OMOI-KOMI - 我流の作法 -

For Ordinary Business People

先見性 (「夢を力に」(本田宗一郎)より)

2005-05-30 23:51:50 | 本と雑誌
(p100より引用) 昔から言われているように、ヤリの名人は突くより引くときのスピードが大切である。でないと次の敵に対する万全の構えができない。景気調整でもメンツにこだわるから機敏な措置がとりにくいのだ。どんづまりになってやむをえず方向転換するのでは遅すぎる。
いなかの財産家がつぶれるときのやりかたがちょうどこれに似ている。まず蔵の中の物を人目につかないように売る。次に遠くの田畑を売る。最後の段階になっても家屋敷は人目につくので手放す前にこれを担保にして借金をする。だから生産がともなわない借金の利子を払っていよいよお手上げのときは、家財産はおろか残るものは借金だけというバカなことになる。
こういう愚劣なことをしている経営者が多いようだ。


 「先見性」は才能でしょうか?

 本田氏は、景気後退局面になる前に生産調整を行なっていたといいます。景気がまだ好調を維持しているうちに、先の後退を見越してアクションをうつ、周りはまだ好調局面なので少々の無理は聞いてくれる。そして、景気後退局面になると前もっての生産調整が効いていて余剰在庫で苦しむことはない。そして景気が上向きかけると、先取りのスリムな経営体質を活かして誰よりも早く立ち上がることができる。

 先手をうつのと後手を踏むのとでは大きな差がつくわけです。

 本田氏は後手を踏むのは先見性がないからとはいっていません。才能がないからではないのです。意味のない「メンツ」が当たり前の行動を鈍らせていると考えているのです。

本田宗一郎夢を力に―私の履歴書 (日経ビジネス人文庫)
本田 宗一郎
日本経済新聞社
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事業部制

2005-05-29 15:59:39 | ブログ

takekuraさんのブログに事業部運営の話題がアップされていたので、ちょっと雑感です) 

 事業部制のひとつのメリットとして通常「意思決定の迅速性」があげられます。

 確かにそのとおりの面は否定しませんが、実際上の事業(企業)においては、乱暴な言い方をすると「迅速な意思決定」は「責任者や担当者のやる気の問題」でもあります。担当者に重要な施策であるという信念があり、関係者に納得性があれば組織の枠など関係なく(円滑にまた強引に)進めることはできるものです。(もちろん、そのための手間やエネルギーはある程度覚悟する必要はありますが)

 「事業部制」の目的は、究極的には「企業の業績向上への貢献」であることは言うまでもありません。すなわち、「事業部をひとつのvirtual corporationと位置づけ、事業部個々の自主的・自立的活動の結果、総体としての企業業績の極大化を目指す」という合目的的な手段であるわけです。

 この場合、「事業部制」は「社内管理会計制度」とセットになります。管理会計は「事業部の業績」を把握するための社内会計ルールですが、これは、各事業部のmissionの達成状況を数値であらわすことによる経営管理ツールです。したがって、管理会計ルールをどう作るか次第で「事業部の業績数値」にブレが生じ「事業部管理・評価」は大きく変動することになります。

 特に企業内に異質のmissionを持つ複数事業部(たとえば、販売事業部・プロダクト事業部・設備事業部等(場合によってはCC(コストセンタ)やOH(オーバヘッド機能)も含む))が存在する場合は結構面倒です。
 
各事業部のmissionによって、それぞれの重点管理指標は「売上」であったり、「コスト」であったり、「利益」であったり、「キャッシュフロー」であったり、はたまた「資産回転率」であったりとバラバラになるのです。

 企業総体としての業績は多くの場合「利益」(もしくは「キャッシュフロー」)で表されることが多いので、通常の管理会計でも各事業部の最終指標は「利益」としています。
 が、上述のように種々の異なる性格の事業部が混在している企業体の場合は、管理会計としては、各事業部の管理数値をなんとかして
「利益」の姿に収斂させる操作が必要になります。そのため、管理会計の仕組みは、様々な軸をもつ各種の社内取引ルール(固定的コストの分計・社内卸価格の設定等)の複合体になってしまいます。

 その結果、各事業部での実行動にもとづく成果が直接的に管理会計数値に反映されにくくなります。
 このことは、しばしば、自事業部の目標未達成の言い訳として「配賦コストが予想外に増えたため」とか「社内卸部門の効率化が不十分だったため」とかいった、他責の内部要因を「ことの元凶」と言わしめることにつながるのです。
 これでは、事業部利益の良否が、自事業部の評価や自責としての改善アクションの動機付けになりません。

