OMOI-KOMI - 我流の作法 -

For Ordinary Business People

理不尽に勝つ (平尾 誠二)

2012-08-29 22:07:26 | 本と雑誌

Hirao  以前、会社の講演会で平尾誠二さんのお話を聴いたことがあります。
 本書は、平尾氏の実体験に根差した自己マネジメント啓発本です。

 「世の中は、思い通りになることの方が圧倒的に珍しい。ならば、その環境をどう乗り越えていくか。」
 理論派を自負する平尾氏ですが、高校・大学時代は典型的な体育会系世界を経験してきました。そこで体得した理不尽の効用について、こう語っています。

(p33より引用) 同じ言葉であっても、人から言われたり本で読んだりして、知識として知っているのと、自分自身で体得するのとでは、まったく違う。こうした哲学は、理不尽に思える経験をしなければ、なかなか血肉化することはできないものではないかと思う。

 本書では、この「理不尽」を積極的に活かす平尾氏なりの方法が語られています。
 そのうちののひとつが、「なんとかなるさ」という楽観思考です。

(p75より引用) 入念に準備し過ぎると、かえって視野が狭くなり、判断の精度が低くなってしまうからだ。だから、「たとえ予定していたプレーができなくても、なんとかなるさ」というくらいの気持ちでいることが大切なのだ。

 現役時代の平尾氏のプレースタイルが、いかにも柔軟・軽快に見えていた所以ですね。この「なんとかなるさ」は「破れかぶれ」とは異なります。「なんとかなるさ」は、最悪の究極まで行き着かない最後の余裕が残された心の持ち様です。

 ただ、この「なんとかなるさ」の背景には、「無理をして何とかなったという経験」が不可欠です。そうでなければ、「なんとかなるさ」は単なる根拠のない安易な楽観に過ぎなくなります。理不尽の体験は、ひとつの「無理をして何とかなったという経験」として、前向きの楽観思想の糧となるのです。

 さて、本書を読んでですが、正直なところ、ちょっと説くところが表層的な印象を受けてしまいました。

(p216より引用) 理不尽さを取り除こうとするのは、かえってマイナス面のほうが多いと私は思っている。今の若者が弱くなってしまったのは、理不尽を排除してしまったこと、なくなってしまったことが、その原因の根本にあるのではないかと考えている。

 本書で語られていることは、確かに平尾氏の実体験に根差した主張で、その根拠となるエピソードも豊富に紹介されています。ただ、以前に直接聴いた平尾氏の「講演」で伝わってきたような想いの厚みは、本書の文字面からはあまり感じられませんでした。(ライターの技量によるのかもしれませんが・・・)ちょっと残念です。
 もし、平尾氏の著作を手に取るのであれば、経営学者金井壽宏神戸大学教授との共著「型破りのコーチング」の方をお勧めします。


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日本海軍400時間の証言―軍令部・参謀たちが語った敗戦 (NHKスペシャル取材班)

2012-08-22 23:55:18 | 本と雑誌

Japanese_department_of_the_navy_tra  毎年夏になると、何か一冊「太平洋戦争」関係の本を読んでみようと思っています。

 今年手に取ったのは、2009年NHKで放送された同名の番組を書籍化したもの、貴重な証言が読後に鈍く響きます。

 満州での謀略により大東亜戦争への口火を切ったのは陸軍でしたが、太平洋戦争に向かう決断を迫ったのは海軍でした。何百万人もの犠牲を払うこととなった開戦に至る舞台裏、そこでの海軍エリートの自己目的的行動には言葉も出ません。

 主戦論を展開した第一委員会(正式名称:海軍国防政策委員会・第一委員会)の主要メンバのひとりである高田利種元少将の証言から。

(p108より引用) 「それはね、・・・デリケートなんでね、予算獲得の問題もある。・・・それが国策として決まれば、臨時軍事費がどーんと取れる。好きな準備がどんどんできる。・・・固い決心で準備はやるんだと。しかし、外交はやるんだと。いうので十一月間際になって、本当に戦争をするのかしないのかともめたわけです。」
「だから、海軍の心理状態は非常にデリケートで、本当に日米交渉妥結したい、戦争しないで片づけたい。しかし、海軍が意気地がないとか何とか言われるようなことはしたくないと、いう感情ですね。・・・」

