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松岡正剛の書棚―松丸本舗の挑戦 (松岡 正剛)

2010-11-28 18:18:16 | 本と雑誌

 丸の内OAZO内、丸善・丸の内本店4Fに開設されているとてもユニークな書棚「松丸本舗」。本書は、そのプロジェクトのコンセプトリーダ松岡正剛氏自らによる「松丸本舗ガイドブック」です。

 まずは、この「松丸本舗」。松岡氏はその生い立ちについてこう語っています。

 
(p107より引用) われわれは街の形を、店の並びや建物の気配を通して憶えている。・・・
 純粋な記号としての地図を頭に刻み込んでいるのではなく、「匂い」「フィギュア」「雰囲気」といった知覚を通して記憶に残している。
 本も同じだ。・・・「読前・読中・読後」の3ステージが重なっていくことが、本来の読書なのである。そこに注目すれば、新しい「知のパラダイム」が生まれるはずだ。
 そのために僕が最初に考えたのは、書棚に「街の構造と気配」を漂わせることだった。

 
 「図書街構想」です。この発想が「電子図書街」プロジェクトの発足につながりました。そして、もうひとつリアルな場として「松丸本舗」として登場したのです。

 本書は、その松丸本舗の構成とそのコンセプトの解説、そして、そこに並べられた書籍の中から特にお薦めというものを紹介しているのですが、具体的に目次を辿ると、こういう感じです。

  • 本殿第1章 遠くからとどく声
  • 本殿第2章 猫と量子が見ている
  • 本殿第3章 脳と心の編集学校
  • 本殿第4章 神の戦争・仏法の鬼
  • 本殿第5章 日本イデオロギーの森
  • 本殿第6章 茶碗とピアノと山水屏風
  • 本殿第7章 男と女の資本主義

 ともかく、私ひとりでは絶対思いもよらないような多彩なジャンルから、数多くの興味深い本が次から次へと登場します。

 ちなみに、あまり関心がないジャンルとしては、私の場合「詩歌」があげられます。
 松岡氏は「本殿第1章 遠くからとどく声」で、詩集・歌集・句集の読み方をこう語っています。

 
(p15より引用) 短詩形文学とは、徹底的な引き算の末、最後に残った感性の痕跡なのである。そこに残った言葉をじっくりと見れば、元の大きな極彩色が浮かび上がってくる。

 
 なるほどとは思いますが、ともかく実物にあたってみないと、こうアドバイスどおりにいくかどうか・・・。

 さて、本書で松岡氏が紹介している数々の本たちの中から、私が読んでみたいと思ったものを順不同で。

 ノヴァーリスの「青い花」、夏目漱石の「夢十夜」、プーシキンの「スペードの女王」、プルーストの「失われた時を求めて」、半村良の「産霊山秘録」、ハイゼンベルクの「部分と全体」、ワインバーグの「一般システム思考入門」、スタフォードの「ヴィジュアル・アナロジー」、井上有一の「日々の絶筆」、金子勝の「反経済学」、バラードの「時の声」、ポランニーの「個人的知識」、赤坂憲雄の「境界の発生」・・・。

 調べてみると、私がいつも行っている図書館には7割方所蔵されているようです。さて、この中からいったい何冊読めるでしょうか。
 
 

松岡正剛の書棚―松丸本舗の挑戦 松岡正剛の書棚―松丸本舗の挑戦
価格:¥ 1,575(税込)
発売日:2010-07

 
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手掘り日本史 (司馬 遼太郎)

2010-11-26 21:49:09 | 本と雑誌

 「竜馬がゆく」が執筆されたころの本ですから、司馬遼太郎氏の著作としては比較的初期のものです。会社の書棚にあったので手にとってみました。

 内容は、のべ18時間にもわたるインタビューをベースに、聞き語りという形式で整理したもの。評論家江藤文夫氏による「歴史を見る目」についての問いに対して、司馬遼太郎氏が自らの考えを語っていきます。

 まずは、メインテーマである「歴史を見る目」に言及しているくだりから、私の興味を惹いた部分を以下にご紹介します。

 
(p59より引用) 一言で言えば、歴史小説を書くときのデテールの問題ということになりましょうが、やはりその当時の人間が生きていた日常を、作者が同じように生きてみるということになりましょうか。歴史を見てゆくうえで、どうもこれは大事だと思います。

 
 こういう日常に入り込んでいく営みを、司馬氏はこう表現しています。

 
(p60より引用) 歴史への接近は、ひとつは感じをもとめてゆく作業だと思います。

 
 歴史へ接近するという観点では、まずはどういう視座に立つかが一義的に重要になります。
 そこで登場するのが「史観」です。この「史観」の間弊について司馬氏は「南北朝」を例にこう語っています。

 
(p112より引用) 歴史小説というものは、前時代の美を打ち壊すか、あるいはそれに乗っかるか、その態度が最初に必要なのですが、そのための素材が何もない。現実は果てもない利権争いの泥沼というだけのものが、水戸史学のフィルターにかけられて、一見すばらしい風景にみえるんです。うかつにそれに乗ってダマされてはいけない。・・・観念史観にせよ、唯物史観にせよ、史観というもののこわさがそこにあります。ときに歴史をみる人間に、麻酔剤の役目をします。