 事業部制にもとづく事業運営を企業の全体最適化に真に寄与させるためには、自責のアクションをどれだけ管理指標(利益)に反映させることができるかという「事業部業績管理ツールとしての管理会計制度の出来」が非常に重要なものとなるのです。

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RISTORANTE ASO

2005-05-28 20:52:28 | 食・レシピ
 仕事上のお付き合いで代官山にあるイタリアンレストランRISTORANTE ASOに招待されました。さすがにこのクラスのレストランに頻繁に来られるような身分ではないので・・・、よい経験をさせていただきました。

 私はグルマンではないので料理やワインのことは正直よく分からないのですが、どのお皿も何らかの演出が施されており、「・・・こういう感じなんだ、なるほど・・・」と一品一品それなりの納得感がありました。(ただし、量はものすごく少ないです。まあ、こういうお店で料理だけでの満腹感を期待するのはそもそも間違いなのでしょう。)

 ソムリエの方、スタッフの方もスマートなのですが気さくさも兼ね備えていらして、会話も含めてリラックスして楽しむことができました。

 (料理のすばらしさが分かっていない身で失礼な物言いですが)「狭い意味の『料理』」だけなら少々高価かしらとも思いますが、建物(昭和期の洋館を改装)・ファシリティ・スタッフのサービス等々トータルの空間・時間で考えると十分に堪能できるものでした。

 今度は是非とも妻と行きたいのですが、さていつ実現できることやら・・・


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技術より思想 (「夢を力に」(本田宗一郎)より)

2005-05-27 23:29:19 | 本と雑誌
(p93より引用) 私はすべて思想によって技術をみちびく方針をとっている。つまり、技術よりも思想を先行させるのである。・・・ベルギーでどんなオートバイを作ったらいいか、・・・ベルギーはほこりが少ないから空気清浄器は不用だという結論が出たとき、私は即座に反対して変更させた。・・・ベルギーはアフリカに非常な権益を持っており、アフリカへ輸出することも当然考えねばならぬ。とすれば・・・空気清浄器は絶対に必要不可欠なのである。こういうところに単なる技術だけでなく、それを指導する思想が必要なのだ。


 本田氏は兎にも角にも「技術」を最重要に考えているように思われがちですが、「技術よりも思想を先行させる」と明確に述べているのは興味深いものがあります。ここでの本田氏の「思想」というのは言い換えれば「ビジョン」や「マーケティングマインド」に相当するものです。

 マーケティングマインドについては、本田氏は次のように語っています。

(p216より引用) 第一の作る喜びとは、技術者のみに与えられた喜び・・・ 第二の喜びは、製品の販売に当たる者の喜びである。・・・ 第三の喜び、すなわち買った人の喜びこそ、最も公平な製品の価値を決定するものである。製品の価値を最もよく知り、最後の審判を与えるものはメーカーでもなければディーラーでもない。日常、製品を使用する購買者その人である。「ああ、この品を買ってよかった」という喜びこそ、製品の価値の上に置かれた栄冠である。(1951年)


 今では当然のことではありますが、根っからの技術者である本田氏が、こういう「顧客重視(顧客満足)」の言葉をすでに今から半世紀以上前、1951年に語っているところが卓越です。

本田宗一郎夢を力に―私の履歴書 (日経ビジネス人文庫)
本田 宗一郎
日本経済新聞社
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チャレンジ (「夢を力に」(本田宗一郎)より)

2005-05-26 00:18:23 | 本と雑誌

(p80より引用) いずれにせよ、このままでは世界の自由化の波にのみこまれてしまうことは必至である。世界の進歩から取り残されて自滅するか、危険をおかして新鋭機械を輸入して勝負するか、私は後者を選んだ。ともに危険である以上は、少しでも前進の可能性のある方を選ぶのが経営者として当然の責務であると判断したからである。

(p197より引用:吉野浩行元社長) 日本の自動車市場は軽自動車を含めても世界の十分の一で、残り九割は海外にあるんです。海外での生産・販売比率を九割にすれば、日本市場が低迷しても痛くもかゆくもない。世界の中で競争してこなかった業種が今苦しんでいる。たとえば金融、建設、不動産。自ら世界に出て、そこで競争してきたところは、そんなに苦しんじゃいませんよ。