 海軍の組織拡大を目指しつつも、開戦には至らないぎりぎりの妥結を期待するという海軍幹部の甘い見通しが、日米開戦から太平洋戦争に至る未曾有の惨禍をもたらしたのです。昭和16年の南部仏印への進駐、ここまでであればアメリカも容認するだろうという根拠のない海軍の確信が致命的でした。

(p114より引用) 予算獲得のために危機を煽り、事態が予想を超えて深刻化すると、引っ込みがつかなくなってさらに強硬な意見を主張する。その主張を正当化するために、現実をねじ曲げる。できあがったのは「夢みたいな」計画だった。

 そして、そのつけは国民が被ったのです。

 本書は、太平洋戦争の種々の局面の中から、「開戦」「特攻」「東京裁判」を取り上げて具体的に取材を進めています。

 2つめのテーマの「特攻」、こちらも気が重くなるような事実が明らかにされていきました。
 人類の戦史上最悪ともいえる「特攻作戦」。この軍事作戦を発案し実行させた海軍中枢では何が起こっていたのか。当時、その場に加わっていた扇一登大佐の遺族のお話しです。

(p211より引用) 「おじいちゃまはよく、“やましき沈黙”あれは良くなかった、とおっしゃっていました」・・・
「悪いと思っていてもよう言わんかった。それが海軍という組織の欠点だったということです。・・・海軍には、やましき沈黙をしたという罪がある、とはっきり言っていました」

 この“やましき沈黙”の罪がもたらした特攻作戦は、さまざまな関係者の苦悶を伴ったものでした。
 “必死”の特攻兵器の開発に関わった三木忠直元海軍技術少佐は、「桜花」の設計図を残していました。

(p278より引用) それらを丹念に調べていくと、判ったことが一つあるという。それは、命令と良心の間で揺れ続けた現場技術者の苦悩を示す痕跡ともいえるものだった。
 桜花の操縦席に、脱出装置を取り付けようと試みた跡があったのだ。・・・死地に赴く兵士たちに、何とか生き残る余地を残してあげたいという技術者の感情が、無機質な図面から浮かび上がってくる。
 しかし、結局、脱出装置が取り付けられることはなかった。・・・

 なぜ、人は、ここまで非情になれるのでしょうか。

 そして、最後のテーマは「東京裁判(極東国際軍事裁判)」
 「平和に対する罪」または「戦争を謀議した罪」に当たるA級戦犯で死刑宣告を受けた海軍関係者は「0」でした。そして、海軍において、「従来の戦争犯罪」「人道に対する罪」を裁くBC級裁判で画策されたこと。非はすべて戦闘最前線で命を賭けて奮戦した現場の人間の独断にある・・・。

(p337より引用) 「陛下に累を及ぼさないために中央に責任のないことを明かにしその責任を高くとも、現地司令官程度に止めるべし

 第二復員省の弁護方針を示したメモです。結果、第二復員省で裁判対策を担った豊田隈雄元大佐の手記には、こう記されていました。

(p337より引用) 「BC級刑死者は海軍で200余名。その殆どが現地守備隊士官で、艦隊司令官以上の天皇新輔職では死刑はひとりもなかった」

 本書は、海軍を中心に、戦争遂行者の視点で太平洋戦争戦争の開戦から敗戦後の極東国際軍事裁判に至る舞台裏を追った取材記録です。そして、一連の取材を通して明らかにされたのは、軍部特に海軍中枢が企てた隠れた歴史の真実でした。

(p370より引用) 戦争を指導し、敗戦という結果を招いた海軍。その中心だった軍令部のメンバーの多くは、戦後、二復へと移り組織を挙げて真実を隠匿し、組織を守るための裁判対策を実施していた。その結果、多くの事実が表に出ることなく歴史の闇に埋もれていった。

 このとてつもなく重い現実を省み、そこから多くを真摯に学び取り、それらを私たちの将来に確実に活かすことが、私たちの厳然たる責任だと思います。


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新装版 赤い人 (吉村 昭)

