いつも聴いているpodcast番組(ジェーン・スーと堀井美香の「OVER THE SUN」)の企画で、ジェーン・スーさんと堀井美香さんがそれぞれ書店で自分が気になった本を買って紹介していたのですが、その中で堀井さんが手に取った一冊です。
その奇抜なタイトルから私も大いに気になったので、近所の図書館で見つけてきました。(ちなみに最近、続編も含め一冊の文庫本として再出版されたようで、堀井さんが買ったのはそちらの方だと思います)
NHK〈ラジオ深夜便〉の人気コーナーを書籍化したものとのことで、期待どおり興味を惹いたところは数多くありました。その中から特に私の印象に残った部分をいくつか書き留めておきます。
まずは、冒頭、絶望名言の選者頭木弘樹さんが “絶望名言はどのようなものか” を語った一節です。
(p23より引用) ネガティブな言葉というのは、普通、かえって暗い気持ちになると思われやすいんですが、必ずしもそうではなくて、辛い時には逆にそういう言葉のほうが、自分と一緒にいてくれて、気持ちをよくわかってくれて、それが救いになることも多いと思うんです。
確かに、心底沈み込んでいるときには “将来の光を語る言葉” は眩しすぎることはあるでしょうね。
次は「ドストエフスキー」の章。
“同情” についての頭木さんの言葉です。
(p76より引用) 普通の生活じゃあ、「同情されたくない」という人も多いじゃないですか。同情というのは上から目線だみたいな感じで。でも、ぼくはけっこう同情っていうのは、すごい尊いものだと思っていますね。
本当に相手の気持ちがわかるわけではなくても、それでも同情って、やっぱりすごく素敵な心理だと思います。ドストエフスキーがこんなふうにも言っているんです。
われわれは、自分が不幸なときには、
他人の不幸をより強く感じるものなのだ。(白夜)
やっぱり辛い体験をした人ほど、他の人の辛い気持ちもわかってあげられるというところがあると思うんですね。だからそういう人が、自分が辛い体験をした人が、また他の人に同情して、親切な手を差し伸べる。これはやはり辛い体験をしたからこその、いいことのひとつかもしれないですね。
なるほど、“人の痛みを知る人” ですね。昨今しばしは「・・・に寄り添う」というフレーズを耳にしますが、その安易さとは別物の心の動きです。
そして、「太宰治」。
日本の作家で “絶望” でイメージする人といえば、やはり彼、誰もが思い浮かべるでしょう。
太宰はフランスの詩人ヴェルレーヌが好きだったとのこと。
(p153より引用) この太宰治の言葉の「あの人の弱さが、かえって私に生きて行こうという希望を与える」というのは、まさに太宰自身にも言える言葉だと思いますね。太宰治を読んで、やっぱり読者も、太宰の弱さが「かえって私に生きて行こうという希望を与える」というところがあるんじゃないでしょうか。
まさに、辛いときには “絶望名言” が救いになるという実例です。
そして、最後は「シェークスピア」。
「マクベス」に登場している「明けない夜はない」という台詞は “定番の慰めの言葉” ですが、「明けない夜もある」と考えたくなるとときもあると頭木さんは言います。
(p224より引用) 「明けない夜もある」というふうな、時間が解決しない悲しみもあるというふうなことを言うのは、なんて暗いことを言うんだと思われるかもしれませんが、現実にそういう悲しみがある以上、そういうこともあるんだよって知っておかないと、逆に、いつまでも悲しみが癒えない時に、よりこじらしてしまうわけですよね。
だから「明けない夜もある」「明ける夜もある」。両方知っておくほうが大事なんじゃないかなと思いますね。
さて、本書、とても面白い切り口の著作でしたが、ラジオ番組のコーナーはまだまだ続いています。
それらの内容を採録した第2作目も世に出ているようなので、また、時間を作って読んでみたいと思います。
東洋経済ONLINEの記事を読んで興味を持ったのですが、ちょうど同じタイミングでいつも利用している図書館の新着本リストにアップされていたので手に取った本です。
テーマは今までにも時折見かけたものですが、やはり実際の取組みを当事者本人がリアルに描いた内容は刺激に満ちています。そういった多彩なエピソードの中から、私の関心を惹いたくだりをいくつか覚えとして書き留めておきます。