 
 この間弊に陥った一例が、明治から戦前にかけての「楠木正成」の評価です。戦後におけるこの評価の転換が明示しているように「史観」は「思想」の反映でもあります。
 この「思想」について、司馬氏は面白いコメントをしています。

 
(p153より引用) 私は、思想というものはありがたいものではなく、・・・土木機械にすぎないものだ、と思いはじめているんです。思想の奴隷になっていてはどうしようもない。思想とは、自分たちの支配すべき土木機械だと、開き直ったわけです。
 私は日本人の一人としてそう言っているわけで、日本人だけがそういう勇気をもてるのではないか、と思うのです。歴史のなかにそういう実証がある。

 
 日本人には「思想」を見事に渡り歩いてきた歴史があります。他の社会にはない「無思想という思想」が、日本人の「プラス」の特性といえるのではないかという指摘です。

 司馬氏の歴史に対峙する構えは、一つの思想・史観に拠って立つ姿勢ではありません。

 
(p167より引用) 私にとっても、マルクス史学がずいぶん役に立っていますし、その点では恩義もありますが、あくまでもこれは、私にとって歴史をさぐるための土木機械であることは別な場所でもふれました。史観が何であれ、ときに史観という機械を停めて、手掘りにしたりしなければならない。考古学の発掘が、土木機械ではできないように、やはり歴史というものは、そういう具合に手掘りを加えたりしないと、うまくつかめないのではないでしょうか。

 
 「手掘り」においては、歴史に触れる自分自身の手先の感覚がとても重要になります。その生の感触が、同じものを触ったとしても、まさに一人ひとりの史実の意味づけの違いとして表出するのでしょう。

 さて、最後に、もう一節、引用しておきます。本書の冒頭、司馬氏が自分の祖父について語った部分です。

 
(p28より引用) もし私の祖父のような人間が、支配階級の側にいたとしたら、日本はここまで発展しておりませんでしょう。・・・
 祖父のように、損をしても操を売らないタイプは、むしろ庶民のなかによくいる。その点では、普遍的だとも言えます。どこの町にもいる庶民の一タイプです。庶民は、そういうことで、時代の動きに一足ずつおくれていくんですね。

 
 明治初年に青年期を過ごした祖父、惣八さんは、頑固に自分の思想を持ち続けた一庶民でした。
 
 

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「ネット・バカ」を生むグーグル (ネット・バカ インターネットがわたしたちの脳にしていること(ニコラ

2010-11-23 18:24:09 | 本と雑誌

 本書の帯に書かれているキャッチコピーは「『グーグル化』でヒトはバカになる」。かなり挑戦的でセンセーショナルですね。

 実際、このグーグルについては、第8章「グーグルという教会」というタイトルの章で取り上げられています。
 そこでは、グーグルの基本思想を、機械工業の効率化を推し進めたテイラーの考え方になぞらえて説明しています。グーグルの教条は「テイラー主義的倫理」だというのです。
 そして、その教条にもとづき、グーグル社は「オンライン広告の販売及び普及」というメインビジネスを営んでいます。

 
(p223より引用) いっそう多様なタイプの情報をデジタル化し、ウェブ上へと移動させ、データベースに取りこみ、同社による分類とアルゴリズムを通過させ、同社の呼び名で言うところの「断片」のかたちにし、できれば広告を付けたかたちでウェブ・サーファーに分配することだ。

 
 グーグルはすべての情報をネット内にデータベース化しようと試みています。
 こういった現状は、「検索しさえすれば必要な情報はすぐに入手できる、外部データベースは、人間の脳による『記憶』を不要にするものだ」と考える人を生み出しています。そして、そう考えている人々は、記憶の外部化により「人間の脳を記憶という負荷から解放し、そのリソースを創造的な思考に振り向けることができる」と主張するのです。
 この考えは正しいのでしょうか。

 
(p265より引用) 長期記憶を貯蔵しても、精神の力を抑えることにはならない。むしろ強化するのだ。メモリーが拡張されるにつれ、われわれの知性は拡大する。ウェブは、個人の記憶を補足するものとして便利かつ魅力的なものであるが、個人的記憶の代替物としてウェブを使い、脳内での固定化のプロセスを省いてしまったら、われわれは精神の持つ富を失う危険性がある。

 
 ウェブの効果は、むしろ人間の高度な論理的思考能力のリソースを奪うというのが著者の主張です。

 
(p269より引用) 記憶を機械にアウトソーシングすれば、われわれはみずからの知性、さらにはみずからのアイデンティティの重要な部分までをも、アウトソーシングすることになるのだ。

