのすり合わせの次元を超えて、「コトづくりの面での知の綜合」が必要になる。

 
 著者たちは、本書で、日産の「グローバル開発体制」の構築を材料に「日本発のグローバル知識綜合のしくみ」を提唱しています。

 
(p194より引用) アメリカ流の透明性を求める風土と、欧州流のきちんとしくみ化する気質が、日本のNTCの多分に曖昧で暗黙知的なしくみを鍛え、グローバルに共有できるものに普遍化することに役立った。

 
 この「知識綜合」は、「ほどよい形式知化」でプロセスの大枠を規定し、「濃密な信頼関係」の中で暗黙知の共有による共創を生み出していきました。

 
(p204より引用) この「ほどよい形式知化」と「濃密な関係性づくり」というエンジンが日産流のプロセスとして、埋め込まれたことにより、グローバル知識綜合は起動していった。・・・日産が構築した知の綜合化のエンジンとは、とりもなおさず、世界中の「多様な知」を手に入れ、それをマネジメントしきる「多様性のマネジメント力」に他ならない。

 
 本書で取り上げた日産のグローバル開発体制の構築の取組みは、ひとつの「日産ウェイ」の発現でした。
 それを著者たちは、「思いのある実践主義(思いとプラグマティズムの融合)」と名づけています。

 
(p209より引用) 合理的発想と自然な判断で、方向や道筋を決めたら、後は実践あるのみだ。・・・
 実践から得られる暗黙知を通じて、計画を微調整しながら一歩ずつ大きな思いに迫っていく。

 
 思いをひとつにして「走りながら考えるプロセス」です。

 ここでのポイントは、まずは「走り出す方向」です。これを定めるための基準は「合理性」という尺度です。
 そして、スタートは「現場」です。常に現場と向き合って諦めることなく成功するまで喰らいついていく姿勢。
 こういう行動様式は以前から日産にはあったといいます。山下氏がNTCNA社長在任中に4原則としてまとめ、その発展形が現在、開発部門の日産ウェイとして形式知化しています。

 最後に、本書は、「知識創造」という観点から日産の事例を研究したものですが、同じような問題意識でトヨタを分析した「トヨタの知識創造経営」という本もあります。
 
 

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譲れないこと (世界の知で創る―日産のグローバル共創戦略(野中郁次郎・徳岡晃一郎)

2009-06-05 21:53:45 | 本と雑誌

 日産とフォードの共同開発体制の構築は、当初の想定以上に困難なものでした。それぞれの会社での開発スタイルがあまりにも異なっていたのです。

 共同開発を進めるためには、開発手法をひとつに整理する必要があります。
 どちらのやり方に合わせるのか。「フロントライン」の仕事として、「アメリカで作ってアメリカで売る車なのだから、アメリカ人のセンスを重視しよう」としたところもあれば、日産ウェイを貫徹したところもありました。

 フォードでは、上流の開発・設計工程と下流の製造工程の関係が明確です。
 それぞれ工程の独立性が高く、権限や責任がキチンと規定されています。そして、上流の開発部門がイニシアティブを取り、両プロセスのインタフェースを規定します。
 他方、日産の方法は全く異なります。

 
(p50より引用)一方、日産に限らず日本の自動車メーカーでは、生産技術部門が開発部門とバランスの取れた権限を持ち、生産技術部門の技術者が開発の初期段階から介入して、開発技術者と一体となって、加工・組み立てなどのつくり込みの品質や生産性を加味した開発・設計が進められる。これは下流工程の生産技術者が上流に遡り、開発技術者と一緒に開発を行うことで、後工程(生産)の齟齬や不具合を少なくしようという日本流のフロントローディングの実践である。これがいわゆる「サイマルテニアス・エンジニアリング」と呼ばれる日本方式だ。

 
 NRDでの開発は、この日産型の「サイマルテニアス・エンジニアリング」方式を基本にして進められました。
 この方式が現地のエンジニアに理解されるまでには、数ヶ月の時間が必要でした。しかしながら、このこだわりは「いいクルマづくり」という共通の目標に向かったものでした。

