OMOI-KOMI - 我流の作法 -

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東京ルポルタージュ 疫病とオリンピックの街で (石戸 諭)

2022-04-30 07:11:48 | 本と雑誌

 いつも聞いている大竹まことさんのpodcastの番組に著者の石戸諭さんがゲスト出演していて、本書の紹介をしていました。
 取り扱っているテーマがとても気になったので読んでみたのですが、予想していたのとはちょっと違ったラインナップでした。その中から私の関心を惹いたところをいくつか書き留めておきます。

 まずは、新型コロナ禍の最中、企画された演劇の上演での気づきを記した「劇場」の章での “ヴァーチャルコミュニケーションの欺瞞?” についてのくだりです。

(p131より引用) 2020年を象徴するのは、例えばこんなニュースである。新型コロナ禍でオンラインの会議システムとして、一躍知名度を上げた「Zoom」の有料契約者数がこの1年で14倍に増え、日本での売り上げは100億円を超えた。自分たちが対面でないとできないと思っていたことの多くが、実はオンラインで代替可能であると知った。マスクを着けて、わざわざ対面で会うより、画面越しに会う方が安全であり、効率的であることを知った。しかし、確実に「何か」を勘違いしている。代替しているつもりで、本当は代替できていないものがあるにもかかわらず、それを見ないようにしている......。

 私は、ヴァーチャルな仕掛けは、リアルコミュニケーション(対面)の一部機能の代替もしくは補完にはなり得るとしても、本質的には “別物” だと思っています。リアルでしか得られないものやヴァーチャルな視野(画面)からはみ出しているものの中にこそ本質的に大切なものがあると考えているのですが、石戸さんもそういった考えなのだろうと思いました。

 そしてもうひとつ、新型コロナ禍での医療最前線の実態。
 私は、医療現場といえばコロナ病棟ぐらいしか頭に浮かびませんでしたが、在宅療養者を対象とした「訪問看護」に関わっている方々も厳しい状況に置かれていました。

(p284より引用) 病床確保のためのお金はこの1年でかなりつぎ込まれた一方で、もう一つの最前線であったはずの訪問看護への手当は低いまま感染者は増加し、そもそも担い手の少ない訪問看護が「最後の砦」になった。これでは現場は報われない。大多数の軽症患者、中等症患者の一部を地域で治療・ケアし、よりハイリスクな中等症患者、そして重症者の治療に大病院の医師が集中できるようにする方法はある。現場の負担軽減にもつながるはずだが、こうした動きが特に首都圏では鈍かった。いつも漫然と「波」を乗り切って、喉元を過ぎて暑さを忘れたためだ。「次に備えよう」は、掛け声だけで終わった。

 この“喉元過ぎて・・・”という意識が国や地方自治体のトップの思考や行動原理の中に間違いなくあったでしょう。いつまでも「後手」「泥縄」な対応に終始しているのはそれ故です。

 さて、本書を読み通しての感想です。

 2020年以降、新型コロナ禍という凄まじい攪乱要因が、ありとあらゆる人々の暮らしを根こそぎ歪曲させてしまいました。そして、その災禍の最中に東京は「オリンピック/パラリンピック」を開催・・・。本書は、取材の舞台をその「東京」に定めたコラム集です。どのエピソードを取り上げても、いわゆる “生活弱者” と呼ばれる人々に向けられた著者の暖かな視線が印象に残ります。

 先に読んだ石井光太さんによる「ルポ 自助2020- ― 頼りにならないこの国で」もそうですが、今この時代に生きている一人ひとりの実像を捉え伝える著作はとても貴重です。
 このリアルコミュニケーション断絶の時代に、今、市井の人々の中に入り、その生の声を掬い取り伝えることは、まさに “メディア人のレーゾンデートル” そのものですね。

 

 

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〔映画〕かもめ食堂

2022-04-29 07:34:50 | 映画

 
 小説を映画化した作品です。
 
 穏やかなシーンが流れゆき独特の雰囲気を漂わせる映画ですが、それも、小林聡美さん、片桐はいりさん、もたいまさこさんという一流の個性派女優さんたちの共演故に醸し出すことができたのでしょう。
 
