いつも利用している図書館の新着本リストで目についたので手に取ってみました。
“生物の進化” は個人的にとても興味のあるテーマなので、そのままズバリのタイトルの本でどんなことが解説されているのかとても気になります。
ということで、生物学の素人の私の興味を惹いたところをいくつか書き留めておきます。
まずは、ちょっと変わったところから「味覚の意義」について。
(p83より引用) 旨いと感じられるということは、脳が喜んでいるということである。・・・なぜ、アミノ酸を検出すると脳が喜ぶのだろうか?それは旨味の味覚が、その食物のなかにアミノ酸から構成されるタンパク質が存在することを教えてくれるからである。「それは体をつくる大切な物質を含んでいるから取り入れてもいいよ」と教えてくれているのだ。甘味も同じだ。甘いということは糖分などの炭水化物がその食物のなかに存在することを教えてくれている。
「苦み」や「酸味」は、毒物や腐敗物に対するアラームです。なるほど、“味覚” は体の中に入れていいもの、悪いものを区別する判定機能だったのですね。
もうひとつ、「進化生物学」など “マクロ生物学” についての佐藤淳さんの意義づけ。
(p134より引用) これからの生物学においては、モデル生物の普遍性とは反対側の方向、つまり野生生物の多様性を学ぶことが、逆説的ではあるが、生物の普遍性を理解するうえでは大変重要な意味を持ってくる。生物の本質を知るとはそういうことなのだ。
これに続いて、今日、CSR(Corporate Social Responsibility:企業の社会的責任)の一環として産業界にも拡がりつつある「ネイチャーポジティブ(自然再興)の実現」を目指す動きについても言及しています。
(p138より引用) ネイチャーポジティブとは、「自然を回復軌道に乗せるため、生物多様性の損失を止め、反転させること(環境省)」である。
“生物多様性の危機” にはじまる未来を予測することは難しいのですが、進化生物学的視点から、変化の方向性や時間スケールをイメージすること、そして、まだ大きな動きにはなっていない段階から解決に向けた営みを始めることが重要だとの佐藤さんからのメッセージです。
そして、最後に、佐藤さんが「サイエンスの醍醐味」として語っているくだり。
(p24より引用) 異なる時代で共通の問題意識を共有できる。そして長年の謎が、ある時代の技術的なプレークスルーで解決される。進化生物学に限ったことではないが、サイエンスが面白いと感じる一面である。
これは、自然科学の世界だけでなく、考古学や歴史学といった人文科学の世界でも当てはまります。
“定説” の脆さでもありますが、かといって、その価値が大きく損なわれるものでもありません。いかなる説も、その時々の制約や限界の中で最善を尽くした成果です。
さて、本書を読み通しての感想です。
正直なところ、第5章の「テクノロジーと進化」で解説されていたいくつかのゲノム分析技術のプロセスあたりは、まったくチンプンカンプンでした。
それでも、進化生物学が誘う新たな気づきや知見、さらに佐藤さんの “研究者に求める想い” の吐露はとても興味深く、私にとっても貴重な刺激になりました。
いつも聴いている大竹まことさんのpodcast番組に大沢在昌さんがゲスト出演していて紹介していた本です。
大沢さんの代表的な作品である “新宿鮫シリーズ” はほとんど読んでいるのですが、この “魔女シリーズ” は初めてでした。
お話を聞いていてその主人公の設定にちょっと興味を持ったので、先日から、いままで世に出たこのシリーズの作品を「魔女の笑窪」「魔女の盟約」「魔女の封印」と第1作目から第3作目まで読み進んで、ようやくこの最新作につながるところまできたというわけです。
小説なのでネタバレになるとまずいので内容には触れませんが、今までの作品とはちょっとテイストが違っていて、うまくマンネリをかわしたという印象ですね。エンターテインメントとしての面白さは、今までのシリーズの中でもトップクラスのように思います。
ともかく、大沢さんの小説の秀逸なところは、主人公や主人公をとりまく面々のキャラクタ設定の巧さにありますが、本シリーズでもその技は大いに冴えています。
さて、本作では、今後のシリーズのプロットを左右する大きなインパクトの種が播かれました。
それを活かした次作はいつになるでしょう。ちなみに本作品は「9年ぶり」とのことですが・・・。
2016年に公開されたアメリカ映画です。
よくある古代エジプトが舞台の“神話モノ”のファンタジー作品なので、これといった目新しさはありません。
強いていえば、ジェラルド・バトラーが敵役の神で登場 している点でしょうが、正直な感想でいえば、何とも“もったいない”配し方ですね。
あくの強さ以外に、彼の良さは何ひとつ発揮されていないように思います。
昨年(2023年)発行された新書ですが、とても話題になった本ということで遅まきながら手に取ってみました。
紹介文に「認知科学者と言語学者が力を合わせ、言語の誕生と進化の謎を紐解き、ヒトの根源に迫る」とあって、とても気になりますね。
期待どおり数々の興味深い指摘や理論の紹介がありましたが、それらの中から特に私の関心を惹いたところをいくつか書き留めておきましょう。
まずは、著者たちの研究の切り口のひとつである「オノマトペ」の定義を押さえておきます。
(p6より引用) 現在、世界のオノマトペを大まかに捉える定義としては、オランダの言語学者マーク・ディングマンセによる以下の定義が広く受け入れられている。
オノマトペ : 感覚イメージを写し取る、特徴的な形式を持ち、新たに作り出せる語
「オノマトペ」は “音” と “意味” のつながりを感じさせます。その点を背景に、現在普通の言葉として使われているものの中に、「オノマトペ」由来ものが結構あるというのです。
(p133より引用) たとえば、「たたく」「ふく」「すう」という動詞。オノマトペの歴史研究の第一人者である山口仲美によれば、これらの動詞はそれぞれ「タッタッ」「フー」「スー」という擬音語をもとに作られた語で、末尾の「く」は古語では動詞化するための接辞だった。同様に、なんと「はたらく」も「ハタハタ」というオノマトペを語源に持つとされる。
こういった「オノマトペ」の考察を踏まえ、著者たちの関心は、こどもの自律的な言語習得の考察を通して「言語学習のプロセス」の解明に向かいます。
(p204より引用) 言語習得とは、推論によって知識を増やしながら、同時に「学習の仕方」自体も学習し、洗練させていく、自律的に成長し続けるプロセスなのである。
このような仕組みがあればこそ、子どもはほとんど知識を持たない状態から始めても、自分の持てるリソース(感覚・知覚能力と推論能力)を使って端緒となる知識を創り、そこから短期間で言語のような巨大な知識のシステムを身体の一部として自分のものにしていくことができるのだ。
このあと、こういった解説が、次々に「子どもの言語習得のプロセス」「推論や思考バイアスの観点からのヒトと動物との違い」「言語の本質」といったテーマで展開されていくのですが、本書の後半部分は、どうにも私の理解が全くついていけなくなりました。情けないかぎりですが、これが今の私の読解力や思考力の “劣化した姿” ということです。
「本書はむちゃくちゃ面白いうえ、びっくりするほどわかりやすい」といった書評もあるようですが、私にとっては、とんでもなく難解な著作でした。
しかし、こういったテーマを扱った著作が、中央公論新社が主催する「新書大賞2024」で第1位を獲得し、街の書店で平積みされているというのは、なんとも素晴らしい光景ですね。