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申し訳ない、御社をつぶしたのは私です。 (カレン・フェラン)

2014-12-29 09:21:13 | 本と雑誌

 なかなか刺激的なタイトルに惹かれて手に取った本です。

 著者のカレン・フェラン氏は、デロイト・ハスキンズ&セルズ、ジェミニ・コンサルティングなど大手コンサルティング会社で経営コンサルタントとしてキャリアを積んだ方ですから、その内容のリアリティには、大いに期待して読んでみました。

 著者のジェミニ・コンサルティング時代。


(p91より引用) 私が入社したころのジェミニが素晴らしかったのは、方法論は人びとが連携して働くようにするための道具にすぎなかったことだ。それなのに、いつのまにか人びとが連携して働くことより、方法論のほうが重要視されるようになってしまったのだ。


 プロセスリエンジニアリングを得意とするジェミニは、当初においては、そのプロセスを実際に動かしている「人」が改善のKeyであることに気付いていたわけです。
 しかしながら、組織が大きくなると手法の標準化を求める動きが強まり、結果、画一的な標準ツール化が進んでしまうのです。「ツール」に当てはめることが目的化し、個々の現場のディテールが捨象されてしまうと、真の問題点の解消は不可能になります。


(p100より引用) 人間は道具を使うのが好きだ。だからこそ文明を築くことができた。危険なのは、ツールそのものを解決策と勘ちがいし、ツールさえあれば関係者が連携しなくてもうまくいくと思ってしまうことだ。


 ツールは、問題点の探求や整理には役立つものですが、それから演繹的に解決策が導かれるものではありません。ましてや、解決に向けたアクションは、ツールとは別世界のものです。


(p100より引用) 運がよければ、コンサルタントの分析も当たるかもしれない。けれども、そんなことに骨を折るくらいなら、現場の関係者の話を聞き、みんなで協力してクリエイティブな方法で問題を解決することができるはずだ。・・・
 関係者全員で取り組みもせずに、ビジネスの問題を解決できると約束するようなツールや方法論やプログラムや取り組みは、ことごとく失敗する。・・・業務オペレーションを改善するには、関係者全員を巻き込んで一緒に取り組むしかない。それさえできれば、どんなツールや方法論を用いるかは、たいした問題ではない。人間こそ問題の原因であり、解決の手立てなのだ。


 まさに、そのとおりです。

 もうひとつ、コンサルタントがクライアントにアドバイスする事項としてよく見かける「マネジメント手法」を取り上げたくだりです。
 多くビジネス書は、一様に「企業・組織運営におけるマネジメントの重要性」を論じています。それこそ多種多様・微に入り細を穿った「マネジメントモデル」が氾濫していますが、著者はこれらのアンチテーゼとして、自らの実体験に基づくマネジメントの要諦をシンプルに4つ挙げています。


(p191より引用)
①気にかけていることを態度で示す
②伝わるように伝える
③臨機応変に、柔軟に、すばやく対応する
④先手をうつ


 これだけです。これらの説明の中で、私が特に興味深く感じたのが「先手を打つための具体的方法」でした。


(p193より引用) 何をいつまでにやるべきかをしっかりときめ、その情報をチーム全員で共有する


 このこと自体は極く当たり前のことですが、ただ、これが「先手を打つために不可欠」という視点には気づいていませんでした。
 普段からの「情報の共有化」により、チームメンバは何か課題に直面した際に後手を踏むことなく、自らの判断でチームとして目指す方向性を意識したアクションがとれるというわけです。

 さて、本書を読み通しての感想ですが、本書は決してコンサルティング業界の裏側をスキャンダラスに描いたものではありません。コンサルティング会社の実態を理解したうえで、有益なコンサルティング会社との付き合い方をアドバイスしてくれているです。

 たとえば、M.ハマーの「リエンジニアリング革命」で説いている内容を紹介しているくだりでは、著者はこう語っています。


(p92より引用) 対処方法や手順を示すことと、失敗例や問題点を示すことのちがいは、前者は読者の考え方を狭めるのに対し、後者は考え方を広げる点にある。


 コンサルティング会社のステレオタイプの方法論を鵜呑みにするのではなく、彼らからの外部情報をインプットとして、直面している課題に対する対処法や解決策を「自らの頭で考えること」、その重要性を、著者は繰り返し指摘しているのです。
 