 チャレンジは、ある面ではリスクテイキングでもあります。
 チャレンジは「結果論」で評価すべきではありませんが、「リスクテイキング」は「結果責任」が問われるべきだと思います。
 正確には結果責任というよりも決断に至る「プロセス責任」といった方がいいかもしれません。決断に至るプロセスがあまりにも杜撰であれば失敗は当然ということになります。


本田宗一郎夢を力に―私の履歴書 (日経ビジネス人文庫)
本田 宗一郎
日本経済新聞社

 

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情報伝達 -基本は「ミーティング」-

2005-05-25 00:32:35 | ブログ
 情報伝達の基本は、なんといっても「ミーティング」です。

 メールやWeb、企業によっては何らかのKnowledge Management Systemでの情報伝達も広まっていますが、面と向かってのミーティングにかなうものはありません。

 なぜか? 情報伝達の肝は情報を「早く」「正確に」伝えることだからです。

 「早く」を実現するのは「フラット&ダイレクト」です。(Direct Communication)
 「正確に」を実現するのは「直接&双方向」です。(Interactive Communication)

 「早く」の方はわかると思いますが、「正確に」のポイントに「双方向」が加わっています。
 「双方向」はなぜ重要か。一方方向だと本当に誤解なく情報が伝わったか(A→A)の確認が難しいからです。
 双方向の場があれば、情報の発信側からきちんと伝わったかどうか確かめることができます。十分でないと感じた場合は繰り返し伝えたり補足説明したりできます。また受信側は、よく分からなければ質問できますし、自分の理解が正しいか否かをその場で確認することもできるのです。


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技術に対する信念 (「夢を力に」(本田宗一郎)より)

2005-05-24 00:32:58 | 本と雑誌
(p79より引用) ・・・輸出振興と合わせて輸入防止を政府に頼むため民間業者の会合があった。だが私はそれに参加しなかった。輸入を政府に頼み、そのうえさらに輸入防止まで依頼しようという安易な道を選ぶことに強い反発を感じたからである。これはわれわれがあくまで技術によって解決すべき問題である。日本の技術がすぐれて製品が良質であるなら、だれも外国品を輸入しようとは思わない。また黙っていても輸出は増加するはずだ。そのとき私は“良品に国境なし”のことばを身をもって実現しようと決心した。技術を高め、世界一性能のいいエンジンを開発して輸入を防ぎ、輸出をはかろうというわけである。


(p256より引用) 社是の冒頭にある「世界的視野」とは、よその模倣をしないことと、ウソやごまかしのない気宇の壮大さを意味する。



 本田氏は「技術」の持つ可能性を純粋に信じていました。そしてそれを自ら追求し実証しました。
 また、その公正さ(fairness)に誇りを持っていました。Fairな精神を(技術面のみに止まらず、)あらゆる点で周りの人々にも強く求めていました。
 Fairな精神は、模倣を嫌いました。独創性を重んじチャレンジすることのすばらしさを訴え続けました。

本田宗一郎夢を力に―私の履歴書 (日経ビジネス人文庫)
本田 宗一郎
日本経済新聞社
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情報を伝えるときは

2005-05-23 00:18:44 | ブログ
 情報を伝える場合の細かな留意点です。
 情報は抱えていても何の価値も生み出しません。広めて活用しなくてはなりません。

 まずは、情報は「早く」伝えることです。
 不確定な情報もありますが、そういうものであれば「不確定ですが、」という旨も加えて、ともかく「早く」です。早くというのは時間的にもですが空間的にもです。「空間的にも早く」というのは「フラット」に「ダイレクト」に伝えるということです。「伝言ゲーム」は厳禁です。伝言ゲームは伝えるべき人に伝わるのが遅くなりますし、AはA’に、悪くするとBになって伝わってしまします。

 次に「必要な人に」です。ただ、この「必要な人」というのが厄介です。「どう考えても間違いなく必要な人」というのは分かりやすいのですが・・・
 この場合の肝は、(情報の機密性にもよりますが)「思いつく限り広く」を基本に考えるべきだと思います。自分は他人のことをすべて知っているわけではありません。他人がどんなプロジェクトに関与しているか、どんな課題を抱えているか、どんな気づきをするのか・・・等々をすべて知っているわけはありません。
 したがって、発信側で自主規制することは情報活用のチャンスを狭めてしまいます。まずは情報を伝えて、その情報をどう活かすのかは受けた人に委ねればいいのです。
 情報の洪水とかといいますが、情報の取捨選択は送る側ではなく受ける側の責任だと考えるべきです。いるかいらないかは受け手しか分からないのですから、いらない情報は受け手が捨てればいいだけです。
 自分が必要な情報の収集や選別を他人に任せるという考えは間違いです。ひとつのきっかけを大きなチャンスにするためには、ひとりひとりのopen mindが大事だと思います。


