おそらく私が初めて耳にするような事実や想像とは大きく異なる評価が書かれているのだろうと、期待して手に取った本です。
ご存知の通り著者の佐々淳行氏は警察官僚出身の評論家です。
本書は佐々氏が今に至るキャリアの中で実際に接した数々の政治家の中から、これはという方々をそのエピソードとともに、佐々氏なりの評価を紹介しています。
(p8より引用) 政治家には「ポリティシャン」と「ステーツマン」とがあるとよく言われる。・・・
私の定義する政治家、ステーツマンとは、権力に付随する責任を自覚している人。権力に付随する利益や享楽を追い求めてしまう人は政治屋、ポリティシャンと呼ぶことにしている。
もちろん、ここでの佐々氏の評価基準は、氏の価値観がベースになっていますから、治安・防衛・外交・危機管理等において成果を上げたか否かに基本的な軸足が置かれています。したがって、佐々氏が選ぶ「ステーツマン」の代表者には、まさにそういった面々が居並びます。
その観点から採り上げられている日本の政治家の面々は、ちょっと私の価値観とはズレているので、ここで紹介するのは差し控えます。
その代わりに外国の要人の中で、佐々氏が極めて高く評価している人物を二名書き留めておきましょう。
一人は、中国の安全保障分野の大物、人民解放軍副総参謀長徐信元帥です。
佐々氏が役人を退官した後中国国際戦略学会に請われて訪中した際、徐信元帥の会に招待されました。その席で、佐々氏は「天安門事件」における人民解放軍の行動を危機管理の大失敗だったと批判しました。
(p190より引用) じっと聞いていた元帥が口を開いた。
「この私に、そんな無礼なことを言った人間はあんたが初めてだ」
さぁ、怒りだすのか。・・・と身構えた私に、彼はこんな言葉を発した。
「天安門事件の後、日本から大勢の政治家、学者、評論家が来たけれども、今の説明をすると、みんな『わかった』と言って理解してくれた。だが、あなたは違う。あなたは本当の友好分子だ。本当のことを言ってくれてありがとう」
徐信元帥はまことに立派な人物だった。優れた「ステーツマン」だとも思った。
こののち、中国は佐々氏の助言を受け入れ、治安維持目的の機動隊が組織されたといいます。
そして、もう一人は、エドウィン・O・ライシャワー元駐日アメリカ大使です。
1964年3月、ライシャワー大使はアメリカ大使館に侵入した暴漢に襲われ大怪我を負い、その手当のための輸血で血清肝炎に罹ってしまいました。警備の不手際の陳謝のため佐々氏がライシャワー大使を訪れたときのエピソードです。
(p204より引用) 「これで私は本当の駐日アメリカ大使になりました。なぜなら、私の体の中で日本人の血とアメリカ人の血が混じったからだ」と言葉をかけられて、私は震えるほど感動したのである。
こういった方々は、政治家としての優秀さとは別次元の「人としての『器』の大きさ」を感じさせますね。
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