 
 そうですね。やはり人間の知的営みにおいては、外部データベースを補完的に活用することがあったとしても、やはり「自己の脳」の活動が主人公であって欲しいものです。

 さて、本書ですが、読み通してみて興味深い点が数多くありました。
 流れとしては、神経可塑性に関する生化学や文字・印刷・出版等の歴史等を辿ってから、インターネット時代の知的探索活動について論を進めていきます。ちょっと迂遠な立論のような印象も抱きましたが、まさに、そういった構成自体が、旧来のテキストメディアのよさを自己証明しているようにも感じられますね。
 
 

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可塑的な脳 (ネット・バカ インターネットがわたしたちの脳にしていること(ニコラス・G・カー))

2010-11-22 22:16:46 | 本と雑誌

 タイトルのネーミングはあまりうまいとはいえませんね。しかしながら論じられている内容はしっかりしたものだと思います。
 昨今のインターネットメディアの浸透が私たちの思考スタイルにどんな影響を及ぼしつつあるのかというテーマについて、多面的な観点から考察を進め、興味深い指摘を導いています。

 本書の前半では、脳(神経)の可塑性といった神経科学の話や、文字や本、音声や録音、さらに今日のデジタル・メディアに至る歴史的変遷といったメディア論が語られます。そして、この脳の認知作用とメディアの変遷との関係が、本書の主張のひとつの幹になります。

 
(p148より引用) 印刷された本・・・は、インターネット接続された電子デヴァイスに移植されると、ウェブサイトに非常に似たものへと転じる。ネットワーク接続されたコンピュータにつきものの注意散漫状態が、本の言葉を包んでしまうのだ。リンクを始めとするデジタルな補強策によって、読者はあちこちに矢継ぎ早に導かれる。・・・印刷された本が有する直線性も、その直線性が奨励する静かな集中も、もろともに粉砕される。

 
 こういった新しい読まれ方は、脳の思考においてはプラスに働くのでしょうか。それとも・・・?。
 最近になって、文章内のあちらこちらにハイパーリンクが張りめぐらされている新たなメディア「ハイパーテクスト」の認知学的側面からの評価が数多く発表され始めました。その多くは「ハイパーテクスト・ハイパーメディアの幻想」を指摘したものです。

 
(p182より引用) ハイパーテクストが理解度を減少させるという結論を、すべての研究成果が提示しているわけではなかったけれども、かつて一般的であった「ハイパーテクストは豊かなテクスト経験につながる」という理論に対する「裏づけはほとんどない」ことがわかった。それどころか、圧倒的多数の証拠が示していたのは、「ハイパーテクストが意思決定と視覚処理を要求することにより、読みのパフォーマンスが損なわれる」ことだった。・・・「ハイパーテクストのさまざまな特徴は、結局認知的負荷を増大させることになり、それゆえ、読者の能力を超えた作動記憶容量が要求されたのかもしれない」と彼らは結論した。

 
 この点は、さらにハイパーテクストとマルチメディアとを結びつけた「ハイパーメディア」に関しても同様の傾向が見られるというのです。

 
(p182より引用) リンクがより豊かな学習体験を読者に与えるとハイパーテクストの先駆者がかつて信じたように、マルチメディア-ときに「リッチ・メディア」とも呼ばれる-は、内容把握を深め、学習を強化すると多くの教育者は考えた。インプットは多ければ多いほどいい。さしたる証拠もなく長いあいだ当然のことと受け取られてきたこの仮定も、研究によって反証されつつある。マルチメディアによって生じる注意分割はさらに認知能力を酷使し、学習能力を減少させ、理解力を弱めている。

 
 この指摘は、日本においてようやく盛り上がりつつある「電子教科書」議論にも大きな影響をもたらすものですね。
 本来のリッチメディアは、本筋の理解を深めるための道具であったのですが、注意散漫化を引き起こすことにより、かえって「深い読みや集中した読み」を妨げるものとなったというのです。
 この動きはさらなる本末転倒を呼び起こす可能性があります。

 
(p194より引用) ブラウジングやスキャニングはまったく悪いことではない。・・・要点をつかみ、もっと徹底的に読むに値するかを判断するために、本や雑誌をざっと読むのもよくあることだ。・・・ここでの話の何が違っているか、何が問題であるかといえば、・・・かつてはある目的のための手段、すなわち、深く検討するために情報の価値を特定する手段であったはずのスキミングが、それ自体目的に-あらゆる種類の情報を集め、理解するための方法として、われわれのお気に入りの方法に-なりつつある。

 
 自分の頭で考えるということをしなくなる、この傾向は致命的でしょう。

 
(p197より引用) オンラインで絶え間なく注意をシフトすることは、マルチタスクに際して脳を機敏にするかもしれないが、マルチタスク能力を向上させることは、実際のところ、深く思考する能力、クリエイティヴに思考する能力をくじいてしまう。・・・そうなれば人は、オリジナルな思考で問題に取り組もうとするのではなく、お決まりのアイディアや解決策にもっと頼るようになるのだという。

 
 この国立神経疾患・卒中研究所のグラフマン氏の指摘に集約されているように、可塑的な脳の性質が、私たちの思考スタイル自体を変化させてしまうのです。
 
 