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個性の共振 (「夢を力に」(本田宗一郎)より)

2005-05-22 00:36:54 | 本と雑誌

 最近大手外資系ソフトウェア会社からベンチャー企業に転職した方に勧められて読んだ本です。
 本田氏のまっすぐでチャレンジングな信念がストレートに身近なものとして迫って来ました。

(p66より引用) 私は・・・自分と同じ性格の人間とは組まないという信念を持っていた。自分と同じなら二人は必要ない。自分一人でじゅうぶんだ。目的は一つでも、そこへたどりつく方法としては人それぞれの個性、異なった持ち味をいかしていくのがいい、だから自分と同じ性格の者とでなくいろいろな性格、能力の人といっしょにやっていきたいという考えを一貫して持っている。・・・これに関連して、つねづね私の感じていることは、性格の違った人とお付き合いできないようでは社会人としても値打ちが少ない人間ではないかということである。


(p255より引用) 半端なもの同士でも、お互いに認め合い、補い合って仲良くやっていけば、仕事はやっていけるものだ。世の中に完全な人間などいるものではない。自分の足りないもの、できないところを、まわりの人に助けてもらうと同時に、自分の得意なところは惜しみなく使ってもらうのが、共同組織のよい点で大切なところだと思う。「人間の和」がなければ企業という集団の発展はおろか、維持さえもできないということを十分認識してほしい。(1973年)

 
 本田宗一郎氏は、藤澤武夫氏と二人三脚で歩んで来られました。上記の言葉は、本田氏の技術者としてのプライドがベースにありますが、他者の個性・自分にない能力を謙虚に認めるオープンマインドが十分に表れています。
 それぞれの優れた個性が同じ方向を目指して共振して大きなうねりになっていったのです。


本田宗一郎夢を力に―私の履歴書 (日経ビジネス人文庫)
本田 宗一郎
日本経済新聞社
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「わが経営」(ジャック・ウェルチ)を読みながら (12)

2005-05-21 00:45:31 | 本と雑誌

 ウェルチ氏のオープンな姿勢を表す言葉です。
 前者は普遍的ですが、後者はウェルチ氏ならではかもしれません。

(下p256より引用) 傲慢さと自信との間には明確な一線がある。本物の自信だけが仕事の成功を約束する。自信があるかどうかは、何ごとにもオープンな姿勢を保っているかどうか-変化を積極的に受け入れ、新しいアイデアをその出所にこだわらずに取り入れる-で判定できる。自信にあふれた人たちは自分の考え方に批判や反論が向けられることを恐れない。アイデアを豊かにしてくれるような知的論争に喜んで加わる。・・・自信のある人とは自分を飾らないでいられる人だ-あるがままの自分が気に入っており、そのあるがままの姿をさらけ出すことを恐れない人だ。


(下p276より引用) いつ口を出すべきか、いつ自由にさせるべきかを計るのは純粋に本能的な判断だ。・・・ここで要求されるのは一貫性ではない。ときに行き当たりばったりのいい加減さのおかげで仕事が早く片づくこともある。自分が力を発揮できるチャンスを好きに選ぶことだ。

 

ジャック・ウェルチ わが経営(下) (日経ビジネス人文庫)
宮本 喜一
日本経済新聞社


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「おとなのマナー実戦講座」

2005-05-19 00:41:38 | 本と雑誌

 この本に載っているような高級レストランや一流ホテルを訪れることはまずありませんが、どのような場であれマナーは大事にしたいと思います。

 お店とお客は、サービスを提供する側・受ける側という面では相対しているのですが、同じ空間・同じ時間を充実したものに作り上げる共演者でもあります。
 マナーは、そういうハレの場を演出するための自分に対する心遣いであり、パートナーへの心遣いであり、周りの方への心遣いであり、そういう場を提供してくれているお店の方への心遣いなのだと思います。

