正直なところ、私としては “かなり消化不良” 的な作品でしたね。
日経新聞の記事で三井物産が社員必読書として推薦している本だと紹介されていたので手に取ってみました。
構成は、「AIの基本」「AIの作り方」「AI用語」「AI事例」というようにオーソドックスに実務に直結した項目がカバーされていますから、(私自身は“もう手遅れ”の年代なのですが、)まだ現役でこれからという周りの方々にとっては参考になるところが多々あるでしょう。
とはいえ、超初心者向けの内容なので、この中で興味を持ったところについては、別の情報で深掘りするとか、今後のトピックを意識的にフォローすることによって、継続的に理解を深めている必要があると思います。とにかく、このトピックは日進月歩(秒進時歩?)ですから。
さて、本書を読み通して一点、野口さんのメッセージを材料に私のコメントを書き留めておきます。
野口さんは最終項「文系AI人材が社会をリードする」で、こう記しています。
(p340より引用) 会社や社会では、さまざまな役割の人がいてはじめて上手くいくことがたくさんあります。AIの活用においても、同じことがいえるのだと思います。
新しい技術分野においては、コア技術を磨くことや技術の中身の議論に偏ってしまうことがありますし、教育環境においてもその偏りがそのまま反映されることもあります。ここ最近、日本では先行して「AIを作る」専門家だけが増えていく傾向にあったのは仕方がないことかもしれません。
しかし、これからの本格的なAI社会では、「AIを作る」専門家だけでなく、AIのことをよく理解し、的確に「AIを使う」人材も重要なポジションを担うことになります。
この視点は至極真っ当ですし、とても大切な指摘です。
本書では、あえてタイトルで「文系」と強調していますが、当然のことながら、今のご時世「文系」「理系」といった区分は全くナンセンスですね。(編集者のプロモーション意識の表れでもあるのしょう)
AIの活用は、人々の社会生活すべての面において進展・浸透していくことは間違いありません。現在の仕組み・やり方が “AIと共生”していくわけですから、それはすなわち社会のあらゆる営みやプロセス全体を “AIと人とで協働” することになります。
ポイントは、AI化されたプロセスのみではなく、その前後のプロセスやそれを取り巻く業務・環境等を俯瞰的/包含的にとらえ、実際に使えるトータルな仕掛けとして動かし続けることです。
そこに関わる人に「文系」「理系」の区分けはありません。
もう10年以上フィリップスのシェーバーを使っています。
今のシェーバーは2ヘッドの固定式のものなのですが、ついにヘッドの可動部分にガタがきはじめたので買い替えたのものです。
「回転刃」に慣れているので、候補としてはやはりフリップス一本。
価格比較サイトをチェックして、ちょっと古いモデルですが、高機能な割に手ごろな価格だったこの機種(Series9000 S8980/11)をチョイスしました。
・フィリップス Shaver series 9000 ウェット&ドライ電気シェーバー S8980/11
第一印象としては、「3ヘッド」なので明らかに髭剃り時間は短縮できました。剃り味は、新品なせいもあり満足できるレベルです。
ただ、今まで使っていたものより「持ち手」の部分が円筒形に近いのでちょっと違和感がありますね。持ち方はいろいろ試してみる必要がありそうですし、また、ヘッド全体が「可動」するのでうまく肌に密着させるのに慣れが必要です。このあたりは、せっかくの高機能機種の売りの機能なので、なんとかうまく活かしていきたいですね。
手入れも使った都度水洗いしてみていますが、今のところ問題ありません。
ただ水洗いのたびにヘッドを取り外す必要があって、その「着脱の耐久性」が気になります。この点はこれから長期間使い続けてみないと様子は判断できません。
使い始めの印象は合格点なので、今までのモデルよりは高価な分、少しでも長く使い続けたいと思います。
いつもの図書館で予約してから貸し出しまで半年近くかかったので、旬は過ぎていますが、話題になった本なので読んでみました。
発行されたスウェーデンでもその他の国でも爆発的に売れている著作とのことで大いに期待したのですが、私にはあまり合わなかったようです。
新たな情報を得るとドーパミンが放出されるという過去の人類の進化がもたらした「脳の報酬システム」が現代のITによる情報過多環境に対応し切れず、“スマホが脳をハッキングする”状態を生起させている。結果、昨今、人間の記憶力や集中力が大きく減退しているとのことなのですが、それは肯定するとして、“So What”という読後感なんですね。
(p241より引用) 私たちは未知の世界にいる。人間が進化し、適応してきたのとはかけ離れた世界だ。しかし今でも私たちは狩猟採集民の脳を持っていて、そこらじゅうに危険を探そうとし、すぐにストレスを感じ、気が散り、同時に複数の作業をするのが苦手だ。 デジタルな世界に生きているというのに。その点にもっと配慮すれば、私たちはより健康に、健全に生きられるはずだ。
著者の主張ですが、本書の論考が「スマホはオフに」「運動をしろ」というアドバイスに収斂されるのなら残念です。
脳科学的な観点からの解説もなされていましたが、それも中途半端に感じられて、どうにも “もの足りなさ” が残る著作でした。
トータルとしては、期待値が高かっただけに、私の感想としては “イマイチ” というところでしょうか。
この手の作品の場合は“お約束”
たかのてるこさんの本は、以前「ガンジス河でバタフライ」を読んだことがあるのですが、彼女のその無謀ともいえる行動力に圧倒された覚えがあります。
先日、いつも聞いているpodcast番組のゲストでたかのさんが登場していたのをきっかけに、久しぶりに彼女の本を手に取ってみました。本書は15年近く前の著作なのですが、感じる熱量は変わりませんね。今回は、「ダライ・ラマに会う」というたかのさんの夢を実現するプロジェクトです。
その最終目標に至るまで、たかのさんのチベット地方の旅は続きます。その土地土地での現地の人びととの触れ合いの様子がたかのさんの著作の読みどころのひとつですが、本書でのエピソードは前作等で紹介されていたようなスリリングなものは全く登場してきません。
チベット西端、インドのラダック地方に滞在したときのたかのさんが抱いた感想です。
(p133より引用) ラダックでは素直に、いい人って素晴らしいなぁ!と思うことができた。他の人のために、世の中のために、ひいては世界中の人のために、徳を積まんとしている人たちの話を聞いていると、ほんの少し、彼らの思いにシンクロできたような気持ちになって、心がポカポカしてくるのだ。
さて、今回のたかのさんの旅のクライマックス、本書の最終章に綴られているダライ・ラマ師との面会でのやり取りは、とても印象的でした。
その対話の中からひとつだけ書き留めておきましょう。
「『生きる目的』とは何か」というたかのさんの問いに対して、ダライ・ラマ師は「深い意味は分かりません」と答えた後、こう続けました。
(p281より引用) 「ただ、明らかなのは、私たちの生きる目的のひとつは、『存在する』ということです。『存在する権利がある』ということ、また『幸福に存在する」ということです。もし、私たちの存在が惨めなものになるとしたら、それは人生の目的ではありません。人生が、平和と幸福、満足、平安、尊厳とともにあるということ、これが正しい人生なのではないでしょうか。
私たちは、日々の暮らしが幸せに満ちたものであり、有意義なものであるよう努めるべきです。これはとても大事なことだと思います」
確かに魅力的な方ですね。今度は私もダライ・ラマ師について一から勉強しなくてはならないようです。