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すきやばし次郎 鮨を語る (宇佐美 伸)

2010-11-21 10:53:45 | 本と雑誌

Sushi  江戸前鮨の超有名店「すきやばし次郎」の小野二郎さんへのインタビューを元に、小野さんの半生を紹介した本。
 80歳を越えてなお現役職人であり続ける小野さんの生き様や鮨への想いは、読んでいてとても興味深いものでした。

 全編を通して感じるのは、小野さんのいかにも自然体然とした姿勢です。

 
(p17より引用) 「・・・私の握りが誰にとってもおいしいなんていうことは有り得ないし、間違ってもそんな思いを抱くなら、鮨職人として傲慢以外のなにものでもない。
 うちのやり方とわかっていただける人がそこにいらっしゃるなら、その皆さんのために一生懸命握りたい。
 それでいいと言うか、それがいいんじゃないかと思っています」

 
 「すきやばし次郎」をひろく一般の人々にも知らしめたミシュラン三ツ星獲得についてもこういった感じです。

 
(p34より引用) 三つ星そのものの感想ですか?
 これはもう何べんも聞かれたけれど、ひとことで言えばナシ。本当に特別な感想は何もないんです。・・・
 要するに私らのような客商売って、ある意味自己満足の世界なんです。その基準をどこに置くかは人それぞれでしょうが、私にとっちゃあ、どれだけ与えられた仕事を手抜きをせずにきちんと全うできるか、これに尽きると思っている。

 
 「自己満足」というのは、ひとによりものすごく幅のある心の在り様ですね。易きに流れれば際限はありません。しかしながら、逆に高みを目指すと、こちらもまたいくらでもバーは高くなります。「手を抜いたかどうか」は、おそらく自分自身にしか分らないのでしょう。この自己満足は、最も自分に厳しいゴールだと思います。

 さて、小野さんは、こういった仕事への厳しい求道の姿勢を示しつつも、反面、柔軟な考え方も併せ持っています。
 たとえば、「回転寿司」について。小野さんはこう語ります。

 
(p186より引用) トマトを握ろうがハムを握ろうがトンカツを乗せようが、酢飯の代わりにパンを使おうが、一向に構わないじゃないですか。
 それで商売が成り立っているのなら、「あんなのおかしいよ」って言うほうがよっぽどおかしい。元々は江戸の屋台で始まった小腹ふさぎ、いわばスナックみたいなもんです、お鮨は。
 流儀もへったくれもない。少なくとも、何をどうしようが外野がつべこべ言うことじゃないんです。

 
 そして、そう話しつつも小野さんは淡々と我が道を行くのです。

 
(p186より引用) じゃあ何でお前んとこはトマトやハムを握らないんだ?っておっしゃるかも知れませんが、それは私が握りたくないから。こっちが握っておいしいと思えないからださない、それだけです。

 
 「すきやばし次郎」。会社から歩いて5分ほど、一度行ってみたい気持ちはありますが、やめておきましょう。
 もちろん、予算は「お任せで31,500円が基本」というのも大きなハードルですが、やはり、私のような味の判らないど素人がお邪魔するのは百年早い気がするのです。
 
 

すきやばし次郎 鮨を語る (文春新書) すきやばし次郎 鮨を語る (文春新書)
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歸國 (倉本 聰)

2010-11-20 12:31:02 | 本と雑誌

Syutsujin  倉本聰氏によるテレビ特別番組『歸國』のシナリオ原作本。
 たまたま図書館の新着本の棚にあったので読んでみたものです。今年の8月に放映されたとのことですが、私はほとんどテレビを見ないので気づきませんでした。

 あとがきによると、戦後10年ほど経ったころ放送されたラジオドラマ「サイパンから来た列車」という番組がベースになっているとのこと、第二次大戦の英霊たちが、短い時間の間、現代の日本の街を彷徨するという舞台設定です。

 シナリオなので、まだ読んでいない方のためにストーリーを辿ることはしませんが、私の印象に残ったフレーズをいくつか書き記しておきます。

 「断章 靖国」、深夜の靖国神社のシーン。

 
(p102より引用)
日下 (描きつゝ)「志村。-貴様は此処で見てたンだな」
志村 「――」
日下 「日本がどんどん平和になってくのを」
志村 「――」
日下 「どう思った日本の変り様を」
志村 「――」
 間
日下 「正しい方角へ変ったと思うか」

 
 「外郭団体・財務総合研究所」で、妹である老母を孤独死させた自分の甥に向かって、そしてそういうことを許す現代日本に向かっての台詞。

 
(p137より引用)
大宮 「俺があの海で、最後に夢想し、その後の歳月もずっと夢見てきた、日本の平和の姿っていうのは、――こういう残酷なものだったのかい」
 長い間
大宮 (呻くように)「あんまりじゃないか君。あんまりじゃないか」