 そう思うと、マナーの本質は周りを思いやる極々自然な立ち居振る舞いなのでしょう。


日経ホームマガジンおとなのマナー実戦講座
日経BP社
日経BP社
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「わが経営」(ジャック・ウェルチ)を読みながら (11)

2005-05-18 00:30:10 | 本と雑誌

ウェルチ氏は評価を単なる評価としてのみではなく、積極的に「企業の成長の源泉」として位置づけています。評価自体が武器のようです。

(p247より引用) 実際GEは出身に関係なくすばらしい人材を見いだし、育成することに熱心だ。私はいろいろなことに熱中する性質だが、社員をGEのコア・コンピタンシー(競争力の源泉)にすることへの情熱に勝るものはない。・・・製品を作るときは、違いをなくそうとする。だが人にかんしては、違いこそがすべてだ。違いを判断するのは簡単ではない。大企業で社員一人ひとりの違いをとらえる方法を見いだすのは至難の業だ。GEでは長年、人事評価に差をつける目的でさまざまな釣鐘型カーブや方形チャートを駆使してきた。業績や潜在能力を高、中、低で評価し、グラフ化する。また、「360度評価」を導入し、同僚や部下の評価も盛り込んだ。これはなかなかよかった。当初の数年で「上にへつらい、下につらく当たる輩」が誰かわかったからだ。仲間内の評価というのは何でもそうだが、この評価システムにしても、時間の経過とともに、「裏をかかれる」可能性がある。たがいに耳あたりのよいこと以外は言わなくなり、全員の評価がよくなる。現在、「360度評価」を使うのは、限られた場合だけだ。


(下p262より引用) 評価基準を固定化すれば現実に合わなくなる。相手にしている市場の状況は変化し、新たな事業が開発され、新しい競争相手が現れる。私はつねにこの質問にどこまでもこだわる。「われわれは自分たちが望んでいる特定の行動に対して正しく評価をし、報酬を与えているだろうか」評価と報酬を結びつけないことによって、求めて「いない」ものを手にすることもよくあるのだ。



 ちなみに私の会社でも360度評価は試行的に行なわれています。が、私は気にしやすいたちなので結果については見ないことにしています。その背景には、私が360度評価をする際、被評価者を十分理解したうえでスコアリングしていないという事実があります。正直、「感覚」ではなく自信をもって評価できるほど相手を知らない場合がありますし、評価のための質問も表層的・短絡的なものが非常に多いのです。
 現状のやり方では、効用よりもノイズ(ミスリード)の方が圧倒的に大きいように思います。

ジャック・ウェルチ わが経営(上) (日経ビジネス人文庫)
ジャック・ウェルチ,ジョン・A・バーン,宮本 喜一
日本経済新聞社
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「やりなおし教養講座」(村上陽一郎)

2005-05-17 00:23:33 | 本と雑誌
(p189より引用) 人間というのは優越感と劣等感で育っていくものだと思います。・・・自分というものをつかむ。そして自分が生きていくということに誠実であろうとするときに、砥石のような働きをしてくれるのは、他の人と比べて自分はどうであるかということであり、ある場面で優れているということ、ある場面で劣っているということを一つ一つ自覚していくことが、人間が自分を自分として自覚していく最初の出発点だと思うんです。それをできるだけなくそうというのは、本当に何を考えているのか私にはわからない。



 そこそこ年をとってくると(といってもまだ40歳台ですが)、こうしておけばよかったと今更ながら残念に情けなく思うことがあります。そのひとつが、「もっと大学の授業を真面目に聞いておけばよかった」ということです。そう考えていたとき、たまたま書店でこの本を見つけました。(単純にタイトルに惹かれて・・・)

 本書の中で著者村上陽一郎氏は「教養」というキーワードでいろいろなことを論じていますが、ひとつ、現代における「教養」教育の退化を憂えています。
 自分というものを育て確立する場としての教育現場(学校)において、自己を自覚する機会を「平等」の名の下に無くさしめている状況に強い疑問・不満を抱いています。

 学校という限られた環境の中で競争や比較を表層的な意味で見えなくしたとしても意味があるとは思えません。結局のところその後の人生においてはもっと厳しい状況に直面するのです。競争や比較の是非についてはともかく、(そういう理由で)「徒競走」をやめたり、一斉に走らせるものの順位をつけるのをやめたりといった非本質的な対処療法は私にも全く理解できないところです。