 ストーリー自体あるかないかのよう、何ということはない物語ですが、それが見事にひとつの「映画」に仕立て上げられています。「フィンランドの日本食堂」という舞台設定も秀逸でしたし、最後に流れる井上陽水さんの「クレイジーラブ」も驚くほどフィットしていました。
 
 こういったテイストの作品でも強烈なインパクトを残すことができるんですね。

 

 

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〔映画〕NEXT -ネクスト-

2022-04-28 07:39:08 | 映画

 
 ニコラス・ケイジが主演なのでだいたい予想されたことですが、やはり「イマイチ」の作品でした。
 
 “予知能力” を持った男が主人公なのですが、その予知能力の及ぶ範囲がご都合主義的にいい加減なので、ストーリー自体に何か軸のようなものが見当たらないのです。
 
 ラストの “どんでん返し” もその結末が尻切れトンボ・・・、何とも雑な作りです。これでは、観終わっても “欲求不満” しか残りません。
 
 ジュリアン・ムーアやジェシカ・ビールといった魅力的な女優さんが出演しているのに、これではあまりにもったいないですね。

 

 

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〔映画〕フォー・ウェディング

2022-04-27 14:16:45 | 映画

 
 この手のテイストの作品では “千両役者” のヒュー・グラントが主演、その彼にとってもかなり初期のものとのことです。-
 
 お決まりの度重なるすれ違いから、すったもんだのあげく周りの迷惑は省みず、最後は(その二人だけにとっての)“Happy End” という「欧米版水戸黄門シリーズ」です。
 
 まあ、映画の中のギャグやジョークが肌に合えば、それなりに楽しめるのでしょうが、正直、素直に笑えない類のものが多くて・・・、やはり予想どおりの感想に落ち着いてしまいますね。イマイチです。
 
 そうそう、そういった作品ですが、デイム・クリスティン・スコット・トーマスは役どころも演技もファッションもとても良かったですね。この映画の唯一の救いでした。

 

 

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蜜蜂と遠雷 (恩田 陸)

2022-04-26 11:37:32 | 本と雑誌

 

 少し前に、本書を原作として作られた映画を観ました。ほどよい物語の起伏が心地よくて、とても良い作品だと思いました。

 観終わって思ったのですが、この作品の舞台がピアノコンテストなので、当然のことながら、ピアノを演奏するシーンやその曲自体が映画のなかでは大きなウェイトを占めていました。そのあたり「活字」ではどう表現されていたんだろうと。ということで、改めて原作を読んでみることにしました。

 映画を先に観ているので、ストーリー自体はすでに頭に入っています。なので、「なるほど、原作はこうだったのか」「映像ではあんなふうに描いたのか」、そういった気づきが大きな楽しみでしたね。
 もちろん映画化に際して原作の幾何かには手を入れられるのですが、本作品の場合もある程度の短縮に加えプロットやストーリーライン自体にもかなりの変更がありました。ただ、そういったプロセスにもかかわらず、出来上がった映画は、原作のテイストを大切にした程よい距離感はキープされていたように思います。

 さて、肝心の小説の方です。私は、こういったテイストの小説はあまり読みません。ましてや、本書のように直木賞と本屋大賞を同時に受賞するような話題作はかえって避けていたタイプです。

 今回読んでみた感想ですが、ネタバレしない程度に簡潔に言えば “とても爽やかな心地よい物語” でした。評判になるのも素直に納得できます。

 映画の方は「音楽を映像化する」のが一つのポイントだったと思いますが、こちらはうまくストーリーに乗せさえすれば「演奏シーン」と「音響効果」でかなりしっかりと表現できるでしょう。他方、「音楽を文字化する」というのは、これは難しいでしょうね。高難度のチャレンジでしたが、恩田さんの楽曲に対する豊富な知識と多彩かつ繊細な表現力で見事に成功させていました。