 
 そして英霊たちがつかの間の彷徨を終え元の海に戻るために集まった「東京駅」のシーン。

 
(p146より引用) 「無惨に戦死したあのまゝの心で、ひたすら故国の倖せを祈っている。その祈りを君たちは本当に」

 
 「その祈り」に報いるだけの、「その祈り」に相応しい社会を、私たちは作り上げているのか・・・
 8月15日に振り返るべきとても大事なテーマ。戦争を決して美化はしない、しかし、決して忘れてはならない、と改めて思いを確かめさせられる作品です。
 
 

歸國 歸國
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天地明察 (冲方 丁)

2010-11-15 23:30:46 | 本と雑誌

 あまり最近の流行小説は読まないのですが、2010年本屋大賞受賞作品ということでちょっと気になったので手にとってみました。

 時代物ではありますが、主人公は、江戸中期の天文暦学者渋川春海というあまりポピュラーとはいえない人物、さらにストーリーの軸は「改暦」という珍しいイベント。小説なのであらすじが分かるような内容のご紹介は控えますが、なかなか斬新な視点の作品だと思います。

 
(p307より引用) 時節を支配し、空間を支配し、宗教的権威の筆頭として幕府が立つ。朝廷の権威を低め、その分を幕府がことごとく奪い去る。・・・

 
 当時「改暦」は、宗教・政治・文化・経済等を統制する大きな影響力をもつ一大プロジェクトでした。

 
(p309より引用) 今日が何月何日であるか。その決定権を持つとは、こういうことだ。
宗教、政治、文化、経済-全てにおいて君臨するということなのである。

 
 この「改暦」という一風変わった舞台に加え、主人公を取り巻く登場人物も多彩、その性格設定もメリハリが効いていて時代物の活劇といったテイストです。

 
(p409より引用) 「今は、士気凛然、勇気百倍だ」
勝負に敗れた者とは思えない、すごいことを口にした。

 
 度重なる挫折に挫けず、前向きに生きる主人公。読み終えた後に残る爽やかさ。
 ひさしぶりに素直に楽しめた作品でした。
 
 

天地明察 天地明察
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即答するバカ (梶原 しげる)

2010-11-14 12:43:17 | 本と雑誌

 著者の梶原しげるさんは文化放送のアナウンサーからフリーランスになった「しゃべりのプロ」です。最近は日本語検定審議委員もされているとのこと。

 本書は、そんな梶原さんが「日経ビジネスアソシエオンライン」に連載していたコラムをもとに加筆修正してまとめたものです。
 採り上げられている話題は様々ですが、特に私の気を惹いたところをいくつかご紹介します。

 まずは、「毒舌」で有名な毒蝮三太夫さん
 素人さんへの生のインタビューでもその毒舌は健在です。とはいえ毒蝮さんの毒舌には、最後には相手の気持ちを軽くする名人芸的な「救い」があるといいます。

 
(p44より引用) どんな時にも、想定外の答えは返ってくるものだと覚悟しておくこと。相手にとって、ネガティブな話題が飛び出したとき、急に同情しないこと。同情とは、高みから見下ろす上から目線の感情表現だ。蝮さんは辛さ、悲しさに、同情はしない。しっかり共感しているのだ。

 
 ベテランアナウンサー徳光和夫さんにまつわる話も興味深いものがあります。
 徳光さんといえば生放送に強い印象がありますが、その強さは、本番前の堅実な基礎の上にたっていました。

 
(p52より引用) 製作者の思いやこだわりを誰よりも大切にする。ということは、誰よりも深く台本を読み込むタイプなのだ。読んで読んで読み込んで、行間から浮かび上がってくる「自分の役割」をしっかり把握したうえで、予定調和を破壊してエネルギーに昇華させる。その極意を「行き当たりばったり」と表現しているのだろう。・・・
 徳光さんのメッセージは、「求められる役割をしっかり把握したうえで、さらにその上を行くパフォーマンスを心掛けよ」と、若きビジネスパーソンに訴えかけているのだ。

 
 さて、著者の梶原さんは心理学修士でもあります。本書でも、「しゃべり」の話題を精神面のやすらぎに関連付けたくだりが随所に登場します。
 たとえば、 「だから」という語句が生み出す「単純思考」について。

 
(p178より引用) AだからBという単純思考が心をむしばむことがある。そんな時には、発生した出来事に安易に「だから」という言葉をつなげないことが心の健康を保つうえで有効だ。

 
 「怒られた、だから私はダメ人間だ」。ちょっとしたことで気に病む、気落ちする、そういう場合は往々にしてこの「AだからB」という短絡思考の間弊に陥っているおそれがあるというのです。

 
(p178より引用) 「Aだからといって、Bと決まったわけじゃない」と受け止められる。考え方にフレキシビリティーのある人が、精神的にタフな人だ。

 
 また、相手への気遣いにつながる「ひらがな」の効用について。

 
(p196より引用) 漢語やカタカナは、ちょっと能力のある人は使えるようになる。そこからさらに人に伝わるようにできるかは、気づかいを足すことができるかどうか。その人が、自分の言い分だけを言おうとしているのではなく、相手にわかってもらおうとしているかどうか。
 その按配が、ひらがなにあらわれるのかもしれない。