2012-08-17 13:38:59 | 本と雑誌

Kabato_syuchikan  吉村昭氏は私の好きな作家のひとりです。

 本書は、1977年に単行本として発刊された作品です。いつもながらの膨大かつ緻密な資料渉猟を礎とした高密度の内容ですね。

 タイトルの「赤い人」は囚人のこと。北海道の原野の開墾に徴集された囚人たちと看守との壮絶な軋轢を描いています。

 当時の内務省を中心とした政府の囚人に対する基本方針は徹底した「懲戒主義」でした。明治14年9月、樺戸集治監開設式に来道した内務省監獄局長大書記石井邦猷は、囚人への足袋貸与を求めた月形潔典獄に対しこう断言しました。

(p94より引用) 「全国の囚情は、まことに不穏だ。それを鎮静する方法は、囚人に決して弱みをみせぬことにつきる。集治監の目的はあくまで囚人を懲戒させることであり、重い労役を課して堪えがたい労苦を味わわせることにある。それによって、囚人に罪の報いの恐ろしさを教え、再び罪をおこさせぬようにすることである。・・・」

 この方針に基づき、樺戸集治監では囚人に対し過酷な重労働を課したのでした。
 そして、こういった北海道開拓に囚人を徴用することについて、当時ハーバード大からの留学帰りであった少壮官僚(太政官大書記官)金子堅太郎は、北海道行政組織の実態視察の復命の中で次のように論じています。

(p184より引用) 「(囚徒)ハモトヨリ暴戻ノ悪徒ナレバ、ソノ苦役ニタヘズ斃死スルモ、・・・マタ今日ノゴトク重罪犯人多クシテイタヅラニ国庫支出ノ監獄費ヲ増加スルノ際ナレバ、囚徒ヲシテコレラ必要ノ工事ニ服セシメ、モシコレニタヘズ斃レ死シテ、ソノ人員ヲ減少スルハ監獄費支出ノ困難ヲ告グル今日ニオイテ、万止ムヲ得ザル政略ナリ。・・・」

 このころは、囚人に無償の労役を課することは合理的と考えられており、彼らの「人権」、もっと言えば「命」という観点は全く存在すらしていなかったのです。

 同じ時期、隣の空知監獄署の囚人たちには、幌内炭山への出役が課せられていました。その環境も想像を絶する劣悪・悲惨なものでした。

(p212より引用) その年の末までに、炭山への出役によって二百四十一人が病死または衰弱死し、七名の者が射殺、斬殺された。
 その年、東京では首相官邸でもよおされた仮装舞踏会が華やかな話題になり、サイダーが製造発売され、庶民の間には狆の飼育がさかんであった。

 自らの著作の中で、主観的な心情をストレートに表現することの少ない吉村氏流の記述です。

 こういった懲戒主義の主張が強い中、囚人の更正に重きをおく考えも、一時ではありますが登場しました。

(p255より引用) その頃、監獄制度の改良を熱心に推しすすめていた司法大臣清浦奎吾の努力がみのって、新たに監獄則が改正された。
 その要点は、それまで囚人に課せられた労働が懲戒を目的としていたことを廃し、囚人に技術を教えこみ、精神的な教化をほどこすことであった。

 しかしながら、この方針も、明治41年の厳罰主義を採用した新刑法の施行により、旧来の過酷な環境に後戻りしたのでした。

 さて、この小説の舞台となった「月形」ですが、私にもちょっと縁があります。
 今から30年ほど前、社会人になって最初の赴任地が北海道岩見沢市。月形はその隣町で何度も訪れたことがあります。当時の印象からは、開墾前が人も寄せつけないような原生林だったとは想像もできません。国道12号線をはじめとする今の北海道の幹線道路の礎が数多くの囚人たちの峻烈な労役により築かれたことは、本書を読んで初めて知りました。
 砂川市には、犠牲になった囚人を慰霊する「旧上川道路開鑿記念碑」が建てられているとのこと、一度訪れてみたいものです。


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そうか、君は課長になったのか。 (佐々木 常夫)

2012-08-13 11:19:12 | 本と雑誌

Kacho  著者の佐々木常夫氏は、東レ経営研究所特別顧問ですが、ご自身の実経験から「働き方」に関する社外活動にも積極的に取り組んでいらっしゃいます。私も、以前、会社で開催されたワークライフバランスに関する講演を拝聴したことがあります。