 NRDの開発トップの上級副社長だった大久保宣夫氏のQCDについての信念です。

 
(p64より引用) 「QSD(品質・コスト・納期)はどれも大切だが、Q(品質)があってこそのC(コスト)とD(納期)である」といって、いかなる理由があろうと品質で妥協することを許さなかった。「いいクルマづくり」にこだわったことが結果的に幸いした。

 
 NTCNA(元NRD)は、タイタン・アルマーダ・インフィニティQX56等、次々と現地開発した車種を市場に送り出しました。
 現地開発組織としてはひとり立ちを果たしましたが、2000年、NTCNA社長の山下光彦氏は、次のステップアップに向けた問題を以下のように捉えていました。

 
(p98より引用) これからNTCNAが真に飛躍していくためには、どんな修羅場が来ようとも、守らねばならないものがある。それが品質、コスト、技術水準、マネジメントなどの組織の基礎能力である。これらがきちんとできなくては、火事場のバカ力で、一過性の商品開発はできるかもしれないが、長期的な商品性や収益力という観点、すなわち持続可能な成長力の観点では不安が残る。底力を組織知として整理し、ストックしなくてはならない。

 
  持続的に成長するための「組織の基礎力再構築」です。
 
 

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共創 生みの苦しみ (世界の知で創る―日産のグローバル共創戦略(野中郁次郎・徳岡晃一郎)

2009-06-02 22:03:40 | 本と雑誌

 日産といえば、カルロス・ゴーンの「リバイバルプラン」によるV字回復が有名ですが、それ以前から、将来を見据えたグローバル開発体制確立への壮大なチャレンジを行っていました。

 本書は、その現地開発プロジェクト立ち上げの足取りを追いながら、その成功要因を「知の共創」という観点から解き明かそうとしたものです。

 第一章の舞台は、アメリカのNRD(日産リサーチ・アンド・ディベロップメント社)です。

 開発拠点の立ち上げにあたっては、原則現地のエンジニアを活用するとの方針から、多くのアメリカ人エンジニアを採用しました。
 しかし、アメリカ人エンジニアの経験してきた仕事は、予想以上に細分化されていました。

 
(p30より引用) 実際、アメリカ人エンジニアたちは、NRDで働き始めて、「アメリカでは10人で1個の部品を担当するのが当たり前だったのに、日産では1人で10個の部品を担当している」ことに驚いた。これは、生産性が高い低いの問題ではない。仕事のやり方の問題だ。しかし、仕事のやり方の違う日米のエンジニアが混在する状況では、たちまち組織の生産性の問題になってしまう。

 
 アメリカ人エンジニアも大いに驚きましたが、日本人側にも、自らに染み付いたやり方についての重要な気づきがありました。

 
(p32より引用) 日本人技術者たちはアメリカ人技術者に日産流の開発のしかたを理解してもらうプロセスを通じて、意識もしないでいた「言わずもがな」の暗黙知に頼っていたことがいかに多いかに気づかされた。それを頭の奥のほうから引っ張り出して形式知化する。一方で、実際に説明をしようと思うと、実ははっきりと決まっていないのに決まっていたことのように思い込んでいたことや、わかり合っていたはずの日本人同士でも互いに理解の異なっていたことにも気づかされた。

 
 1989年にNRDにダイレクターとして赴任した今井英二氏(のち日産常務執行役員)による、「日本流のファジーな暗黙知の共有状態の弊害」に関することばです。

 
(p40より引用) 「仕事上の重要なポイントは本来、役割の境界の取り合いや調整にあるのではない。それぞれの分担の中での業務の深みのほうがより重大な問題だ。調整に気を取られるあまり、本来追求すべき深みを疎かにしてしまいかねない。そういう意味で、役割分担を自覚できる欧米流の組織体制を学べたことは、有意義なことだと思った」

 
 日米の仕事やり方についての大きな相違は、双方が「よいとこ取り」をする方向で、「共創のプロセス」として止揚されていきました。

 
(p49より引用) 異なる会社が一緒に自動車の開発・製造を行うには、それぞれの文化や伝統、暗黙知や価値観などのさまざまな違いゆえに多くの障害が生まれる。このようなぶつかり合いを通じて、お互いに当たり前と考えていたことを振り返り、それを乗り越えていく過程で初めて、双方にとって何が大事なのかも見えてくる。こうしたコンフリクトこそが気づきや共創のための重要な最初のプロセスになった。

 
 

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