まずは、私立福岡女子商業高校の挑戦の主役、30歳の若さで同校の校長に就任した柴山翔太さんの基本姿勢をうかがい知ることができるくだりです。
(p73より引用) 僕の進路指導のスタイルは、生徒の意向は尊重しつつも「生徒の選択肢を増やす」こと。
最終的な意思決定は生徒がしますが、「大学に行けばこういう可能性があるかもしれない」「その仕事に就きたいなら、こんな道もあるかもしれないね」などと、生徒にできる限りの情報を与えて、生徒自身に選択肢を増やしてあげることが大切です。
そう、“生徒たちに自らの可能性に気づかせ、自分で判断することを求める”、とても大切なことですね。
これはいわゆる「学力」の高低とは全く関係ありません。テストの点数がよくても、主体的行動がとれない生徒は山ほどいます。
柴山さんが実践している小論文の指導スタイルからも、生徒の自主性の育成をとことん重視しているのが見て取れますね。
(p200より引用) もちろん生徒によっては、合う・合わないがあるので僕の指導スタイルは生徒たちに学習方法を紹介するという表現が適切かもしれません。
例えば目から情報を吸収する方が向いている視覚優位な子と耳からの方が吸収しやすい聴覚優位な子では適切な方法は異なります。大事なことは自分に適した方法を見つけ調整していく自己調整力を身につけることだと考えています。
ここでも、調整するのは生徒自身です。
柴山さんは、生徒が “自主的に判断”し、その目標に向かって歩み始めるにあたって、各自の目標を書き示すことを勧めました。
(p89より引用) 20枚程度の気合いの入った書き込みが揃った頃、職員室の先生方の間では「自分の名前を書いてあんなに高い目標を掲げると受からなかったら可哀想じゃないですかね」と言う声も上がりました。
そのような声に対する僕の考え方は、「合う・合わないはあるので嫌であれば書かないし、後から嫌になったら外せばいい」です。
学校現場は少しでもリスクがあるものを大人が先回りして潰しすぎていると思います。
このあたりの対応姿勢も肩に無用な力がはいっていなくていいですね。
一人ひとり考えや性格が違うのですから、無理に同じ思想や行動を求める必要はありませんし、そういった均質的な価値観の強要は、“生徒に合わせた個別指導” の放棄でしょう。
さて、生徒や教職員を巻き込みながらの柴山さんのチャレンジですが、もちろんそれは緒に就いたばかり。
(p178より引用) まだまだ全校生徒にとって熱量の高い時間にはできていませんが、中間層が動いてくれれば空気が変わると思っているので今後も心が動く時間を作り出していきたいと思っています。
こう語る柴山さん。
(p236より引用) 「普通科への進学が難しかったから商業高校」「高校卒業後に就職を目指しているから商業高校」などというイメージから脱却し、「高校からビジネスを学び、将来的にはビジネスの世界を牽引したいなら商業高校」というような高い志のもとで選ばれる学校になりたいと思っています。
目指すべき目標に向かって、柴山さんと福岡女子所業高校のみなさんが成しつつある現在進行形の変貌ぶりが大いに楽しみです。
いつも聴いている笑福亭鶴瓶さん、上柳昌彦さんのpodcastの番組に北方謙三さんがゲストで出演していて、そこでのお話がとても面白く印象に残りました。
北方さんの著作は、かなり以前に何冊か呼んだことがあります。まだ “ハードボイルド” をお書きになっていたころですが、お話を聴いていると何とも懐かしく、往時の作品を読み直してみようと思い手に取った本です。
やはり、このころの「和製ハードボイルド作品」は “いいな” と思いますね。もちろん物語の舞台は非現実的な世界ですが、作者のパッションを感じますし、“懐かしさ” も大きなプラス要因です。
本作も、主人公を無謀な行動に駆り立てる動機や登場人物のキャラクタ設定は月並みではあっても、北方さんのストーリーテラーとしての秀でた構成力や緊迫したシーンを描く筆力が、作品のエンターテインメント性を際立たせているようです。
ネタバレになるとまずいので内容には触れませんが、印象に残ったところをひとつ。
(p204より引用) 右手首のブレスレットがなかった。女房に渡したのだろう、なぜかそんな気がした。訊く気は起きなかった。
いかにも “正統派ハードボイルド” っぽいフレーズですね。