 まあ、正直なところ、コンテストの進行に合わせた一次・二次・三次・本選の演奏シーンの描写は、流石に後の方になるにつれ、重畳的な表現も目に付き、冗長な感覚を抱くのは否定できませんでした。このあたり、物語の密度も考えると3割方ボリュームを絞ったぐらいの方が読み応えは増したのではないかと思いましたが、これは読者の感性や好みの問題でもありますね。

 ただ、繰り返しになりますが、本作品は「小説」も「映画」も、とても素晴らしい出来だったのは間違いありません。ピアノコンテストという舞台設定と主要な4人の魅力的な登場人物のプロットが成功の決め手だったと思います。

 原作を読み通した今、もう一度機会があれば映画も観直してみたいですね。

 

 

 

 

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〔映画〕科捜研の女 -劇場版-

2022-04-25 11:52:28 | 映画

 
 TVドラマも観たことがないのですが、評判はそこそこ良かったので「どうかなぁ」と思いつつも観てみました。
 
 結果は、やはりこういった2時間ドラマ的な作りの映画化作品は、私には合いませんでした。
 
 仲良しクラブ的なプロットなので、リアリティがなく結局 “コミック” になるんですね。
 まあ、印象に残ったところを強いて言うなら、キャスティングを眺めた瞬間に「犯人」だとほとんどの人が思うであろう人物が、最後のオチで欺かれたところぐらいですが、それもかなり無理筋でしょう。
 
 私のような年代の人間にとっての本作品の最高の見どころは、往年の二枚目俳優のみなさんが登場するシーンです。
 風間トオルさんは十分面影がありますが、ちょっと驚いたのは田中健さん、野村宏伸さんあたり、昔のイメージとまったく繋がらなかったのは西田健さんでした。

 

 

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〔映画〕ワイルド・スピード/ジェットブレイク

2022-04-24 09:00:25 | 映画

 
 ワイルド・スピードシリーズは、当初は好きなシリーズだったのですが、回を重ねるごとに急激に劣化しましたね。
 
 ここ何作かは、ドウェイン・ジョンソンやジェイソン・ステイサムを登場させて立て直しを図っていましたが、本作品は、逆に始めのころの登場人物中心でトライしたものです。ですが、残念ながら “ダメ” でしたね。ここまでいくと、中途半端なB級アクション・コミック作品といった体です。
 
 ともかくテーマは陳腐、登場人物のプロットも演技もワンパターン、ストーリーは意味不明・・・。ヴィン・ディーゼルとジョン・シナには見た目からして兄弟らしさが感じられませんし、せっかくの敵役のシャーリーズ・セロンも全く見せ場がありません。

 今後も続編は作られるようですが、やはり「プロット」と「ストーリー」で魅せるものがないと厳しいでしょうね。

 

 

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炎上社会を考える-自粛警察からキャンセルカルチャーまで (伊藤 昌亮)

2022-04-23 09:58:46 | 本と雑誌

 いつもの図書館の新着本リストの中で見つけた本です。

 ネット社会の闇として「SNSでの炎上や誹謗中傷」が大きく問題視されています。
 私も、その発生の心理的要因には興味をいだいていたのですが、そのあたりのヒントが書かれているかと思い、手に取ってみました。

 本書で扱っている事象は「自粛警察」「炎上」「ハッシュタグアクティヴィズム」「ヘイトスピーチ」「誹謗中傷」「キャンセルカルチャー」などです。それぞれの解説では興味深い指摘がなされていましたが、そのうちのいくつかを覚えに書き留めておきます。

 まずは、特に、新型コロナ禍の初期に登場した「自粛警察」の発生背景について。伊藤さんはこう考えています。

(p31より引用) そこに働いているのは、日本社会の中に古くからあるたぐいの圧力とはまた異なるものだろう。つまり「古い現象」としての、前近代的なムラ社会に固有の同調圧力のようなものではなく、むしろ「新しい現象」としての、新自由主義的な市場社会に固有の生き残り圧力のようなものだ。・・・
 つまりそこには、一方では感染防止に向けた総動員体制を強化し、そのための相互監視を徹底させるという、戦時下の全体主義的な思考に通じるような論理があり、他方では感染リスクの回避のためにコンプライアンス違反を告発し、厳罰に処するという、二十世紀末以来の新自由主義的な思考に基づくような論理がある。