申し訳ない、御社をつぶしたのは私です。
神崎 朗子
大和書房
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昆虫はすごい (丸山 宗利)

2014-12-23 09:16:11 | 本と雑誌


 新聞の書評欄でみて気になった本です。

 地球上の生物種の大多数を占めるのが「昆虫」なのだそうですね。


(p15より引用) ある熱帯地域の調査では、アリだけの生物量(バイオマス=そこに住んでいる全個体を集めた重さ)で、陸上の全脊椎動物・・・の生物量をはるかに凌駕することがわかっている。


 著者の丸山氏は、昆虫の多様性の研究では第一人者とのこと、本書において、驚くべき昆虫の不思議をこれでもかと紹介してくれています。

 たとえば、私が最も不思議に思っている“擬態”のプロセスについてですが、著者の見解はこうです。


(p55より引用) ヒト以外の生物も模倣する。・・・しかし、ヒトが「これをまねよう」と思って何かをまねるように、個体が何かを見て変化をするということはない。
 そう思ったに違いないと信じてしまうくらいに、よくできていることもあるが、ヒトのまねと異なるのは、それが生物個体の意思によるものではなく、突然変異と自然選択の膨大な積み重ねによる進化の結果という点である。


 つまり、偶然がトリガーで選択により生存確率が高まる方向に収斂していった結果だというのです。気が遠くなるような遠大な道程ですね。

 さて、本書を一貫している著者の主張のエッセンス、すなわち「私たち人間がやっている行動や、築いてきた社会・文明によって生じた物事は、ほとんど昆虫が先にやっている。狩猟採集、農業、牧畜、建築、そして 戦争から奴隷制、共生まで、彼らはあらゆることを先取りしてきた。」という指摘はとても興味深いものです。そして、それは、本書で紹介されている昆虫たちの姿を見れば確かにと大いに首肯できるところです。

 たとえば「農業する」との項での「ハキリアリ」の生態。
 ハキリアリは、木の葉を切り取り巣に持ち帰って、そこに「菌」を植え付けます。ただ、その菌園は放っておくと雑菌が増えて壊滅状態になります。そこでハキリアリは、なんと” 農薬” を使うのです。


(p146より引用) ハキリアリの胸部には特別な共生バクテリアが付着しており、それが余計な微生物の成長を抑える抗生物質を分泌している。その抗生物質は共生圏には影響を与えないので、効率的に栽培を行うことができる。
 この方法は、・・・悪いたとえだが、ごく最近開発された悪名高き農法、雑草を枯らす除草剤をばらまき、そこに除草剤に耐性のある遺伝子組み換え作物を栽培する最新鋭の農法と原理的に非常に似通っている。


 もうひとつインパクトがあったのは、昆虫の世界での”奴隷制”の存在です。ここで「奴隷を使う」というのは” 寄生” の一形態でもあります。


(p171より引用) 寄生という言葉を聞くと、・・・他者の体に棲みつくものを想像するが、それだけではない。寄生というのは、複数(通常は二つ)の生物の共生関係において、利益が片方に偏る場合をいう。・・・
 生物が自分の労力をいかに抑えて利益を得るかと考えたとき、もっとも合理的な方法は寄生である。寄生性が非常に多くの生物で独立に進化し、そのような生物が今日まで生き延びていることを考えると、寄生という生活様式がいかに適応的な選択肢であるかがわかる。


 幼虫や蛹を略奪して奴隷とするケースもあれば、宿主の巣に乗り込んで乗っ取るケースもあります。ただ、乗っ取りに失敗して返り討ちにあう場合も少なくないようで、やはり双方の生存を賭けた厳しい世界ではありますね。

 最後に、本書の中で最も驚いたこと。著者が支持する分類法によると「カマキリ」は「網翅目」に分類され、ゴキブリやシロアリなどと同類とされていることでした。だいぶイメージは違いますよね。

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弱者の戦略 (稲垣 栄洋)