 
 したり顔の漢語・カタカナ語が飛び交う中、「ひらがな」で表そうとすること自体が、聞き手への思いやりの現われだということです。

 さて、本書からの覚えの最後として、目の不自由なシンガーソングライター立道聡子さんからの学びの箇所をご紹介しておきます。

 
(p104より引用) 「もし立道さんが、街中や駅の階段で戸惑っているような場合、僕らはどんなふうにしたらいいんですか?」
「一番困るのは、目の前に立ちはだかり『大丈夫ですか』という人・・・。『大丈夫じゃないです』とは、なかなか言えないんですよね。どうしても『ああ、はい大丈夫です。ご心配なく』と答えるしかないって気持ちになっちゃうんです。できれば『何かお手伝いできることはありますか?』と、英語の『May I help you?』みたいな言葉をかけていただければありがたいですね。・・・」

 
 なるほど、ここでも「相手のために」ではなく「相手の立場で」考えるということですね。
 改めて肝に銘じたいと思います。
 
 

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競争と公平感―市場経済の本当のメリット (大竹 文雄)

2010-11-11 23:37:32 | 本と雑誌

 大竹文雄氏の本は、「経済学的思考のセンス―お金がない人を助けるには」に続いてこれで2冊目です。
 労働経済学が専門で「自由競争」「市場経済」を基本とする立場の著者が、日本人の公平感・格差感覚等をいくつもの切り口から解き明かしていきます。

 まずは、「市場経済と国の役割」に関する日本人の特徴的思考スタイルを指摘します。

 
(p8より引用) 日本人は自由な市場経済のもとで豊かになったとしても格差がつくことを嫌い、そもそも市場で格差がつかないようにすることが大事だと考えているようだ。たしかに、市場によって格差が発生しなければ、国が貧困者を助ける必要もない。
 多くの国では、市場経済を信頼して、貧困対策は国に期待するという経済学者の標準的考え方と一致した考え方を人々がもっている。・・・日本は市場経済への期待も国の役割への期待も小さいという意味でとても変わった国である。

 
 日本人がこういった思考に傾く理由について、著者は、そのひとつに「日本の学校教育」の影響を挙げています。市場経済のメカニズムを教育の場においてもキチンと教えていないというのです。

 市場経済の競争メカニズムにはもちろんメリット・デメリットの両面があります。

 
(p68より引用) 市場競争のメリットとはなんだろう。経済学者は、市場競争に任せると、最も効率的にさまざまな商品やサービスが人々の間に配分されることを明らかにしてきた。・・・ただし、市場競争は、人々の間に発生する所得格差の問題を解決してはくれない。・・・簡単にいえば、市場経済のメリットとは「市場で厳しく競争して、国全体が豊かになって、その豊かさを再配分政策で全員に分け与えることができる」ということだ。・・・
 市場競争のデメリットは、厳しい競争にさらされることのつらさと格差の発生である。メリットは豊かさである。ところが、日本人の多くは、市場経済のメリットとデメリットでは、デメリットのほうが大きいと考えている人の割合が極めて高い。

 
 このデメリットのうち、日本人が特に敏感に感じている要素が「格差」です。著者によると「所得格差」のかなりの部分は「人口構成の高齢化」で説明できるといいます。

 さて、この所得格差ですが、近年のアメリカでは、高所得者・高学歴者の所得の急激な高まりによって拡大傾向にあります。しかしながら、同様に格差が拡大しつつある日本ほどは政治問題化していません。著者は、「日本では、高齢化以外の要因での格差拡大は小さいにもかかわらず、所得格差が政治問題化されているのだ」と指摘しています。

 
(p134より引用) 日本人は「選択や努力」以外の生まれつきの才能や学歴、運などの要因で所得格差が発生することを嫌うため、そのような理由で格差が発生したと感じると、実際のデータで格差が発生している以上に「格差感」を感じると考えられる。・・・一方、学歴格差や才能による格差を容認し、機会均等を信じている人が多いアメリカでは、実際に所得格差が拡大していても「格差感」を抱かない。・・・つまり、所得格差の決定要因のあるべき姿に関する価値観と実際の格差の決定要因とに乖離が生じた時に、人々は格差感をもつのだろう。

 
 本書を通しての著者の立ち位置は「市場万能主義」ではありません。市場メカニズムを基本に、それがうまく機能するような仕掛けづくりが重要との考えです。

 
(p231より引用) 市場が常に競争的な状況に保たれるようさまざまなルールを作っていく必要が政府にはあり、また私たち消費者は、競争的な市場を形成するために政府が努力するよう監視する必要がある。

 
 この考え方については私も同意するところです。
 ただ、本書で示されている現実社会の把握やそれに対する具体的な提案内容については、少々フラストレーションを感じるところがありました。種々のフィールドワーク的な実証データにもとづく分析も数多く示されているだけに、かえって要所要所で見られるマクロ経済学的なステレオタイプモデルによる立論が際立ってしまうのです。
 