 そして、この「自粛警察」という現象をこう総括しています。

(p32より引用) いわば日本型の新自由主義改革から産み落とされたモンスターこそがこの現象だったのではないだろうか。

 次に、少し前からtwitterを中心に見られ始めた「ハッシュタグアクティヴィズム」について考察しているくだりです。

(p100より引用) 今日では多くの問題が複雑な背景を持ち、その全容を見通すことがますます困難になっている。しかし一方でSNSの普及により、誰がどう反応しているのかという状況を見渡すことはきわめて容易になっている。このように問題の内実が見通しにくくなっている一方で、他者の動向が見渡しやすくなっているというアンバランスが急速に進行するなかで、人々は前者の情報よりも後者の情報にますます頼るようになったのではないだろうか。その結果、情報カスケードが起きやすくなっている。
 そこではハッシュタグにより、「複雑性の縮減」が独特の方式で進められていると言えるだろう。

 投稿内容のテーマづけや分類を目的とした単純なハッシュタグに止まらない、アピール内容そのものを“ワンフレーズ”のハッシュタグ化する手法の興隆はSNSの役割を大きく変えるものですね。それだけに、そういった使われ方の良否を判断し、どう扱っていくのかが大きな課題になります。「誰(著名人)が」ではなく「何(主張内容)を」をしっかり見極めることですね。

 そして、最後は「キャンセルカルチャー」の章で紹介されたオバマ前アメリカ大統領の興味深いコメント。
 ある人物の過去の言動をネット上で糾弾することにより、その人物を社会から“キャンセル”してしまおうとする風潮ですが、その権力性や暴力性について、彼は懸念を抱いていました。

(p186より引用) オバマによれば、「いかに間違ったことをしているかをツイートしたり、ハッシュタグで示したりする」のは、「自分がいかに『ウォーク』(「目覚めた者」という意味)かを示す」ためだという。そこで当人は「自己満足し、いい気分になっている」だけだという。・・・
 このようにオバマは、キャンセルカルチャーは社会を変革する動きとはなりえないと断じた。それどころかそこでなされているのは、各人の自己満足と自己顕示のための行動だという。つまり自己呈示のためのパフォーマンスということだろう。

 残念ながら、こういった「自己満足」を“匿名性”をいう自分だけは傷つかない隠れ蓑のもとで得られる世界が、今のネット空間の相のひとつです。

 本書で取り上げられた事象の多くに共通して思うことですが、解説されているような要因で主体的行動(ex.自粛警察活動やヘイトスピーチ etc.)を起こすコア層と、それを見て、また何らかの心理的要因で拡散させる層とがあるように思います。そして、その拡散層にも2種類あって、ひとつは積極的同意で本人は良かれと思って拡散させているグループ、もうひとつは本人の精神的プレッシャー等からの解放や単なる心理的愉楽を得るがために(面白がって)拡散させているグループです。

 何とか最後のグループによる “根拠のない誹謗中傷” だけでも止められたらと切望するのですが、“マイノリティーをエンパワーする場”としての健全なネット社会を実現するためには、ある程度の規制強化も必要なのでしょうか?

 恣意的な“規制”がまかり通らないよう、なんとか “ネットの良心” に望みを託したいのですが・・・。

 

 

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〔映画〕ホット・ロック

2022-04-22 08:10:50 | 映画

 
 今から50年前、1972年の作品です。
 
 年代を感じるクライム・コメディ、出来としては「並」ですね。長閑さを感じさせるストーリーも後半になっていくつか捻りがありますが、それも全く意外といったものではありません。
 
 この前年に制作されたスティングもそうですが、当時ロバート・レッドフォードはこういったテイストの役どころもこなしていたんですね。
 
 ただ、映画としての “面白さ” でいえば、スティングが圧倒的です。初めて見たとき衝撃的だった最後のどんでん返しは、何度見ても痛快です。

 

 