 そういう経緯もあり、私も佐々木氏の主張については以前から気になっていたのですが、氏の主著である本書が、たまたまいつも行く図書館の返却棚にあったので手にとってみました。

 内容は、初めて課長(管理職)になった人を対象にした啓発本です。
 佐々木氏が自ら実践した具体的なアドバイスが豊富にまたとても分かり易く紹介されています。もちろん、その示唆に特段目新しいものがあるわけではありませんが、そのひとつひとつが「自らの体験」に深く根ざしたものである点が、他の類似本と比較しての決定的な差異でしょう。

 数多くの佐々木氏のアドバイスの中から、改めて2・3、書き留めておきます。

 まずは、マネジメントの「基本の『き』」の「業務の優先順位」について。
マネージャは十分なリソースで業務に取り掛かかれることはまずありません。何らかの制約条件(時間・予算・稼動等)の中で最大の成果を発揮するよう求められます。そこでは、「プライオリティ付け」が必須になります。

(p67より引用) 私は常々、一般の会社の業務で真に重要な仕事は20%くらいのものだと言っていますが、このような“業務仕分け”をすれば、それを実感できますよ。「5」の業務なんてほとんどありませんから。「5」「4」の仕事に力を集中して、「3」以下の仕事はそれなりの完成度でやればいい。むしろ“拙速”を尊ぶのです。

 はっきりと「拙速を尊ぶ」と語っているが佐々木流です。

 もうひとつ、こちらは「部下育成」について。
 いくつも指折り数えることのできる管理職のミッションうち「部下育成」も大きなウェイトを占めるひとつです。部下育成は、部下のスキルを向上させて組織としての総合力を高めるといった文脈で考えられがちですが、佐々木氏はこう意味づけをしています。

(p72より引用) 君は部下の成長にコミットする力をもっている、ひとりの人間の人生を変える力をもっているということなのです。
 だから、これは大事業です。生半可な気持ちでできる仕事ではありません。

 この指導は、複数人の部下がいると、それぞれひとりひとり異なったものになります。当然、そこにはコントロールスパンの問題が生じてきますが、やり遂げなくてはなりません。上司からみると部下は複数ですが、部下からみると上司は「ひとり」だからです。
 ひとりひとりの部下の成長に責任をもつこと、それが上司の最大のミッションです。そしてまた、部下の成長こそ上司の最大の喜びでもあります。

 さて、これらの幾多のアドバイスの中で、最も本質的なものは、「志」を説いた第1章にあります。

(p21より引用) 課長になるにあたって、なにより大事なことは「志」をもつことです。・・・
 君は、この世に生を受けました。そのたった一度の人生で何をしたいのか、どのような人間になりたいのか、どう生きたいのか、その「志」さえ高ければ、スキルなど自然と後からついて来るのです。

 これは、決して安直な精神論ではありません。「志」の有無・強弱は、まさにリアルな人間力の差として、日々の職場の人間関係の中に歴然と顕れるのです。
 

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新・幸福論 (五木 寛之)

2012-08-09 22:38:05 | 本と雑誌

Aoi_tori  先にアランの「幸福論」を読んだのですが、今度は五木寛之氏の「新・幸福論」です。
 アランの著作が「論」というより「幸せ」をテーマにしたプロポ(哲学断章)であったのに対し、こちらは五木氏得意のエッセイ集です。

(p45より引用) 人間は幸福に生きることが望ましい。しかし、完全な幸福などありえないと私は思います。
 人はすべて、なにがしかのうしろめたさを抱いて生きざるをえない。それが真実です。

 人の生活は、必ず他者、それは他人であり周りの動植物であり環境などですが、それらの犠牲の上に成り立っているとの考えです。

(p44より引用) 人が生きる、ということは、かならず痛みをともなうものです。地上の動物や植物や資源は、すべて人間の生活を幸福にするためにある、という考え方が近代の根元にあるヒューマニズムの自信でした。
 ブータンの人びとの素朴ともいえる考え方には、そんな近代人の傲慢さを静かにたしなめる力がある。