 

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拝金 (堀江 貴文)

2010-11-07 18:47:08 | 本と雑誌

 ツイッターでのとても評判がよかったので読んでみました。
 が、私にとっては、いままで読んだ本の中でも際立って・・・なものでした。

 
(p62より引用) 金持ちとは何か-。欲しいものがたくさんあり過ぎるから、とりあえず金を稼いだ人のことだ。

 
 このフレーズは、「欲しいものは金で買える」との考え方がベースにありますし、

 
(p145より引用) 目の前にニンジンをぶら下げれば、人間は限界まで働く。

 
 このくだりも、文脈からは「ニンジン=金」。「人は金で動く」という思想です。
 本書のあとがきにはこうあります。

 
(p269より引用) 実際、この小説は従来になかった新しい手法を取り入れているし、それが今後、新たなスタンダードになるかもしれない。そういう仕掛けも裏面でたくさんしておいた。

 
 が、私は、何一つその仕掛けには気付きませんでした。
 読んで後悔した本は初めてです。
 
 

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プロ野球の一流たち (二宮 清純)

2010-11-06 18:28:06 | 本と雑誌

 いつも行っている図書館でたまたま目に付いた本です。著者の二宮清純氏は私と同世代なので、取り上げられている選手も馴染みがあるかと思い借りてきました。

 内容は、過去に雑誌等に掲載された文書の加筆・再録といったもので、正直一冊の本としてのまとまりはないですね。もちろん野球が大好きな方には、興味深いエピソードが語られているのでしょうが、私にはイマイチという印象でした。

 その中でも、一つだけ覚えとして引用しておきます。
 野村克也監督時代の楽天で復活した山崎武司選手を採り上げたくだりです。

 
(p144より引用) 「考える野球」に次いで、野村がよく口にした言葉が「根拠」である。・・・
 「・・・要するに失敗の根拠さえ、はっきりしていればいいんです。それは次につながりますから。・・・
 逆に運よくヒットが出ても、それが偶然の産物だったら、監督は喜びません。それはたまたまであり、次につながらないからです。・・・」

 
 野村克也氏の著作は、以前「弱者の兵法 野村流 必勝の人材育成論・組織論」という本を読んだことがあります。その中でも同様の主張が語られていましたが、こちらは、豪放磊落なイメージのある山崎選手からの言葉だけに、かえって「如何にも野村氏」という感じが強まりますね。
 
 

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ブータンに魅せられて (今枝 由郎)

2010-11-03 10:24:21 | 本と雑誌

Bhutan_2  ブータンは、第四代国王ジクメ・センゲ・ワンチュックが提唱した「GNH(Gross National Happiness):国民総幸福」という理念を掲げている国として注目されています。が、日本にとっては未知の部分が多く、まだまだ「近く親しい国」とはいえません。

 本書の著者の今枝由郎氏は、10年にわたり国立図書館顧問としてブータンに赴任した経験をお持ちの東洋仏教史の専門家です。
 その今枝氏が語るブータンの姿は、欧米を中心とした国際的な金融資本主義経済諸国とは際立った差異を示しています。
 この差異は、仏教の研究者である著者にしても強く感じられるものでした。

 
(p60より引用) 仏教を研究対象とする自分の態度と、まず第一に仏教徒であるブータン人のそれとの間に、たえず大きな開きがあることに気がついた。

 
 こういった差異は、仏教関係者に限らず一般人の場合にも見受けられます。多くの日本人は、寺院や仏像を信仰の対象としてのみならず、「観光」「鑑賞」の対象としても捉えています。

 
(p65より引用) わたしにはブータン人が、仏像・仏画を仏として、あくまで礼拝の対象として扱っているという態度がよく理解できた。目にする、写真撮影するという次元とは別に、「拝む」という本来の次元が生きているのである。

 
 著者を含む日本人にとって「客体」である仏教が、ブータンの人々にとっては、まさに主体と一体化した自己を取り巻く環境(生態圏)そのものなのです。

 本書で紹介されているブータンの日常は、現代の日本の空気と比較するといろいろと考えさせられるものがあります。その特徴的なものとして「時間」について。

 
(p94より引用) ブータンの時間は、流れるようで、止まっており、止まっているようで、流れていた。この時間が、誰もがお互いに関心を持ちつつ、必要とあらば、立ち止まって手を貸し合える余裕を生んでいた。人びとの歩みに、眼差しに、なんとも温かさが感じられ、なんと人間的なんだろう、と羨ましさを禁じえなかった。

 
 こういったブータンの生活、特に精神文化のありようは、現在の資本主義諸国を対極において、それと比較し「良し悪し」の評価が下せるものではありません。そもそも拠って立つ地盤そのものが全く別物なのです。

 さて、最後に、注目を集めている「GNH(Gross National Happiness):国民総幸福」という理念について、第四代国王が語った内容を、少し長い引用になりますが、ご紹介しておきます。