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〔映画〕外事警察 その男に騙されるな

2022-04-21 07:38:15 | 映画

 
 ほとんど期待していなかったのですが、NHKドラマからの映画化ということでちょっと気になりました。
 
 正直、途中で観るのを止めようかと思ったのですが、なんとか最後まで辿り着きました。観通してみると、こういったテイストの邦画にしては、まあまあしっかり作ろうとした印象はありますね。
 
 ところどころ、ちょっと無理筋のプロットもありましたが、役者のみなさんの頑張りでそれなりのリアリティに仕上がりました。とはいえ、この作品の場合は、真木よう子さんと田中泯さんの存在感が大きかったですね。
 
 ちなみに、内閣官房長官の会見のシーンは意味不明でした。無くてもいいでしょう。伏線の回収を最後にあやふやにしたところは正解ですが。

 

 

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東京の教科書 (JTBパブリッシング)

2022-04-20 08:43:00 | 本と雑誌

 いつもの図書館の新着本リストの中で見つけた本です。

 「東京」を多角的な切り口から解説したビジュアル本です。
 “教科書”とあるように、国語・算数・理科・社会・・・、といった各科目ごとに「章」立てし、豊富な図版や資料を駆使してテンポよく解説していきます。

 期待どおり様々なジャンルの蘊蓄の集まりでどの項も興味深かったのですが、私としては、やはり今の住まいのあたりの話題が気になりましたね。

 まずは、「理科(地球史)」の“立川断層”

(p36より引用) 立川断層を震源とするのは、内陸型地震。地下の断層にプレート移動など何らかの力が加わることでさらにずれが生じ、その衝撃で起こる地震だ。・・・
 立川断層は、太平洋プレートやフィリピン海プレートの動きに誘発されて動く可能性が高く、それを原因とする地震は震源が比較的浅い地下5~20kmで起こると考えられているために、「直下型」ともいわれ、懸念されている。では立川断層とはどこを指すか。国と東京都で見解が異なる。国の見解は、関東山地東部の埼玉県飯能市から武蔵野台地西部の東京都青梅市、立川市を経て府中市に向かう約33km東京都の見解は、青梅市の小曽木笹仁田峠付近から武蔵村山市三ツ木や立川市砂川町を経て国立市谷保までの約21km。マグニチュードは断層の長さに比例するため、次に起こる立川断層を震源とする地震の規模の国の予測はマグニ チュード7.4で、 都の予測は7.0。地震の規模で考えると国の予測のほうが4倍大きい。

 事程左様に、国と都では場所以外でも活断層の種類・地震の周期等、見解が異なっているようですが、ともかく私はまさに“そのあたり”に住んでいるので気にならないわけにはいきません。かといって、転居するわけにもいかないのですが・・・。

 そして、もう一点が「社会(地理)」の“国分寺崖線”

(p108より引用) 国分寺崖線とは、立川市から国分寺市、世田谷区などを経由して大田区へ続く約30kmの“崖の連なり”のこと。立川崖線とともに、古代の多摩川が南へ流れる過程で、武蔵野台地を削ることでできた河岸段丘の連なりだ。具体的には立川市砂川九番から、野川に沿って東南に向かい、東急線二子玉川駅付近で多摩川の岸辺に近づき、それから先は多摩川に沿って大田区の田園調布まで続いている。

 この“国分寺崖線”もご近所さんなのですが、こちらの場合は、紹介ページのタイトルが “水が湧き出る緑の台地 その源となっている国分寺崖線の魅力”“美観を生む崖の連なり”とあるように、読んでいても晴れやか気持ちになりますね。

 立川断層は地殻変動国分寺崖線は河川の浸食によるもの、たまたま似たようなエリアのネタですが、出自は別物です。

 

 

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〔映画〕ワイルド・スピード/スーパーコンボ

2022-04-19 12:39:21 | 映画

 
 人気シリーズの「ワイルド・スピード」のスピンオフ作品ですが、こちらは、ドウェイン・ジョンソンとジェイソン・ステイサムの超重量級ツートップなので全く侮れませんね。
 
 プロットやストーリーは取り立てて注目すべき工夫があるわけではありません。むしろ “単純”で“軟弱” ともいえるような内容ですが、100%、エンターテインメントに徹しているので、アクション・コミック作品としては十分楽しめる仕上がりだと思います。
 