 読み進めていくと本書の半ば過ぎ「努力して幸福になれるか」の章で、五木氏もアランの「幸福論」に言及しています。
 アランは、幸せになる方法として「具体的な動作・所作」を勧めています。たとえば、「欠伸をする」であったり「微笑む」であったり・・・。五木氏が勧めるのは「ため息」です。

(p152より引用) なんともいえないプレッシャーにおしつぶされそうになったときは、背すじをのばし、顔をあげて、
「なんだこんな気持ち、がんばれ、プラス思考でのりきれ」
と、自分を叱咤激励するよりも、肩をおとし、背中を丸めて、
「あーあ」
と、深いため息を三度、四度、五度とつくほうがいい、という意見です。
 全身から木枯らしのような大きなため息をくり返しついているうちに、なんとなく心がおさまってくる。そこでとりあえず立ちあがって歩きだせばいいではないか。

 本書を通底している五木氏の思考は、決して幸せになるための「明るく活力に満ちたプラス思考」ではありません。「普通の人びと」の視点から現実をとらまえて、ある種の諦観も心に持ちながらの生きる姿勢を書き綴っています。

(p159より引用) つよく夢見ることが不得手な人びと、そして幸運にも夢見ることができても、その夢が実現しないとき、私たちはどうするか。
 少数者の幸福論は、私たちにとってあまり必要ないのかもしれません。

 五木寛之氏も、もう80歳間近なのだそうです。
 

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日本人論不要の時代へ (「日本人論」再考(船曳 建夫))

2012-08-05 09:55:44 | 本と雑誌

Geisya  第二章で紹介された志賀重昂の「日本風景論」、内村鑑三の「代表的日本人」、新渡戸稲造の「武士道」、岡倉天心の「茶の本」の4つの著作の背景にある不安。
 この成因を、著者は、日露戦争の勝利による新たな日本の意味づけに求めています。

(p123より引用) 日本が日露戦争によって、国家としての一定程度の位置を西欧諸国の中に占めることとなり、かえって自らの、アイデンティティを疑わざるを得なくなった。

 この心情は、既存の仲良しクラス(西欧諸国)の中に、新参者の「転校生」として加わった不安に似ています。
 そういった明治期の不安に対し、昭和期になると、日本を従来とは異なる立ち位置に置いた論考が著されました。「「いき」の構造」「風土」「旅愁」「近代の超克」といった著作です。

 その中のひとつ、太平洋戦争前、世界大恐慌のころに書かれた九鬼周造による「「いき」の構造」について。
 私も以前読んだときには、奇妙な内容だなと思いました。特に、種々の心情を立体図形をもって理論化する立論はとても独創的に感じたのですが、船曳氏は、本書の特徴を以下のように語っています。

(p98より引用) すなわち、「外国」に暮らすことで否応なくわき上がる日本人としてのアイデンティティの不安を、ある対象を論じる中で考えていくに際して、その外国の事象と直接比較せずに、または比較できないものを取り上げ、しかしながら、その分析には、西洋の文明で鍛えられた方法の刃をもってする、ということである。・・・日本の「色の世界」が、西洋哲学の概念と方法によって分析しうることを証明することで、日本人が孤立した存在ではなく、特殊であっても普遍的な道具で料理しうる、つまり理解が可能である人々であることを証明しようとしたのだ。

 なるほど、これは確かに首肯できる興味深い指摘です。

 さて、こういったいくつかのフェーズを経て、著者の考察は、第二次世界大戦前後の日本人論に移っていきます。
 このころになると多くの人も手に取った有名な著作が次々に登場します。ルース・ベネディクト氏の「菊と刀」、中根千枝氏の「タテ社会の人間関係」、土居健郎氏の「「甘え」の構造」、さらには、エズラ・ヴォーゲル氏の「ジャパン・アズ・ナンバーワン」・・・等々。日本人論が一世を風靡した時代でした。
 こういった日本人論の流行は、決してこれらの著作が指摘しているわけではない、短絡的かつステレオタイプな日本人像も表出させました。

(p231より引用) まずは、表面上の主張として近代国家の中で「西洋」との共通性を強調するのであるが、いったん固有性を語り出すと昂奮して正確さを失い、独自性を、相手の「オリエンタリスティック」な枠組みに迎合するかのように誇張をしてしまう。・・・このことは外部の人間の日本理解をしばしば妨げてきた。