 
(p165より引用) 国として、経済基盤は必須であり、ブータンも当然経済発展は心がけている。しかし仏教国としては、経済発展が究極目的でないことは、経済基盤が必須であることと同様、自明のことである。そこで仏教国の究極目的として掲げたもの、それが「国民総幸福」である。しかし今考えると、「幸福」(happiness)というのは非常に主観的なもので、個人差がある。だからそれは、国の方針とはなりえない。私が意図したことは、むしろ「充足」(contentedness)である。それは、ある目的に向かって努力する時、そしてそれが達成された時に、誰もが感じることである。この充足感を持てることが、人間にとってもっとも大切なことである。私が目標としていることは、ブータン国民の一人一人が、ブータン人として生きることを誇りに思い、自分の人生に充足感を持つことである。

 
 著者は、この言葉を受け、ブータンをして「それが人間が幸福であることとなんの関係があるのか」を問う「仏教ヒューマニズムの国」であると結んでいます。
 
 

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クリティカル・コア (ストーリーとしての競争戦略 ―優れた戦略の条件 (楠木建))

2010-11-02 22:56:09 | 本と雑誌

 楠木氏によると、起承転結の「戦略ストーリー」の肝は、「起」の「コンセプト」と「転」の「クリティカル・コア」にあるといいます。その「クリティカル・コア」についての著者の解説です。

 
(p295より引用) 「戦略ストーリーの一貫性の基盤となり、持続的な競争優位の源泉となる中核的な構成要素」、これがクリティカル・コアの定義です。・・・第一の条件は、「他のさまざまな構成要素と同時に多くのつながりを持っている」ということです。・・・つまり・・・「一石で何鳥にもなる」打ち手です。・・・
 第二の条件は、「一見して非合理に見える」ということです。・・・しかし、ストーリー全体の中に位置づければ、強力な合理性の源泉になる。クリティカル・コアの特徴はこの二面性にあります。

 
 この「クリティカル・コア」の「ひねり」が他社を寄せ付けない「持続的な競争優位」をもたらすのだと著者はいいます。

 
(p322より引用) クリティカル・コアは、部分の合理性と全体の合理性が別ものであるということに着目しています。戦略全体の合理性は、部分の合理性の単純合計ではありません。・・・部分的な非合理を他の要素とつなげたり、組み合わせることによって、ストーリー全体で強力な全体合理性を獲得する。・・・
 ストーリーの本質は「部分の非合理を全体の合理性に転化する」ということにあります。

 
 「非合理な要素」の具体例として著者が挙げているのが、スターバックスの「直営方式」です。
 経済合理性からいえば「フランチャイズ方式」の方が望ましいと一見誰もが思います。しかしながら、「店舗の雰囲気」「出店と立地」「スタッフ」等の要素を通して、顧客に「第三の場所」を提供するというスターバックスの「コンセプト」を確実に実現するためには、「直営方式」が不可欠だとの論です。
 そして、この「非合理性」は、競合の追随において「動機の不在」「意識的な模倣の回避」をもたらし、そこにスターバックスの「持続的競争優位」が生じたのだと著者は指摘しています。
 デルにおける「自社工場での組立て」、サウスウエスト航空における「ハブ空港は使わない」、アマゾンにおける「自前の物流センター」といった構成要素も「クリティカル・コア」です。

 さて、このクリティカル・コアを含んだ戦略ストーリーは企業に「競争優位の長期的持続性」をもたらしますが、それは「他者の自滅」によるところも大きいというのが、著者の考察の興味深い点です。

 
(p370より引用) 優れた戦略ストーリーの競争優位が長期の持続性を持つ理由は、その企業の戦略の模倣を困難にする障壁があるというよりも、・・・追いつこうとする企業が戦略を模倣しようとする結果、自滅していくからではないか。・・・場当たり的に戦略を模倣しても、オリジナルの戦略の競争優位の本質であった交互効果は発揮できません。戦略が不全をきたし、かえってちぐはぐなことになります。・・・これまでの戦略の一貫性や強みも破壊され、パフォーマンスの低下の憂き目に遭うという成り行きです。

 
 この自滅の論理がより顕著になるのは、戦略のコアに「一見非合理」な要素が含まれているケースです。

 とはいえ、著者の説く「戦略ストーリー」も実行されなくては無意味です。

 
(p423より引用) どうしたら「一見非合理」なことをあえてするという決断に踏み切れるのでしょうか。・・・それは自らの戦略ストーリーに対する「論理的な確信」にしかない、というのが私の意見です。戦略ストーリーを構想する経営者は、自らのストーリーに論理的な確信を持てるまで、「なぜ」を突き詰めるべきです。

 
 第6章「戦略ストーリーを読解する」の中で、著者はこう語っています。

 
(p425より引用) 戦略とは将来の世の中や環境が「こうなるだろう」(だからそれに適応しよう)という予測ではありません。自分たちが世の中を「こうしよう」という主体的な意図の表明です。

 
 大事なことは「切実な意思」です。
 
 

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