 キャスティング面では、ヴァネッサ・カービーが出色でした。同じころに「ミッション:インポッシブル/フォールアウト」にも出演している彼女ですが、こういったテイストの作品にはすっぽりとハマるキャラクタですね

 

 

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〔映画〕ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書

2022-04-18 11:36:17 | 映画

 
 そもそものモチーフがセンセーショナルなのが成功の最大要因ですが、スティーヴン・スピルバーグは、こういったテイストの作品を本当に上手にエンターテインメントに仕立て上げますね。
 
 キャスティングも、メリル・ストリープとトム・ハンクスの重量級ツートップを配する万全の布陣です。
 特に、こういう役どころのメリル・ストリープの存在感は格別ですね。スマートなスーパーウーマンではないリアリティを感じさせる演技は流石だと思います。
 
 先に観た邦画があまりに私の好みとはかけ離れた“残念”な出来だっただけに、この作品でちょっと気分的にリカバーできました。まさに映画らしい王道の作りの映画で、良かったです。

 

 

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ルポ 自助2020- ― 頼りにならないこの国で (石井 光太)

2022-04-17 10:11:46 | 本と雑誌

 いつもの図書館の新着本リストの中で見つけた本です。

 今般の新型コロナ禍では生活弱者に対する政府の非情さが際立ちました。本書は、その現実に対し必死の思いで抗する人々の姿を描いたルポルタージュです。

 まずは、「第三章:保育園児の命を守るための闘い―西寺尾保育園」です。

 横浜市神奈川区にある私立の社会福祉法人聖徳会「西寺尾保育園」で保育士のひとりが新型コロナ陽性と診断されました。その際の行政とのやり取りは、まったく常人の理解を越えた理不尽なものだったのですが、本レポートはその糾弾とともに、もうひとつの視点を提示していました。

 新型コロナ陽性者が出たにもかかわらず、その事実の公表を押し止め開園を指示した横浜市に対し、子どもの安全を第一に対応した菱川園長は、これを機に「子育てとは何か、そこでは何を大切にするべきか」を問い直したのです。
 そのくだりでは、単に「コロナ禍対応での行政の不手際の追求」に止まらない、著者からの重要な指摘がなされていました。

(p83より引用) コロナにかぎらず、台風や大地震といった災害時にも、行政が保育園に開園の継続を指示したり、親が「こんな時だから保育園に預けておこう」と考えたりするのは、その表れだろう。恐怖に打ち震える子供たちが求めていることが目に入っていない。
 経済を回すという意味では、そうした方がいいのかもしれない。だが、菱川のいう「日本の未来を担う子供を育てる」という見地に立てば、こういう時こそ親が子供に寄り添い、愛情を注ぐことが重要なのではないか。大変だから保育園に預けておけばいいというものではないはずだ
 そういう意味では、西寺尾保育園で起きた出来事は、はからずも日本社会が抱えている矛盾を照らし出したといえるのかもしれない。
 少子高齢化の中で、どうやれば子供優先の社会や家族のあり方を築いていくことができるのか。
 コロナ禍が投げかけてきた課題は大きい。

 次は、新型コロナ対応最前線の「医療現場」の実態を伝えるレポートです。

 大阪市立総合医療センターは大阪における重症患者治療の中核施設として新型コロナ専門病棟を設置しましたが、同時に小児がん拠点病院・小児三次救急病院としての重要な役割も担っていました。その両立を目指す環境下において、看護師も患者もともに重い負担に耐えていました。

(p223より引用) 病院内では、新型コロナへの対応によって看護師等の配置転換が行われていた上に、感染症対策や、それまで家族やボランティアが担っていたことを代わりにしなければならなくなったことから、一人当たりの仕事量が格段に増えていた。それが病棟の看護師の負担となって襲いかかっていたのである。
 病院の規則が変わったばかりの頃、日香里を含めて患者たちは未知の状況に動揺を隠しきれなかったが、同じくコロナ禍に振り回され、疲弊していく看護師を間近で見ているうちに、だんだんと「自分がしっかりしなければ」と思い直すようになった。
 看護師にこれ以上の負担をかけるわけにいかない、そのためには自分自身でできることをやらなければ。