 日本といえば、「サムライ」「ゲイシャ」をイメージするとの類の論です。

 さて、それでは今はというと、著者は、日本人論不要の時代になりつつあると考えています。

(p311より引用) 日本人論の最期は始まっている。それは・・・戦後の60年が、日本人論仮説で提示したような不安を感じない世代を生み出しているからだ。日本人論を必要とした日本人の、終わりが始まっている。

 日本人としての「アイデンティティ」が確立し安定化されたのか、それともそもそも「アイデンティティ」という意識自体が不要になってきたのか・・・。西洋に対する日本という不安がアジアの中の日本という新たな不安に変容しつつある兆しも感じられます。「グローカリゼーション」という止揚された思想がゴールだという単純な議論でもないでしょう。

 各国と同じく尊重すべきナショナリズムは持ちつつも、自己擁護を目的とした日本人論は不要となる日本がひとつの目指すべき方向性であり、それに向けた日本・日本人の変容のプロセスが始まったように思います。


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日本のアイデンティティ (「日本人論」再考(船曳 建夫))

2012-08-01 22:12:27 | 本と雑誌

Inazo_nitobe  私の学生時代は、エズラ・ヴォーゲル氏による「ジャパン・アズ・ナンバーワン」がベストセラーとなったころで、日本の目覚ましい高度成長が注目されていました。
 それに併せて、その源泉を探求する、いわゆる「日本人論」も大きなブームとなりました。私も、「菊と刀」「日本人とユダヤ人」「「甘え」の構造」「タテ社会の人間関係」等々、ひと通り読んだ記憶があります。

 本書の企図は、タイトルどおり、それら日本人論の総括というチャレンジです。ここで著者のいう「日本人論」は、以下のような性質を持つものです。

(p288より引用) 「日本がいわゆる『西洋』近代に対して外部のものである」ことからくるアイデンティティの不安を、それを説明することで和らげ、打ち消す機能を持つもののことである。

 まず、明治時代以降登場した「日本人論」として著者があげているのは、次の4つの著作です。志賀重昂の「日本風景論」、内村鑑三の「代表的日本人」、新渡戸稲造の「武士道」、岡倉天心の「茶の本」
 それらは、明治・大正期のナショナリズム高揚のなかで、国際社会の一員として踏み出そうとしている日本及び日本人の位置づけや立ち位置について論じたものです。特に「日本風景論」以外の著作は英語で書かれたものですので、第一義的には、主に欧米の人々に対して訴えたものとなっています。

 たとえば、「武士道」の主張内容について、著者はこのようにコメントしています。

(p72より引用) 限りなくキリスト教、西洋文明の高みに近づいているが、完全にそれと同じではない。しかしながら、そのレベルを日本人は保持してきたがゆえに、そのキリスト教・西洋文明の次元にまで上昇しうる人々なのだ、とする。

 当時の「支配的世界」であった西洋社会においては、新たに台頭しつつあった日本は極めて「異質」な存在でした。

(p72より引用) 新渡戸は明らかに、キリスト者として、また、国際知識人として、日本の非西洋社会としての独自性と西洋文明の中での一般性という二つの相反する要素を、いかに一つのアイデンティティにまとめ上げるかに苦心しているのだ。

 ここで紹介されている4つの著作が上梓されたのは、日清・日露戦争期という、まさに日本の国際社会の中での位置づけが大きく転換しつつあるタイミングでした。そして、この位置づけの変化は、日本としてのアイデンティティを不安定化させるものでもありました。

(p79より引用) この四冊の書物は、・・・日本に対する欧米の評価の低さから来る近代の中のアイデンティティの不安を払拭しようとして書かれ、また、同時に進行していた戦争の勝利によって、評価が上がったことから来るアイデンティティの不安を、自らの高さを正当化することで乗り越えようとして書かれた。

 とはいえ、これら初期の「日本人論」の論調は、近代国際社会における日本の上昇発展傾向と軌を一にしたポジティブなものでした。その後に続く「日本人論」と比較しても、その主張の明るさと自信が際立っています。「無垢」な日本人論ともいえるでしょう。
 

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