やりなおし教養講座 NTT出版ライブラリーレゾナント005
村上 陽一郎
NTT出版
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Googleとジャーナリズム

2005-05-16 00:29:15 | 日記・エッセイ・コラム
 先日、あるフォーラムでノンフィクション作家の山根一眞氏の講演を聞きました。

 その中で氏は、Googleで提供されている「複数の新聞を横断的に検索し記事を収集してくるサイト」に関して、「これは、マルチメディアではあるがジャーナリズムではなくなる」とコメントされていました。

 山根氏の主張はこういうことです。
 そもそも新聞というものは、記者(新聞社)がある視点をもって取材し編集して世の中にひとつの意図のあるメッセージを訴えるものである。しかしながら、Googleのサービスのように複数の新聞をあるキーワードで検索・収集し、同様の記事を機械的に配置して1viewで見せるとなると、そのページは主義主張の異なる記事の単なる雑多な寄せ集めになってしまう。そして、そこには一定のメッセージなどなくなってしまう。これではジャーナリズムの否定につながる というものです。(本来のジャーナリズムは、主張と反論のインタラクティブな関係により健全化が図られるべきということだと思います)

 さて、こうなってくると、今まで以上に読み手の「情報ハンドリング能力」「情報目利き力」「情報咀嚼能力」が問われるようになります。すなわち、1viewで並べられたいくつもの記事(情報)を見て、その中から価値のあるものを選別し、(事実として開陳されている事項のバラツキはもちろん)それぞれの記事の編集意図とメッセージを注意深く「相似と相違」を意識しながら頭に入れてゆくというプロセスが必須になるということです。
 これがキチンとできないと「和洋中バイキング」のように、満腹にはなりますが、一体何を食べたのが皆目分からなくなってしまいます。


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分身を作るための情報伝達

2005-05-15 01:29:08 | ブログ
 ひとりひとりのメンバにはいろいろな個性がありますし、得手不得手も様々です。そういういろいろなタイプのメンバが集まっているほど刺激があって楽しいものです。

 しかしながら、業務は通常チームとしてひとつの目標に向かって取り組むものです。仮に個々のメンバが個々にアクションをとった場合でも、それらが同じベクトルのものでなくてはならない場合があります。

 そういった類の業務の場合には、各々のアクションや判断にバラツキが生じるのは致命的となりますから、なんとかして個々人のアクションを同じベクトルに収斂させる必要が出てきます。すなわち、チームリーダから見ると「自分の分身=同じ情報に対して同じような反応をする人」が欲しくなるのです。

 その「分身」を作るための大事な第一歩が、「情報の伝達・共有化」です。

 しかし注意しなくてはならないのは、ただ単に情報を伝えるだけでは不十分だということです。通常イメージされている情報は「インプット情報」です。「マーケティングリサーチによれば○○の売れ行きがよくない」とか「他社は△△という新製品を出すようだ」とか「今後××業界の投資意欲は増加傾向だ」とか・・・
 これらの情報をインプットにして個々人がどういうアウトプットをするかが大事なのです。「風が吹けば埃が舞う」と思う人もいれば「風が吹けば桶屋がもうかる」と思う人もいるのです。いくら同じインプット情報があったとしても、それを処理するロジックが異なっていては出てくるアウトプット(アクション)は全く別ものになってしまいます。

 したがって、業務での分身作りのためには、「インプット情報」のみを伝達したり共有化したりするだけでは不十分です。
「処理ロジック」も共有化しなくてはなりません。

 ここで重要になるのが、「ビジョンの共有化」であり「価値観の共有化」であり「コンセプトの共有化」であり「目的の共有化」です。これらの共有化が十分でなければ、いくら「インプット情報の共有化」を図っても全く意味はありません。チームリーダが存在する意味・意義はまさにここにあります。

 さらにいえば、「ビジョンの共有化」「価値観の共有化」「コンセプトの共有化」「目的の共有化」が十分になされていれば、「一定の処理ロジック」に対して「想定外のインプット情報」が来たとしても応用動作で同じベクトルのアクションをとることができるようになるのです。

 ただし、ここまでの話にはひとつ大事な点があります。上記の話が当てはまるのは、「ベクトルを合わせた業務遂行」の場合に限るということです。
 業務の幅を広げたり新たな気づきを生み出したりするためには、「いろいろなタイプの人の自由闊達な発想」が何よりも重要です。それなくしては新たな飛躍は望めません。


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