 新型コロナ禍による医療現場での混乱や負荷は、医師や看護師たちのみならず通常の入院患者たちによる“自助”をも生起させていたのです。

 今回のコロナ禍は、それが“本性”だと思いたくはありませんが、今の社会の様々な人々の実相を顕在化させました。

 最初にクラスタが発生したことがマスコミにより歪曲して報道された高齢者施設「グリーンアルス伊丹」では、

(p24より引用) 世間からグリーンアルス伊丹に対するバッシングがはじまったのはこの頃からだ。情報が不十分な中で、マスコミが散々誤解を生じさせるような報道をしていたことで、人々が怒りを向けるようになったのだ。
 ただでさえ多忙を極める中、施設の窓口には連日のようにクレームのメールや電話が押し寄せ、ネットには大量の罵詈雑言が書き連ねられた。施設の壁にも、何者かによって黒いマジックで「伊丹の癌」「集団感染があった施設」という落書きがなされた。

 そうかと思うと、虐待下の子どもたちを預かっている「江戸川区児童相談所」では、こんなことも起こっていました。

(p107より引用) 「こういう危機の時だからこそ、近隣の人たちの手助けもありました。四月に入ってしばらくして、近所に暮らすご夫婦が、「大変だろうから、これで何とかしてくれ」とかなり高額な寄付をしてくださいました。・・・」
 同じようなことは他の児童養護施設でもあったようだ。都内のある施設では、緊急事態宣言が出た後、近所のレストランチェーンの社長から連絡があり、無償で食料を届けたいという申し出があった。・・・
 また、同じ施設の話では、その他にも予期しなかった複数の支援の話があったという。買占めによる紙製品の不足が深刻化した時には、ドラッグストアの店長から、「トイレットペーバーやティッシュを優先的に回します」との申し出があったり、ある企業の社長さんが連絡をしてきて、マスク千枚と大量の消毒液を寄付してくれたりした。国の支援が届かないところを、民間の人たちが支えてくれたのだ。

 どちらも「人」です。

 この長く続き未だに明確な出口が見えない新型コロナ禍の中、「行政」の立場で、困窮している人々のサポートに尽力している「人」も大勢いらっしゃるでしょう。しかしながら、やはりこういうときこそ、「施策」という形で一人一人の動きでは成し得ない大きな手を差し伸べるのが「政府・自治体」のあるべき姿だと思います。

 残念ながら、本書で紹介された数々のエピソードが伝えているのは、総じてまさに現場当事者個々人による「自助」の姿です。
 そもそもこういう苦しい状況は、決して「自らの責任(自己責任)」で生じたものではありません。だとすると、当然、まずは「公助(国・自治体)」が動くべきでしょう。

 公助の原資は、国民であり当事者から供出された税金であり、それゆえ、その税金の使途を「公助のための施策」とすることには何の問題もないはずです。国民のため当事者のための対策が“自助・共助”がなされた後にしか取られないようでは、いったい誰のための“公”なのか、公助が “最後に登場するセーフティネットだ” というのは、全く本末転倒だと言わざるを得ません。

 さらに、それに輪をかけて悲惨な現状は、公助の名のもとでなされる対策の多くが、あまりにも的外れで“セーフティネット”としての機能すら果たせていないということです。

 

 

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〔映画〕初恋

2022-04-16 08:26:24 | 映画

 
 「初恋」をいうタイトルから勝手に想像していた感じとは全く別物の映画でした。
 
 ある程度映画に関心のある人なら、監督の名前で気づくのでしょうが、私の場合、そのあたり全然気にしていないので完全にミスチョイスをしてしまったようです。
 
 バイオレンス系のギャグコミックといったテイストですね。正直、ストーリーもプロットも何もかもハチャメチャで大失敗でした。何か “中和剤” 的な作品を観ないと、どうにも後味が悪いです。

(もちろん、こういったテイストの作品を否定するものではありません。あくまで私の好みではなかったということですね)

 

 

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