2014-12-14 09:52:21 | 本と雑誌


 新聞の書評欄を見て興味をもったので読んでみた本です。

 「弱者」に焦点を当てた視点は斬新で、多くの新しい気づきを得ることができました。

 自然界は「弱肉強食」の世界だと言われますが、現実的には「弱い」とされる生物も数多く生存しています。


(p53より引用) 弱者と呼ばれる生物は、数が多い。そのため、常に多くのオプションを用意し、多くのチャレンジをしている。だからこそ、環境の変化に対して強い。


 数が多いと“突然変異”の可能性も高まり、多様な強みをもった個体が現出します。こういった種が、環境の変化による種の絶滅から逃れ生き残っていくのです。

 また、生き残るための弱者の基本戦略のひとつに「ずらす」という方法があります。


(p64より引用) 条件が良いところは、競争が激しい。競争を避けて、「ずらす」ということは、少し条件の悪いところへ移ることなのだ。
 弱者にとって、チャンスは恵まれているところにあるのではない。少し条件の悪いところにこそ、チャンスがあるのである。


 場所をずらす、時間をずらす・・・、もちろん、ずらした環境で生きていくためには、知恵と工夫が必要です。

 この知恵と工夫という点では、第八章「強者の力を利用する」で紹介されている数々の“擬態”の例は、とても興味深いものでした。
 コノハチョウやナナフシといった有名なものはもちろんですが、“アリグモ”には仰天です。頭胸部にくびれをつけたり、8本の足のうち、前2本を触角に似せたりと、ここまでやるかという感じですね。どういうプロセスで“擬態”が完成されるのか、自然界・生物界の大いなる不思議と言わざるを得ません。

 さて最後に、本書の「あとがき」での生物の進化、その中での人類の立ち位置の総括は目から鱗の指摘でした。


(p168より引用) 地球に危機が起こるたびに、命をつないだのは、繁栄していた生命ではなく、競争を逃れ僻地に追いやられていた生命だったのである。


 両生類の祖先海から陸に上がったのも、より強い生物の生活圏が汽水域から淡水域へと拡大して来たことに対応した「生きるために逃れ逃れていった結果」なのだという考えです。


(p171より引用) 人類の進化をたどれば、私たちは常に弱者であった。弱者は常にさまざまに工夫し、戦略的に生きることを求められる。そして、他の生物がいやがるような変化にこそ、弱者にチャンスが宿るのである。


 変化を受け入れその困難を乗り越えたものは、生存競争を勝ち抜くことのできる「たくましき弱者」なのです。

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後妻業 (黒川 博行)

2014-12-06 22:44:26 | 本と雑誌


 会社の同僚の方から薦められて読んでみました。

 そんなきっかけでもなければ、手に取ることはない作品です。
 ミステリーも数年前、結構はまっていた頃もあったのですが、最近はほとんど読んでいませんし、その中でも「○○賞」受賞作家だからということで作品を選ぶというタイプでもないのです。

 さて、本書は、著者にとって「直木賞受賞」後の第一作目とのこと、ただ著者の場合は、受賞に至るまでに過去数回「直木賞候補」には挙がっていたとのことなので、受賞したからといって何か作風が変わるということもないでしょう。

 ミステリーなので、具体的なストーリーにはできるだけ触れず、読み終わった感想だけ書き残しておくと、“んんん・・・、かなり物足りない・・・”というのが正直な印象ですね。
 作品のモチーフは「後妻業」。これはインパクトがあります。高齢者を対象とした結婚詐欺・財産奪取は、この作品のケースほど悪質ではないにせよ、案違いなく今の世の中ではリアルに起こっていることだと思います。

 ただ、この作品が「プロットの秀逸さ」や「ストーリーの奇抜さ」で読者を満足させられているかといえば、その点はかなり期待はずれだと言わざるを得ません。物語のほとんどが「関西弁の会話」形式で進んでいくので、展開のスピード感は感じられます。とはいえ、ミステリーにしては、あまりにも筋書きは「単線」です。ラストに向かうにつれて強まる「尻すぼみ感」、こういう澱んだ終わり方にすることによって、逆に物語に「リアリティ」を与えようと意図したのかもしれませんが・・・。

 昨今のミステリーの潮流を見ると、そういうスッキリしないエンディングの方がむしろ多数派であるように思います。
 「勧善懲悪&ハッピーエンド」という“締め”の方が、かえって意表を突いた読後感を誘ったのではないでしょうか・・・。

コメント (1)
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